エピローグ

第189話 モブ令嬢と友からの文

 親愛なる友、フローラへ


 貴女からは幾度となく文を頂いているというのに、長らく連絡が滞り申し訳ございません。

 前回頂いた文で、貴女とグラードル卿の間にお子が出来たと拝読しておりましたので、この度文をしたためさせて頂きました。

 噂では、産まれたお子は男児であったとのこと、先ず以ておめでとうございます。

 救世の女神とも讃えられるようになった貴女の身も障りなくご無事であったと聞き安堵しております。


 それにしましても、貴女のことを農奴娘よとバカにしていた私が、いまは農夫たちと共に地を耕し、農産物を扱う立場になるとは、人生とは分からないものですね。

 ですがあの時、味方だと言って近付いてこられたライオス殿下にそそのかされ、邪竜を復活させてしまった私が、このように生きていることができるだけでも重畳なことであると思えます。

 それなのに、お兄様、いえ、夫と結ばれる事もできたのですから。

 あの後、ライオス殿下が何を考えておられたのかディクシア法務卿より耳にしました。いまではあのような目に遭わされたというのに、私は殿下に感謝せずにはおられません。


 既にご存じではございましょうが、あの方は、法務部に届け出られていた私の出生日を一日早め、さらに同日の日付にて、お兄様と私の婚姻伺いの届け出を提出しておられたのです。

 私とお兄様は、あの後、その届け出を正式に受領して良いのかとディクシア法務卿より問われることとなりました。

 あの時、それを受け入れたら、自分が犯してしまった罪を、お兄様にも背負わせてしまうことになると戸惑った私に対して、お兄様は、「メイベル、お前にフラれてしまったら、俺はこの先二度と結婚できないかも知れないなぁ。それに、邪竜の事は兄妹ではあるわけだからあまり大差ないと思うんだ。どうせならば最後の近親婚者という汚名もともに被ってしまわないか? 一度、底の底まで行ってしまえば、もう後は昇るだけなんだから。その道をふたりで共に歩いて行かないかメイベル」と仰ってくださいました。

 お兄様と私の意向を確認して法務卿は、婚姻伺いの日付を以て私たちの婚姻が成立していることを認めてくださいました。

 ああ、貴女が知っていることをつらつらとしたためてしまい申し訳ございません。


 話は変わりますが、先日、私たちが身を寄せているベイルバーン子爵領に、財務部の方が巡検使としてやって来られました。その折りに、同行された捜査局の方より、何故私がライオス殿下に利用されたのかという話を聞かされることとなりました。

 ライオス殿下が私を利用した真の目的は、この先、王国に巣喰う身中の虫になりかねないお父様の心を折ることであったと。

 そしてさらに、何故お父様があのような事をなさったのか、その真相も教えてくださったのです。

 なんでもライオス殿下の指示を受け、以前の捜査局長ライオット様と仰る方が調べていたのだとか。

 その話を伺って私も夫も、今一度お父様と向き合ってみるべきではないかと話し合いました。

 真に不躾なお願いではございますが、グラードル卿と共に一度お父様をお訪ね頂けないでしょうか。

 貴女に送った文と共にお父様への文も同送させて頂きました。

 その文に対して、お父様より返事があるかどうかは分かりません。

 ですので、貴女の目から見たお父様の現在の様子を、お知らせ頂けましたら幸いです。


 最後に、私と夫との間にも先日、男児を授かりました。

 もしも、お父様との対話が可能となりましたら、フローラ、貴女の子を一目見に伺いたいと思っております。

 その折には私の子も連れてまいりますね。

 そしてあの後、お互いの身に起きた出来事でも語り合いましょう。

 グラードル卿のことですから、子育てには全面的に協力なさっていると思いますが、なんでも栄達なされたとも伺いました。仕事に追われてさらに子育てと、身体を壊さぬよう自愛なさってくださいと伝えください。

 順序が逆になりましたが、グラードル卿の栄達おめでとうございます。


 それでは、お二人とお子様方にまみえることが叶うことを祈っております。


                                         メイベル・スレイン




 現在、縁戚であるベイルバーン子爵領に身を寄せ、かの家の使用人として荘園の仕事をしておられるメイベルさんより、数日前に届いた文から目を上げて、私は赤子用のベッドで眠っている我が子に視線を落とします。

 この子が生まれてひと月ほど、その話が既に彼女の元へと届いているとは……噂話というのは物凄い早さで伝わるのですね。

 現在では邪竜事変と呼ばれることになった一連の出来事より、既に四年の歳月が過ぎ、私も一九歳となりました。

 今年の頭に学園も卒業して、いまは子育ての真っ最中です。


 ベッドの中で、スヤスヤと眠っている私と旦那様の間に生まれた初めての子。

 名前はマリウスと名付けました。


 髪の色は銀白色をしております。ただ、光の加減で金白色にも見えるときもございまして、旦那様が、『これは……フローラと竜王様方の関係が現れているのだろうか?』と仰っておりました。


 ブランダル様の白、クルーク様の銀、そしてトルテ先生――いえ、シュガール様の金色。

 この子の髪色には、その三柱の加護が強く表れているようです。

 そして、今は眠っておりますので目を閉じていますが、瞳は輝きの強い赤黄オレンジ色をしております。

 実はこの瞳の色が、この子をマリウスと名付けた理由の一つでございました。

 マリウスと言う名前で最も有名な歴史上の人物は、赤竜皇女ファティマ様の連れ合いとして名高い、操竜騎士マリウス様です。

 彼は、この子と同じように輝きの強い赤黄色をしていたそうなのです。

 その話は、実際に彼と面識のあったトルテ先生から聞いたので間違いございません。

 そして、旦那様がクルーク様より賜った、あのよろい一式と盾、さらに剣の以前の持ち主がマリウス様であったことも、この子をマリウスと名付けた理由の一つでございます。

 あの時……旦那様の心中に満ち満ちた愛が、聖杯ムガドを侵そうとしていた邪な欲望を浄化して、私たちが顕界げんかいへと戻る事ができた後、赤竜王グラニド様が、ご自身の娘をマリウス様へと遣わせたときに贈ったものだと教えてくださったのです。

 その話を聞いておりましたので、マリウス様との縁を感じた事も確かですが、最も大きな理由は、マリウス様が第一世代の竜種、赤竜王グラニド様の娘、クーリア様と強い縁を繋いだ御方であったからでした。

 この子がシュクルと共に仲良く育ってほしい……。旦那様と私はそう願ってこの子にマリウスと名付けたのです。


 開け放たれた露台バルコニーへと続くドアから、涼やかな風が流れ込んでまいりました。

 その心地よい風を受けて、マリウスはとても心地よさそうにしています。


「ママ、マリウスよく寝てるの」


 シュクルが、ベッドの柵に手を掛けてニコニコとマリウスを見つめています。

 私はそんなシュクルの頭を優しく撫でてあげます。

 彼女はコロコロと喉を鳴らしそうに目を細めて、甘えるように私の膝の上に乗りました。

 私の膝の上に乗っても、そのままベッドの柵にもたれるようにしているシュクルの頭越しに、幸せそうに眠っているマリウスの顔を今一度眺めて、私は昨日の出来事を思い出します。


 昨日、旦那様と私は面会の約束の時間にレンブラント伯爵の館を訪ねました。

 あの邪竜事変の後、結局レンブラント伯爵は財務卿の座を辞することとなりました。

 神殿前で行われたあの方の告白、あれが貴族院の中で問題となったのです。

 家の事情と本人の能力は違うという擁護の声もございましたが、オーランド様がメイベル嬢と母親を連れ館より去り、一人残されたあの方は、それ以前の、冷徹で鉄の意思を持っているように見えていた面影もないほどに、まるで萎れてしまったようになってしまいました。

 結局その後、今一度財務卿の選定が行われることとなり、ドートルお義父様が新たな財務卿として選任されることとなったのです。


 旦那様と私が初めて訪ねたレンブラント伯爵邸は、貴族の屋敷とは思えないほどに手入れがされておりませんでした。

 まさか、庭の手入れをする使用人が居ないのでしょうか?

 旦那様が玄関のノッカーを打ってより、しばらく待たされて年老いた男性が現れました。

 身なりを見るに執事であると思われます。


「遅くなり申し訳ございません。エヴィデンシア伯爵ですね、ようこそおいでくださいました。今この屋敷は昔からの使用人が数人で賄っておりますので時間が掛かってしまい……ああ、このような話をしても詮無いことでございますね。さあどうぞ……」


 邪竜事変の後、レンブラント家のその後を按じて多くの使用人が去ってしまったのでしょう。

 おそらく残った彼らは、古くからレンブラント家に仕え忠誠心の篤い方々なのではないでしょうか。

 のろのろと、私たちをレンブラント伯爵の居られる部屋へと案内する執事が、悔しそうに口を開きました。


「オルバン様は……元々はとても正義感の強い真っ当な御方だったのです。あのバレンシオのモルディオさえいなければ……奴のために旦那様は人生を狂わされたのです……」


 私は邪竜事変の後、ライオス殿下より聞いた話を思い出します。

 それはおそらく、メイベル嬢がベイルバーン子爵領を訪ねたという捜査局の方から聞いた話と同じものでしょう。

 レンブラント伯爵は何故、あのような事をなさるに至ったのか……、それには奇しくもあのバレンシオ伯爵が深く関係していたのでした。


 バレンシオ伯爵はご自分の行っていた悪事の後を、自身の姉の子であるレンブラント伯爵に継がせることを考えていたのだそうです。

 彼はご自身の子であるローデリヒ様の能力を早いうちに見限っておりました。

 そしてレンブラント伯爵家に嫁いだ姉の子であり、とても優秀でその将来を嘱望されていたオルバン様に目をつけたのでした。

 ですがいま、年老いた執事が言ったように、オルバン様は生来正義感の強い方であったそうです。

 バレンシオ伯爵は、彼を闇の世界に誘うために一計を講じたのでした。

 それは、幼馴染みであるメルベール様と恋仲であったオルバン様。そしてメルベール様の友人であり、密かにオルバン様の事を想っていたオーランド様のお母様であるテレサ様の関係に目をつけ、そのテレサ様のお父様であるスレイン侯爵をそそのかしたのです。


 娘であるテレサ様の想いを遂げさせ、オルバン様の第一夫人として娘を嫁がせたいと考えたスレイン侯爵は、バレンシオ伯爵の甘言に乗せられ、メルベール様のご実家、フィッシュメル公爵家とレンブラント伯爵家に、架空の投資話を持ちかけて両家に大きな損害を与えたのです。

 その損害のために、フィッシュメル公爵家は大きく力を落としました。

 そして困窮の果てにルブレン家より援助を受け、メルベール様はドートル様のところに嫁ぐこととなりました。


 表向き共に損害を被った形のスレイン家ですが、かの家はルブレン家ほどではないにせよ、独自の流通経路を持って商いをしていたそうで裕福であり、力を落とすほどの損害ではありませんでした。

 かの家はオルバン様の将来性を見込んで、テレサ様との婚姻、つまり身内になる事を条件にして、レンブラント家に援助をなさったのです。

 ですが、スレイン侯爵もそれによってバレンシオ伯爵に弱みを握られる事となったのでした。そしてスレイン侯爵家の持つ流通経路が、後にバレンシオ伯爵の悪事に利用されることとなったそうです。


 ですが、オルバン様とテレサ様が結婚なさり、オーランド様が生まれた後になって、オルバン様は、スレイン侯爵が娘を嫁がせるために、フィッシュメル家とレンブラント家を陥れたことを知りました。

 激怒なさったオルバン様は、昏い復讐の念に囚われることとなったのです。

 オルバン様は、レンブラント家が力を落とした時に親身に力を貸してくれたバレンシオ伯爵を頼り、彼に教えられた手管を使って、最終的にスレイン侯爵家を没落へとまで追い込んだのでした。


「いまではオルトラント王国の重鎮となったエヴィデンシア家のお二人が、落ちぶれたレンブラント家にどのような用件があってやって来たのかな」


 応接室へと通された私たちに、レンブラント伯爵は開口一番そう仰いました。

 彼は、顔には無精髭が生えたままで、痩せ衰えその肌色は見るからに悪く目も落ちくぼんでしまっていて、以前とは別人のように年老いてしまっておりました。

 さらに冷徹な光を放っていた力強い瞳も、いまはどこか呆けたように虚ろです。

 そんなレンブラント伯爵の様子に唖然としてしまっておりましたら、旦那様に用件を切り出すように促されました。


「友より……メイベルさんより文を預かってまいりました」


 そう言った途端、ガタリと椅子を揺らしてオルバン様は立ち上がりました。

 虚ろであった瞳に僅かに光が灯り、よろよろとなりながらも私たちの前へと歩み寄ります。


「こちらを……」


「おお……おお、メイベルが私に…………」


 オルバン様は、手渡した手紙をもどかしそうに開いて、その中身を確認いたします。


 おそらくその内容は、オルバン様が唯一誤解なさっておられるままの事柄が記されているのだと思います。

 ライオス殿下がライオット様として調べた限り、オルバン様がこの一件がバレンシオ伯爵によって仕込まれたものであったと気が付いたのは近年の事であったそうです。

 そして唯一、オルバン様が誤解なさったままの事柄があると仰っておりました。

 それは、テレサ様はその企みについてまったくあずかり知らなかったという事実です。

 彼は、テレサ様がスレイン侯爵にオルバン様と結婚できるように強請ったことが、そもそもの事の始まりであると誤解なさっていて、それ故テレサ様を強く憎み、彼女の存在とオーランド様を無視することで復讐心を充たしていたらしいのです。

 確かに、テレサ様のお父様が成されたことは、唆されたといっても許しがたい所業です。

 ですが思わぬ形であったとはいえ、愛していた男性と結ばれたテレサ様は、子を成して後より理不尽に遠ざけられるようになり、そして、ご自身が産み落とした次の子は、産みの苦しみで朦朧とした中でも、男児であったという記憶があるのに、その手に抱いたのは女児でした。

 彼女の混乱はいかばかりであったでしょう。

 その赤子は育っていくにつれ、家の事情で夫との恋を実らせることのなかった友人であった女性に似て行く……彼女は娘の出自を疑い、次第に心を病んで行きました。

 ああ、なんという悲劇でしょうか……。

 結局の所、全ての元凶にあのバレンシオ伯爵が居たのです。


 私は、何故その事実を直ぐにオルバン様に伝えなかったのかとライオス様に問いました。

 その問いに反ってきたあの方の答えは、それを私たちが伝えたとしても、決して彼の心には響かないだろうというものでした。

 そして、時を見てそれを告げるべき相手から告げさせるように取り計らってあるので、安心しておきなさいと仰っておりました。

 きっと、いまその時が来たということなのでしょう。


 メイベルさんからの文に目を通したオルバン様の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちしました。


「フローラ嬢……貴女が、メイベルの友となってくれたこと、心の底より感謝いたします。……ああ、私はなんと愚かであったのか……モルディオに陥れられ、その復讐を果たしたと思っていた。だが私は、あの男に良いようにこの心を蹂躙されていたのか……、テレサもあの男の被害者であったというのに……」


 オルバン様は私に視線を向けて、さらに言葉を紡ぎます。


「いまからでも、まだ間に合うのだろうか……。子供たちが差し伸べてくれた手を、私に取る資格があるのだろうか……」


「オーランド様もメイベルさんも、いまが家族としてやり直せる最後の時だと考えているのだと思います。ですからオルバン様、どうかお二人の手を取ってください……。そしてその心を晒して誤解ないように、ご家族で十分に話し合ってくださいまし」


 そう言った私の言葉を、オルバン様は光を取り戻した瞳で聞き入っておられました。


「メイベル嬢とオーランド君の二人が、レンブラント伯爵家に戻ることができれば良いね」


 レンブラント家より辞して、我家に帰る馬車の中で、旦那様がそのように仰いました。

 私も、レンブラント家の皆さんに幸せの時が訪れることを心より祈りました。

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