第180話 モブ令嬢と六大竜王(中)
『この子はシュクルと名付けたのですね。私とシュガールの名をから取ってくれたとは、親として思いのほか嬉しく思えるものですね……』
クルーク様はご自分の前方を、私たちを背中に乗せて飛ぶシュクルに対してしてそう仰いました。
「僭越であったかも知れないと考えておりましたが、クルーク様よりそのように仰って頂き、嬉しく思います」
『シュクル、パパとママが付けてくれたこの名前大好きなの!! シュクル、
旦那様の言葉に、シュクルがそう言いました。
シュクルにそのように言って貰えて、私は涙腺が緩んでしまいます。
背後から私を支えてくれている旦那様も、僅かにその腕に力がこもりました。
『ええシュクル。貴女の様子を見ればどれほど二人に可愛がって貰っているか本当によく分かるわ……』
とても慈愛に満ちたクルーク様の声が頭に響きます。
『母様、パパとママだけじゃないの。大きなパパとママも、メアリーもフルマにチーシャ、アンドルクの皆も貴宿館の皆も、みんなみんな、シュクルのこと可愛がって、とても大切にしてくれるの!!』
『そう……貴女はいま、本当に幸せなのね……長い年月、ノルムに手を出させないために貴女の時を留めて待っていた甲斐があったというもの……貴女の幸せを守るためにも、あの邪竜を鎮め平和な時を取り戻さなければなりませんね……』
『シュクルも頑張るの! シュクル、大きなママやリラやメアリーに教えて貰って、とっても強くなったの!! ノームたちなんか目じゃないの!!』
『まあ、シュクルったら……でも、邪竜はノルムの眷属たちとは違いますからね、危険だと思ったらすぐに逃げるのですよ……』
邪竜との決戦を前に、シュクルと彼女の心配をするクルーク様の遣り取りを耳にして、心を温かくしておりましたら、クルーク様の意識が私に向いたのを感じました。
『それにしても……貴女はまだ解放されていないのですね』
解放されていない?
それは、いったいどういう事でしょう?
バレンシオ伯爵によって行われていた、我が家に対する様々な嫌がらせや妨害は、バレンシオ伯爵家が廃されたことによって無くなったはずです。
それに、クルーク様の言葉は我が家ではなく、私個人に向いているような……ますます何のことか分かりません。
『これだけ近くにいて気付かないのも問題ですが……苦手だと思い込んでしまった以上、それを覆せるのも自分以外いませんし……それに、私もいちどは見守ると口にした以上、いましばらくアナタには猶予を与えます。ですが……この状況を知っていながら、時を逸するようなことがあれば、私の怒りが向くことは覚悟しておきなさい。……いいですね』
……クルーク様のこの言葉は、いったい誰に対してのモノでしょうか?
私は身体を捻って、クルーク様を視界に収めます。
竜の姿になっているクルーク様からは、その表情を読むこともできません。
身体を捻った私は、そのまま旦那様に視線を向けました。それは何か心当たりが有るのではないかと思ったからです。
ですがその旦那様から、「フローラ。いまのクルーク様の言葉――どう言う意味か分かるかい?」と、疑問顔を向けられてしまいました。
「私には、いったい何のことか……クルーク様! いまの言葉はいったい……」
『それについては、あのモノの決心が付くまでいましばらく待ってあげて。それに……そろそろ気を引き締めないと危ないですよ』
私の疑問はクルーク様にそのように遮られてしまいました。
仕方なく視線を前に戻しましたら、それまで前方を遮っていた高い丘を乗り越えて、前方に邪竜の姿が見えてまいりました。
「あれは!?」
私たちの視界に入った邪竜は既に完全に竜の形となっており、共に転送した神殿の形は影も残しておりません。
そしていま、そのどす黒い身体は、四方を青い幻影のような盾に囲まれ、盾の拘束から逃れようと足掻いておりました。
私たちの前方には、空を飛ぶ赤竜王様、緑竜王様、白竜王様の三柱が先行しておられ、その赤竜王グラニドさまの上空に大きな赤柄の槍が出現します。
それはレオパルド様が手にする槍とよく似たもの――いえ、それこそが原型である神器、聖槍グランディアでしょう。
聖槍グランディアは、赤竜王様の上空に現れたと思った次の瞬間、物凄い勢いで邪竜へと向かって射出されました。
グランディアは邪竜の四方を囲む盾をすり抜け邪竜を穿ちます。
邪竜の腹を貫いたグランディアは、その背後へと通り抜けたあと、まるで意思があるようにグラニド様の元へと帰ってまいりました。
『一番槍、頂いたぞ!!』
「『いや、確かにそうだけども!!』」
グラニド様の上げた言葉に何故か旦那様が日本語で突っ込みました。……いまのはいったいどういう意味でしょうか? プフッ! っとシュクルが吹き出しましたので、彼女には意味が分かったようですけれど……。
「フローラ! 皆の強化を!」
私が疑問を口にする間もなく、旦那様は真面目なお声でそう仰いました。
旦那様の言葉を受けて、ストラディウスを顕現させた私は、皆さんの防御と攻撃を強化する為に魔奏十三楽章を奏で始めます。
『おおこれは――ストラディウスの奴めが造った魔器ではないか。ますますあの時と同じような気分になってきたな。……だが、やはり簡単に攻撃は通らんか』
グラニド様の言葉どおり、邪竜はグランディアに大きく腹を穿たれ、大きな穴を開けたものの、まるで泥水を穿ちでもしたように、その場所は元へと戻ってしまいます。
『グラニド、
ブランダル様はそう仰りながら、グラニド様と同じように、神器である白い聖剣ブランディアを顕現させますと、剣を飛ばして邪竜を肩口から切りつけました。
ギギャァァァァァァァと、邪竜が吠えます。
痛みを感じているのとは違うのでしょうが、竜王様方の神器の力によって僅かにでも、穢れが浄化されているということでしょうか?
『皆、頭部への攻撃は避けてくださいね。あそこには核とされてしまった人間が居るようですから』
そう仰りながらクルーク様も、
『面倒くさいのだなぁ。ボクは狙うのが得意じゃあないのだ』
リンドヴィルム様はそうぼやきながら、聖鞭リンヴィルを蔓草のように使い邪竜の身体を締め付けようとなさいますが、形は完全に竜を模しているものの、その身はあの黒い泥濘であるのでしょう、竜王様方の攻撃は虚しくも邪竜の身をすり抜けてしまいます。
ブランダル様の仰っていたように、神器の攻撃を以て僅かずつでも穢れを浄化して力を弱めて行くより無いということでしょう。
様々な記録どおりであれば五〇〇年前は、竜王様方が邪竜の討伐に現れてより、邪杯を破壊するまでに一月近い時間が掛っていたはずです。
ですが、ライオス様が仰っていたとおり、五〇〇年前に破壊された邪杯より世界中に飛び散ったという穢れた欲望が、その宿主の中で力を増しているのだとしたら……
『ああっ、ダメです守りが……』
この声は、バルファムート様……。
その声と共に、それまで邪竜の周囲を囲んでいた青い盾の幻影がはじけて霧散いたしました。
バルファムート様のお姿はここまで来ても確認できませんが、どちらにいるのでしょうか?
『バルファムート! こちらに来て偽神器を持つ者たちを守ってあげてください。これよりは持久戦です僅かずつでも邪竜の力を削ぐのに力を発揮する彼らの身を!』
クルーク様はそう仰いますと、リュートさんたちを降ろすために地中へとその身を沈めて行きます。
クルーク様の持つ力なのでしょうが、地面に吸い込まれるように身を沈める様子は、とても不思議な感じがいたします。
『クルーク? ……分かりましたそちらにまいります。それにしても、今回も偽神器を手にする者たちの護衛ですか……』
言葉どおりなら、バルファムート様は五〇〇年前も、偽神器を手にした人間を守って邪竜の討伐に参加なさっていたのですね。
『これよりは、バルファムートがあなた方の身を守ってくれます。彼女の言葉に従って動くように』
クルーク様は、リュートさんを初めレオパルド様やマリーズたちを降ろすとそう仰って、戦いを続ける竜王様方に続きました。
そのクルーク様の進む足元には、いつの間にか霧が掛かり、その霧の中から、澄んだ深い湖を思わせる青色の長い髪をした美しい女性が、浮き出るようにこちらへとやってまいりました。
まるで、幻影のように姿を現したこのお方がバルファムート様?
私がそのように考えておりましたら、マリーズがその女性の前へと進み出て上位者への礼をいたしました。
「お久しぶりでございます、バルファムート様。ところで何故そのお姿で?」
「久しぶりですマリーズ。……私は水竜ですからね。尾ひれ姿で地上で活動するのは大変なのです……近くに湖でもあれば良かったのですが」
こうして私たちは、戦いのさなかではございますが、七大竜王様のうち五大竜王様とまみえるという栄誉に預かったのです。
◇
バルファムート様による押さえを解かれた邪竜は、にわかに移動をはじめました。
それは、いま私たちの居る方角です。
私は周囲の景色を見回して、以前の記憶と照らし合わせます。
これは……まさか王都の方向では?
「旦那様、邪竜は王都に向かって移動しているような気がいたします」
『邪竜は多くの欲望が集まる場所を目指します。五〇〇年前はトーゴの主都を壊滅した後、近くにある街を目指しました。今回も同じ行動をするでしょう。貴女方が邪竜をこの地に飛ばしたのは正解です。この場所から最も人の多い都市はオルトラントの王都オーラスです。邪竜がそこに到達する前に何とかせねば』
バルファムート様はそう仰いますと突然私たちの前方へと巨大な盾、
次の瞬間、黒い霧のようなモノがバルトにぶつかり、大きく四散いたしました。
四散した黒霧は近場にあった木々に降り注ぐと、木々は見る見るうちに枯れ果てて灰燼と化してしまいます。
私はその光景を目にして、身体が打ち震えてしまいました。
それでも、私はストラデイゥスによる演奏を止める事なく続けます。
「フローラ、少し手を放すから気をつけて」
旦那様はそう仰いますと、神器聖弓シュギンを模した偽神器シュギンを手にして弦を引きます。
すると旦那様の偽神器シュギンを掴む手と弦を引く手の間にバチバチと音を立てて雷の矢が顕現しました。
雷の矢は弦を引くほどに強く光を増し……旦那様は最大限に威力を増した雷の矢を放ちます。
偽神器シュギンから打ち出された雷の矢は、邪竜の上空へと至り、そこから弾けた無数の矢が邪竜を打ちました。
それは……旦那様の持ち得る最大の攻撃です。しかしその攻撃は、竜王様たちのものとは違い、邪竜の力を削いでいるようには見えません。
ですがこの旦那様の攻撃を発端として、邪竜と私たちの戦いは本格的に幕を開けたのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます