第148話 モブ令嬢家と想定外の訪問者(前)
「ご主人様、奥様…………お帰りなさいませ」
玄関から私たちがエントランスへと入りますと、メアリーがまるでそれを待ち構えていたように、その場に控えておりました。
エントランスに入った旦那様と私の目に映ったのは、セバスの先導で四名の客人が応接室へと招かれて、まさに部屋へと入ろうとしているところでした。
その客人の一人が、メアリーが私たちに掛けた声を耳に留めたのでしょう、こちらへと振り返りました。
「おおぅ、お前がフローラか!」
その方は、とても大きな声でそう仰いますと、ご一緒に来られたらしい方々をその場に置き去りにして、ズンズンズンと私の方へと歩いてまいります。
その方はとても――とても大きな老齢の男性でした。
さらに申しますと、大柄な上に非常に筋肉質で、立派な体型をしております。
頭は禿頭でございますが、額の上にちょこんと、癖の付いた筆の穂先のような栗色の髪が残っておりました。
お顔のそれぞれの部分の造作も、大きいと申しましょうか、全体的に力強い印象です。口の上にも、額の上の髪と同じ色の、穂先が撥ねたような髭が生えておりました。
その方が、あまりにも勢いよく私の方へと歩いてまいりましたので、旦那様が一歩前に出て私を守るように立ちはだかります。
ですが、それにもかかわらず男性は旦那様のすぐ目の前まで勢いを止めずにやって来ました。ですがそれでも旦那様が退かないので、ピタリと、立ち止まりました。
遠目に見ておりましても背の高い――といいますか大きい方だと分かりましたが、鎖骨の辺りから上が、旦那様の頭の上から見えております。
その方は、私の前から退かない旦那様を、黒みの強い青い瞳でギロリと見下ろしました。
「ぬぅ、お主は何だ? 儂が用があるのはそこの、フローラであってお主ではないぞ」
その声と、身体の大きさに、旦那様の後ろにいる私でさえ、押しつぶされそうな迫力を感じておりますのに、旦那様の背中からはそれを跳ね返すような断固とした意思のようなものが放たれておりました。
「私はフローラの夫です。貴男はいったい何者ですか? 我が妻に向かって、そのように威圧的に迫ってこられれば守ろうとするのが当たり前ではありませんか!」
そう言い放った旦那様は、きっと、見下ろしてくる強い威圧感のある視線をにらみ返しているのだと思います。
老齢の男性は、しばしの間、旦那様と視線を交わし続けました。
「ふむ……お主が、噂に聞く強欲グラードルとやらか。実家の財力に頼った小悪党だと聞いておったが…………うむ、なかなかに肝の据わった顔をしておる。……フム、フム……、どうやら儂の耳に入っておった噂とは少々違う男のようだな。……爺が、孫に挨拶しようというのだ、そのように殺気立つではないわ。まるで儂が暗殺者か何かのようではないか」
「お父様! 何をなさっておれられるのですか!!」
エントランスに、凜とした声が響きました。その声は私のよく知っている声です。ですが普段はたおやかで、このように声を張ったお姿は、私、初めて目にしたかも知れません。
お母様は応接室の中におられたのでしょう、いまは応接室の前で、珍しくも怒ったような顔をしてこちらを……いえ、この方……お母様のお父様……、私のお祖父様を見ております。
そのお母様のすぐ横には、お祖父様とご一緒に来られたらしき方々が、応接室に入る機会を逸して立ち尽くしておりました。彼らは護衛騎士の装いをしておられます。その方々は、一人は戸惑い顔、一人は少し呆れたような顔をしておられ。そうして、いま一人はとても面白そうな表情を浮かべてこちらを見ておりました。
その面白そうにこちらを見ておられる方は、銀髪に緑の瞳をしています。護衛騎士の装いをしておられますが、年齢が他の二人よりも明らかに上です。お母様と同じくらいでしょうか? どこかその装いが浮いているように感じられます。
「
お母様の叱咤する言葉を聞いて、旦那様の頭がクックっと、お祖父様? と、お母様の間で動きました。
後ろから見ていても、お母様を二度見していたように感じました。
それにしましてもどうしましょう……なにげに旦那様が、お祖父様に酷いことを仰っていたような気がします。
「お父様! それではグラードルさんとフローラを脅しているようではないですか!」
お母様にそのように言われて、あれほどの威圧感を放っておられたお祖父様がシュンとしてしまいました。
その様は、身体の大きさが一回り小さくなってしまったようにさえ感じられます。
「ぬぅ、……ルリア。……しかし、だな……お主が嫁いでより二一年。初めてオルトラントへと足を踏み入れることが叶ったのだぞ。儂がお主の事をどれほど心配したか……お主の子をどれほど目にしたいと思っていたか……、お主からは文も届かず、外交使節より入る噂話でしか消息が知れなかったのだからな。およそ二月前よりお主から文が届くようになって、やっと詳しい事情が知れたのだ。このたび儂は慰問の使節団に無理言って先遣特使の供としてとしてやって来たのだぞ!」
お祖父様が仰ったように、オーディエント家の方々はこれまで我が国に入る事が叶わなかったのだそうです。
と申しますのも、バレンシオ伯爵の息の掛った王宮の内務官によってオーディエント家の方々の入国許可が下りなかったのだそうです。
その方は、あの法務卿の茶会へも参加なされていたそうで、法務部がバレンシオ伯爵の罪を暴く過程であぶり出されていたそうです。バレンシオ伯爵の粛正によって、伯爵に
さらに申しますと、お父様と結婚なされた当初、お母様は何度か文をご実家に送ったそうなのですが、一向に返事がなく、不審に思った
そしてそこにもバレンシオ伯爵の影がちらついていたそうです。
その後、お母様は文を送ることを諦めておられました。ですがバレンシオ伯爵の粛正によって、子細が判明し、お母様はあの後すぐに、ご実家へこれまでの経緯を含めて文を送っておりました。
この二ヶ月ばかりの間に、何度か文の遣り取りをしておられましたが、オルトラントへの入国ができるようになったお祖父様は、このようにやって来たということですね。
お母様とお祖父様の遣り取りを目にして、事の経緯を察した旦那様は私の前から横へと移動して、お祖父様の前へと進むように私を促しました。
「これは申し訳ございません
「お祖父様……初めてお目もじいたします。フローラ・オーディエント・エヴィデンシアです」
「おお……おお……おお、やはりお主がルリアの子で間違いないのだな……もっと良く顔を見せておくれ」
「きゃ……」
突然お祖父様が大きな手で、私をご自分の目の高さまで持ち上げたので、私は悲鳴を上げそうになってしまいました。
旦那様も突然の事にどうしたら……というように戸惑いの表情を浮かべました。
お祖父様はまるで持ち上げた人形を眺めでもするように、私を右に左にと動かしてまじまじと私の顔を凝視いたしました。
「……うむ、噂に聞いていたとおりの髪色に瞳の色だが、なんとも可愛らしい。とても結婚できる歳には見えぬ。それになんとも聡明そうな顔立ちだ。オーラスまでやって来る道中でも耳にしたが、いまフローラはオルトラントの救国の女神などと呼ばれているそうではないか。……儂はその話を聞いて、どれほど誇らしかったことか……」
お祖父様は大きな目に涙を滲ませてそのように仰います。
「お父様、いい加減になさいまし! フローラは幼子ではないのですよ! 夫を持つ、伯爵家の立派な当主夫人なのです。祖父とはいえ夫の居る前で夫人を抱き上げるなど不道徳にも程があります!」
お母様がこのように人をお叱りになるなど、想像したこともございませんでした……ですがお母様、これは抱き上げられたというよりは持ち上げられたのだと思います。
「いやいやこれは……まさか、マーリンエルトの鬼熊と恐れられたガァーンド卿が……ぷっ……」
突然、これまで成り行きを面白そうに見ておられた護衛騎士の方が、吹き出すようにして笑い始めました。
それは楽しそうにお腹を抱えて笑います。
残りの護衛騎士の方々は、やれやれといった感じでその方を見ておりました。
その様子を、不思議そうに目にしていたお母様が、不意に目を見開いて背後へと退きました。そうして上位の方への礼をいたします。
「このような失態をお目に掛けてしまい誠に申し訳ございません。……それにしても、何故あなた様がこのように姿を偽って我が家などに……マティウス・リューリック・マーリンエルト公王陛下」
「なッ!?」
お母様が放った言葉に旦那様が絶句してしまいます。ですがすぐに事態を察して、あわあわと口を開きました。
「こっ、これは――知らぬ事とはいえ痴態を晒し申し訳ございません」
「ああ、いまの私は先遣特使の護衛騎士なので、そのように緊張しないでくれたまえ。……ぷっ……しかし、ルリア嬢は相変わらずのようで、その姿を目にできただけでもここまで来た甲斐があったというものだよ。オーディエント家の鬼姫はいまも健在ということかな」
なんでしょうか? お母様と最も遠い異名のようなものが公王様の口より飛び出しました。
「……マティウス陛下、陛下は相変わらずのようですね。私は、オルトラントに嫁いできて二一年。子を得て、その子が伴侶を得る年齢にまでなりました。いつまでも、戦いに明け暮れていた小娘のままではおられません」
お母様は静かな、それでいて力強い微笑みを浮かべます。
それを目にした公王様は、緑の瞳に懐かしそうな光を浮かべて口を開きました。
「私はね……幼少の頃、ガァーンド卿が槍の鍛錬のいい相手になると君を連れてやって来たときから、君のその微笑みが一番恐ろしく感じるのだよ。……余計な事を言ってしまったようだ。……ところでガァーンド卿。そろそろフローラ嬢を降ろしてあげた方が良いのではないかな」
あっ、やっと気が付いて頂けました。
お母様も、旦那様も突然我が家へとやって来られたマティウス様に驚いて、お祖父様に持ち上げられたままの私の事が頭から飛んでしまっておられるようでしたし、肝心のお祖父様も、私を持ち上げたまま、マティウス様とお母様の間で交わされている話に意識が向いてしまっておりました。
私も、どのように声を掛けたものかと困惑しておりましたので助かりました。
「ルリア――グラードルも、皆様に応接室に入って頂きなさい。エントランスでそのように話し込んでいては尊い身の方に申し訳ない。マーリンエルト公王陛下、このような格好で失礼いたします。何分片足が不自由なものですので」
お父様が杖をついて応接室から出てまいりました。背後でセバスが身体を支えるようにして付き従っております。
「……ロバート殿だったね。先ほども言ったがいまの私は忍んで来ているのでね。そこまで気を遣って頂かなくても大丈夫だよ」
マティウス様はどこか含みを持った微笑みをお父様に向けて仰いました。
「私の名前を覚えて頂いているのですか……」
「なに、私が密かに第二夫人にと考えていた女性を攫っていった男のことだ……忘れるわけがない」
「「「「「「……なッ!?」」」」」」
マティウス様の突然の発言に、マティウス様と、セバスとメアリー以外の全員が、驚愕に目を見開いて絶句いたしました。
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