第214話 鬼姫と仕込まれていたモノ(前)

「おそらくですが、それは催眠術と呼ばれるものではないでしょうか」


 書斎を兼ねたお義父様の部屋の中。

 エヴィデンシアの館に戻った私は、ハイネン男爵の少々不可解な言動と様子をお義父様に告げました。

 その私の話しを聞き言葉を発したのは、お父様ではなく、その隣に控えたアルフレッドです。

 彼は私の話が一段落すると、そのように答えたのでした。

 お義父様は、難しそうな表情を浮かべたまま考え込んでいます。


「トナム殿が関わった事件の後、奥様たちが話しておられましたが、その中で、少年と思しき人物の記憶が曖昧になっておられると聞いたときから気にはなっていたのです」


「その催眠術とはいったいどのようなものなのですか?」


「近年、東方より風の民ヴィンディーが持ち込んだという術で、とある技術を用いて人を催眠状態に落とし、その状態で人の意識の底に暗示を仕込むものだそうです。元々は心に傷を負った者を癒やすすべとして生まれた技術であるそうですが……」


「敵はその術を悪用していると……」


「これは私の推測ですが、ハイネン男爵は催眠術を使った暗示によって、子供を引き取らされた後、その記憶を封じられたのではないでしょうか。おそらくですが、その子供は人身売買組織に売り払われたのだと考えます」


「まさか……孤児の引き取りを断った相手を利用して人身売買を……」


 アルフレッドが言うような事が可能ならば、ハイネン男爵が、自分の中にある記憶に対して、どこか齟齬が生じているように見えた、あの不可解な態度が理解できる気がします。

 それに彼の、孤児の引き取りを断ったという言葉の中にあった真実味も……。

 私がそんな事を考えておりましたら、難しい表情で考え込んでいたお義父様が、重苦しい様子で口を開きました。


「……既に一〇年ほどの月日が経ってしまっておるから確実だとは言えぬ。だが、儂がバレンシオの不正を暴こうとしておったとき、彼奴が悪事の実行を任せておった奴らの中に、そのような術を使う者がおったのかも知れぬ。もしも、本当にそのようなことが可能ならば……。当時、バレンシオの不正を暴く証人として名乗りを上げた者の何人かが、突如証言を取り下げた。あのとき我らは、証人は脅されて証言を止めたものと考え、必死に説得したものだが、『何故知りもしないことを証言しなければならないのか。有りもしない罪をでっち上げるつもりか』と、憤慨する者もおった。今、あのときの彼らの態度を思い返してみると、心の底からそう信じている者の言動だった。思えばあれ自体が、我が家がバレンシオ家に冤罪を仕掛けたという布石とされていたのかもしれん」


「そのような事が……」


 お義父様は、私の報告したハイネン男爵の行動に対する違和感と同じモノを、ご自身の記憶の中に見つけて、それを思い出していたのですね。

 それに、お義父様の仰ることが真であるのならば、敵は一〇年以上も前にその催眠術なる技術を手に入れていたという事になります。


「アルフレッド。……あの当時、お主ともっと話しをするべきであったかも知れぬな。儂は、バレンシオの犯罪を暴く影で、お主たちアンドルクの血が流れるのを怖れておった。その結果、今の今までその催眠術とやらの存在に気付く事もなく……」


「何を仰いますオルドー様。私とて催眠術の事は数年前に耳にしたばかりです。当時そのような事を聞いていたとしても、旦那様と同じように考えたでしょう」


「お義父様――アルフレッド。過ぎてしまったことは致し方ございません。大事なのはこの先どう行動するかではないでしょうか、私たちは、その催眠術というモノが彼らの手の内にあると知りました。それに対抗する手段を考えましょう」


「うむルリアの言うとおりだな。アルフレッド、お主は催眠術を使うことのできる、身元のしっかりとした人物を至急見つけてくれ。催眠術というものが実際にどういうものか分からねば対処のしようもない」


「承知致しました旦那様。奥様方が対峙したという少年が、本当に戦いながら催眠術を使うことが可能ならば、それは恐ろしい相手ですから」


 アルフレッドのその言葉を聞いたとき私は、ぞくり――と、身の毛がよだつような思いに襲われました。

 それは、ある可能性に思い至ったからです。


「アルフレッド! いまお義父様の仰った催眠術の使い手が見つかるまで、トナムさんの動向には十分に注意してください! それから――これは慎重すぎるかも知れませんが、アルドラのことも……」


「奥様!? いったいどうなされたのですか?」


 突然、アルフレッドに強い口調で言い付けた私の様子に戸惑ったように、斜め後ろに控えていたアネットが声を上げました。

 お義父様とアルフレッドは、私の様子に目を見開いています。

 おそらく、私の血の気の下がり、青くなっているであろう表情に驚いているのでしょう。

 私は、思い至った可能性について説明します。


「もしもあの少年が、あの短い時間に術を掛けることが出来るのならば、それ以前にあの少年と接触していたトナムさんは、暗示を仕込まれている可能性があります。彼は料理に対して非常に真摯で、料理を冒涜する行為を受け容れる方ではないでしょう。だからこそ、催眠術を使って操るために――あの少年はそのためにあそこ居たのではないでしょうか? それにアルドラですが、彼女はあの後、孤児院に何度かお菓子の差し入れを行っています。アルドラもあのとき少年に姿を確認されておりました。街中のどこかで催眠術を掛けられているかも知れません。彼女は子供に優しいですから……どこかで隙を突かれている可能性があります」


「そういうことですか……分かりました。主だった使用人たちには注視しておくように言い聞かせておきます。催眠術の使い手も、大至急見つけて参ります」


「うむ、頼んだぞ。トナム殿に暗示が仕込まれていた場合、彼がいつどのような行動を取るか分からぬからな」


 私のこの推測を、十分あり得る可能性であると理解してくださったのでしょう。

 お義父様もアルフレッドも、互いに表情を引き締めて言葉を交わしました。

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