第215話 鬼姫と仕込まれていたモノ(後)

「まあ! 窓際の天井が斜めに――使用人の居室はこのようになっているのですね。マーリンエルトでは屋根裏の使用人部屋には入れて貰えなかったので新鮮な心持ちです」


 お義父様の部屋で話をした後。普段は上がることのない三階の使用人居室区画。アネットの部屋へとやってまいりました。


「ここは上級使用人の居室ですので、かなり広い間取りになっておりますよ。通常の使用人――アルドラたちの居室はこの三分の一ほどの広さでしょう」


 私は、ぐるりとこの部屋を見回します。

 階下の私たちの居室から考えますと、一回り以上狭い感じでしょうか。

 ベッドと執務にも使えそうな机。備え付けの洋服棚、小さめですが暖炉もあります。

 それにしてもアルドラたちの部屋は、この三分の一ですか。


「それでは寝具と小さな机くらいしか置けないではないですか」


 そういえば、子供の頃仲良くしていた侍女が、冬は炭を利用した行火あんかが無いと、部屋が寒すぎて眠ることもできないと言っていました。広さを考えるとアルドラたちの部屋も、暖炉は無いかも知れません。

 私たちが二階から上がってきた廊下に、鍵が掛けられていたドアがありましたけれど、あの奥が通常の使用人たちの区画という事でしょうか。

 地下階にも、執事が鍵を預かっている区画がありますし。

 下級の使用人などは、彼の許可が無い限り館の中でも移動制限がありますものね。


「私たちの居室は、基本眠りに来るだけですから。私はルリアさま専属の小間使いとしてこのような好待遇を受けています。ここは本来住み込みの家庭教師などが利用するための部屋でしょう。執事のアルフレッドさまや家政婦のロッテンマイヤーさまのように、部屋でも書類整理などの仕事をするのでもなければ、このような広さは無用ですよ」


 私に付き従って、オルトラントにやって来る前まで、アネット姉さまは家庭教師として貴族家に仕えておりましたので、以前もこの部屋と同じような場所で生活していたのではないでしょうか?


「でもそのおかげで、このように二人だけで話を出来るではないですか。ロバートの眠っている脇で話をするわけにはいきませんもの……。姉さまは、あの場で私に何か言いたそうにしていたではないですか」


 私は、使用人たちの仕事外の生活。それに対する好奇心がむくむくと湧き上がってきましたが、その思いを何とか振り払って話を戻します。

 お義父様たちと話を終えた後、私を見ていたアネット姉さまの、何かもの言いたげな視線が気になって、私はこの部屋までついてくることにしたのですから。


「まったく、ここだから良いけど……それにしても、よく見ていましたね」


 私が姉さまと口にした事に対して、姉さまは一瞬小言を言おう考えたようですが、それでは話しが進まないと諦めたようです。


「姉さまは何に気が付いたのですか?」


 私がそのように問い掛けますとアネット姉さまは、「立ち話も何ですから、とりあえずこちらに座りなさい」と、ベッドを指し示して、自分は机から椅子を引き出すとそこに腰掛けました。


 私がベッドに腰掛けると、対面するように椅子に腰掛けた姉さまは、私を真っ直ぐに見詰めます。


「ルリア――貴女、トナムさんたちの事には気が回ったのに、ハイネン男爵たちの事については深く考えていなかったのではないかしら?」


「え? ハイネン男爵は催眠術によって孤児院から子供を引き取らされて、その記憶を忘れさせられたのですよね。……それ以外に何かあるのですか?」


「はーっ、やっぱり。では何故、アルフレッドさまはそう確信したのだと思いますか? その逆の可能性もあるのですよ。先の二人、カートン男爵とモントレー準男爵と同じように、自らの意思で引き取ったのに、その後、何かがあって記憶を改ざんされた可能性です。そうなるとまったく事情は変わってくると思いませんか?」


 姉さまの口調は、それこそ家庭教師が教え諭すような感じです。


「それは……確かに。ですがアルフレッドは確信していたようでしたし、お義父様もそれを受け容れていたではないですか。それにそう感じたのなら、何故あの場でそう言わなかったのですか?」


 私がそう口にしましたら、お姉様はひとつ深く息を吐き出しました。

 あら――私、いま呆れられたような……。


「お二人は、いま私の言った事柄を含めた上で、あの結論に至ったように見受けられました。ルリア。あのお二人は、貴女を高く評価しています。アルフレッドさまの言葉を受け止めた貴女が、自分たちと同じように考えて同じ結論に至ったと考えていたのでしょう」


「私――あのとき、アルフレッドの言葉が正しいと、確かに直観的に判断しましたが……」


 私は少々恥ずかしくなって、上目遣いに姉さまを見詰めます。


「私もそのように感じたので、どう言ったら良いか考えていたのです。貴女の直感自体は確かにけも――いえ、的確ですから」


 姉さま……いまけもの的と言おうとしませんでしたか?

 でも、それでお姉様は、あのような視線を私に向けていたのですね。


「ではお義父様たちは、どうしてあの結論に至ったのでしょう?」


 正直私は、深く考えるのが苦手です。

 ただこれまでの人生、直感的に正しいと思える事柄を選んで生きてきましたし、それで間違えたことはないと自負しています。

 実の家族の他には、アネット姉さまほど私のこの本性を理解している人はいないかも知れません。


「アルフレッドさまは、僅かでも催眠術の知識があるのでしょう。私はそう感じました。つまり、術を掛けられた人間が決断を下した記憶を封じるよりも、一時的に仕込んだ暗示、それを忘却させる方が簡単なのではないかということです」


 姉さまの説明は噛んで含めるようです。


「……そういうことですか。ですがそうしますと、孤児院に身請けの証拠を残したままというのは、いささか片手落ちな気がしますが?」


「それには二つの可能性が考えられます。一つは何かの折りに脅す材料。もう一つは……人身売買が露見したとき、ハイネン男爵に罪を押し付けるためでしょう。――もしかすると、彼以外にも同じ状況におかれている者がいるかも知れません」


「待ってください姉さま。それでは孤児を引き取った記憶があるカートン男爵とモントレー準男爵は?」


「……そちらの方が、むしろ脅威であるかも知れません。彼らは使用人を育成する組織に預けたと言いましたね……」


 姉さまがどこか痛ましそうな表情を浮かべました。

 それを見て私の頭には、ある人物の言葉が甦ります。


『……あ~~~あっ、マッタク。仕込まれたクセって奴は厄介だよね』


 あの少年は確かにそう言っていました。


「まさか……。引き取られた子供は、従者としてではなく、凶手暗殺者として……」


「大人と違い、善悪のはっきりとしない幼いうちから、暗示を仕込まれて教育されたとすれば、それは恐ろしい|凶手となるかも知れません」


「待ってください! それでは、貴族社会にならず者の力が浸透している事に……引き取った彼らは承知しているのでしょうか?」


 姉さまは、静かに首を振ります。


「承知してはいないでしょう。事実を知っているのは、斡旋しているマギルス子爵だけかも知れません。下手をすれば子爵すらも……」


「それがバレンシオ伯爵の配下として動いている組織だとすれば……かの御仁は本当に用心深く、そして恐ろしい相手ですね……」


 我知らず私は身震いしておりました。

 剣を手にして、対峙する相手を打ち破ればいい戦いであれば、お父様並みの使い手でも連れてこられない限り負ける気はいたしません。

 ですが明白な証拠が武器となる政治的な戦い。

 私は初めて、その敵の強大さに畏怖をおぼえた気がします。

 巨悪の首魁は見えているというのに、その相手の悪事を白日の下へとさらけ出す事がこれほどに難しいとは。

 首都オーラスに広がる闇は深く、かの人物へと繋がる糸はその闇の中へと紛れて、つかみ取った思われたその糸は、スルリと手からこぼれ落ちてしまいそうです。

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