第177話 モブ令嬢と旦那様と絆の力

 ご自分の思惑どおりメイベルさんが邪杯の力を発現させたのを確認して、ライオス様は満足げな笑顔を浮かべ……旦那様と私に向けてしっかりと視線を向けます。

 その瞬間、彼がその場から飛び降りようとなさっていると理解いたしました。

 私は、待機していた魔法からいま何が使えるか急ぎ考えます。ですが、修練場で拘束するために構築しておいた魔法ばかりでしたので瞬時の対応には無理がございます。


 旦那様も彼の次の行動を理解なされたのでしょう、「『ライオス殿下はあそこから飛び降りるつもりだ! なんとしてでも彼を死なせるな!!』」と、そう日本語で叫びました。

 それは旦那様の言葉を学んでいるアンドルクの方々への呼びかけです。


 さらにそれは、ライオス様の知らない言葉を使うことで、彼にさらなる手を高じさせない為でしょう、ですがそれは、彼の周到さの前には虚しいものであったかも知れません。

 そうして、旦那様が叫びきるのと同時にライオス様は、鐘塔よりその身を投じられました。

 その光景を目にしていた人たちの中から悲鳴が上がります。


「あの人助けるの?」


 絶望感に満たされかけていた私の背からシュクルの声が響きます。


「お願い、シュクル!」


 口に出す間ももどかしく私は叫びました。

 その叫びだけでシュクルは、今必要な浮遊魔法を使ってくれるでしょう。彼女は第一世代の竜種です。彼らはワンド無しで、しかも私たちとは違い、竜王様たちの力を借りるための宣言も必要なく、最短での魔法行使が可能なのです。


「ママ!? ダメなの!!」


 シュクルが驚きの声を上げました。

 私は瞬時にひとつの可能性に思い至ります。――まさか消魔法しょうまほう結界!?

 自身に掛けられる魔法の効果を消し去る魔具まで……。確かに――あの方が私やシュクル、アンドゥーラ先生の存在を頭に入れていないわけがございません。

 ライオス様のあまりに執拗な周到さに、私は完全な絶望に呑み込まれそうになります。

 ですが……その瞬間、ライオス様が落ちてこられるその場所。


 神殿の入り口前、そこに吊されていた白竜王ブランダル様が刺繍された巨大な織布タペストリーが、下部を支点として、反り返って見える感じで前方へと押し広げられるように倒れてまいりました。

 誰が? 織布タペストリーの上部を吊していた紐を切断したのか、それを確認している間はありませんでしたが、それを成した人が何をしようとしているのかは理解いたしました。

  しかしそれだけではダメです! あの鐘塔の高さは確か一三〇ルタメートル程はあったはずです。それほどの上空から身を投じた人間の受ける衝撃がどれほどのものか、仮にあれで受け止められたとしても地面に直接落ちるのと大差ございません!


「シュクル! あれにさっきの!!」


 私は、シュクルに声を掛け、さらに自分が拘束のために待機してた蔦草の魔法を使います。ですがその魔法は拘束のための使用ではございません。

 効果は見る間に表れ、石畳の隙間から蔦草がわらわらと生え伸び、浮遊魔法が掛けられた織布タペストリーの下に厚く満ちあふれました。それは私の想像を超えた量でしたが今は疑問に思っている場合ではございません。

 そして蔓草が地面に満ちるのと同時に、倒れ来る織布タペストリーの端近くにライオス様の身体が落ちました。

 彼の身体は、まだ少しだけ斜めになっていた織布タペストリーを、その中心へと滑ります。

 消魔法結界の影響で、彼を中心に三ルタほどの空間で織布タペストリーに掛けられた浮遊魔法の効果が削られ、さらにその下の蔓草も、みるみる枯れてゆき、粉のように散ってゆきました。

 ですがその空間以外の魔法の効果は維持されています。

 織布タペストリーへの落下の衝撃は、それによって吸収され……そして……ライオス様の身体は止まりました。



 とても……とても長く感じられる時間でした。

 これだけの事が五つばかりの時を数える間に行われたのです。


「ライオットは……助かったのか?」


 そう仰ったのはアンドゥーラ先生です。

 ……ああ、先ほどの蔦草の魔法。先生も私と同じ事を考えたのですね。

 そんな事を考えている間に、旦那様が織布タペストリーの上をライオス様へと駆け寄って行きました。

 私も、シュクルを伴って旦那様の元へと近付きます。

 王家の方々やボーズ神殿長様は、ライオス様が鐘塔より飛び降りる前、私が鐘塔にライオス様たちを見つけてすぐに、警備を担っていた騎士や近衛兵によってあの場所から広場の端にまで退避させられておりました。

 レンブラント伯爵も、メイベル嬢の身に起こった事態に完全に茫然自失してまるで彫像にでもなってしまったような状態のまま、引きずられるようにして退避させられた後、その場で膝を突いて項垂れてしまいました。

 ルブレン家の皆さんも避難させられておりますが、メルベールお義母様はメイベルさんの身に起こった事態を目にして、蒼白になり今にも倒れそうな様子です。

 ドートルお義父様とアルクさんが、そのお義母様を両脇から支えているのが、なんとも印象的でございました。

 そんな中、血相を変えたアンドリウス様も近衛兵の制止を振り切ってこちらへとやって来ようとしております。しかし彼らに押し包まれるようにして止められておりました。


「ああっ……まさか、最後の最後で君たちに影を踏まれるとはね。……この状態ではもう次の手も打ちようがない。……それにしても、先ほどの言葉は何だね? 君たちの暗号か何かかね? そちらの彼は理解できたようだが……」


 命は取り留めたものの、やはり落下の衝撃で身体を痛めておられるようです。

 そのような状態でもライオス様は、ライオット様の片鱗を覗かせて、旦那様の背後からやって来た方を見つめました。

 旦那様も、その方に視線を向けて口を開きます。

 その方は……


「レオン兵長……君の機転には助かった。だが……君はアンドルクの人間だったのか?」


 その方はレオンさんでした。

 旦那様の言葉を受けて、吊られていた織布タペストリーの上部の紐を投げナイフで切断したのは彼であったようです。

 彼の機転によって、私たちはライオス様を救う事が叶いました。

 ですが、それでも旦那様の言葉は、どこか沈んでおられます。……それはきっと、私と結婚してより、初めてご自分の力だけで悪評を払拭し、そうして絆を得たと考えていた方だったからでしょう。


「ええ……まあそうなんですがね。別に俺は生粋のアンドルクって奴じゃありませんよ。お袋がそうだったんですがね。お袋の遺言で『もしもエヴィデンシア家の当主が仕えるにたる人物だと思えたら、力になってやってほしい』とは言われてはいたんですがね、一〇年近く前のことだし忘れてましたよ。でもグラードル卿――貴男がフローラ嬢と結婚した後の、あの総当たりで興味がでましてね。貴男に仕える決心をしたのは演習の後ですよ。……おかげで、とんでもなく難しい言葉を覚えさせられる羽目になりましたがね」


 レオンさんは旦那様の心の動きを感じ取ったのでしょう。そう仰って肩を竦めて見せます。

 ああっ、旦那様とレオンさんとの絆が、旦那様の努力によって結ばれたものであったと知られて、私は心の底より嬉しく思いました。

 胸の中に温かいものが浮かび上がってくるお二人の光景から、私は視線を、旦那様の足元で仰向けに倒れておられるライオス様へと向けました。


「ライオス殿下……私と旦那様は、結局貴男のてのひらの上より出ることは叶いませんでした。ですが、この結果を得たのは、私たちがこれまで繋いできた絆の力によってです」


 その私の言葉にライオス様は、旦那様とレオンさん、そうして私と横に居るシュクルに視線を走らせた後、眩しそうに右の掌を顔に当てます。


「ああ……そうか。君たち二人が結婚してより得た絆……そうか……そうだね……」


「ライオス殿下……貴男は望めば結ばれる絆をあえて断ち切って、全てをご自分で抱え込んで滅びようなどと……私と旦那様を信じてくださったように、何故お父様を……アンドリウス陛下を信じてあげないのですか。……陛下はきっと、貴男が望めば、この大陸西方諸国の因習とも共に戦ってくださるはずです」


 私は、今も近衛兵を必死に振り払おうとなさっておられるアンドリウス様に視線を走らせました。


「俺もそう思います。ライオス殿下……貴男は、それによって陛下の立場が悪くなることを気にしたのでしょう? 私とフローラには無茶振りするくせに……」


 ライオス様の横に膝を落として、旦那様もそう仰いました。

 その時、焦った様子のアンドゥーラ先生の言葉が響きます。


「おい君たち! 何を全て事が済んだような感じで話しているのかね!! あれはどうするんだ! このままでは邪竜が完全に復活してしまうぞ!!」


 そうでした!! アンドゥーラ先生に叱咤されて、私たちは鐘塔に視線を上げます。

 快晴であった空にはいつの間にか、薄く筋を描くような黒い雲が、鐘塔の上空を中心として渦巻くように満ちて来ております。

 いえ、よく見ればその黒雲は、中心が吸い込まれているようにすぼまって鐘塔へと落ちておりました。

 あの黒雲はとても嫌な感じがいたします。

 そうして、ライオス様が飛び降りる前までは、鐘塔の中でメイベルさんとオーランド様を包み込んでいた黒い泥濘のようなものは、既に鐘楼の中より飛び出して塔の上から壁を伝って下に向かってドロドロと流れ落ちてきておりました。


「あれは、茶会の時のように燃やしてしまった方が良いのかね! コイツに巻き込まれたあの二人には申し訳ないと思うが、今ならば私の大魔法でなんとかなるかも知れない」


「お待ちください先生!!」


 私はひとつの懸念があり、火炎の大魔法の準備を始めようとするアンドゥーラ先生を止めました。


「そうだね……アンドゥーラ、フローラ嬢の言うとおりだ。やめておいた方が良い……強行したら、大事な弟子に嫌われてしまうよ。……おそらくフローラ嬢が考えているとおりだよ。……メイベル嬢とオーランド君は生きている」


「……やはり」


「ふむ、さすがはフローラ嬢だ何故そう思ったのかね?」


「あれに呑み込まれたら死ぬというのなら……何故ライオス殿下、貴男はわざわざ鐘塔から身を投げるなどとという事をなされたのですか? 殿下はあれについて何か知っておられますね?」


 私がそう問い掛けたのと同時に、私たちの元へと駆け寄って来た方がおりました。

 その方は、鐘塔の様子をしきりに気にして、僅かに腰の引けた感じですが、それでも覚悟を決めた様子でこちらへとやってまいります。


「ああ、グラードル卿、やはりこちらに居られましたか! もしも神殿で騒動が起こったら、そこにグラードル卿が居るはずだから至急この文を届けるようにと、ライオット様よりの伝言を受けていたので!? ライオッ……」


 駆け寄ってきたのは、以前捜査局で対応してくださった年嵩の男性でした。

 彼は言葉の途中で、旦那様の足元に仰向けに倒れているライオス様を視界に捉えて、そう口ごもりました。どうやら彼は、ライオット様の正体を知っておられるようです。


「……ランゲ君、わざわざすまなかった。だが――その内容については自分で説明するので、文はこちらに渡してくれないか。まさかこのような事態になるとは思っていなかったのでね。今更、この文を君たちに見られたら、せっかく君たちが懸命に助けたというのに、私は恥ずかしさのあまり慙死ざんししてしまうかも知れないよ。……まったく、グラードルと関わると、なんでこのような喜劇じみた終わり方になってしまうのだろうかね」


 ライオス様は、少し回復してこられたのか、その身を起こしてランゲと呼んだ男性に向かって、文を渡すようにと手を差し出しました。そしてそれを受け取ると、よほど中身を見られたくないのでしょう、その場でビリビリと破り捨ててしまいます。


「だ・か・ら、何を悠長にやっているのかね君たちは! もしかしてこの場で真面目に対応しようとしている私が何か間違えているのかね!」


 それまで、その様子を辛抱強く見ておられたアンドゥーラ先生ですが、差し迫っている事態に、さすがに苛つきを隠ずに仰いました。


「そうだったね。とにかくこの一帯から人々を退避させるんだ! 五〇〇年前どおりであるのなら、あれが邪竜としての実体を得てからでないと邪杯の場所は特定できないはずだ。黒竜王様が復活したという話はいまだに耳にないので、五〇〇年前と同じ決着になってしまうが、邪杯のみを破壊すればあの二人は助かるはずだよ」


「なんと暢気な……五〇〇年前の黒竜戦争で当時のトーゴ王国がどれだけの被害を受けたと思っているのだね。ライオット――君はオルトラントを同じ憂き目に遭わせるつもり…………いや、まてよ、被害が及ばない場所で時間が稼げれば良いのか……」


 ライオス様を責め立てようとしたアンドゥーラ先生が、突然何かを考え込みました。

 僅かの後、先生が私に視線を向けます。


「フローラ――瞬転魔法だ! 神殿ごと、この邪竜のなりかけをどこか人気のない場所……そうだ、君はユングラウフ平野を知っているね! そこに移動させるんだ! 私の言葉は覚えているだろ? 君のストラディウスならば可能なはずだ! 私はその間に師の元に向かい白竜王様より竜王様方に繋ぎをとってもらう! 間違いなく竜王様方の力が必要になるはずだからね!」


 先生の言葉に、私も目を見開きました。

 確かに、王領でもあるユングラウフ平野ならば……あの広大な土地には、街道以外に人気はないはずです。

 私はストラディウスをバリオンの形に顕現させて素早く構えました。

 そうして、最もこのストラディウスの力を引き出すことができる魔奏十三楽章を奏で始めたのです。

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