第161話 モブ令嬢と魔導爵の真意
貴宿館と我が家でのお茶会も終わり二日がたちました。
本年は一三年に一度の閏年ですので、実際にはひと月ほど季節は遅くなっている感じでしょうか。
それにオルトラント王国首都オーラス周辺は、大陸でも比較的穏やかな気候ですので、過ごしやすい地域であると思います。
トルテ先生は翌日からさっそく、王都に出回っている私たちの噂話を聞き集めてくるのだと、朝早くから出かけていって夕食の前に戻ってくるといった生活を始めました。もちろん、夕食の時に私たちの話を聞くことも忘れません。
なんでも、市中に出回っている噂話と真実、トルテ先生が仰るには、吟遊詩人が唄う物語は、真実全てを伝えれば良いというものでは無いそうで、市中に出回っている噂話の中から彼らが何を求めているのか、それを調べてまわっているのだそうです。
何でしょうか、私、先生には申し訳ございませんが、とんでもない話にされてしまいそうで、今から身が細るような思いがしているのですが……。
私が密かに、そのような新たな苦悶を抱えた休日が終わり、私たちは日常に戻ります。
個室へと入った途端、「君には今日、師である私を敬う心を学ぶという課題を与えようと思う」と、私は先生から扇子を手渡されました。
どうしましょう。
私、専従生から先生の弟子になりましたので魔導学部の授業を受けずとも、師からの教授だけで単位を取ることは出来るそうなのですが……これは、いいように小間使いにされているような……。
「フローラ、ぼーっとしていないで扇いでくれないか。しかし、まさか送風の魔具の魔力が切れていようとは……」
「昨年片付けるときにそのままにしたからではないですか、それに何故ご自分で魔力を込め直さないのですか?」
「フローラ……私が水道施設の工事の為にどれほどの魔力を使っていると思うのかね。せっかく君の家の茶会で英気を養ったというのに――翌日には、学園が休みだからと丸一日工事に駆り出されたのだよ。いかに私が天才だといっても魔力は無限ではないのだ。それに……昼前にこれを掘り出すのに私は、体力も気力も使い果たしてしまったのだよ」
そう仰りながら、アンドゥーラ先生は机の上に突っ伏してしまいました。
たしか昨年私が片付けた後あの場所には、先生が後から後から失敗作や作りかけの魔具を押し込めておりました。
私は仕方なく、渡されていた扇子で大きく先生を仰ぎます。
「あ~~~~生き返る。私はもう今日は働かないと決めたのだ」
「先生、それは学園の教諭が仰る事ではないと思うのですが……」
先生は、首を窓の方へと向けました。
「……しかし、フローラに魔力の注入を頼むことが出来ないのが悔やまれる」
……完全に惚けておられます。
ですがその様子を目にして、私は一つの機会を得た気がして、拳を握って口を開きました。
「先生! 私、
私が意気揚揚とそう言いましたら、グテリと机に伏しておられた先生がバネ仕掛けのように起き上がりました。
「いやいや待ちなさいフローラ! 授業でも説明したとおり魔具作製と魔法薬の製造は基本ワンドを使わない。今の君がワンドなど使って魔具を扱ってみなさい。下手をすれば辺り一帯火の海になりかねない!」
……必死の形相で制止されてしまいました。
「君は普段は必要以上に冷静なくせに、魔具作製と魔法薬製造が関わると何でそこまで大雑把になるのかね!」
「大雑把……でしょうか?」
私は、先生の仰っていることがよく分からず首を傾げます。
「う~~~~ん。自分で分かっていないのが、私には致命的なような気がするのだけどね……いったい君の中の何が、そのような行動をさせているのだろうね。君に強い加護を与えている地の精霊王ノルムといえば、司っているのは知性だし、それは君を見ていると至極納得できるのだがね。この点に関してだけは、強い加護をいただくと性格的にどこか癖があるといわれる、金竜王シュガールの加護を授かっている人間のように見えるよ」
そういえば、そんな逸話を聞いたことがございます。
私たち人間は、加護をいただいた竜王様や精霊王の持つ性格的な特性の影響を受けると、……ですが、そんなことを申しましたら、アンドゥーラ先生は深紫色の髪色に薄紫の中に時折銀光が薄らと滲む瞳をしておられるのに、私には金竜王シュガールの加護を授かっている人間のように見えますが……。
「しかし、この
アンドゥーラ先生は、左の目の眼窩に嵌めた
「そういえば……トライン辺境伯領でもそのような事を仰っておりましたね。もしかしてその
「ああ、そうだが……話していなかったかな?」
先生はさも当たり前のことを聞かれたように仰いました。
「はい、初めて伺います……あの、もしかしてですが、他の攻略者の方々もそのような魔具を頂いているのですか?」
「ああそうだよ。サレアは魔力を溜め込むことのできる
確かに……考えてみますと、私たちもクルーク様より授かった品物のおかげで、からくも試練を乗り越えることが出来たのでした。しかし今の先生の話、お一人ほど抜けておりませんか。
「先生……あの、ライオット様は?」
私のその言葉に、アンドゥーラ先生は仕方ないといった感じで口を開きます。
「ああすまない。無意識に奴の話題は遠ざけてしまっていたよ、奴も何かを頂いていたようだけどね。……そういえば、結局奴だけは最後まで教えてくれなかったな……たしか、『君たちのように、武力や魔力に長けていない凡人が生き残るためには最適な品物だよ』とは言っていたかな」
先生は腕を組んで、過去を思い出すように少し上空に視線を漂わせました。
「……あの、先生。このような事を申し上げましたら叱られてしまうかも知れませんが……先生はクルークの試練を受けることになってしまった時、当初はライオット様と仲が良かったと伺いました。どうして今のようにこじれてしまったのですか?」
私の問いかけに、アンドゥーラ先生は軽く目を見開きます。
「フローラ……サレアだね君にそのような事を話したのは」
先生は確認ではなく、確信を持ってそう仰いました。
「まったく、存外におしゃべりだねあの巫女は」
「いえ、私がお願いして伺ったのです。サレア様には非はございません」
アンドゥーラ先生はボリボリと深紫色の長い髪を掻きながら、真意を探るように私と視線を合わせます。
「ふむ、そういえば君たちはここのところ、ライオットの奴と親しく交流しているのだったね。……もしかしてだが、何か奴から感じた事があるのかな?」
「今はまだ――状況的になんとも申しあげられません。立場が立場のお方ですし。……ですが以前先生が仰っていた事が気になる程度には」
「以前というとあれかな、この部屋で、我が師とグラードル卿が初めて顔を合わせたときのことかな?」
私は先生の確認に、無言で頷きました。
そんな私を見つめて、先生は静かに息を吐きます。
「……そうだね。私はできるだけ奴の話題から避けていたが……」
先生はいま一度、過去を振り返るように目線を少し上へと向けて、そうして私の方へと戻しました。
「サレアから聞いているようだが、あのクルークの試練の折り、私が一番初めに心を許したのはライオットだった。いきなり試練の迷宮の上層から下層へと飛ばされた私が、サレアたちと合流することになった顛末は以前話したね。あの時の私は、天才ともてはやされていたものの十六歳の小娘だ。突然の事態にとても気を張っていた。しかもあのデュルクの奴に、ちんちくりんだの足手まといの小娘だのと散々に揶揄われて、こんな私でも落ち込んでいたのだよ。それをライオットの奴が、あの飄々とした様子のままに懸命に慰めてくれたのさ。……もしかしたら私はあの時……いや、あれは極限状態に陥ったときの幻のようなものだ」
とても懐かしいものを慈しんでいるように語っていた先生は、最後のあたりで何かを振り切るようにフルフルと首を振ります。
そしてその顔を深い苦悶で歪めました。
「まああの時までは、私はライオットの奴を頼みにしていた。ライオットの奴が……
「……意図的に!? 待ってください。先生たちがクルークの試練で戦ったバジリスクとの戦闘。その原因がライオット様であったという話は、以前先生の口から耳にしておりましたが……それが意図的に行われたと言うのですか!?」
「……ああそうだ。だが、あの時……あの奴の、死に魅入られたような壮絶な微笑み……。あの戦闘のさなか、私だけが目にしたあの表情……。奴が、目が合った私に向けた――
ああ……私は理解してしまいました。……先生は、決してライオット様を嫌っていたわけでは無いのですね。
先生は、ライオット様に死んでほしくなかった……だからこそ、ライオット様が己の死を決意するかも知れない、自分の存在をライオット様から遠ざけたのでは……。
アンドゥーラ先生が感じ取ったという、ライオット様の死を求める危うさ、おそらくそれは何らかの条件が揃って、はじめて蠢き出す物なのではないでしょうか……。
そして私は気付きます。
まさか……私たちは、旦那様と私は、ライオット様によって新たな介添人として選ばれてしまったのでは……。
ぶるりっ、と背筋に震えが走りました。
……旦那様。
私は、アンドゥーラ先生が抱えておられる恐れに共感してしまったように薄ら寒さを感じて、我知らず目を瞑って旦那様の存在に縋ります。
ですがいま感じた恐れは、私の憶測に過ぎません。
今週末に開催される褒賞授与式典。
何かが起こるとしたらそこではないかと旦那様が予測した式典。それまでに私たちは、さらにライオット様のことを知らなければならない。
先生の話を聞いた私はそう強く思うのでした。
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