第4話 竜宮ボチ


三、竜宮ボチ


家もごく近所で幼いときから同じ年の姉妹のように育ってきた伊集院比奈子と南琴代と阿部清美。

清美にとって、比奈子と琴代はかなり変わった少女たちだった。不思議少女の琴代と、神懸かり少女の比奈子。

比奈子の母親は、何処かに用事があるらしく時々家を空けていた。比奈子も中学生になると、母親と共に時々いなくなるようになった。そしてどこに行っているか比奈子は、二人に教えてくれないのだ。


「あそこの家はそういう家なのよ」

清美が母親にその理由を尋ねた時に、母親はそう言った。確かに神がかり的な比奈子の家は他の家とは雰囲気が違っていた。清美と琴代はその言葉で納得してしまったのだった。

そして比奈子は、高校卒業と同時にふいにいなくなったのだ。

その理由を尋ねると、遠戚の家に養子に行ったと言うのだ。だが、行った先の住所も連絡先も教えて貰えずに、比奈子がいったい何処に行ったのか、それはいまだに不明だった。


つまり、神懸かり少女はある日、神隠しに遭ったようにかき消えたのである。


「比奈子、突然消えたね・・」

「でもそれまでにも、そう言う事、何度かあったよね」


「うん、長い休みの時には大概いなかった・・」

「何処へ行ったのか、琴代にも教えて貰えなかったの?」


「聞いたけれど教えてくれなかったの。事情があると言って・・」

「どんな事情なのだろうね?」

 二人はどんな事情か考えてみたけれど、考えてわかるものではなかった。


道の駅に移動して、食事をしてお酒を飲んだ。それで満足をした二人は、車のシートを倒して横になった。その深夜の事だった。


「・・あたしたち、まだ必死に働いた事ないね」

と、清美が呟いた。

お互い自然に目が覚めて、車の中で毛布にくるまったまま、星がきらめく夜空を眺めていたのだ。


「・・そうね。まだ無いね・・」

 琴代も米子お婆ちゃんの言葉が頭の中に残っていた。


「清美はまだしも、私は向くとか向かないかとか言ってプラプラしているし・・」

「琴代も太陽商事に勤めなさい」と、母親から何度も言われていたのだ。だが、「私は内気だから、営業には向かないと思う」といって断っているのだ。

かといって、他の職に就いている訳では無い。フリーターのまま派遣のバイトを単発でしているだけだった。


「・・・車中泊で良かった」

 あのしっかりとしたホテルのような部屋で、ふかふかの布団にくるまってしまうと、プラプラしているのに贅沢をしているようで、我が身が余計に情けなくなりそうだった。


「あたしだって、全く先が見えないのよ。こんな仕事いつまでしているのだろうと思うのよ・・」

 正社員で働いている清美は清美で、仕事に悩みがあるのだ。

明るい陽気な性格だから、楽しく仕事をこなしているかと琴代は思っていたが、そうでも無いのだと解った。


「比奈子、どうしているのだろう・・」

「うん、比奈子はきっと、こんな事に悩んではいないと思う・・」


「だよね。比奈子の悩みはきっと、次元が違うわ」

「ふふふ、きっとそう。会いたいね」


「うん。会いたい」

清美は、比奈子ともいつも一緒にいた幼い頃の事を思いだした。

「私、ねえ・・」

「うん?」


「もうすぐ会える気がするの。比奈子に」

「・・出たわね。不思議少女」

と、清美が笑って言った。


 伊勢志摩旅行の二日目は、快晴の良い天気だった。

 青い空と青い海が、旅をする二人の気持ちをいっぱいに包んだ。


「海に来たのだから、取りあえず、岬に立つ白い灯台を見に行こう」

と、いう事になった。

二人が選んだのが、麦崎という岬だ。志摩半島から熊野灘に向ってアンテナの様に出ている岬。

道の駅から三十分ぐらいで着いた。車を止めて歩いて向うと、ネットで検索して見た白い灯台が目の前に現われた。その大きさに二人のテンションが上がった。


「うひょー、でっけえー」

灯台は、想像していたよりずっと大きかった。青い空に白く丸い灯台がきらめいていた。


灯台を一周して、岬の先端にでた時に、清美が訝しげな声を出した。

「あのおばあちゃん、ひょっとして・・」

 清美の目線の先を見た琴代の目に、岬の先の岸壁の端に佇む一人の老女の姿が写った。


「行ってみましょう」

年老いて背が小さくなった老女は、胸の前で手を合わせていた。その姿は、今にも海に飛び込みそうな雰囲気だったのだ。二人は足早に老女に近づいて行く。


「お婆ちゃん、大丈夫?」

 清美の声に老女は、驚いた様に二人を見つめた。

「何か悩みがあるのですか?」

 琴代の問い掛けに、ポカーンとしていた老女の表情が、やがて崩れて微笑んだ。

「あら、いやだ。ひょっとして私が身投げでもすると思ったのかい?」

と、言った老女は真剣な顔をしている二人の顔を見て吹きだした。


「私は大丈夫じゃよ。ここで竜宮さまをお祈りしていたのじゃよ」

「竜宮さま?」


「ここは、竜宮ボチと言って竜宮さまをお祈りする場所なのじゃよ。竜宮さまはこの先の海中にあると言われているのじゃ」

「竜宮さまって、あの昔話の竜宮城の事ですか?」

と、琴代が身を乗り出して聞いた。


琴代は、こういう不思議な話が大好きなのだ。

以前には、八岐大蛇(やまたのおろち)を探しに出雲を旅したことがある。それはスサノオウノミコトやイナバの白ウサギの伝説、古代に飛来したと言われる天の磐船の伝説も交錯して結局は、支流が幾重にも枝分かれしているタタラで赤く染まった斐伊川の流れを表した言葉では無いかということになった。


八岐大蛇の体内から出た草薙の剣は、タタラで出来た極上の鉄を鍛えた神剣なのだと。

 他にもヤマトタケルの足跡を追って、信州から関東に向った旅や、津波に沈んだ幻の十三湊を探索しに東北に出かけた旅もある。琴代のそんな時の共はいつも活動的で怖いもの知らずの清美だった。


普段は一人では怖くて山歩きも出来ない軟弱者の琴代も、そういう不思議な話やちょっと怖い話が関係してくると無敵になってどんどんと行く。

だがそれが覚めた時が大変で、怖くて動けなくなるのだ。だから必ず誰かと一緒に行く。それは、天神さんの石を見に行った時に両親と約束した事でもある。


「おそらくは、そうじゃろうと思う。この先の海中の岩の間に、青く澄み切った丸い空間があるそうな。そこは竜宮の井戸と呼ばれていて、海女は決して近寄ってはいけない所と言われているのじゃよ」

と、老女は痩せて皺が沢山ある指を伸ばして、海の方を差した。


「近寄ってはいけない所・・・そこにはいったい、どんな謂れがあるのですか?」

「うん、むかしむかしの大昔の事じゃ。竜宮の井戸のあたりで潜っていた九人の若い海女がいたそうな。そこは誰も行かない場所じゃから沢山の大きなアワビが山ほど獲れることを想像したのじゃろう。だが海女たちは、夕方になっても帰ってこなかった。村人が総出で探すと、竜宮井戸の辺りにポッカリと九個の磯桶が浮かんでいたそうじゃ。そしてついに、行方不明になった海女らは二度と帰って来なかったそうじゃ」


「・・・・・」

 二人は、その青く澄み切った丸い空間の竜宮井戸を想像していた。底なしの深さの青い井戸は、廻りとは違う美しい色合いをしているように思えた。


「なるほど、不思議な話ですね」

「今の季節が、海女さんらが消えた季節じゃというで、私は彼女らの冥福を祈ってお祈りしていたのじゃよ」


「ごめんなさい。あたしたちったら、手を合わせているお婆ちゃんを見て、てっきり身投げするつもりかと勘違いしちゃった」

と、二人は老女に謝った。


「ほうか、私の事を心配してくれてありがとう。でも私は身投げなんかしないよ」

「それは分りました。でも、海女さんってそんなに昔からいたのですね」


「それはいたさ。海女は女性の最も古い職業だと言われているのじゃからな」

「へえーそうなの。それは初耳だわ」

と、清美。


「そんな大昔の話が、いまだに伝わっているのですね」

「そうじゃ。その後も何度も同じ様な事があったのじゃろう。つい最近の昭和の時代にもあったそうだよ」


「昭和にも・・・」

「戦後すぐだと聞いているよ。四人の若い海女が行方を絶ったそうじゃ」


 昭和の戦争が終わったのは、一九四五年だ。今から七〇年ほど前だが、そう古い話ではない。

「その時の事を詳しく教えて貰えますか」

 琴代はその話に強く興味を惹かれた。


「いや私は、それ以上の詳しい事は知らないのじゃ。地元の人間では無いのでね」

「そうですか・・」

 琴代は老女から詳しい話を聞けないと知って、がっかりした。


「ねえ琴代。その事件を探索してみようか・・」

 岬から車に戻った時に、清美はそう提案した。


過去の八岐大蛇やヤマトタケルの時のように、竜宮井戸の秘密を探索する旅にしたら面白いかなと思ったのだ。


「そうね。でもこれは、今までの話と違って、実際に人が消えたと言う話。どこからが現実で、どこまでが言い伝えなのかよくわからないよ・・」

と、琴代は少し戸惑った。


それは清美には少し意外だった。

「何、似合わない事いっているの。竜宮城の入り口があるって話だよ。立派に不思議大好き少女・琴代の範疇だわ」


「・・そうね」

「決定!」


「とすると、まずは現実に起こった昭和の事件を調べてみようか。それには、過去の新聞記事を閲覧したいわ」

「と言う事は、図書館ね。町の図書館なら近くにあるよ」

と、清美がナビを操作して言った。


「うーん。町の図書館では心許ないわ。もっと大きな図書館でないと・・、県立図書館ぐらいの」

「三重県の県立図書館ね。津市にあるわ。そこまで一時間半もあれば行けるよ」

「じゃあ行きましょう」


「OK!」

 二人は、そのまま国道に出て、北上して津市を目指した。海岸線と平行に走る国道は広い四車線に整備されていて、実に快適だった。


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