第235話 契約

雰囲気の変わったアクアは無感情というよりは、ヨハンに対してまるで怒っているような表情になっている。

それは彼女がヨハンに対する感情を表しているのかもしれない。 


「俺をどうするんだ?」

「あなたを浄化します。あなたが存在していることで、この世界は歪んでしまった。

本来であれば天帝を倒したときに、八魔将の半分はランス様の仲間となり、もう半分は戦いの中で死ぬはずだった。

ミリューゼがランス様を手にかけることもなかった」


彼女がいうことは間違っていない。

ミリューゼと結婚したランスが、トゥルーエンドを迎えていればそうなったことだろう。


「だが、もうランスはいない。これからどうするつもりだ?」

「幸いミリューゼとランス様の間に子はできた。

その子を盛り立て、元のあるべき世界に戻します」

「そうして、また戦いを繰り返すのか?

ミリューゼの政策を獣人もエルフも認めていないんじゃないのか?」


王都からティアとシェリルが離れたことを聞いている。

もちろん自分たちの子供を連れてだ。


「それも神の力で」

「それは無理だろうな。俺に関与することであれば、聖典も力を貸してくれたかもしれないがそこからは俺に関係しない。すでに動き始めた世界だ。

もう変えることなんてできないぜ」


ヨハンの言葉に聖女アクアの雰囲気が変わる。

それは困惑したような、不安に満ちた雰囲気へと変わっていく。

彼女の動揺を見て、ヨハンは最後の話をするために、椅子とテーブルを出現させる。さらに自家製クッキーと紅茶をアイテムボックスから取り出した。


シェーラと聖女へ振る舞った。


「なんのつもりかしら?」

「別に、どんな結末になるか、だいたい想像ができたからな。

その前に少し話をしないか?」

「話をしたところで、あなたを浄化させることに変わりはないわよ」

「そんなことはどうでもいいさ。今はお茶を楽しみたい気分なんだ」


シェーラはヨハンの言葉に悲しそうな顔をする。

ヨハンが浄化されることをどうでもいいといったのだ。

だが、シェーラは言葉を発すことはなく。

素直にヨハンの申し出を受け入れて席へ着いた。

シェーラの行動を見て、アクアも恐る恐るといった感じで席に着く。

ヨハンは何も語ることなくカップに口をつけて、紅茶を楽しむ。

添えられたクッキーはバター味に仕上げてあるので、風味も十分においしそうだ。焼きたてのうちにアイテムボックスにいれたことで、一番おいしいままを保存できている。


「毒でも盛るつもりかしら?」

「そんなことはしないさ。それに聖女なんだだろ。毒も魔法で浄化できるんじゃないか」

「それもそうね」


ヨハンの言葉に、それまで警戒していたアクアも納得して紅茶を飲んだ。


「あら、美味しい」

「そうだろう。クッキーも食ってみろ。自慢のクッキーだからな」

「頂くわ」


アクアは初めてヨハンが作るものを口にした。

それはこれまで食べた物の、どんな物よりも美味しく感じられた。

そして優しい味わいに、アクアの心を満たしていく。


「本当に美味しい」

「だろ。なんてたって、素材がいいからな」

「素材?」

「おうよ。小麦粉はガルガンディアの地で作った特製麦だ。

それにゴブリンキングのボスが育てている戦鳥の卵をもらって、エルフが森でとってきくれたサトウキビから作った砂糖と混ぜ合わせる。

それだけじゃないぜ、フィッシャー族の塩を混ぜることで味わい深くしてるからな。そしてラース王国で育てられているヤギから取ったバターは絶品だろ」


ヨハンの言葉にアクアは唖然としてしまう。

この男は何を語っているのかと。


「後はこのカップやテーブルはドワーフの作だ。精巧で芸術的だろ。

そして魔族とシルフが協力して作った茶葉からとったお茶は、心を落ち着かせる効果があるんだ。なぁ、聖女アクアさんよ。

もし、俺が浄化されて、この世界からいなくなったら、あんたはこの戦いを終わらせることができるのか?」


ヨハンがいなくなること前提で話を進めていることにシェーラだけでなくアクアも驚いてしまう。


「あなたはここに戦いに来たのではないのですか?」

「それはあんた次第だ」


アクアの質問に対して、ヨハンは真剣な目でアクアを見つめ返した。


「もしも、あんたが私利私欲でこの世界を混乱に陥れるっていうなら俺はあんたを殺す。だが、もしもあんたが私利私欲ではなく。

本当にこの世界のために俺を排除しなくちゃいけないと思うなら。

俺はその提案を受けてもいいと思ってる」

「ヨハン様!」


ヨハンの言葉に反応したのはシェーラの方だった。

シェーラは悲しそうにヨハンを見つめ。

そんなシェーラの手を握りヨハンは首を横に振る。


「俺は覚悟をもってここに来た。

そしてシェーラをここに連れてくるとき、計算があったこと。許してほしい」


シェーラはヨハンが何を考えているのかわかってしまった。

そして、ヨハンがどうして自分の同行を許したのか。

その意味をわかりたくなかった。


「私は……」


シェーラがヨハンを見つめる横で、聖女アクアが言葉を発する。


「もっと早くあなたと話をするべきだったのかもしれませんね」

「さぁな。だけど、俺はこの世界を救うと誓った。

そして、世界を救うことで助けてやりたい奴がいるんだ」


ヨハンの瞳には覚悟があった。

聖女アクアはヨハンを浄化することだけで、その先を考えてはないかった。


「私は……どうすればいいのでしょうか?」


それはここまでやってきた聖女にとって初めての迷いだった。


「なぁ、提案があるんだ」


迷うアクアにヨハンは提案を持ちかけた。そのためにシェーラを連れてきたのだ。


「なんですか?」

「俺の隣にいるシェーラは精霊王国連合の総大将をしている」

「なっ!あなたがシェーラ・シルフェネスなのですか」


聖女アクアはシェーラの素性を聞いて驚いた。それはそうだろう。

敵の総大将がまさか、ヨハンと共に現れるなど考えていない。


「ええ、私が精霊王国連合の総大将シェーラ・シルフェネスです」


それまでヨハンに抱きついていた美女は観念したように、聖女アクアと向かい合う。


「そうでしたか……なら、あなたを浄化すればこの戦いを我々の勝ちですね」

「バーカ、やらせねぇよ。それよりもどうなんだ?あんたは俺を浄化して戦いを終わらせることができるのか?」

「……わかりません」


聖女もヨハンの推測が当たっているような気がした。

これまでヨハンに関する街や人を浄化してきたが、それ以外のものは浄化したことがない。何より刃向かう者は殺してしまっていたのだ。


「それなら、ここで提案だ。ここにいるシェーラと契約を結ばないか?」

「契約?」

「そうだ。これから先、ラース王国と精霊王国連合は同盟関係となる。

一切の戦闘行為を禁じて、それは未来永劫変わることない。

互いの国はピンチのときに助け合い、力や利益を分け合う。

そういう契約をしないか、そうすれば少なくても、今ある巨大な二国は強固なものとなる。そして強固になった二国がいれば、他の国も従うんじゃないか?

戦いがなくなれば、みんなが笑って暮らせる世界を作れるはずだ」


ヨハンの言葉に聖女は驚き、考え、何かを決意するように顔を上げる。


「そこにあなたの存在は?」

「必要ないんだろうな」


ヨハンの言葉にシェーラは涙を流した。

理屈はわかっている。わかってはいても納得できない。


「そこまでの覚悟をお持ちなのは理解しました。

そして、お話の有用性も理解できます。なので、その提案受けさせて頂きます。

あなたがいなくなることで、ミリューゼも本来の優しいミリューゼに戻ることでしょう。後のことは私が責任を持って正していきます」


アクアはヨハンの申し出を受けた。

そしてヨハンはスキルポイントを使って得た新しいスキルを発動させる。


「神の契約書、これは俺のスキルで作り出したものだ。

俺から離れた時点で名前を書いた者たちのものとなる。二人の名前をここに」


ヨハンに促されるように、まずはシェーラが名前を書き。

次に聖女アクアが名前を書く。


「どんな契約書よりも強力なものだ。

アクアの浄化でなら消せるかもしれないが、それ以外で破棄することはできない。いいな」


二人の女性が頷く。そして、ヨハンが立ち上がった。


「さぁ、最後の仕上げだ。アクア、俺を浄化してくれ。

本来の俺は、ここには存在しない人間だろ。だから、世界を元に戻そう」


シェーラはヨハンの言葉で立ち上がり、抱きつく。


「あなたと最後を一緒に迎えると約束したのに」

「ごめんな。約束を守れなくて。

でも、シェーラが残ってくれないと、変わってしまったこの世界を維持できないと思うんだ」

「あなたは!」

「ごめん」


ヨハンはシェーラを優しく抱きしめ何度も頭を撫でてやる。

アクアはその間、黙って二人を見つめていた。


「ごめん、いつまでもアクアを待たせるのも悪いだろ」

「悪くなんてありません。あなたが居なくなるなら、いつまでもこうしていたい」


シェーラは駄々っ子のように離れようとしない。

そんなシェーラにアクアが肩に手を添える。


「いい加減にしなさい。彼の覚悟を、彼の想いを理解できないのですか」


それは静かな声で、そして狂った聖女アクアではなかった。

そこには聖女として人々を導くに十分な神々しさを持った女性がいた。


「あなたに何が!」


シェーラが反論しようとしてアクアを見て、アクアが泣いていることを知る。


「どうしてあなたが泣いているのよ?」

「私だって彼を失いたくない。彼の存在は私にとっても大きなものとなっていた。

そして彼は誰よりも素晴らしい考えの持ち主だった。

そう思うと自然と涙が溢れてくるのです」


聖女アクアの言葉を聞いて、シェーラは腕の力を緩めた。

そんなシェーラをそっと振り向かせて、ヨハンはシェーラの唇にキスをする。

それは優しく唇同士を会わせるキスだが、二人が交わした最初で最後のキスとなる。

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