第162話 モブ令嬢と捜査局長と旦那様の考察

 アンドゥーラ先生からライオット様に対して抱えておられる想いを聞いた私は、あの後いつもの調子を取り戻された先生の我が儘を聞いて、退出するまでのあいだ扇子で扇ぎ続けました。


 高学舎を出て学園の門の手前までやってきますと、さすがに王都防衛戦後に学園の授業が再開されてより半月近く経ち、もう私の姿を確認しようと待ち伏せているような方々はいないようです。

 それでも我家の周りには、まだまだ物珍しそうにやってこられる方々がおられますので、馬車の迎えを待つことになっております。

 旦那様と退出の時間を合わせておりますので、そろそろやって来るはずです。


「おやおや、これはこれは、エヴィデンシア夫人。このようなところで黄昏れて、どうしたのかね?」


 その声をかけられて、私は思わず飛び上がりそうになってしまいました。

 少し前にご当人の話をアンドゥーラ先生としたばかりです。あまりのタイミングの良さに驚きを隠すことはできませんでした。

 そんな私の様子を目にして、ライオット様も軽く目を見開きます。


「いやいや、これはこれは、驚かせてしまったようだね」


「申し訳ございませんライオット卿。私、少々考え事をしていたものですので……それにしましても、法務部とは反対側より来られたようですが、何かあったのですか?」


 私は法務部の方に視線を向けておりましたので、それについては間違いございません。


「ああ、先日紹介した捜査犬だが、彼らの訓練場が神殿の向こう側にあってね。先ほどまでそちらに出向いていたのだよ」


「……そうだったのですか」


 確かに、法務部行政館の敷地には修練場のような場所はございませんので、そのための敷地がべつに必要ですね。

 私のその様子を見ていたライオット様は、どこか面白いことを知りでもしたように意味深げな笑みを浮かべました。


「ふむふむ、その様子だと君は知らなかったのだねぇ」


「あの……それはいったい?」


「いやいや、あの黄色い髪の騎士修練士は友人だと思ったのだが、どう知ったのか捜査犬の訓練場にやってきていたよ。……あのは捜査犬に興味があるのだろうかね? 捜査局では女性でなければできない場所の捜査もあるので、我々の仕事に興味を持ってもらうのは大変結構なのだがね」


「まあ、アルメリアが……」


 そういえば昨日のお茶会では、始終ミシェル様の側にいたような気がいたしますし、もしかして……そういうことなのでしょうか?

 ライオット様の仰りようも、どこか含みがございますし、第一お顔に、揶揄う相手を見つけた子供のような笑みが張り付いております。ミシェル様の幸運をお祈りしておいた方がよろしいでしょうか?


「おや、ライオット卿? このような場所におられるとは珍しいですね……」


「やあやあ、グラードル卿。奥方は君を待っていたのだねぇ。捜査犬の訓練場から帰ろうとしていたら、彼女を見かけたので話をしていたのだよ。いやいやなになに、別に奥方を寝取ろうなどとはしていないので安心したまえ」


「いえそのような事は気にしておりませんよ。ライオット卿がフローラの好みから外れていることは、これまでの付き合いでよく分かっていますので」


「いやいやなんとも手厳しい」


 ライオット様は燃える炎のような赤髪を掻いて、剽げた様子で笑って見せます。


「おお――そうそう、そうだった。実は昨日のトーゴの話だがね続報があるのだよ。聞きたいかい?」


「それは……、ですがよろしいのですか?」


「ああ、問題ないよ。数日中に発表されるはずだからね。――実は今朝になってトーゴ王国からの飛竜使が特使を伴ってやって来てね。特使殿によると先般の我が国への侵攻は、国内に根を張っていた簒奪教団によって行われたもので、赤竜王様によって粛正された国王……まあこの場合は前国王と言うべきだろうね。彼は簒奪教団によって傀儡とされていたのだとの釈明があった。さらに赤竜王様によって精霊教会の皮を被った簒奪教団の者たちも壊滅させられたそうだ。今かの国は、簒奪教団の者たちによって国政から遠ざけられたり、政敵としていわれのない罪を科されて投獄されていた者たちが復職して、国体の回復に奔走しているそうだよ。……まあ、それで、かの国は我が国の褒賞授与式典に合わせて正式な謝罪の使節を送りたいと言ってきたのだよ。……ただ、あの国のこれまでのやり口を見ると、どこまでが真実かは分からないがね。俺の予測では何らかの賠償を約束して、その代わりに不可侵条約を結びたいとか、そんな所ではないかな。かの国の国力を回復するまでの間――ね」


 ライオット様の態度は、いつもの剽げたご様子のままです。ですが、その言葉には剽げた様子は窺えません。


「アンドリウス陛下はどうするおつもりなのでしょうか?」


 旦那様は、ライオット様の言葉を吟味するような様子で仰います。


「交渉をどうするつもりなのかは知らないがね。使節は受け入れるつもりのようだよ。……他の国の使節団に、今回の戦争が我が国の完全な勝利であったことを喧伝する為にもね。城壁内はいざ知らず、城壁の外を見る限り、我が国も大きな被害を被ったように見えるからね。アンドゥーラ卿が出張ってくれたおかげで、彼らがやって来るまでには水道施設も形にはなりそうだし、この機会に我が国の国境を侵そうなどという国が出てこないように、ある程度の釘は刺しておきたいのだろう。……まあ、そう考えるとグラードル卿の提案は確かに理にかなっているかも知れないね。力が無くては舐められる……だが、力が有りすぎては脅威に思われる。いやいや国政とは難しいものだねぇ……さてさて、少々長話をしすぎたかな。局で配下の者たちが、我が局のろくでなしは何をやっているのかと気を揉んでいることだろう。それでは失礼するよ」


 ライオット様はご自分の話したいことだけ話すと、もう用は済んだという感じで法務部行政館へと歩いて行かれます。

 それと入れ違うようにしてハンスが馬車の手綱を取ってやってまいりました。





「なるほど、アンドゥーラがそんなことを……」


 馬車に乗り込んだ後、私は先生から耳にした話を旦那様に伝えました。


「……ライオット卿は、アンドゥーラに何かをさせるつもりだった? 介添え人か……言葉の意味通りなら何かの世話をさせるって事だろうけど。きっとこの場合、彼の死後の後始末をさせるって事かな? ……いや後を託すだろうか?」


「その後始末を先生が放棄したので、ライオット様は今も生きて居られる……旦那様はそう考えますか?」


 私の問い掛けに、「そうだね」と答えて、旦那様は隣に座る私にゆっくりと視線を向けます。


「旦那様……その、私、先生と話をしていて感じたのですが……、もしかしたら旦那様と私は、ライオット様に新たな介添え人として選ばれてしまったのではないでしょうか?」


 その言葉に旦那様は目を見開いて暫しのあいだ固まりました。


「まさか……。だが、もし――もしもそうだとしたら、一体何故? それにいつ俺たちは選ばれた?」


「それはまだハッキリとはしません。これは……介添え人の話とは少々違いますが……もしもライオット様がエルダン様と同一人物であるのなら……、旦那様はずっと以前より、駒の一つとしてあの方の手の内にあったのかも知れません」


 これは自分の口から出たものなのに、とても恐ろしい考えでした。

 エルダン様と旦那様の出会いが一体いつであったのか?

 もしかするとその時から既にあの方の内では、私たちからはいまだに判然としない目的を達成するために、旦那様を利用する事を考えていたということになります。


「……俺が、以前の俺のままだったら、俺はローデリヒの立場だった。エルダンはレンブラント伯爵子飼いの密偵として働いていた。ということはバレンシオ家とも繋がりがあったはずだ。これは……エルダン商会が一体いつから活動を始めたのか? そのあたりは父上ドートルに聞けば分かるか……」


 旦那様は探るように私の手を取りました。そうして、ゆっくりと私と視線を合わせます。


「俺が今の俺になり君、フローラと結ばれた。まさか……あの婚姻の儀の折、エルダンは俺の変化に違和感を抱いて、俺のことを注視していたのだろうか? 彼は…………まさか!? 王家の茶会までの一連の事件。あれは、俺たち二人を試すために仕組んだのか……」


 目を見開いた旦那様の手を、私も握り返します。はからずも旦那様も私も、握り合う手が僅かに震えておりました。


「ライオット様と私たちの出会い……あの法務卿の茶会で紹介されたあの時――あの時から既に、ライオット様の試しは始まっていた……私たちは初めからずっと、あの方の手の平の上に居たのでは……」


 ですがそう考えると確かに納得出来るのです。

 あの方はずっと的確に全てを見通しておられました。それこそ全てを仕組んだ本人であるかのように……。そう考えると、適度に糸口をチラつかせて、私たちがそれに気付くかどうかずっと試しておられたように感じられてしまいます。


「……いいや、まだ早急にそう決めつけるのは危険だろう。もし彼が後ろで糸を引いていたとして、彼が自分の命を捨てるのに、何を後に託すというのか? それに、ローデリヒの件もそうだ。あの程度で収まったから良かったものの、下手をしたらこの世界が滅ぶ可能性もあったんだから。そうなったら後に託すも何もない。……やはり俺たちは、ライオット卿という人間が一体どういう人物なのか……それを深く知らなければならないらしい」


 それは奇しくも、アンドゥーラ先生の個室で私が思ったことでした。

 旦那様は慎重に考えておられますが、私たちが知り得た状況を考え合わせますと、どうしてもライオット様へと全てが収束して行くように感じられてしまいます。

 ……もしも彼が黒竜の邪杯を盗んだ人物だとして、動かしがたい証拠を手にしなければ私たちは告発することも難しいでしょう。なんと申しましてもあの方は、我が国の第二王子なのですから。

 いくら今の我が家が陛下の覚えがめでたくとも、王家の人間に疑いの目を向け、それが間違いであった場合、極刑は免れないでしょう。


「オルタンツ卿との面談が早く実現できればいいのだが……」


 焦れる思いに顔を歪めて、旦那様は祈るように手を握り合わせます。

 私は、旦那様のその手に自分の手を重ね合わせて、七大竜王様にお祈り致しました。

 旦那様と私が正しき道を進むことができますように……と。

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