第146話 モブ令嬢と魔導爵の考察

「フローラ……私はこの四十日ばかりで一生分働いたような気がするよ。……これはもうひと月ばかり休養しても良いような気がするのだが……」


「いきなり何を仰っているのですか先生……」


 そう言った私の口調は、少々呆れたものであったかも知れません。

 レンブラント伯爵との面会をしてより二日、いよいよ明日には、我が家と貴宿館の茶会の日となるのですが……、昼後の授業を終えて先生の個室へと赴きましたら、アンドゥーラ先生は机に突っ伏してグッタリとしておりました。

 私が、個室への入室許可を得て中へと入りましたら、それを待っていたように、顔を上げた先生の口から放たれた第一声が先ほどの言葉です。


「……クルークの試練のためにトライン辺境伯領へと向かい。その後はトーゴの軍と戦い、何故か事後処理の手伝いまでさせられて、やっと王都へと帰ってきたら、王宮へと呼び出され……さらに竜の装具を調べさせられるわ、それが終わったと思ったら、邪杯が盗まれたときた。それに先日君から頼まれた調べ事だよ……」


 仰るように相当忙しかったのでしょう、先生はゴワゴワになってしまっている深紫色の髪をボリボリと掻きながら、さらに愚痴を続けます。


「しかも……見てみなさいこの土埃にまみれた髪を。私は、君の旦那様のおかげで、水道工事にまで駆り出されることになってしまったのだからね……。まったく、既に魔道士として独り立ちしている者たちに、何で今更、魔法の何たるかを教授せねばならないのかね」


「…………その、申し訳ございません」


 その話を持ち出されてしまいますと、私、謝罪するしかございません。

 実は、先だっての王宮に呼び出された折りに、旦那様がぽつりと『魔法で、石を切り出したり運んだりすれば工事が早くならないのかな?』と呟いたのに、私が『できると思いますよ』と、答えました。それがアンドリウス様の耳に止まったのがことの始まりでした。

 初めは私が手伝うという形で話が進んでいたのですが、いま私が工事現場に顔を出すと、手伝いどころの話ではなくなってしまうだろうと、結局、軍務部の魔道士の方々が交代で工事を手伝っておられたそうです。

 ですが、切り出しと運搬の両方を担うには魔力の回復が間に合わず、魔力回復薬などを使う羽目になったそうなのです。しかしそうなりますと、今度は水道工事の収支が合わなくなってしまいました。


その話を聞いた先生が、『情けない、そのくらいの魔力行使で魔力を枯渇させるなど、心象イメージ力が散漫なのだ。心に描く心象を正確に描けないから余計に魔力を霧散させる』と仰ったそうなのです。


 それがどのような経緯をたどったのかは分かりませんがアンドリウス様の耳に届きまして、ならばお主も手伝って手本を示せと声が掛かりました。

 先生は学園の授業があるからと断ろうとなさったそうなのですが、陛下の方が一枚上手で、既にファーラム様に話を通してあったとか。

 折しもケルビン様が新たに教諭となられたことで、初級の授業は任せられるだろうと、アンドゥーラ先生は昼前中、水道工事の現場で働かされることとなったのです。

 まあこれは先生の自業自得だとも思うのですが、確かに、原因を作ってしまったのは旦那様と私ですので……。


「いや……まあ、愚痴ばかり言っていても仕方がないか。幸いなことに明日は君のところの茶会に呼ばれているので、工事現場に出向かずにすむのでね。……ああそうだ。先日預かったこれの解析が済んだ」


 アンドゥーラ先生は、机の上に置いてあったガラスで出来た器の中の黄色い粉を指し示しました。


「これはやっぱりグラードル卿が言っていたとおりのモノだったよ。しかし、おかしな話だね。このあいだ神殿の封印の間を調べたときにグラードル卿の袖口に付いていたそうだが、あの時には誰もこれを持っていなかったはずなのだ……。ならばその前にあの部屋にあったことになる。だが、それはおかしいのだよ。なんといっても、これは私が作ったモノで現在管理しているのは法務部なのだから」


 先生は、薄紫の瞳に深い思慮の光を浮かべて考え込みます。


「それに……ライオットがあの場にいたが、奴は持っていなかったはずだ。あの時は、私の魔法での調査を優先していたので、なんと言ったかな……新しく捜査局に出来た……ああ、鑑識とか言ったか、それはあの後に入ると言っていた。これは、その鑑識とやらが指紋を採るのに使う粉末で、それ用に私が合成したモノなのだからね。いまはまだオルトラントの秘匿技術としてこの粉末の製法も外部には漏らしてもいない」


 旦那様が仰っていましたが、指紋の採取に使用できる粉末は炭筆の粉末や、一部の花粉などが利用できるそうなのですが、旦那様の話を聞いた捜査局では、より鮮明に確実に指紋採取できるように、アンドゥーラ先生に専用の粉末の合成を依頼なさったそうなのです。


「先生や旦那様たちが調査に入る前に、捜査局の方が入ったということは?」


「いや、あの時、ボーズ神殿長は『あの後、鍵を掛けて誰も入れないようにしておきましたので、私以外この部屋には入っておりません』と言っていたからね」


 しかし、クラリス嬢の話から考えますと、あそこに入ったのはエルダン様の可能性が最も高いと思うのです。

 彼が捜査局からこの粉末を手に入れることが出来るとは思えませんし、何故、あの部屋にこの粉末が残るような状況になったのかも想像ができません。

 エルダン様のことが頭に浮かび、私は疑問に思っていたことを思い出しました。


「先生、私、伺いたいことがあるのですが……、身隠しの魔法を使うことができる魔具は存在しているのでしょうか?」


 私は、粉末の話は一旦横に置いて、先生に質問いたしました。


「身隠しの魔法を使える魔具? これはまた物騒なことを言い出したね。有るにはあるが、その手の魔具は破壊活動や暗殺、盗難などの犯罪行為に使われやすいのでね。製造すること自体が罪になる。現存するモノは殆ど王国の管理下にあるはずだよ。……まあ、犯罪者共が持っていない……とは言えないがね」


 やはり……有るのですね。

 エルダン様は商会を運営なさっておりましたし、その伝で手に入れた……ということは考えられないでしょうか?


「もしもですが……そのような物を持っている人間がいるとして、それを利用するのにはどのような制約が掛ると思われますか? 例えば、一度利用すると次の利用に時間が掛るとか、私たちが使う魔法より魔力を多く消費するとか」


「やけに具体的な質問だね。もしかして、何か私が知らない事を知っているのかね?」


 先生が、片眉を上げて興味深そうに私を、その美しい薄紫の瞳で凝視いたします。


「……その、いまのところ、まだここだけの話にして欲しいのですが、神殿に忍び込んだ人間が、そのような魔具を利用したようなのです。エルダン・カンダルクという方なのですが……」


「そういう事か……、だがそういえば、エルダンというのはグラードル卿とつるんでいたと記憶しているのだが。グラードル卿がまだ学生だった頃だが、何回か見かけたことがあるよ」


「それが、あの方はよく分からない方なのです。……元々はレンブラント伯爵と通じておられ、旦那様をたき付けてルブレン家の悪評を高める役割を担っておられたらしいのです。ですが、以前旦那様が拉致された事件の折り、実行犯の一味との嫌疑が掛りました。捜査局から調べられることとなったのですが、その前に行方不明になってしまったのです。そして現在はレンブラント伯爵からも離れて、何らかの思惑を持って動いているようなのです。旦那様と私は簒奪教団の一員ではないかと考えているのですが……」


 アンドゥーラ先生は、納得したように頷きます。


「……なるほど。そのエルダンが身隠しの魔法を使っているということか」


「はい……、私、つい先日彼を目撃いたしました。捜査局では未だに彼を探しているらしいのに、あのように王都で活動できるのはそのような魔具を持っているからではないかと……」


「……それで、制約というのは?」


「先日、彼が身隠しの魔法を使って学園に忍び込んでいたのですが、学園から去るときに身隠しの魔法を使わずに、わざわざ秘密の抜け道のような場所を使ったものですので、制約があって連続して利用できないのかと考えたのです」


「ふむ。……魔力が枯渇でもしない限りあの手の魔具が連続使用できない事はないはずだよ。……あっ、もう一つ可能性があるか……」


 先生は、左手で右肘を支えて、緩く握り込んだ拳を軽く頬に当てて考え込みます。


「……もう一つの可能性?」


「いや、だが……そうすると、そうする意味は何だ?」


「……先生?」


「いや、もう一つの可能性というのはね。変化系の魔法を使っているということだよ。変化系の魔法は効果の発動時間があるからね。途中で効果を延長することはできても、切ることはできない」


「変化系の魔法……ですか? まさか、あの姿が魔法によって変化したもの!?」


 変化系の魔法というのは、その名の通り、姿形を変える魔法です。

 いま先生に言われて、私も理解いたしましたが、身隠しと変化は、共に姿見に影響を与える魔法です。

 これらの魔法は同時に利用することができません。

 シュクルの化身は第一世代の竜種の能力で、魔法では無いらしいので身隠しの魔法を同時に利用できるようですが……。


 それにしましても、先生ではないですが、もしもあのエルダン様の姿が魔法によって姿を変えたものだとしたら……そうする意味は何でしょう?

 ぞくりっ! と背筋に冷たい水を落とされでもしたような怖気が走りました。

 そもそもそうなると……エルダン・カンダルクという方は本当に存在していたのでしょうか?

 それまで頭の中にあった彼の顔が、その凹凸をなくして、まるでつるりとした卵のようなものへと変じてゆきます……。


 この後、私は旦那様と捜査局を訪ねる予定なのですが、そのあたりの話をライオット様にしておいた方が良いのでは? これは、旦那様と話をしなければなりません。


「しかし、身隠しの魔法と、変化の魔法か……それぞれ別の魔具だとしても、揃えるにはワンド級の値が付くだろうね。まあ、商会を運営していた会頭ならば何とかなるか……」


 確かに、製造が禁止され世に出回らなくっている魔具であるのならば、破格の値段になってもおかしくありません。

 ですが、もしも盗賊や暗殺者の類いが手に入れましても、身隠しの魔法に対しましては、貴人や裕福な方々は対抗策も確立されており、それ用の魔具の類いがございますので、それだけのお金を支払って手に入れたとしても、それに見合う成果はなかなか得られないと思うのです。


 先生とそのような話をしておりましたら、軍務部での勤めを終えた旦那様がやってまいりまして、私たちは捜査局へと向かうこととなりました。

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