第5話 戦後の事件
四、戦後の事件
目的地の県立図書館に到着したのは、まだ昼前の時間だ。
三重県立図書館は、県立図書館の中でも特に歴史のある施設らしかった。だが、歴史ある古い建物は容量的に足りなくなって新しく建て直された。現在の建物は大きく壮大で、近代的な建物になっていた。
「七十年も前の新聞が読めるかな・・」
と、かなり不安な気持ちがあったが、予想に反して昭和の古い新聞もデータベースに残されていて閲覧が可能だった。
二人は手分けして、戦後の新聞の事件欄を探した。それは、とても時間の掛かる作業だった。終戦の年・昭和二十年から一年ごとに分担して探した。だが、どの記事も凄く興味深く、つい読み進めてなかなか捗らなかった。
一時間が経っても一年分が消化出来ない。そして、面白い記事があると声を掛けて二人で見せ合ったりした。
一向に進まない。時間はどんどん過ぎて行く。でも面白い。そろそろ一旦休憩をしようかという頃だ、
「あったー」
清美が歓声を上げた。
やっと、その事件の記事が見つかったのだ。
事件が起ったのは、昭和二十二年六月十日から十五日の間だ。
六月九日、三重県志摩市の海女小屋に大阪の海運会社の名刺を持った男が訪れて、潜水作業に海女を雇った。潜水作業と言っても、目的地は浅い岩礁地帯で、海女でも潜れる深さだったのだ。
作業の目的は、男の所属する会社の沈没船の調査である。示された賃金はかなり良かった。だが、潮の流れの速い場所での作業だ。体力が必要だった。この作業に、体力的に優れる若い海女四名が手を上げた。
三日間という短期間で集中して作業をしたいとの男の意向で、現場近くの大島に宿泊しての作業であった。具体的な場所は、機密事項とかで男は明らかにしなかった。
ところが、約束の三日間を過ぎても海女達は戻らなかった。
不審に思った村の者が探しに行っても、海女達が野営した洞窟は見つかったが、手がかりに繫がるものは何も見つからなかった。そこで警察や近隣漁業組合・村人を総動員して探索がなされた。
その時の村の様子を、「まるで、蟻の巣を突いたような騒ぎ」と記者が書いている。
だが結局、警察の捜索は手掛かりを得られぬまま一週間で打ち切られた。
尚、男の残した名刺を後で調べたが、そう言う会社は存在してなく、偽造した名刺だと解った。恐らくは男の名乗った徳永という名前も偽名だと考えられた。
行方不明になった海女は、中村かつ代(20)、中村さち代(18)、斉藤よね子(18)、大神みつ子(18)の四名。それに徳永英二と名乗った三十後半の男であった。
「海女さんたち、まだ十代の若さだったのね・・」
清美が呟いた。
「そうね、私たちよりもずっと若いわ」
「村人を総動員しても、何にも手掛かりが見つからなかったのね。竜宮井戸に吸い込まれたって話になるのは解るね」
「でも竜宮井戸の事は記事に書いていないね」
「そりゃあ、伝説の話だからね」
「彼女たち、どこに行ったのかしら・・・」
と二人はその記事をしばらく見つめていた。そのとき突然、背後から声が掛かった。
「ほう、その事件を探していたのか・・」
二人が振り返ると、小柄な老人が立っていた。その老人は、さっきから館内で見かけていた老人だ。二人が沢山の資料の中から何かを探しているのを見ていたのだ。
「お爺さん、この事件の事を知っているの?」
「それは知っているさ。近くで起こった謎の事件だ。私だけで無く、この辺りの人は皆知っているだろうさ。実は私も、その後どうなったかと言う事が知りたくて、調べたことがあったのだよ」
「そうなのですか。それで何か分かりましたか?」
「いいや、その事件にはそれ以降、何も進展は無かったのだよ。現地では大変な騒ぎになったらしいが・・」
「そりゃあ、若い娘が四人も消えたのだから」
と、清美が当然のように言った。
「たしかにそうだ。ですが、それ以上の騒ぎだったようですよ。当時は戦後間も無くの事で、戦争中には何十人・或いは何百人もの人が亡くなることなどありふれた事だったのです。しかし、たった四・五人の行方不明者で周辺一帯が大騒ぎになったらしい。蜂の巣を突いたような騒ぎだったと聞いたよ・・」
「何か理由があるのですか?」
「それは解らない。だけど、その騒ぎは一日二日ほどで、すぐに治まったそうです」
「蟻の巣を突いた様な騒ぎになったのに、すぐに治まったのですか・・。と言う事は、何か分ったと言う事ですか?」
「それは無かった筈です。事件そのものに全く進展が無かったのですから。ですがなにぶん長い時間が経ってしまったので、私もその時の事をよく覚えてはいないのです。家に帰って当時のメモを見ると、何か解るかも知れませんが・・」
と、佐々木と名乗った老人は、頭を捻った。
「では、その徳永という男の本当の目的は何だったのかしら?」
海女に潜水作業を依頼した男の目的は、記事にはハッキリと書かれていないのだ。
「それは沈没船の財宝だよ。あの辺りは、浅い海底に岩礁が沢山あって、慣れない船は座礁しやすい場所なのだよ。そのお陰で、貝などが沢山生息していて、海女の仕事が成り立っている」
「へえ、海女の仕事場は、船の墓場でもあるのね・・」
「そうとも言える。戦時中には交易船が沢山座礁した。地形を良く知っている筈の日本の軍艦でも座礁して大きな犠牲が出たほどだからな」
「軍艦でもですか!」
「うん、だから徳永と言う男は、何らかの理由で沈んだ船の事を知っていたのだろう。そして沈んだ船の財宝を、海女を使って引き上げようとしたのだろう。戦時中には日本軍が各地で財宝探しをやっていた様だし、戦後にはそういう山師が沢山横行していたようですからな」
「そう言う事ですか、それなら話がすっきりしますね。財宝なんて、曖昧な憶測だから記事に書けなかったのね。それで、事件そのものが曖昧になっているのね」
と、清美が大きく頷いた
琴代も見えなかった背景が、少しハッキリとしたような気がした。
「でも・・」
と言いかけたが、あとの言葉が続かなかった。何かが琴代の脳裏に引っ掛かっているのだ。
「でも、何?」
清美が、琴代の顔を覗き込むように聞く。
「そうです。そうだとすると、財宝が見つかったのか、見つからなかったのかによって事件の展開が大きく別れる」
と、佐々木老人が琴代の言いたいことを代わりに言った。
「・・・財宝が見つかったとすると、徳永は口封じのために海女を殺害したのかしら?」
「でも、海女さんには決めた給金を支払えば済むのでしょう。最初からその予定なのだから、何も四人も殺す必要は無いのではないの?」
「それもそうだね。徳永は海女小屋で大勢に顔を見られているし、それに財宝があるのだから敢えて罪を犯す必要はないよね」
と、二人は言いあった。
「財宝が見つからなかった場合は?」
「給金を惜しんで、或いは持っていなくて、支払いでトラブルになったとか?」
「いや徳永は、金は持っていたようだよ。記事には書いていないが、海女小屋で気前よく半金を渡したようだ」
と、佐々木老人は言う。
「そうなのですね。ではあとの半金を惜しんで殺人まではするのは、分が合わないわね。財宝の代わりに海女たちを浚ってどこかに売った。というのはどうですか?」
と、琴代は老人に聞いてみた。
「当時は、岡場所は各地にまだあった。娘を売ることは出来ただろう。でも娘だって黙っている人形では無い、口を開いて文句も言う。と言う事は、国内ではそう言う事は難しいだろう。一時は娘たちを黙らせて監視出来ても、その内に発覚したと思う」
「その後も発覚していないとなれば、その線もなしですか?」
「いや、そう思うだけで実際はどうか解らないよ。なにせ当時は戦後の混沌とした時代で、闇市場といい何でもアリの時代だったのだ。岡場所で無くて、監禁できる個人に売られたかも知れないし、奴隷として海外に売られたことも考えられる・・」
「何でもアリの時代か・・いまでは考えられない時代ですね」
「そうですよ。戦争で親も家も失って食べ物も無い子供達が、沢山徘徊していた時代です。志摩ではそう言う事も少なかったが、空襲で焼け野原になった都会では実に無残な状態だったでしょう」
「これは・・・そういう時代に起った事件なのですね」
たしかに今ではとても考えられない社会情勢だったのだ。そういう背景を考える必要がある。
その日は、伊勢市まで戻って、古い銭湯に入った。小さなタイル張りの浴室に湯に浸かりながらみる富士山の絵。まさに昭和を感じさせる銭湯だった。レトロな雰囲気は、今の時代に逆に新鮮なトキメキがあった。
さっぱりとした二人は、スーパーマーケットで食料を買って、浜沿いの道路に車を停めて寝ることにした。
実に気軽な旅だ。自由で誰にも気兼ねなくリラックスして、潮騒を聞きながら寝る事が出来る。
「清美は、事件の事をどう思った?」
「うん、昭和に実際に起こって、未解決のまま時が過ぎた事件。竜宮井戸の伝説とは海女さんが行方不明と言う事が同じだけれども、あたしには関係無いと思えるわ」
「そう、竜宮井戸伝説とは関係が無いと私も思った。だけど、何かが引っ掛かるの・・・」
「あたしも、何かが気になって無視できない気持ち・・」
と、清美も琴代と同じく昭和の事件が気になっているようだ。
「じゃあ、もう少しこの事件のことを調べてみようか」
「イエッサー。では琴代隊長、明日の探索はどうしますか?」
と、清美が聞いた。二人での探索旅行では、行動の予定は琴代が立てる。それで清美は、琴代に隊長を付けて呼ぶのだ。
「その前に、今のポイントを整理するわ。この事件のこれまでの謎は、①海女はどうなった。②財宝は見つかったか。③急に騒ぎが収まった訳の三点ね」
「そうだね。でも①と②は調べようが無いね。③なら現地に行って聞けば解ると思う」
「では、明日・現地に行って聞き込みをする」
「イエッサー」
と、明日の予定はあっさりと決まった。
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