第176話 モブ令嬢と旦那様と第二王子と……

 オルトラント王国の王都オーラスの七竜神殿は、別名白竜神殿とも呼ばれております。

 いまその神殿の入り口には、その別名を表すような白竜王ブランダル様が刺繍された巨大な織布タペストリーが吊されております。

 織布タペストリーは、いつもは祭壇の後ろに飾られているのですが、今回のように神殿前の広場にて行事が行われる場合には、このように飾ることが慣習となっております。

 そしてその手前には神殿長のボーズ様とアンドリウス陛下たちの姿がございました。

 新財務卿の発表に伴う徽章の授与の直後に始まったと思われる、レンブラント伯爵とメイベルさん、さらにルブレン家を巻き込んだこの一連の騒動。

 陛下たちは口を挟む機会を逸して、ここまで進展してしまった事態に愕然としてしてしまっているようでした。


 この場の警備を担っていた騎士や、捜査局の人員によって野次馬と化した民衆はこの場より遠ざけるように、追い立てられて、旦那様と私の進路を塞いでいた人の壁に生まれた綻びは次第に大きくなって行きます。

 その綻びの中に、貴宿館の住人の皆さんや、レオンさんを始めとした旦那様の配下の方々も見受けられました。

 

 メイベルさんの心を切り裂くような叫びが響き渡る中、広場の端まで辿り着いた旦那様はそこで一度立ち止まりますと、ライオット様の姿を探して周囲に視線を走らせます。

 私も旦那様に倣い周囲を見回しました。すると……驚愕して固まっている陛下たち王家の方々の中から、レンブラント伯爵に近付くようにライオス様が歩み出しました。


 まるでその場に浮き上がるように足を踏み出したライオス様の姿を確認して、旦那様は彼に駆け寄ろうといたします。

 私も彼を拘束するために魔法を使おうといたしました。


「貴様たち何をしている! 娘、それはワンドではないのか!?」


 一人の騎士がそう声を張り上げて旦那様を引き留めます。さらにいま一人の騎士が私のワンドを持つ手を掴み、ワンドを奪い取りました。

 今日の旦那様は平服でおられますので、不審者と思われてしまったようです。

 私のワンドは、バリオンの弓の形をしておりますが、弓毛が張られておりませんので、見る方によっては確かに普通にワンドに見えるかも知れません。


「放してくれ! だれでもいい! ライオス殿下グァッ!」


「旦那様!!」


 取り押さえようとする騎士を振り払おうとしながら、『ライオス殿下を止めろ!』と仰ろうとした旦那様が、強かに殴りつけられました。普段の旦那様であったのなら得意の体術で捌けたのかも知れませんが、ライオス殿下に意識が向かっていたために、避ける動作もままならず殴られ、そのまま石畳に組み伏せられてしまいます。

 それこそ体術など考えも及ばない私は、旦那様よりも前に組み伏せられてしまっておりました。

 そんな私たちの耳に、静かですがよく通るライオス様の声が響きます。


「ああ……あぁ……、やってしまったねえレンブラント伯爵……。なるほど、近親婚禁止令の制定を、君が貴族院に強硬に働きかけていたのは、娘の誕日に間に合わせようとしたわけだね。……よく覚えておきなさい。君のその娘への執着が、娘を壊したのだという事を……ルブレン夫妻は良いことを言ったね。レンブラント伯爵、彼女は心のない人形ではないのだよ。いくら君のお気に入りで大切にしようとも、君が彼女に向けているのは与える愛ではなく、求めるだけの愛だ」


 メイベルさんの嗚咽を含んだ叫びはついに力尽き、壊れてしまった人形のようにその場に膝から崩れ落ちました。

 そんな中、ライオス様はレンブラント伯爵の背後よりその横を通り過ぎて、神殿前の階段を下り広場へと下りました……。

 レンブラント伯爵は、言葉を発した後になって、初めてご自分の失態に思い至ったように愕然としております。

 自分の言葉によって引き起こされたメイベルさんの狂態を目にして、レンブラント伯爵の冷徹な面に人がましい苦渋が浮かび上がっておりました。

 その間にもライオス様はメイベルさんの横に立って、彼女の背中に優しく手を掛けます。


「メイベル嬢……、……ああっ……可哀想なメイベル嬢……、血の繋がりが無いという最後の希望が途絶え、君はもう、オーランド君と結ばれる事はできない……」


 その声が耳に届いたのでしょう、ビクリッと、彼女の体が反応しました。


「……こんな世界は間違っていると思わないかい?」


 まるで、彼女の絶望に染まった心に、新たな色を染みこますようにライオス様の言葉は響きます。


「決して結ばれる事が無いのなら……滅びを共にして次の世界に望みを託すのはどうだろうかね?」


 まさか……でも何で? もしかして……ライオス様はご自身では邪杯を使うことができない?

 メイベルさんに滅びを囁く言葉を耳にして、私は、ライオス様が何故このような方法をとったのかという疑問と共に、そのような可能性に思い至りました。

 邪杯は妄執など昏く邪な欲望に充たされ、それを浄化できなくなってしまった黒竜様の聖杯ムガドであったモノです。

 これまで見聞きした逸話によりますと、邪竜と化し滅んだ黒竜様が、新たに生まれ出でる際に聖杯も新たに生まれるのだとか。さらにボーズ様より耳にした話では、この世界に残された邪杯は封印され、神職たちの祈りによって僅かずつでも浄化していたとのことです。

 ライオス様は滅びを望んでおります。ですが、彼の思いの根幹にあるのはオルトラントという国への大きな愛情です。彼のその欲望は、邪竜の依り代たりえないという事なのでしょうか?

 だからこそ彼は、メイベルさんの狂おしいまでのオーランド様への想いを利用なされた……。あの方のことですから、それ以外にも目論見があるのだと思えるのですが、邪杯をメイベルさんに使わせようとしているのは間違いないでしょう。


「誰か! だれでもいい! ライオス殿下を止めろ!! 彼が黒竜の邪杯を盗んだ犯人だ! 彼は彼女に邪杯を使わせるもりだぞ!!」


 私と同じ結論に達したのでしょう、旦那様もそう声を張り上げました。


「殿下に何を言うかこの痴れ者が!」


 ライオス様を止めるように叫んだ旦那様を、組み伏せていた騎士が、今一度殴ろうと腕を振り上げました。

 しかしその腕を、「止めるんだ!」と、誰かが掴みます。


「やはりグラードルだったか。それに――いま言っていたのは誠のことか?」


 騎士の腕を掴んだのは、旦那様の学園同期生、白竜騎士団のライリー・クルバス・フォーザー様でした。

 王家の方々がこの場に集まっておられるのです、王家の茶会のおりもそうでしたが、この周辺の警備を白竜騎士団の方々が受け持っておられたのでしょう。


「ライリー、ライオス殿下を止めるんだ! 君たち白竜騎士団ならば、聖杯が盗難されたことを耳にしているのではないか? 犯人はあの方だ!」


「なッ、ライオス殿下が……間違いないのか?」


 旦那様の言葉の重みに、ライリー様は目を見開いて旦那様と視線を合わせました。

 二人の間で、僅かに視線による意思の遣り取りがあり、ライリー様は「二人を解放しろ――、我らはこれよりライオス殿下を拘束する!」と、そう仰いました。


「百騎長!? ですが……!」


「責任は俺が持つ! それに、お前が拘束している女性……あの救国の女神だぞ」


「……ええッ!?」


 ライリー様のその言葉に、私を押さえ込んでおられた騎士が驚きの声を上げて、飛び退るように私を解放してくださいました。


「もっ――申し訳ございません!」


 至極恐縮して私に頭を下げる姿は、こちらの方が申し訳なく感じてしまう程ですが、今はそのような事を気にしている時間はございませんでした。


「いえ、貴男は職務に忠実であられただけですし……それよりもライオス殿下を……」


「そうでした。ライリー様行きましょう!」


 私たちがそのような遣り取りをしているうちに、気が付けば既にメイベルさんの手には黒い邪杯が握られておりました。

 ……ライオス様が、邪杯を取り出すところを見逃してしまいましたが、あの大きさのモノをいったい何処に所持しておられたのでしょうか?

 王家の方々がおられた場所から歩み出されたときには、それらしきモノを所持している様子は見えませんでしたのに……。


「あれは、黒竜の邪杯!?」


 そう驚愕の声を上げたのはボーズ様です。

 これまで、神殿の入り口付近で成り行きを見守ってる格好になっていたアンドリウス様も、メイベルさんの手に握られた邪杯を確認して顔色を変えました。


「ライオス……何故、何故お主がそれを……ライオスお主、いったい何を考えておるのだ!」


 アンドリウス様のその問い掛けに、ライオス様はとても透明感のある笑顔を向けました。


「父上……貴男は、王としてできうる限りの愛情を私に注いでくれた……それは理解もしているし感謝もしております。……ですが父上、市民である母上と貴男の間に生まれた私は、王家に見いだされたその時より既に死者なのですよ。子も名も残すことが許されない――この世に存在していたことすら抹消される私が、このような機会を手にしてしまった。……私はね、父上。たとえ悪名であろうとも、せめて……己が存在していたという傷痕をこの世に付けて退場させて頂きます……」


 その言葉が終わるのと同時に、旦那様とライリー様たちがライオス殿下とメイベルさんを取り押さえようといたしました。

 ですが……


「なッ……まさか!? これも幻影!?」


 旦那様たちの身体は、拘束しようとした二人をすり抜けてしまいました。


「さあ、メイベル嬢――君の大切な兄上もここに居る……。滅びの時を共に迎えようではないかね」


 ライオス様とメイベルさんは、本当にそこに存在しているように見えます。ですがライリー様たちは彼らには触ることもできず、愕然として己の周囲に視線を走らせます。

 そんな中、ライオス様に促されるようにメイベルさんの視線が、私の方向へと動きました。

 光の灯っていない彼女の紅色の瞳は、確かに私の方を向いておりますが、まるで虚ろを捕らえているようなそんな視線です。


「……ああ、お兄様……そんなところにおられたのですね……」


 彼女はゆっくりと立ち上がり、こちらへと足を進めます。

 その姿に、私は強い違和感を感じました。

 思い起こせば、違和感は先ほどライオス様が歩み出させたその時から僅かに感じていたものです。

 ……どうして、あの時私には、ライオス様が浮かび上がったように見えたのか? それに……考えてみればいまもそうです。どうしてメイベルさんとライオス様には光が当たっているのでしょうか? お二人が居る場所は日差しを神殿によって遮られている場所の筈なのに…………もしかして?

 そう思った瞬間、背後よりアンドゥーラ先生の声が響きます。


「フローラ! それは投影魔法だ!! その映像はいま実際にどこかで行われているものだ!」


 先生も身体強化の魔法を使って駆けてきたのでしょうが、運動不足気味の先生は息も絶え絶えな様子です。


「ママ!」


 膝に手を付いてゼイゼイと息を吐く先生を追い越して、シュクルが飛びついてまいりました。

 彼女に抱きつかれた衝撃で身体を揺すられた私は、大きく動いた視線の端にそれを捉えました。

 その瞬間、私の脳裏で一連の出来事が繋がりました。

 まだ距離の問題は残っております。ですが修練場を視界に捉えられ、メイベル嬢とライオス様の居られる場所に近い構造……そうして、あのように光が差し込む場所……それは……


「旦那様! 神殿の鐘塔です!! ライオス様とメイベルさんはあそこにいます!!」


 私は神殿をグッと見上げてその場所を指し示します。

 それは、神殿の屋根からさらに高く飛び出した形の塔、その最上部に四方に大きく開けた屋根に、時を告げる鐘を吊した鐘塔、その場所に彼らはおりました。

 そこには今、ライオス様とメイベルさん、そうしてオーランド様が居りました。

 ですがオーランド様は椅子のようなものにもたれかかるようにして座っており、その彼にメイベルさんが愛おしそうに寄り添っています。

 あれは……オーランド様は意識を失って居られる?

 広場に投影されていた映像はいつの間にか消えており、私の叫びを耳にした旦那様を始め、多くの人が鐘塔を見上げておりました。


 その鐘塔の中で、オーランド様に寄り添ったメイベルさんが、手にしていた黒竜の邪杯を高々と掲げます。

 すると……その邪杯からボコボコとこぼれ落ちるように、どす黒い何かが溢れはじめました。

 それはドクドクと止めもなく溢れ、メイベルさんとオーランド様を覆い尽くしてゆきます。

 メイベルさんが邪杯の力を発現させたのを確認して、ライオス様は満足げな笑顔を浮かべ……そうして、旦那様と私に向けてしっかりと視線を合わせました。

 

「『ライオス殿下はあそこから飛び降りるつもりだ! なんとしてでも彼を死なせるな!!』」


 ライオス様のこの後の行動を察した旦那様は、そうで叫びました。それは、この場に紛れているアンドルクの皆さんへの呼びかけでした。

 ですが、旦那様の叫びと同時にライオス様は神殿の鐘塔よりその身を投じたのです。

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