第234話 二冊目の聖典
部屋を出ると、部屋の中からフリードの嗚咽が聞こえてきた。
それは小さく押し殺すような鳴き声だった。
その声を聞きながら、部屋の前で待っているシェーラを見てヨハンは苦笑いをしてしまう。
「私は退かない」
シェーラの瞳は覚悟に満ちていた。
その瞳には絶対に退くことはないとヨハンに伝えていた。
ヨハンは大きく息を吐き口元には笑みを浮かべる。
「最後になると思うが、付き合ってくれるか?」
「もちろん」
ヨハンは頷いた。
ランスが殺され、ジャイガントが逝った。
サクが願い。リンが生きるこの世界を守らなければならない。
最後に見守る者が一人居てもいいかと思えた。
何より、ヨハンの考えが正しければシェーラの存在は必要になってくるだろう。
「命はないぞ」
「あなたと共に最後を迎えるなら、リン以上になれる」
シェーラがそんなことを言うと思っていなかったので、ヨハンは笑ってしまう。
「ありがとう」
「生涯の伴侶はリンに譲ったけど。ヨハン様の最後を共に迎える権利は、もう他の誰にも譲らない」
それはシェーラが見せた女として意地なのかもしれない。
「お前はバカな女だな」
「そんなことはない。私は最初から一途なだけ」
シェーラは初めて、ヨハンの腕に自らの腕を絡めた。
その表情は感情の乏しいエルフとは思えないほど嬉しそうな表情をしていた。
ヨハンもそれを振りほどこうとはしない。
今の二人を見ても、リンは嫉妬もしてくれないだろう。
「そうか、なら最後の戦いを始めよう」
ヨハンはシェーラと腕を絡めたまま、ターバンもせずに教会が管轄する地域を歩いた。もう何も隠すことはない。
まるで恋人のように歩く二人は、瞬く間に教会の騎士たちによって取り囲まれる。
教会に入るための長い階段の前に作られた広場で、数十人の騎士や兵士に囲まれたヨハンとシェーラの表情は笑っていた。
「ヨハン・ガルガンディアだな。聖女アクア様がお前をお呼びだ。
我々についてきてもらおう」
「案外と舐められたもんだな。この程度の奴らで俺を捕まえられるとでも?」
「そうね。私だけでも倒せそうだわ」
ヨハンとシェーラの言葉に、騎士たちは憤慨して武器を抜く。
しかし、その動作すらヨハンからすればスローに動いているようにしか見えない。
「雷切り」
それは指先ほどの稲妻を、空気中に走らせただけだ。
それだけで武器を抜いた騎士たちは意識を奪われることになる。
「指一本もいらないな」
ヨハンは無詠唱で今の魔法を使って見せた。
騎士の周りに控えていた兵士たちは、その光景に後ずさり。
二人の動向に警戒せずにはいられなかった。
「どうした?かかってこないのか?」
ヨハンが一歩進めば、兵士たちは二歩下がる。
警戒して恐れをなした者に、ヨハンが手を下すまでもない。
「その辺にしていただきましょうか」
教会の入り口にある巨大な扉の前に、聖女アクアが降臨する。
兵士は聖女に向けて頭を下げていき、ヨハンとシェーラだけが聖女を見上げるように立っていた。
「会うのはこれで何度目だ?アクア」
「聖女をつけていただけませんか?ここは公共の場です。
信者の方たちも見ていますので」
ヨハンの発言に、信者たちはヨハンを今にも射殺しそうな視線を向けてくる。
「俺は信者じゃないんだ。敬意払う必要はないだろ?」
「それもそうですね。では場所を変えるというのではいかがでしょうか?」
「教会に入るのは嫌だぜ。どんな罠が待っているかわからないからな」
「本当にあなたは厄介な人ですね。ここまで多くの人が私の前にひれ伏してきたというのに」
「俺がひれ伏すかどうかは、アクア次第だろ」
アクアとしても、このままここで話していても問題はないのだが。
余計な邪魔が途中で入ることを嫌って階段を降り始める。
「あなたの好きなところで話しましょう」
「了解」
ヨハンはジャイガントと戦った時のように亜空間を作り出した。
自分とアクア、それにシェーラを亜空間の中へと招待する。
「随分と殺風景な場所へ招待するのですね」
「ここなら誰の邪魔も入らないからな」
「そう、あなたの腕に巻き付いている虫はなんです?」
「私は虫じゃない。ヨハン様の最後の女」
シェーラの言葉にアクアのこめかみがピクリと動いた。
「確かあなたにはリンという奥方がいたのでは?」
「ああ、お前によって浄化されたらしいがな」
「やはりあの男はあなたの下へ戻ったのですね」
フリードがヨハンに情報を与えたことがわかった。
アクアは冷静さを取り戻したようだ。こめかみの動きが止まった。
「なぁ、教えてくれないか?お前が見つけた聖典は説明書と書いてあるんだろ?
なら、俺のことが書いてあったのか?」
ヨハンは自分のなかにある知識を呼び起こしていた。
『騎士になりて王国を救う』の説明書に、ヨハンは登場しないはずなのだ。
何よりヨハンという人物はあるキャラを攻略するときの回想シーンで出てくるだけで、ゲーム中にはほとんど存在しないはずなのだ。
「やはりあなたには意味がわかるのですね」
アクアはヨハンの発言でどこか納得したような嬉しそうな表情になる。
「この説明書には、あなたのことは書かれていませんよ」
「ならどの聖典に書かれていたんだ?」
「本当に話が早いのですね」
ヨハンとアクアの会話をシェーラは理解できない。
だが、ヨハンがアクアと対等に渡りあっていることに若干の安堵が生まれていた。もしかしたら、ヨハンは聖女に勝って二人で帰れるかもしれいない。
そう思ってしまう。
「私が見つけた聖典は二冊です。説明書には、この世界本来の出来事が綴られていました。しかし、それは概要だけでした。
では、もう一つにはどんなことが書かれていたか……この世界の分岐する歴史です」
歴史という言葉に、ヨハンはやはりと思った。
「幾多も分岐する歴史、その中の一つにあなたのことが書かれていました」
ヨハンは自分の推測が当たったことに内心舌打ちしたくなる。
「攻略本か」
ヨハンの呟きにアクアは驚き。シェーラは何を言っているのかわからない顔をする。
「知っていたのですか?」
「いや、推測しただけだ。まぁあんたの反応から間違ってなかったみたいだな」
「そうです。私が見つけた聖典の名前は攻略本です。そして私はこの聖典を手に入れたことで、新たな力を手に入れた。この世界をあるべき姿に戻す力を、それは神の啓示なのです」
アクアの表情から感情が消える。
それはヨハンを浄化するためにアクアが別の人格へと変わった姿であった。
それを見たヨハンは、自らのステータスを開く。
冥王を倒したことで得たスキルポイントを一つのスキルへと割り振った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます