第179話 モブ令嬢と六大竜王(前)

 ユングラウフ平原……

 私が、邪竜の形をとりつつあった神殿を瞬転魔法で転送したのは、旦那様が演習のおりに拉致されたあの場所です。

 あの場所は、騎士団が陣を張るために、主要街道からもそれなりに奥まった場所でございました。

 転送後の時間を考えましても、広範囲に移動してしまうことはないでしょう。

 ですが……後を追った私たちが瞬転魔法によって出現したのは、私が考えた場所よりもさらに離れた所でした。

 眼前には、王都の上空より霧散したあの欲望の暗雲が筋を描いて見えます。

 渦の中心が遠くにあり、間違いなくその中心にメイベルさんとオーランド様を取り込んだ邪竜と化しつつある白竜神殿が有ることでしょう。


「上空の雲の影響でしょう。私が決めた場所よりもだいぶ手前に転送されたようです」


 先生の構築なされた魔法の心象イメージにあった、転送先の危険を避ける部分によってこうなったのでしょう。

 黒雲の渦の中心部分を見ますに、少なくとも五ベルタキロ程は離れているのではないでしょうか。

 私たちが周囲の状況を確認しておりましたら、私たちのいる場所より一ベルタキロほど離れた空中に突然巨大な球状の幻影がじわりと浮かび上がり、そうして次第にしっかりとした像を結びました。

 それは赤い鱗に身を包んだ巨大な竜です。


「あれは……赤竜王グラニド様」


 レオパルド様の口から漏れ出た言葉のとおり、その身を包んでいた泡のような膜が消失してその場に現れたのは赤竜王グラニド様でした。

 そのグラニド様に続くように、ひとつ、またひとつと同じような現象が空中に表れ、緑竜王リンドヴィルム様、白竜王ブランダル様が顕現なされます。

 赤竜王様も緑竜王様も、その名が示すような色合いの宝石のように光り輝く鱗を持っておられ、白竜王様も真珠のように光り輝く白い鱗を持っておられました。

 その、彼らが空を舞う姿は、神話を題材とした絵画のように美しいものです。

 皆様、一〇〇ルタメートルを軽く超えた巨体で、その威容に私は、彼らがこの世界を管理を神より託された方々であると、強く感じることができました。


 それにしましても、私たちがシュクルの力で初めて体験したワープという現象、それはあの泡のような空間に包まれた後は輪のような空間の中へと飛び込み、そこから出た時も、背後には輪のような空間が見えておりました。

 明らかに、アンドゥーラ先生が構築なされた瞬転魔法とはその発現の仕方が変わっております。

 ですが、これこそが魔法の面白いところで、結果として同じような現象を発生させることができても、魔法使いによってこのような違いが現れます。

 先ほど竜王様方が顕現なされるときに使っておられた魔法は、明らかにアンドゥーラ先生が構築なされたモノを基本となさっているのが分かります。

 このように私たち魔法使いは、使われた魔法の発現の仕方によって、どなたの弟子であるのかや、どこの国の魔法の流れを汲んでいるのかなどをある程度推測できるのです。

 私たちが、出現なされた竜王様方の威容に圧倒されておりましたら、白竜王様のおられる辺りから私たちの方へと人影が飛んでまいりました。


「フローラ! 瞬転魔法は巧く使えたようだね。私の方は、師のところに行ったら折良くブランダル様が師を訪ねてきていてね。なんとも孫バカのお二人は、王都でのリュートの生活を肴に酒盛りなんぞをしていたのだよ。まあそんなわけで、事の顛末を説明した後、このように一緒に運んでもらったのだよ。……それにしても、君たちも来てしまったのか……」


 と、アンドゥーラ先生はレオパルド様たちを見回して仰いました。

 すると先生の言葉に続くように、別の声が頭の中に響きます。


『まあ、フローラ……貴方たちもここにやって来たのですね』


 という声と共に、私たちのいる場所より五〇〇ルタ程前方の地中より、銀竜王クルーク様が浮き上がってまいりました。

 クルーク様は、あの時の女性の姿ではなく本来の銀竜の姿です。


『ブランダルを通してアンドゥーラよりこの度の事態を耳にいたしました。各国の神殿には黒竜ヨルムガンドが復活するまでの間、各地に散った邪杯を回収してその力を封印、浄化を続けるように申しつけておきました。まさかそれよりも早くまたこのようなことになってしまうとは……ヨルムガンドさえ復活すればあの邪杯を浄化、無力化も可能なのです。ですがあの者の復活には後一〇〇年ほどの時間が掛るでしょう……』


「『……やはり、そういうことなのか?』」


 クルーク様の言葉を耳にして、私の隣に立っていた旦那様が、そうぽつりとつぶやきました。

 深く考え込んでおられるのか、その呟きは日本語でなされました。

 言葉自体は理解できましたが、旦那様の仰る『そういうこと』というのが何を指しているのかは分かりません。

 私は旦那様に問いかけようといたしましたが、その前に別の方の声が頭に響きます。


『まったく。先日も人の世に下って力を示したというのに、人間どもは懲りることが無いのか。時折、ファティマのような面白い人間が現れるからまだ良いが、少々贔屓しすぎたかもしれんな』


 それは少しふてくされたような言葉で、クルーク様のような女性的な声ではなく勇猛な男性を思わせる声です。

 それに、この内容は……グラニド様でしょうか?

 先日、新政トーゴ王国で弑されかけて、お怒りになって主都を半壊させられたばかりですし……。


『グラちんは相変わらず怒りん坊なのだなぁ。自分が一番人間好きなくせに……皆で、もう竜騎士の力を与えるのは止めようって決めたのに、ファティマんに力を与えたのだ。でも確かに、こんな短い時間でまたこれだけの大事が起こるなんて……まあ今回は、人間が創り出したこの移動魔法ですぐに帰れるから、前よりは気が楽なのだな~~』


 何か独特な、少し間延びした言葉遣いのお方は、リンドヴィルム様でしょうか?

 ブランダル様とは以前、ブラダナ様を通して話をした事がございますので、あの方でないことは確かです。


『だけどよ、この魔法には規制が必要だと思わんか? あの邪竜もこの場所に飛ばしたのはこの魔法であろう? 敵国の中枢に軍を直接送りつけるような真似でもしたら世界が混沌としたモノになってしまうぞ』


『そのようなことはいま話し合うことでは無いであろうグラニド。いまはかの邪竜を倒すことに力を注げばよい。この魔法のことはその後のことだ』


 赤竜王様の言葉に、そう答えたのは白竜王ブランダル様です。

 その三柱の言葉を耳にして、何故かアンドゥーラ先生の表情が曇りました。


「先生? どうなされたのですか?」


 ご自身が構築なされた魔法に文句を言われたからでしょうか?


「フローラ。いまの三柱の話を聞いて分からなかったかい? 私は三柱の話を聞いてこれまで研究していた魔法の根底が崩れ去ってしまって途方に暮れているのだよ。いや、考えない訳ではなかったよ……それでも、それではあんまりだと、はなから除外していたモノが真実であったとは……確かに、彼らは世界の管理者だと神話にも明記されているが……」


 アンドゥーラ先生は魔法について様々な研究をなさっておいでですので、どの事を言っているのでしょうか?

 私の表情から思考を読んだのでしょう、先生は言葉を続けます。


「魔法の根本の話だよフローラ。何故ワンドはブリステン魔法王国とトウ国でしか製造ができないのか? さらに癒やしの術を覚えると、何故魔法が使えなくなるのか? 他にも有るが、その全てを簡単に説明できる。つまりは『竜王様方によってそう定められたから』だ。なんとも研究者泣かせの結論ではないかね? 真面目に真理を求めていた自分が馬鹿らしくなる……ああ、それで先達たちも口をつぐんだのか……この悔しさを後進にも味わわせてやろうと……ブラダナ様と師の関係を考えれば、師は間違いなく知っていた筈だ……くそ! あのババアめ……悩み苦しむ私を見て楽しんでいたな……」


 先生が危険な表情でブツブツと仰いました。

 そんなアンドゥーラ先生にはお構いなしな様子で、クルーク様の言葉が私たちの頭の中に響きます。


『しかし、別にこのような事態を予見していた訳ではないのですが……。五〇〇年まえの黒竜戦争、あの時に邪竜討伐に僅かなりとも力を発揮した偽神器を与えた者たちが、またこうしてこの場に集まったのには、因縁のようなモノを感じますね』


「フローラの手にあるストラディウスが五〇〇年前の黒竜戦争において利用されたことは有名な話ですが。私たちの手にある偽神器も、その時に使われていたのですか!?」


 マリーズが、驚き顔でそう声を上げました。

 確かに、クルーク様の言葉通りならば、マリーズたちが持っている偽神器もその時に使われていたという事になります。

 ですが、クルーク様よりその答えが返ってくる前に別の声が頭に響きました。


『貴方たち! いつまでのんびりとしているのですか!! 私が必死に邪竜を押さえているというのに! 早くこちらにいらっしゃい!! 邪竜は既に動き回れるほどに穢れた欲望をその身に溜め込んでいるのですよ!!』


 新たに私たちの頭に響いた声は、よほど焦っておられるのか少々苛ついた様子です。


『まあ、バルファムートがこのような声を上げるとは、よほど大変な状況なのでしょう、皆さん私の背に乗りなさい。人の歩みでは邪竜の元に辿り着くには時間が掛りすぎます』


「まさか……そのように恐れ多い……」


 レオパルド様が、竜王様の背に乗る恐れ多さに戸惑いましたが、「何を言っているのですか、いまがそのような時でないことはお分かりでしょう?」と、マリーズは我先にと、背に乗りやすいように身体を地中に半分沈めたクルーク様に向かって行きます。

 リュートさんやアルメリアもマリーズに続き、最後に決心なされたようにレオパルド様が続きました。

 トルテ先生は既に、ちゃっかりとクルーク様の背中に乗っております。


「メアリー、貴女もクルーク様に……。私と旦那様はシュクルに運んでもらいます。シュクル、お願いね」


「ママ、分かってるの! ママもパパもシュクルの背中に乗るの!!」


 そう言ってシュクルは竜の姿へと戻りました。


「旦那様。竜王様方も邪竜を倒すのに力を貸してくださいます。きっとメイベルさんたちを助け出しましょう」


 私は、クルーク様が現れた辺りからどこか思い詰めた様子に見える旦那様に向かってそう声をかけました。


「ああ、そう、そうだねフローラ……」


 そう答えてくださったものの、旦那様は心の内で、何か重大な決断をなされようとしているように、私には感じられたのです。

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