第160話 モブ令嬢家と吟遊詩人

 貴宿館において、トルテ先生とクラリス嬢の過去の話を聞き、そこからリュートさんとクラリス嬢の馴れ初めを耳にしたあの後。すぐに夕食の準備が整い、旦那様と私、トルテ先生とブラダナ様は本館へと移動いたしました。

 そうしてトルテ先生は、当初の予定通りお父様とお母様に挨拶いたしました。

 その時に、前回先生が我が家より旅立つ時に一緒に送り出すことになった愛馬、ウェントも共に帰ってきたと教えてくださいました。先生は貴宿館へと入る前にうまやへと戻しておいてくださったのだとか。

 今日はもう暗くなってしまいましたので、私、明日の朝一番に懐かしいウェントの顔を見に行こうと思います。


「ところで……そちらのお嬢さんは? 見た感じの年齢から考えるとルリア殿の娘さんと考えるのが妥当だと思うけど……だとしたら、ボクが居た時に生まれたと考えなければ計算が合わないし……」


 夕食の席で、お互いの再会を懐かしんでおりましたが、私の横で食事をしているシュクルに視線を向けて、トルテ先生は不思議そうな様子です。

 先生の言葉を受けてお母様とお父様、そうして私は目線を交わして、最後に旦那様に確認するように視線を送りました。

 私たちの視線を受け止めた旦那様は、了承する意思を私に向かって示します。


「……先生、貴宿館において簡単にここ数ヶ月の話をいたしましたが、この子はクルークの試練を乗り越えた後、クルーク様より私たちに託されました。その……銀竜王クルーク様と金竜王シュガール様の間に生まれた子供です」


 ガタガタガタッ! と、トルテ先生が椅子ごと背後へと飛び退くように下がりました。お顔には驚愕の表情が張り付いています。


「なっ、なッ! まっ、まさか……こっ、このは…………うっ、嘘だよね? クルークとの……この娘が……!?」


 先生は目を見開いてシュクルをまじまじと見つめます。

 先生からの強い視線を受けて、シュクルがその視線から身を隠すように、ギュッと私に抱きつきました。


「何をやってるのかねぇ、このろくでなしは、お嬢ちゃんが怯えてるじゃないか」


 先生の横で食事をしているブラダナ様が、あきれ顔で目線だけを先生へと向けました。


「トルテ殿、間違いなくこの子は二柱の竜王様の間に生まれた、第一世代の竜種になります……」


 旦那様は厳しい視線をトルテ先生に向けてそう仰ってから、その視線をシュクルへと移動します。途中表情を優しいものへと変えて、シュクルの頭に手を伸ばすとその表情と同じように優しく撫でてあげました。


「……ですが、今のこの子は、私とフローラの子供でもあります。私たち夫婦はそう考えてこの子を慈しんでおります。ですからトルテ殿もそれを理解してこの子と接して頂きたい」


「むふぅ~~~~、シュクル、パパとママの子供なの!」


 シュクルはとても満足そうに、幸せな笑顔を浮かべて、トルテ先生に言いました。

 そんなシュクルを目にして、驚いておられたトルテ先生も、つられでもしたように本当に幸せそうな微笑みを返します。


「ほう……。ああ、これは失礼しました」


 先生はそう言って、背後に下がった椅子を戻しながら、さらに言葉を続けます。


「ところでシュクルという名は、やはり?」


「はい、まことの親である金竜王シュガール様と銀竜王クルーク様のお名前から採らせて頂きました」


「……そうかい。それは、きっと金竜王様も銀竜王様も喜んでいることだろうね。本当に……貴方たちはなんとも愛情深い方たちだ。エヴィデンシア家の人たちは行き倒れていたボクに、四年もの間、活動するための拠点を与えてくれるなど、元々愛情深い方々だった。その伝統とでも言ったら良いのか――それが今のご当主、グラードル卿にも受け継がれているのはなによりですねぇ」


 先生はふにゃりとした微笑を浮かべて私たちを見やります。

 その先生に、旦那様は固めた笑顔を向けました。


「私はまだ、貴男を受け入れると言った覚えはありませんがね……」


 旦那様のその拒絶するような硬い笑顔を、先生は目を見開きながらも探るように見つめます。


「……いやいやグラードル卿……そのような意地悪は言わないで頂きたい……」


 たらりっ……と、額から冷や汗を垂らして、トルテ先生がなんとも情けなさそうな愛想笑いを浮かべました。

 その表情を見ていた旦那様が突然、プッ、っと息を吹き出して笑いだします。

 いったい、何が旦那様の琴線に触れたのでしょうか? しばしの間旦那様が笑い出した理由が分からず、皆が、固まったように彼を見つめました。


「いっ、いや失礼……失礼いたしましたトルテ殿――申し訳ない。妻が衆人環視の中で、私以外の男に抱きついて居たのを目にして、勝手な嫉妬心に駆られていたのですよ。――貴男と、フローラや父上母上との関係は耳にしておりました。それに先ほどからの遣り取りを見ていたら、義父上や義母上たちも、家族のように受け入れている様子。私も、今後はそのつもりで接しさせて頂きます」


「旦那様……その、申し訳ございません。私、あまりに懐かしくて、あの時は、立場を考える前に身体が動いておりました」


 旦那様がそのように嫉妬心に駆られておられたとは――いけません、反省しなくてはいけないのに、何故か心の底から、『嬉しい』という想いが込み上がって来て、頬が緩んでしまいます。


「いや、フローラもトルテ殿も、もうこの話は終わりにしましょう。トルテ殿、こちらの館は貴宿館よりも部屋数がありますので客室にも余裕があります。以前と同じように、我が家を拠点として活動なさってください」


 旦那様にそのように言われて、先生は緩い笑顔を浮かべて頭を掻きました。


「いや~、ヒヤヒヤしました。グラードル卿もお人が悪い。しかし……、まさかあの時の少年がフローラの伴侶になっていようとは……、まったく人生とは本当に分からないものですねぇ……」


「えッ?」


 先生の言葉に、今度は私たちが先生を疑問顔で見つめました。


「……あの、もしかしてですが先生――先生は旦那様とも過去に面識があったのですか?」


 先生の言葉に、旦那様は過去の記憶を思い返すように考え込んでおりますが……。


「……ああ、やはり覚えていませんよね? ただ一度、話をしたのはほんの少しだけですし、ボクも貴男がルブレン家の方だと思い至って、つい先ほど思い出したのですよ。多分あれは、グラードル卿が五歳くらいの頃だったと思うので無理はありません。実は一度、ルブレン家の屋敷に招かれて演奏と物語を語ったことがあったのですよ。たまたまボクが街角で唄っていたのを聞きつけたお父上から、仕事にかまけて子供たちや妻を構うことができないから、せめて家族たちを唄や物語で楽しませてやってほしいと依頼されましてね」


 先生は感慨深そうに私とシュクル、旦那様の間で視線を行き来させました。


「しかし……ボクも仕事柄、少し占いじみた事もするのですが、まさかフローラとグラードル卿が結ばれるとは……思いも至りませんでした。特にグラードル卿は、特異な方との縁が繋がっているように見えましたのでね……まさかフローラと結ばれるとは」


 先生のその言葉に、私はぎゅーっと胸を締め付けられたような、痛みを伴う恐怖心に襲われて、シュクルの背中越しに、旦那様の確かな存在を確認するように手を取りました。

 旦那様も、私のその手をしっかりと握り返してくださいます。握り返された旦那様の手からも、私と同じような意思が感じられました。


「ああ申し訳ない。別に二人を不安がらせるつもりは無かったんですが。占いで人生が決まるなどと言うことはそうあることではないので、気にしないでくださいな」


 トルテ先生は私と旦那様の不安を掻き立てておきながら、ふやふやとした笑顔を浮かべて、韜晦したように仰いました。

 その様子を見ていたお父様が突然口を開きます。雰囲気が悪くなりかけたのを見て取ったのでしょう。


「そういえば、トルテ殿――、探し物とやらは見付かったのかな?」


 そのお父様の向けた話題に、トルテ先生も緩い笑顔を向けて応えます。


「いえ、それがなかなか難しいものでしてね。近付いているとは思うのですが、手からすり抜けていってしまうと申しましょうか……つい最近も大きな手がかりの一つが潰えてしまいました。どうやら私の天敵に邪魔されているような、そんな感じなのですよ」


「なんだいアンタ、まだ探し物とやらは見付かっていないのかい。もう何年も探してるんだろう?」


 ブラダナ様も、先生が長らく探し物をしていることをご存じの様子です。


「その探し物とはいったい?」


「いやいや、これは口にすると、それこそボク天敵に邪魔されそうですのでご容赦願いたい。ボク個人の宝物の話ですのでじっくりと探しますよ」


 旦那様も先生の探し物に興味を持ったのでしょう、ですが先生は相変わらず誰にも探し物が何なのか教えてくださるつもりはないようです。


「そう言うのでしたら無理強いはしませんが、力になれることがあったら言ってください。できるだけのことはしますから」


「そのお気持ちだけでもありがたいものです。先ほど頂いた滞在許可だけでもう十分に協力頂いておりますよ」


 先生はそう仰って、いつものようにふわふわと笑いました。





「あの、旦那様……旦那様は、本当にクラリスさんの過去を知らなかったのですか?」

 

 夕食の後、シュクルと一緒に入浴を終え、居室へと戻りますと、旦那様がベッドの脇に腰掛けて考え込んでおりました。

 旦那様の手前にあるテーブルの上には、火が灯された燭台があり、揺らめく光を見つめていた旦那様は、私の呼びかけに、静かに私の方へと目線を上げます。


「……ああ、本当に知らなかった。ゲーム中のリュート君とクラリス嬢の馴れ初めは、リュート君と因縁ができていた俺が、リュート君たちと共に冒険者活動を始めた彼女を、彼への嫌がらせ目的で攫おうとしたことが原因だったんだ。……そういえば、クラリス嬢がリュート君と一緒に冒険者活動をしているって俺に教えたのは、エルダンのようだった」


 そう言う旦那様の元にシュクルが駆けていって、ポフリと、旦那様の隣に陣取るように身体を伏せました。

 旦那様はそんなシュクルを愛おしそうに眺めてから、私に視線を戻します。


「クラリス嬢は……金竜の愛し子に間違われる程の特徴がありながら、ゲームの中ではそれに関する事は一切出てこなかったんだ。確かに、彼女のルートで孤児院出身だという話は出てきたけど、優秀さ以外には特徴のないで、そのせいで『遅れてきたヒロイン』よりも、『美少女ゲームに紛れ込んだ乙女ゲー主人公』って呼ぶ人の方が多かったしね。しかも、攻略期間が半分程過ぎてから現れるんで、イベントも結構強引な感じがしたかなぁ。でも、彼女の過去を知った今は、リュート君が自分と同じ痛みを知っている彼女に、どこか感じるものが有ったのかも知れないとも思えるね」


 旦那様は、ご自分の中にあるゲームの記憶を何とか現状とすりあわせることが出来たような、そんな表情を浮かべました。


「それにしても、まさかトルテ先生が、あれほど私の周りに居る方々と繋がっているとは考えてもみませんでした」


「確かにね。あの人一体どういう人なんだろう? 俺は、フローラが色々な物事のキーパーソンだと考えていたけど、あの人も同じような感覚がする。あの人の行動も少し気にかけておいた方がいいかも知れないね。あとでセバスにその話をしておこうと思う。ああ、あと、アルベルト君にオルタンツ卿と話をする機会を作って頂けるように伝言を頼んだので、返事は君の方に行くかも知れないから承知しておいてほしい」


「分かりました旦那様……」


 私は、旦那様からの言葉を受けて、彼に話さなければならないことを思い出しました。


「旦那様……うっかりするところでした。実は、メイベル嬢の事なのですが……」


 私は、貴宿館のサロンでの出来事を掻い摘まんで旦那様に説明いたしました。

 今日はあまりにも多くのことが一度に起こりすぎましたし、最後に現れたトルテ先生への懐かしさのあまり、重要な事を旦那様に伝え忘れるところでした。


「そうか……今日はマーリンエルト公王夫妻や国王陛下夫妻がいらっしゃっていたから、近衛が魔法封じの結界を張る魔具を持ち込んでいたから、魔法を使っての侵入は出来なかったはずだ。正直、それだけだったならライオット卿への疑いがさらに高くなったんだが……トルテ殿のように、門を守ってくれていた方々の目を掻い潜ったという可能性もある。……どちらにしても今の俺たちには、この先起きるかも知れない事件、それを起こさせないため、出来る限りの情報を集めることだ。その時に判断を誤らないために……」


 旦那様は、とらえどころなくゆらゆらと揺らめく燭台の灯火の中に、いったい何を見ているのでしょうか……。

 旦那様は燭台の灯火から視線を外して、ご自分の横に伏せたシュクルを見つめます。そうして、彼女の頭を優しく撫でてあげました。

 それはシュクルへというようも、旦那様ご自身が安らぎを求めての行為のように見えました。

 私は、彼に駆けよって抱きしめてあげたいような衝動に駆られましたが、それよりも早くシュクルが伏せていた布団上からパッと起き上がりました。


「パパ、ママ、お話終わったの? だったら遊ぶの! シュクル、ダンス覚えたのパパもママも一緒に踊るの!」


 頭を撫でられたシュクルは、私たちの話が終わったと思ったのでしょう、ニコリと無邪気な笑顔を浮かべています。

 私はもちろん、きっと旦那様も、今この瞬間、シュクルを私たちの元に遣わせてくれたクルーク様に感謝したはずです。

 そうして旦那様と私は、話が終わるのをお利口に待ってくれていたシュクルにせがまれるまま、ダンスを踊ることになったのでした。

 目が回りそうな程に様々な出来事があった今日この一日。

 漠然とした不安が押し寄せてくるのを感じながらも私は、今ここにある幸せを噛みしめて、きっとこの幸せを守り抜くのだと決意を新たにするのでした。

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