第7話 海女小屋


六、海女小屋


 あくる朝は快晴の青空だった。

「海女だー 今日は、海女小屋でアワビを食べるのだー」

一晩寝たら、清美はすっかり元の元気者に戻っていた。


「そうだね、今回の旅で一番贅沢な日だね」

清美につられて、琴代もなんだか元気が出て来た。

「よーし、アワビ食うぞ! エビ食うぞ!」


申し込んだ海女小屋体験は、昔の海女小屋を再現した小屋でもてなしを受けるものだった。

海女体験者の話と囲炉裏で焼く海産物が目玉で、昼食を兼ねた催しだ。


琴代たちは二人なので、他に一組の家族連れ三人と同席だ。土日だともう少し多くの人数が入るようだが、今日は平日なので予約客は少なかったらしい。

   

網の上に蠣やウニ・サザエなどが乗せられて、焼きたてのそれらを頂きながら、海女の仕事にまつわる・よもやま話を聞く。

 相手をしてくれる人は、まだ現役だが年配の海女さんの二人だった。消防団の男達が推した敬子さんと、もう少し若い真智子さんと言って、二人共子供の頃から海女をやっている大ベテランだった。


特に敬子さんは八十を超えてまだ現役の最年長レベルの海女だった。


「海女にはどうやったらなれるのですか。私でもなれますか?」

と、清美がとりあえず定番とも言える質問をした。


「海女になるのは、地元の漁協に加入して会費を払わなければならねえだ。あとは、体力勝負だで。長時間潜るで体温を奪われるだ。だからぁ、皮下脂肪の厚い女子が有利だ。あんたなら、充分やってゆけっぺ」

と、真智子さんが、清美の顔や体を見て教えてくれた。


敬子さんも真智子さんも横幅のある分厚い皮下脂肪の持ち主だ。

だが、普通の肥満者のようにぷよぷよでは無い。がっしりした固い脂肪の鎧に覆われている感じがする。


「皮下脂肪の厚さって、やだぁー。私、それなら結構自信あるよ。でも海女って儲かるの?」

と、現金な清美がすぐに収入の事を聞く。


「儲かるも儲からんのも自分の腕次第だよ。昔は五十万ほども一日で稼いだ海女もいたそうな」

と、言って真智子さんは、歌を歌い出した。


ー志摩のアネラは、長持いらん。ノミとサワラの桶ひとつ。

 愛しあの人、食わすのは、サワラに入れたサザエとオンビ。

 ノミで起こしてサワラに入れる。これが二人の糧となる。


 愛しあの人、家で待つ。据膳上げ膳、極楽暮らし。

 あなたの仕事は、よさりのカズキ。それがあなたの大しごと。

 深く潜ったあなたのノミが、私のオンビをこじ開ける


「やめなさい。お子さんもおるのよ」

と、敬子さんが、真智子さんの膝を叩いて歌を止めた。


「ご免なさいね。民謡ってどうしてもそう言う風になるのよ」

と、敬子さんが目をまん丸くして驚いている清美や家族連れの母親に謝った。


「はっはっはっは、民謡とはそう言うものです。すぐに男女の下ネタ話になります。気にはしていません」

と、家族連れの少し年の離れたような父親が笑って言った。


「とにかく、男一人養えないようなら志摩の女では無いと言われているでな。海女は、やりがいがある仕事だぞな」

「愛する男を養う・それって、格好いいな」

と、清美は乗り気になっていた。


「ところで、海女の伝説の三本柱という話を聞きましたが、海女の仕事で何か不思議な経験をしたことがありますか?」

 琴代は、自分の聞きたい事を聞く。


「そっだなあ。薄気味悪い海の底に潜るだで、不思議な話は日常茶飯事だな・・」

「例えばどんな?」

 真智子さんは、皆の顔を見渡して、一度頷いてから話し始めた。


「今あなたの言った三本柱のひとつだが、トモカズキと言うのがあるだ」

 皆は手を止めて敬子さんの話を聞く体勢になった。二人も一度聞いた話しだが、注目した。


「海に五メートルも潜ると薄暗くなる。そんな暗い海中でふと横を見ると、傍に自分とよく似た海女がいる。その海女は、もっと深いところに沢山アワビがいると誘ってくる。手をとってくるとも言う。だがのう、それについていっては息が耐えて死んでしまうのじゃ。それは人では無い、海の魔物だと言われている」


「ひやー」

と、清美が変な声を出した。

「その時にはどうするのですか?」


「うん。その時には、頭の手拭いに手を当てて、まじないを唱えるのじゃ」

と、真智子さんは手拭いを見せてくれた。そこには、紺の糸で星と格子の形を作っていた。


「それは、お土産もの屋さんで見ました。五角形がセーマン、格子がドーマンと言うのですね」

 お土産コーナーでもその模様があるハンカチが売ってあった。いずれも魔除けの印だと説明があった。


「そうじゃ。海女はこの印が前に来るように、頭を包んでカズキをするのじゃよ」

 真智子さんは、それで頭を包んで見せてくれた。

「まじないは、なんと唱えるのですか?」


「それは、人それぞれじゃ。おらは、「おみけ様、私を守ってくだせえ」と言うだよ」

「私もそう言うわ。いつもおみけ様のお守りを持っているから」

と、敬子さんは、胸元からお守り袋を取りだして見せてくれた。それはやはり五角形のマークが付いていた。


「おみけ様とは御食媛神社の事ですね。海女さんの信仰が深いのですね」

 御食媛神社は、この町の高台にあって町全体から見上げる事が出来た。初めて来た人にもすぐに認知される場所にある神社だった。


「海女だけではないのよ。この辺りの人は皆、おみけ様を信仰しているわ。」

「お土産もの屋さんでは、セーマンは阿部清明、ドーマンは芦屋道満と関わりがあると書いていましたが、御食媛神社とも関わりがあるのですか?」


「それは観光用のフレーズよ。御食媛神社はなんでも、日本でも最も古い神社の一つだと聞いているわ。阿部清明などより遥かに古いのよ。地元の人は恐れ多くて行かないが、おみけ様の神域には石積みの古い五角形の祭壇があるらしいだよ」


「五角形、それがお守りのマークになったのですね」

「そうでねえかな。詳しい事はあたしらには解らねえが・・」

 敬子さんは話をしながら、クーラーから黒い物を取りだした。


「キター、アワビだ!」

 たちまち清美が歓声を上げる。

「そう、これが一番値の張るクロアワビですよ。さっきの民謡にも出ましたが、地元では、オンビとも言います。海女もカズキでこれが見つかると、とっても嬉しいのよ」

 敬子さんは手際よく身を取り出すと刺身にして、元の貝殻の上に盛り付け、横に小皿と醤油とわさびを出して、並べてくれた。

家族に一つと私達に一つの二つだ。


「いただき・まーす!」

 一切れ摘まんで、わさび醤油をつけて口の中に放り込む。アワビの特徴のコリコリとした歯ごたえがある。

「うまーい」

「おいしいー」

 思わず声がでた。噛んでゆくとコリコリ食感のなかから、旨味が湧き出てくる。

 皆夢中でアワビを味わった。


「こんな美味しいアワビが取れるなんて、海女って良いなあー」

 清美がうっとりとして言った。

「ほんなら海女になるかね?」

「なってもいいな」

 清美はかなり乗り気だ。清美なら海女になっても絶対にやってゆけると、琴代も思った。


「なら、一度潜ってみるだか。昼間に湊に来れば、一緒に連れてってやるよ」

「行く。明日来ます!」

と、清美は即決した。


 浜屋という民宿は、海岸から五〇メートルほど入った所にあった。とても立派な建物とは言えないが、案内された部屋から見える一面の海は素晴らしかった。


「敬子さんの紹介だ。何時までもゆっくりしていったらいいだ。食事もいる時だけ作るし、外で食べてきても構わねえよ。今日は、昼を海女小屋で食べたのなら、夕食は普通でいいだか?」


「はい、貧乏旅行で、ご馳走ばかり食べる身分ではないです。海女小屋に申し込みしたのは凄く奮発してのことです。食事は普通でお願いします」

 ここのかみさんは、真智子さんの同年代で、やはり海女をしていたが五十になったときに、卒業して民宿を始めたと話してくれた。


「私は、身体があまり丈夫では無いので、陸(おか)の仕事に変えただよ」

と、かみさんは寂しそうに言った。

「そうですね。一年中海に入るのは、とても厳しいですよね」


「うん。だども、今でも年に数回は海に入るよ。もう、まともに獲物は獲れないけれどね」

「海女の仕事が好きなのですね」


「ああ、好きだな。それに身を清める意味もあってね」

「身を清める・・ですか?」


「海女は大昔から続く神聖な仕事だよ。そっだで、ここの巫女様も海に潜るだよ」

「巫女様と言うのは、御食媛神社の巫女の事ですか?」


「そうだよ。御食媛神社の巫女様は、卑弥呼の子孫と言われているのだよ。それでここらで一番偉い人だよ」


「ひ・み・こ!」

と、清美がすっとんきょな声を上げた。


「卑弥呼の服装は、海女の装束に赤い布を巻き付けたものだという。実は、卑弥呼も海女だったという話だよ」

「でも、卑弥呼のいた邪馬台国は九州でしょう?」

 一般的には、邪馬台国北九州説が有力なのだ。他にも大和説、阿波説など複数の説がある。


「そんな事はわかんねえが、ここの神社は阿波から来たと言われているだよ」

「あわ、徳島県ですね」


「そうじゃ、今でも此処いらと徳島は、深い繋がりがあるのじゃよ」

「つながり・・ですか?」


「うん、今でも阿波に海女が出稼ぎに行く。そのせいもあって、お互いの方言も似通っているそうじゃ」

「海女さんは、出稼ぎにも行くのですか?」


「何年かに一度、若い稼ぎ頭の海女が行くのじゃよ。私は行った事がねえけどな」

「それも、卑弥呼の時代からのつながりと言う訳ですか・・」

 と言う事は、卑弥呼阿波説になる。事実は今でも謎のままだが、広大無辺だ。琴代には、とても興味のある話だった。



「今日は、沢山色んな話が聞けたね」

「うん、多すぎて頭がパンクしそう・・」

 二人は部屋に入って座り込んだ。時刻は午後五時、お風呂や夕食まではまだ少し時間がある。


 海女小屋体験が終わった後、地元の消防団との間で起こった事を話したら、敬子さんが時間を作ってくれて、色々と話を聞くことが出来たのだ。

 戦後の事件当時の事を、敬子さんはこう話してくれた。


「その時は、私が海女見習いを始めた頃です。小屋は違いますが、ちょっと先輩の姉さん海女四人が雇われカズキをしに行って戻らなかったのです。それは大騒ぎになったのよ。警察や隣の町からも大勢の人が出て、大捜索をしたのです」


「捜索は、二日目の夕方になって、一通り探したのだから明日からは普段の仕事をして、捜索は警察に任せるようにと、町から通達が出ました。それで、町は平穏を取り戻したのよ」


「男は財宝を引き上げようとしていたとか、若い娘ばかりだったのでそのまま浚ってどこかに売られたとか、色々と噂が出ました。しかし結局は、竜宮井戸に吸い込まれたのだろうと言う話に落ち着きました。実はそのなかの一人は、私の親戚でしたの。そう言う事で、あれは私にとっても町にとっても実に大きな事件でした。いまだに忘れられないもの」


「その若い海女さんたちは、その後も手掛かりは見つからなかったのですか?」

「はい、おまけに行方不明になった海女の家族も、いつの間にか引っ越しして居なくなり、以来すっかり疎遠になって、今では連絡先も解らなくなったの・・」


「・・・どう言う事ですか?」

「うん、ここに居るといなくなった娘の事を思いだして辛いから、都会でやり直すと言ってね。当時は、高度成長期で都会に出て行く家が凄く多かったのよ」


「高度成長期か・・」

琴代たちには、教科書でしか知らない時代背景だった。


「戦後の混乱期とか高度成長期とか、私達が知らない時代背景があったのね・・」

と、鄙びた窓から夕暮れを向かえよとしている美しい志摩の海を見て、琴代は呟いた。


「そういや、あま と あわは似ているよね・・」

と、突然清美が言った。彼女はそっちを考えていたのだ。


「そうね。ぼそぼそと言えば、同じに聞こえるし、同じ言葉と言ってもおかしくないかもね」

 琴代も、女将さんに聞いた古代の不思議な話の世界に没頭し始めた。


―あまとあわ、あわとしま、ひみことあま、ひみことあわ・・

 考えれば考えるほど模糊としている。しかし、何故か惹かれるのだ。

 その日は、布団で手足を伸ばしてゆったりと寝た。


 鮫がゆらりと泳いできた。それを見つめる漁師。手には古い木柄の長い銛を持っている。一頭、二頭と目の前を横切ってゆく。

 それをじっと見つめるのは、なんと琴代だった。いつの間にか漁師は琴代自身に変わっていた。手には銛の心地よい重さを感じている。

(まだだ、もっと近付くのを待つのだ)

 その間にも、鮫は目の前を横切って行く。潮がこちらに流れている。漁師と鮫の距離は次第に近くなって来ている。さらに鮫が上がって来た。いい距離だ。目の隅に上がってきた鮫が見える。すぐに白い腹が眼前に来た。


「今だ!」

 琴代は渾身の力で銛を撃った。銛は狙いどおり鮫の白い腹に、真っ直ぐに延びていった。

 その瞬間。

 目の前に巨大な口が迫ってきた。彼女の身体を飲み込みそうな大きな口。その周りには尖った白い牙が不気味に並んで、青く躍動する口の中が見えた。

「わあああー」

 飛び起きた琴代の目に、仄かな朝の明かりが見えた。もう既に朝になっていたのだ。


「どうしたの?」

 隣には目を丸くした清美がいた。

「夢・・」

 琴代の身体は汗でびっしょりだった。


「悪い夢を見ていたの・・どんな夢だった?」

と、清美が聞いてくる。

「・・、鮫が列になって泳いでいて、それを私が銛を持って狙っていたの。そして銛を撃ったらいきなり鮫の大きな口に飲み込まれて、それが青い・底深い口で、私はきりきりと回転しながら飲み込まれていくの・・」


「琴代が七本鮫を銛で撃った漁師になったのね。そして竜宮井戸に飲み込まれた・・・・」

 全く夢らしく、予想もできない展開だった。まだぼーっとした頭で思い出してもちぐはぐな話だった。


「最初私は、離れた所から漁師を見ていたの。だのに、いつの間にかその銛を構えた漁師になっていた。潮の流れで鮫が段々に近寄ってきて、「今だ!」と思って銛を撃ってしまったのよ。銛は狙いどおり鮫に刺さったの」

「へえー。まあ、夢らしい夢だわ。あたしも見たかったな」


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