第6話 住民の妨害

五、住民の妨害


 伊勢志摩旅行の三日目。

今日の空は雲が覆い、どんよりとした重い空気が漂っていた。予報では午後は雨になるらしかった。

二人は、海女さんが行方不明になった町に行って、早速聞き込みに入った。

まずは、段々畑の傍の石垣に座って休んでいた、農作業の老婆に聞いてみた。


「お婆ちゃん、お名前は何というの?」

「はぁー、おらの名か? おらの名前はトシじゃ」

と、老婆は歯が抜けたせいか少し聞きづらい声で言った。


「トシさん。戦後にここで起こった事件の事を知っていますか。海女さんが四人行方不明になった事件よ」

「ああ、おらがおめえたちみていに若かった時の事だぁ。覚えているよ」


「その時に、村中が大騒ぎになったのを覚えていますか?」

「ああ、若い海女が四人も帰って来なかったのじゃ。みな総出で探したわい」


「でも一日二日で騒ぎが治まったと聞きました。何か見つかったの?」

「そうじゃったかな・・・、その辺はよく覚えておらぬのう」

 二人はガッカリしたが、老婆に礼を言って他の住民を探すことにした。


だが、平日の昼間だ。あまり人の姿が無い。その後も三人ほどに話を聞いたが、お年寄りで無ければ、事件そのものも知らない人が多いと解った。


「海女の資料館と言うのがあるよ。行ってみようか」

と、清美がスマホを見て行った。

 坂を少し登った所にある海女資料館は、最近出来たらしくて新しい建物だった。

小体な館内には、海女の使う道具や獲物の貝殻、古い海女の写真などを展示していて無料で見学する事が出来た。


「海女小屋体験というのがあるよ」

と、清美が手に取ったパンフレットは、囲炉裏で魚介類を焼いている海女さんが写っていた。海女さんと一緒にお茶を飲み、魚介類を焼いて食べながら海女の話を聞ける催しだ。


 受付の奥には中年の女性が二人いて、かしましい志摩弁で話をしていた。彼女達が電話を取って話す内容で、海女小屋の予約をここで受け付けているようだった。


「これ予約しようか。海女さんとじっくり話が出来るチャンスだから・・」

「賛成。アワビ食べたい!」

清美の声に、受付の女性が気付いてくれた。


「ようこそおいでなして。海女小屋体験でしょうか?」

「はい。明日なんか予約できますか?」


「昼食メニューですね。大丈夫です。二名だと他の方と相席になりますが」

「はい、構いません。それでお願いします」


 二人は早速、海女小屋体験の予約をした。時間は、午前十一時からだ。

海女小屋体験は、お茶メニューと昼食メニューがあって、昼食メニューはかなり値が張るが、アワビを食べられるのだから仕方がない。


「あのー、聞いても良いですか?」

ついでに琴代は、受付の女性に話しかけた。

「何でしょう?」


「私、伝説とかが好きなのですけれど、竜宮井戸の話をちらっと聞いたのですが、ご存じでしょうか?」

 これまで竜宮井戸の話は、岬で会った老婆に聞いただけだったのだ。


「勿論、知っています。竜宮井戸の話は、海女さんの伝説話の三本柱の一つですから」

「三本柱!」

と、琴代の目が光ったのを、清美は横から見ていた。


「三本柱の伝説というのは、どういう話ですか?」

「はい、それは地域によって微妙に異なりますが、七本鮫に竜宮井戸、それにトモカズキです。海女が海に潜って仕事をする事をカズキと言います。海に潜っていると自分にそっくりな海女が海中にいて、あっちにもっと良い所があると、手を引きに来るそうです。これをトモカズキと言います。トモカズキは海の魔物と言われて、付いて行くと息が絶えて命を落とすと言います」


「こわっ!」

と、清美は身を引いた。


「海の魔物ですか・・」

「或いは、海で亡くなった海女の亡霊とも言います。まあ実際に見た人はいませんが、暗い海の底は不気味で、海女は常に命の危険に晒されていますから・・」

と、女性は思い出すように言った。


「ひょっとして、あなたも海女さんですか?」

「ええ、そうでした。今は辞めてこうして陸(おか)で仕事をしていますが」


「そうだったのですか。三本柱の他の二つとは?」

「あっ、そのパンフレットに書いてあります」

と、女性は受付のスペースから出て来て、パンフレットを取ると二人に手渡した。


「七本鮫のゴサイはもうすぐです。あっ、あままちどは今日だわ。なっとしょう」

と、女性の声が一段高くなった。

「そあ、仕事がおわってから行けばいいだ。うちもそうするよ」

と、奥から声が掛かった。

「んだなあ・・」


と、考えている様子の女性。

「そのあままちどは、麦崎の竜宮ボチで催されるのですね?」

「そっだ。・・あ、そうですよ」

と、受付の女性は、落ち着いた標準語に変えて答えた。地元の言葉を話すときは、何故か一オクターブ声が高くなるようだ。


「観光客でも参加して良いのでしょうか?」

「それは構わないわ。でも、ただお祈りするだけですよ・・」

 受付の女性から手渡されたパンフレットには、こう書かれている。


 七本鮫

七本鮫は竜宮の使い、或いは伊雑宮神の使いと言われていて、六月に大海原から磯部の伊雑宮に上がって来ると言われている。この前後をゴサイ(御祭)と言う。海女はこの日をノボリゴサイ、翌日はモドリゴサイと呼び、仕事を休んで、神社にお詣りする習慣がある。

一説には、鮫は六本という。七本のうちの一頭を猟師が銛で獲って六本になったという。すると神様のバチが当って、その猟師は死んで猟師のいた村も誰もいない原野に変わったという話だ。


 竜宮井戸

 麦崎岬の南に、海中に深く澄み切った所がある。ここを竜宮井戸と呼んでこの付近では、海女は決してカズキをしないという。

 昔・九人の若い海女が竜宮井戸付近でアワビやサザエを獲っていました。ところが夕方になっても誰も帰って来ない。村人が竜宮井戸の付近を探すと、磯桶が九つポッカリと浮かんでいたが、海女は誰一人見つからなかった。

 それ以来、その日を「海女人日待(あままちど)」と呼び、小さな桶を九つ作り白米三升三合で白餅一重二個ずつを入れて、竜宮ボチにお供えして九名の海女の冥福を祈ります。

と、パンフレットには書かれていた。


「この竜宮井戸というのは、本当にあるのですか?」

「パンフレットには、そう書いてあるけれど、わたしら海女はおとろしいて、そこにはよういかんで何とも言えねえですよ」


「じゃあ、海女さんでは無い私達なら、そこに行ってみても良いのでしょうか?」

「海女で無ければいいのではないかな・・・・」

と、受付の女性の目は自身無さそうに泳いだ。


「ところで、戦後にも若い海女さんが四人行方不明になった事を知っていますか?」

「聞いたことはあります。ですが、わたしらはまだ生まれていなかったから、よく知らないのです」

 それは予想していた答えだった。三本柱の伝説は、観光用に喧伝しているが、地元に実際に起こった忌まわしい事件のことは忘れたいに違いない。


「その時に若い海女さんたちが竜宮井戸に吸い込まれたのでは無いかと、噂が流れたと聞きましたが」

「確かに、そう言う話も聞いたことがあります。遂に見つからなかったからそう言う話になったのだろうと。ですが、あままちどの話はあくまで伝説なので、実際にあった事件を当てはめるのはどうかと思います」


 それは、もっともな意見だった。

「その当時は大変な騒ぎだったのが、何の進展も無いのに騒ぎは一日二日ですぐに治まったと聞いています。それについて何か聞いていますか?」

「さあー」

と、受付の二人の女性は顔を見合わせた。


 その表情を見て、これ以上の質問を諦めた。二人は、その後も町のお年寄りを見つけては、聞いてみたが新しい話は聞けなかった。


 騒ぎが二日で収まったのなら、報道はされなかったが事件に何らかの進展があった筈だ。それは地元で聞き込めば解ると思っていた。だが全く収穫が無かった。二人は徒労感を抱えながら、無言で浜沿いの道路に止めた車に向かって歩いていた。


すると軽トラが走って来て、その二人の前を塞ぐように止まった。


さらに後から二台の軽トラが来て、二人を囲むように止まって男達がけたたましくドアの音をさせて降りてきた。

 琴代は恐怖を感じて、思わず清美の後にまわった。


清美は仁王立ちになって男達と対峙している。その清美の小さな体から怒りの気が立ち上っているのが背後の琴代には分かった。彼女は無体に道を遮られてむかついているのだ。


「こそこそと嗅ぎ回っているのはおめえらか」

と、最初に来た軽トラの男が、威嚇するように言った。


「何を言っているのよ。こそこそなんてしていないわ。あなたたちこそ何なのよ!」

と、清美が吠えた。


清美はそういう性格なのだ。相手が誰であろうと、無体な発言や行動に遭遇して黙っている人ではない。

 清美の発言に、男達はおっと身を引いた。


「お・俺たちは、地元の消防団だ。町内でこそこそと嗅ぎ回る者がいると聞いて来たのだ・・」

 清美の前にいた黒く日焼けした小男が答えた。


「だからぁ、こそこそしてなんかないって。じゃあ、替りにあなたたちが私達の質問に答えてよ」

 さらに強気に出た清美に、男達は顔を見合わせた。


「それとも、見知らぬ若い女二人を待ち伏せして集団で暴行しようとしたの? そっちの方がよっぽど凶悪よ。交番に届けようかしら」

「俺たちはただ・・・」

 清美の反撃に、遂に目の前の男は屈服したのか下を向いた。


「どんな質問だ?」

と、右手の男が聞いた。やはり日焼けした精悍そうな体付きの男だ。歳は三十代半ばと思えた。


「どうせ私達が何を尋ねているのか知っているのでしょう。六十七年前にここで起きた事件の事よ。あの時に実際には何が起こったの?」

 男達は、再び顔を見回した。


「分かった。知っている事を話そう。そこにでも座らないか?」

と、男は自ら堤防に上がり海に向かって腰を降ろした。


「事件が起こったのは、戦後間もなくの昭和二十五年だ。雇われて沈没船探しに行った海女四人が約束した三日間の期日を過ぎても戻らなかった。町は大騒ぎになり、周辺の町村からも応援が出て大規模に捜索したが何も手がかりが見つからなかった。と聞いている」

 他の男達と琴代らが座ると、その男は海を見ながら話をした。


「それは私達も聞いているわ。他に知っている事はないの?」

「知らない。俺たちも生まれていない昔の事だ・・」

 そこでやはり、男の歯切れは悪くなった。


「嘘をつきなさい。じゃあ、あなたたちは何故その話を聞かれるのを嫌がるの。若い女二人にワザワザ集団で妨害しに来たのよ」

「・・・・・」

 男達は、清美の質問に無言で答えた。


その態度が何かを隠している事を物語っていた。ふと、清美が琴代を見た。その目が疑問な事を聞いて、と言っていた。


「当時は蟻の巣を突いたような騒ぎだったと新聞に書いていたわ。それが何の進展も無いのに一日二日で何故急に収まったの?」

「そ・それは・・・・・」

琴代は、唯一の疑問をぶつけてみた。

すると男達は明らかに動揺して落ち着かなくなった。


「ほらぁ、すぐに詰まる。それじゃあ、知っている事を話した事にならないわよ」

「・・わかった。その時は、一通り探しても見つからなかったのだ。狭い地域の事だ。あとは警察に任せて、自分の仕事をして吉報を待とうと言う指示があったと聞いた・・」


「それは何処からの指示?」

「・・町からの指示だ」


「何故、町がそんな指示を出したの?」

「それは、・・全員が捜索して日常の町の機能が停止して困ったからだと・・」

「どういう事?」


「警察は勿論、消防や郵便や商店、あらゆる仕事が休みになって日常生活に支障がでたのだろう・・」

と、男達がたどたどしく答える。


「ふうーん。何か隠してなぁい?」

と、清美は疑わしそうに男達を見回した。男達は完全に主導権を清美に握られたようで、威嚇してきたのが嘘みたいに大人しくなっていた。


「他に聞く事はない?」

と、清美が聞いてくる。


「・・その時の事に詳しい人を教えてください」

と、琴代はダメ元で聞いてみた。

 男達は顔を見合わせて相談しはじめた。どうやら真面目に相談しているようだった。


「うん、そうだな。敬子さんなら適任だろう」

と、結論が出たようだ。

「誰よ、敬子さんと言うのは?」

清美は、完全に上から目線で男たちに聞く。


「当時からいた最年長の海女さんだ。今でも現役で頭も体もしっかりしている。町の顔役と言っても良い。敬子さんなら難しい話も出来るかもしれない・・」

「どこに行ったら会えるの。敬子さんに?」


「今は海女小屋体験をしている。そこに予約すれば会える」

「それって・・」

 琴代は、バックからパンフレットを出して見せた。

「此所のこと?」


「そうだ。そこの最年長のこの人が敬子さんだ」

と、男は写真に写っている二人の内の一人を指差した。

「ラッキー、そこ、予約しているの。明日よ」


「そりゃあ手間が省けた。・・だったら俺達、もう帰って良いか?」

「いいよ。二度とこんな犯罪めいた事をしたら駄目よ」

男達は、小屋から解放された鶏のように、急いで車に戻ると走り去って行った。

「あいつらのあの言い訳どう思う?」

 男達が去って行ったあと、清美が言った。男達が町からの指示があったと話したことだ。


「一応、筋が通っていたと思うわ。彼ら、知っている事を話してくれたかも」

「うん、あたしもそう思った。でも、明日予約している海女小屋の人が当時の事を良く知っているとはラッキーだったね」


「ぷっ」と、思わず琴代は噴き出した。二人を町から追い払おうとして、逆に清美にとっちめられた彼らの姿を思い出したのだ。


「なに?」

「だって、彼らは清美にとっては、鴨ネギだったもん」

「うはははは。ミイラ取りがミイラになるってやつだね」

 二人は大笑いしながら、車で移動していた。

向かっているのは麦崎岬である。


岬に着き竜宮ボッチに出ると、あまどひまちの供養が行なわれていた。


 海に向かって白い餅を入れた小さな桶を九つ並べた祭壇を造り、地元の人達が次々に合掌してお祈りをしていた。

 琴代たちもその列の後ろに並んで順番を待った。並んでいる人は数十人、そう多くは無かった。


「あの、初めてなのですが、いつもこれくらいの人数ですか?」

と、前に並んでいた家族連れに尋ねてみた。

「あんた方は、観光客かね。うん、今の時間は中途半端なので、このくらいの人数だよ。でも早朝から夕方まで列が途切れることは無いほど、お詣りする人は多いのよ」

と、中年の女性は答えた。


「そうですか、早朝からですか・・」

と、琴代は見掛けより多くの人がお祈りに訪れる事を知った。

 やがて琴代たちの番が来た。

二人は手を合わせて一心に海女たちの冥福を祈った。


とても哀愁のある厳かな行事だった。

清美も珍しく、しおらしい顔をしていた。

お祈りを終えて帰る二人の頬を、夕方の優しい風が撫でていった。


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