第147話 モブ令嬢と旦那様と捜査局にて
アンドゥーラ先生の個室でエルダン様の話をした後、旦那様と私は学園の隣に位置する法務部行政館へと足を進めます。
学舎から出て学園の門の近くまでやってまいりますと、周囲の様子を見回して旦那様が口を開きました。
「さすがに、帰り道に待ち伏せるような物好きはいなくなったね」
多くの学生は昼後の授業が終わりますと帰宅いたしますが、私のように教諭に師事している学生は帰宅時間がまばらですので、それを待ち伏せるような方は今週に入ってからは殆ど見えなくなっておりました。
「ここ十日ばかりは馬車での行き来でしたので、学園の前に集まってくるような方々も減ってきたように感じます」
「まあ、我が家はなんだか『観光名所かよ!』って、ツッコみたくなるくらい相変わらずなのが問題だけどね」
旦那様が、おどけたような様子で言って肩をすくめます。
「あれはもう、時間に任せるよりほか無いような気がいたします」
そのような話をしながら、法務部捜査局へと足を運びましたら、部屋にいた局員たちの視線が一斉に私たちへと向かってまいりました。
私たちの事を確認した捜査局の局員の方々の反応は、大きく別れて二つでした。
ひとつは、とても好意的な微笑みを浮かべて旦那様と私に目礼をしてくださる方々。そして今ひとつは、どこかうんざりしたような表情を浮かべて目を逸らす方々でした。
そんな中、初老の男性局員が、私たちに対応する為にこちらへとやってまいりました。
彼は、私たちに好意的な反応を示してくださった方々の一人です。
「ああ、これはエヴィデンシア伯爵。……申し訳ない、バーズ局長は急用が出来てしまいまして不在です。『連絡を入れる間が無く申し訳ない』と、仰っておりました」
その言葉に、旦那様が意外そうな表情をいたしました。
「局長がそれほど急に動かなければならない案件とは……さすがに、教えて頂くわけには行かないのだろうね」
「ええ……。捜査局に貢献頂いているエヴィデンシア伯爵であっても、部外者である事には変わり有りませんので……その、申し訳ございません」
「そう恐縮しないでください」
旦那様はそう仰いましたが、僅かにその方に近寄りますと声を落として話しかけました。
「……ところで、先ほど私たちを見た局員の方々の、あの反応はいったい?」
「ああ、あれですか……」
男性は、なんとも呆れが含まれたような微笑みを浮かべました。
「彼らは以前、エヴィデンシア家に居られる方々の護衛をしていた連中ですよ。……お二方に
「はあ、そのような事が……」
私、思わず声が漏れてしまいました。どこか気が抜けたような、そんな口調になっていたと思います。
それにしましても、以前というのはバレンシオ伯爵との決着が付く以前、厳密に言いますと私たちがクルークの試練へと向かう前まで、という事でしょうか?
まさか、我が家の護衛の影でそのような事態が起こっていようとは……。
「まあ、後者の連中は、相手に告白して、受け入れてもらえるだけの関係性を築いていないうちに、勢いに任せて突っ込んでいったような奴らなので、自業自得でしょう。エヴィデンシア夫妻を目にして、その時のことを思い出したんでしょうよ」
その言葉を聞いた後、旦那様は僅かな戸惑いを見せて口を開きます。
「……ところで、これは聞いて良いのか分からないが、貴男もかなり好意的な表情を向けてくれたが……」
この質問は……もしかして旦那様、この方も意中の相手に告白したのだろうか? と、お考えになったのでしょうか?
「ああ……私はお二人を目にしていて、結婚したばかりの頃を思い出しましてね。その……妻との仲を深め直す切っ掛けを頂きました」
彼は、どこか照れたように笑いました。
それを目にした私と旦那様は、思わず視線を交わして、互いに顔を赤くしてしまいます。
「……それ以外にも、私はお二人に感謝しているのですよ。あなた方に関わるようになって、バーズ局長が真面目に出仕してくるようになりましたのでね。以前はたまにフラリとやって来るだけで、他の部局から局長不明の捜査局、と陰口を叩かれていましたのでね」
その言葉を聞いて、旦那様は意外そうな顔をいたしました。
「そうだったのですか? 私たちはライオット卿と知り合ってから、捜査局によく寄らせて頂いておりますが、居ないときの方が珍しい印象ですが」
私も旦那様と同じ印象です。法務卿の茶会で顔を合わせて以来、捜査局の執務室で何回もライオット様とは顔を合わせましたが、私が訪れた時にはこれまで一度もおられないということはございませんでした。
ですから今日も当然おられるものという感覚でしたので、先ほど不在を告げられて不思議な感覚になりました。
「そうですね。お二方がよくこちらを訪れるようになったのと同じ頃より、局長も真面目に出仕してくるようになりました。あの方もエヴィデンシア夫妻に何か触発でもされたのでは無いですかね。局員たちも居るか居ないか分からなかった局長が、あれほどの切れ者だと知って、捜査局の局員である事を誇りに思えるようになりましたよ」
「……そうですか。……もしも、私たちがライオット卿の心境に、何か変化を与えたのでしたら、それは光栄な事ですね……」
旦那様はそのように仰いました。
ですが私には、彼の意識が男性へと向いておらず、どこか考え込んでしまったように見えました。
◇
「エヴィデンシア伯爵、申し訳ございません。少々話をさせて頂きたいのですが」
捜査局を辞して、法務部行政館から出た私たちにそう声を掛けて来たのは意外な人物でした。
「君は……、たしかディクシア法務卿のご子息だったか?」
私たちの前に現れたのはアルベルト・ロリエント・ディクシア様でした。
「はい。突然にお声がけして申し訳ございません」
「それは別に構わないが、話をしたいとは?」
旦那様に話を振られると、アルベルト様はどこか恥ずかしそうに私の方を見ました。
「……そっ、その。真に不躾な申し出でをしてしまって、誠に申し訳ないのですが、……明日エヴィデンシア家で開催されるという茶会に、私を招いて頂きたいのです」
「……ああ、もしかしてレガリア嬢か?」
アルベルト様が意を決して茶会へ参加したい旨を申し出ましたら、旦那様は思い至ったのでしょう、そうぽつりと呟きました。
「なッ、なんでそれを!?」
アルベルト様は、驚愕の表情を浮かべます。さらに、みるみるうちにお顔が真っ赤になってしまいました。
「あっ、ああ、いや、彼女が貴宿館にいる関係でね、少し噂が耳に入ったのだよ。ディクシア法務卿のご子息はレガリア嬢のことを想っているようだ。とね」
旦那様はそのように言って誤魔化しました。ゲームという物語の中で、彼がレガリア様を好いておられる事を知っておりますので、つい口に出てしまったのでしょう。
ですが、ゲーム関係の事柄については、いつもなら慎重な旦那様が、うっかりとそのような事を口にしてしまうとは、やはり先ほどから、何か別のことに気持ちが向いているように感じられます。
「分かった。了承したよ。このような往来で、顔を朱に染めさせてしまった詫びというわけではないが、以前法務卿には茶会にお招き頂いているからね。家の者には伝えておくから、明日は安心して我が家を訪ねてきたまえ」
「……その、ありがとうございます。ですが……レガリア様には、その……」
「ああ、分かっているよ。今言ったように以前茶会に招かれた家のご子息を招いたという体裁で伝えておくから安心しなさい」
旦那様は、恋に不器用な若者を思いやるように――といいますか、少しからかっているような調子も見受けられますが、彼のことを温かい視線で見ておりました。
その後旦那様と私は、辻馬車を拾って屋敷へと帰路につきました。
「旦那様……捜査局を辞した後から考え込んでおられるようですが、何か気になることがあったのですか?」
「あ、ああ…………いや、これはいくらなんでも考えすぎだと思うのだが、ライオット卿との接触が増えるにつれ、エルダンとの接触が減ったような気がして、……いや、本当に……これはいくらなんでも思考の飛躍が過ぎるというものだろう。アンドゥーラ卿の個室で聞いた、エルダンが、何者かが魔法で姿を変えた人間かも知れないと言う話。考えてみると、あの二人を同じ時に目にしたことが無いな。などと考えてしまったんだが、そもそもそんな人間は他にもいるのだからね」
旦那様は、どこか自分を納得させようとしているようにそのように仰いました。
私は、そもそも婚姻の儀のおりにエルダン様との知己を得たばかりで、あの方とは交友があったわけではございません。ですから旦那様が感じられている違和感のようなものを共有することができないのがもどかしく思います。
ですが確かに、これに関しては旦那様の考えすぎではないかという気がいたしました。
これまであの方が我が家に対して向けてくださった好意は、明らかに職務の範囲を超えていると感じられるからです。
それに、もしそうだとしましたら我が国の第二王子であるあの方が、どのようにして簒奪教団と関係をもつ事ができたのか……そちらの方が謎になってしまうのではないでしょうか。
「……どちらにしても、先日ファーラム様に示唆された事もあるから、ライオット卿については一度調べてみた方が良いかもしれない」
ファーラム様の示唆とは、以前学園長様が我が家を訪れたおりに、ライオット様が優秀すぎる事が、あの方の身を危うくしていると仰っていたことでしょう。
「俺たちが話を聞けるとすれば、やはり直接の上司であるディクシア法務卿だろうね」
「あっ、もしかして、先ほどアルベルト様の申し出を快諾したのは……」
「いや、そこまで考えていたわけではないよ。彼がゲームでレガリア嬢のことを好いていることは知っていたし。現状、リュート君もレガリア嬢に対して女性としての好意は持っていないようだからね。彼の恋路の協力をしても良いかなって、そう思っただけなんだ」
旦那様がいま仰っていることも本当なのでしょうが、法務卿への心象を少しでも良くしておこうという気持ちもどこかにあったのではないでしょうか。
そんな遣り取りをしている間に、馬車は我が家へと到着いたしました。
近衛騎士の方に門を開けて頂き、本館の前へと進んでゆきますと、玄関の前に一台の造りの豪華な馬車が止まっておりました。それに、馬も数頭繋がれているのが見えます。
「……フローラ。俺、このパターンは、とても嫌な予感がするんだけど」
旦那様がそのように仰います。それにつきましては、私も同じ意見です。
「だけど、あの馬車についている紋章……、どこかで見たことあるけど……どこだったっけ?」
私は、馬車についている紋章を目にして、とても意外な気がいたしました。
「旦那様……、あの紋章は……おそらく、身近に見ていると思います。あれは……オーディエント家の紋章です。お母様の持ち物の中や、私も数点、お母様より譲って頂いた物に……」
「……そういえば」
私の言葉に、旦那様も戸惑ったような表情になりました。
「……でも何故? 褒賞授与式典の関係で訪れるにしては早いと思うんだけど」
私も、同じような疑問を抱きました。
それが、良き縁であるのか、それとも悪き縁であるのか、今の私たちには分かりようもございませんが、縁戚である以上顔を合わせないわけにはまいりません。
できることならば、良き縁であることを願いながら、旦那様と私は、館の玄関をくぐるのでした。
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