第213話 鬼姫の暗中飛躍

「なっ、何者だ! 貴族街でそのような武器を手に、尊きお方の馬車を襲うとは!」 


 夜。

 空一面には雲が立ち籠め、月の光さえ届かない闇の中に、そのような声が響きました。

 馬車と馬を繋ぐ革製の留め具を切り飛ばしたことで、この時間には人の居ない通りに取り残されてしまった馬車。

 声の主は、その馬車の中から主を守る為に、飛び出してきました従者が上げたものです。

 彼は剣を抜き放ち、馬車の前に立ちはだかる私に、その剣先を向けます。

 私の手にする眉尖刀は、本来ならば屋敷の外、市街では手にしてはならぬ武器です。

 男は私を誹りましたが、彼の手にする剣も長剣であり、違法であることに違いはありません。


「ハイネン男爵の馬車とお見受けする。私はオーラスの闇に潜む邪なる者を照らし出す光。――精霊王リヒタルの使者!」


 その時、私の言葉に呼応したように、風に逐われた雲の合間から月光が差しました。

 身体の線を隠す黒の男装姿の私が、まるで舞台の演者のように照らし出されます。

 顔を、頬から上を覆う、白基調の仮面で隠した私は、グルリと眉尖刀を身体に沿わせるように振り回し、刃先を男の足先に向けて止めます。


「ナッ!? 貴様が……噂に挙がっていた不逞の輩か」


「なるほど……既にお仲間内では連絡が回っているのだね」


 出来るだけ性別の判断がつかないように声を低く、男性口調で話します。

 この襲撃で三家目ではありますが、市中に噂が広まるような襲い方はしていません。

 それに彼の手にする長剣は、近年では馬上武器として分類されており、通常市街戦で利用する武器ではありません。それをあえて手にしているということは、その長さと打撃力を必要とする事態を想定していたということです。

 つまり、彼らの仲間を襲撃したが、眉尖刀を使っていたことを知っている。


「ならば話は早い。君の主に対する私の用件は分かってるのだろう?」


「何を訳の分からぬ事を!」


 私の問いには耳を傾けず、男は突進するように勢いをつけながら、手にした剣を下から上へとグルリと円を描くように持ち上げ、叩きつけるように剣を振り下ろします。

 私はその斬撃の力が、完全に下方へと向かう前に、男の足下へ刃先を向けて構えていた眉尖刀の柄を脇の下へと引き込みながら上へと刃を振り上げます。

 私の身体めがけて振り下ろされる剣に、擦り合わせるように刃を合わせ、鍔と呼ばれる部位に相手の刃を乗せて力を削ぎます。同時に半歩下がりながら、力を削いだ男の剣を巻き上げるようにして上へと弾き上げました。

 剣が、男の手から離れ、虚空へと飛びます。

 普通ならば女性の力で男性の打ち込みを弾くのは難しいものです。ですが眉尖刀の柄の長さと、脇を支点とした梃子てこの力を利用することで、男の手から剣を弾き飛ばすほどの力を生み出せるのです。

 オーディエント家の受け継ぐ魔力を使った闘法を使わなくとも、技術だけでこのような戦い方ができるのが眉尖刀や槍の利点でもあります。


 宙を舞った剣が、男の背後に落ちました。

 その間に私は、眉尖刀の石突きで、男の胸――心臓の位置を狙いすましてドッと打ちます。


「がッ! かっ……身体が……う……カハッ!」


 心臓が止まった事で僅かに硬直した男の首筋に手刀を叩き込み、私は彼の意識を刈り取りました。

 この心盪打しんとううちは、心臓が鼓動を刻む僅かな瞬間に、正確な位置と力加減で打撃を加えなければならない、オーディエント家秘伝の打突です。

 倒れた男の胸。心臓の位置を、今度は魔力を通した眉尖刀の石突きでトンッと突き、止めた心臓を動かします。

 そのまま放っておくと、まず自然には心臓の鼓動は戻りません。

 護衛を無力化するのが目的ですから、死なれてしまっては困ります。


 私はこの従者が降りた後に、扉を閉ざした馬車へと視線を向けます。

 そこには、闇に紛れる黒ずくめの衣装に、頭巾まで被った方が数名控えていました。

 彼らは市井に潜むアンドルクの方々です。

 私が護衛の従者を無力化する間、ハイネン男爵を取り逃がさないように見張ってくれておりました。


 ……あの日。私が提案した実力行使は、当初お義父様やアルフレッドに反対されました。

 それは実力行使をしているのがエヴィデンシア家の人間であると知られてはならないからです。

 ですが私は、市井に潜むアンドルクの方々がアルフレッドに報告に訪れるとき、変装して御用業者を装って正当に門から出入りする方法以外に、今ひとつ、秘密の通路を利用していることを確認しておりました。

 それはうまやの脇にある古井戸です。


 マーリンエルトの首都マーリンでも、貴族間で真しやかに噂されておりました。

 王家の信篤い譜代の貴族家には、王城が敵によって囲まれたとき、脱出するための秘密の地下通路が存在するのだと……。

 私がお義父様に古井戸の事を尋ねましたら、お義父様は僅かに驚きの表情を浮かべたあと、仕方ないというように口を開きました。

 結果分かったことは、半分以上は私の想像どおりであったということでした。

 確かに古井戸の中程には横穴があり、それは元々オーラスの地下に巡らされた、王家の脱出路であったそうです。

 しかし三百年ほど前に、この秘密の通路を利用して反乱を企んだ家があったそうです。

 もちろん王城側からでなければ、通路へと続く扉は開くことが出来ない造りになっていたそうです。ですが王城内に手引きする者を送り込んでいたそうで、半ば反乱は成功しかけたのだとか。

 ただ、当時の近衛兵の中に竜王様より偽神器と呼ばれる強力な武具を賜った人物がおり、その方の活躍によって事無きを得たのだと。

 ……そして、王城へと続く地下通路は埋め立てられる事になったのだそうです。


 アンドルクたちが利用している通路は、その時代のエヴィデンシア家当主が、市街へと抜けるいくつかの通路を残したものでした。

 私はその秘密の抜け道を使うことで、このような行動に打って出たのです。

 いかに疑わしいとしても、確かな証拠もなしにエヴィデンシア家を責めることは出来ないでしょう。

 私たちが、彼らの行いに確たる証拠を得られずにいるのと同じ事です。

 そしてこれは、マギルス子爵とその仲間たち……彼らの影に潜む輩をおびき出すための示威行為でもあります。

 孤児院より子供たちを引き取る彼らの真意を探る事と、その影で蠢いている輩を光の下へとさらけ出すこと。

 この二つの利点を挙げて私はお義父様を説得しました。

 まあ最終的な了承は、お義父様とアルフレッドに、私の戦いの実力を見せた事で取り付けたのですが……。


「さあ男爵。聞かせてもらおうか。一年前に貴男が孤児院より引き取った男児は、いまいったい何処にいるのかな?」


 締め切られたドアの蝶番を破壊して、外へと引き摺り出した男爵の首筋に、眉尖刀の刃先を突きつけ問いました。


「なっ、何を言っているのだ貴様は!? 孤児院だと……私はそのようなところから子供を引き取ったことなどないぞ!」


 怯みながらもそう言い放った男爵の怒りの表情――そして瞳の中にある光の強さに、私は強い違和感を覚えます。

 これは……

 この表情は……、本当に理不尽な出来事に出会った人間が見せるもの。

 彼の前に話を伺っ襲撃したカートン男爵とモントレー準男爵。

 二人は、引き取った子供の使用人教育を専門とする組織に預けたと口にしておりました。

 その組織との遣り取りは、マギルス子爵から紹介された男性が担っていると……。

 使用人を育成する組織が存在することは耳にしたことがあります。

 それもあってアンドルクの方々も、表向きは家職ヴィトレール血盟ミーンを名乗っているそうですので、それは間違いないのです。

 そして彼らからも、その場を凌ぐための誤魔化しの気配は見えませんでした。

 ですが、だからこそ彼らの言う使用人を教育する組織。その存在に疑問が上がるのです。

 何故ならば、建前上、この王都オーラスで、使用人育成組織を運営している、アルフレッドが知りもしない組織であるからです。


「白竜神殿の孤児院には、貴男が男児を引き取ったという控えがしっかりと残っていたぞ」


「ばっ、バカな……そのようなことは……。いや確かに、マギルス子爵から孤児院から子供を引き取って従者にしてはどうかと……申し出を……。いや、断った……俺は……断った……」


 ハイネン男爵は己の記憶を反芻するように言葉を紡ぎます。

 ですが彼は、深く考えるほどに己の記憶に自信が持てぬとでもいうような――それでも必至に否定の言葉を続けます。

 その姿は、はじめに私の問いを否定したときとはまったく違うものでした。


あるじ、刻を掛けすぎです! そろそろ引き上げませんと」


 私と同じ装いをしたアネットから声を掛けられました。

 彼女と数人のアンドルクの方々が退路を確保してくれています。


「いいかいハイネン男爵。私たちはこの国で行われている人身売買について調べている。君が本当に関係がないというのならば、今あった事は忘れなさい」


「なッ!? 人身売買……そのようなことに……わっ、私は関係ない。私はそのようなことには関係していない!」


 最後に掛けた私の言葉に、ハイネン男爵は顔色を変えて、去りゆく私に向かって叫びました。

 私たちの住まうこの西方諸国には、いまだに奴隷制度が有る国があります。

 ですが、マーリンエルト公国と、オルトラント王国では建国と同時期に奴隷制度を廃止しております。

 もしも今回の事案で、彼らが孤児を引き渡した組織が、本当に人身売買組織であったとしたら、それに関与した彼らには、それは重い裁きが下るでしょう。

 この一事だけで廃爵ということもあり得ます。


「ルリア様。今回も進展が無かったようですね。……まだ続けるのですか?」


 城壁外南を流れるラント川の支流を引き込んだ、水路の高水敷こうすいしきへと身を降ろした私たちは、隠し通路の入り口へと向かいます。


「アネット、次が本命ですよ。なんといっても、次に話を伺うヒメネス子爵。あの家には帰ってきているのですから。その育成組織とやらに預けられていた孤児が……。それに私たちは、丁寧にも彼らが引き取った順を遡っているのですから。そろそろ出てくると思うのです。彼らの裏に潜む者たちも……」

 

 私は、アネットに向かって微笑みます。

 正直、自分でもかなり人の悪い笑みを浮かべている気がします。

 その証拠にアネットからは、大いに呆れを含んだ視線を返されてしまいました。

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