第143話 モブ令嬢と幼子と旦那様の独り言

「……何故俺は、あの時エルダンの名前を出さなかったんだ? 奴のつてで邪杯の欠片が俺の手に来たのなら……。あの時――俺があのローデリヒのように身体が崩れ落ちるとき……エルダンに恨み言の一つでも吐いたはずだ。奴はあの会場に居たんだから。だが、俺の最後の言葉は『謀ったな、簒奪教団め!』だった……」


 館に帰り居室へと戻ってから、旦那様はソファーに腰掛けて、肘を膝に付いて顎の下に握った拳を当てて考え込んでしまっております。

 その姿は、まるで思考の迷宮に陥ってしまったように見えます。


「ママ……パパ、ずーっと、ブツブツ言ってるの。ぶぅぅぅぅぅぅーー……つまんないの」


 シュクルは先ほどから、独り言を呟いている旦那様の前に座って、身振り手振り、さらには面白い顔をして気を引こうとしていましたが、深く考え込んでしまっている旦那様には気付いてもらえませんでした。

 学園での事で、反省しているのかは分かりませんが、旦那様に飛びついたり声を掛ける事には戸惑っています。

 結局、ベッドの横に座り込んでいる私のところにトコトコと歩いてきますと、そのように言って口を尖らせてしまいました。

 私は、私の座っている横をポンポンと叩いて、シュクルに座るように示します。

 シュクルは、まだむぅっと口を尖らせていますが、隣に座ってくれました。

 私は、彼女の肩を抱いて寄り添います。


「シュクル……、パパはね。真剣に考え込んでしまうとああなってしまうの。でもね、私たちの側だから、あそこまで安心して集中しているのよ。それにね、いまパパは、私たちを守るために一生懸命考えているの。だからもうしばらく待っていてあげてね」


 旦那様が、私にご自分の秘密を打ち明けてくださる以前、あの頃の旦那様は重い秘密を己の内に抱えて、書斎に籠もって一人考えることがありました。

 それを思い起こしますと、私たちの前であのように独り言をこぼしながら考えておられる姿は、他人が見たならばとても滑稽かも知れませんが、私にはとても愛おしく思えるのです。


「…………奴が手の者を使って俺に渡したのなら……それに、奴が簒奪教団の手先なら、ローデリヒの手に邪杯の欠片があったことに、ある程度の納得がいく。……しかしレンブラント伯爵が、そのような危険な輩を懐に抱えておくだろうか? あの人は、あれだけバレンシオ伯爵の近くにいたのに、ライオット卿の話では、巧みに大罪を犯さず、逆に奴らの罪の証拠を手にして、いつでも告発できるように準備していたそうだし……。それとも、あれほど慎重な男の目を眩ませるほどに、エルダンが上手だったのか……」


 私は旦那様の思考を妨げないように、シュクルを静かに抱き寄せたまま、彼の言葉に聞き入ります。

 私たちがこれまで得ていた情報では、エルダン様はレンブラント伯爵の下で働く密偵ではないかというものでした。

 それに……エルダン様は旦那様の拉致事件以降、ご自身の名を冠するエルダン商会に姿を現すことなく、行方不明者扱いで、今では商会は副会頭が代行として引き継いでおられるそうです。

 あの事件の折り、私はあの廃城であの方の声――そして話を聞きました。

 姿は目にいたしませんでしたが、あの話の内容を考えましても本人であったはずです。

 捜査局では茶会の事件のあと、エルダン様とレンブラント伯爵の関係を問いただしたそうです。

 あの時にはライオット様や私たちの憶測でしか無かったのに、意外にもレンブラント伯爵は関係を認めたのだとか。

 ですがあの後、レンブラント伯爵も彼の行方を掴めていないと仰っていたそうです。

 その姿を消していたエルダン様が、学園でシュクルを探していた最中にメイベル嬢と隠れて言葉を交わしておりました。

 面影が以前と少々変わっておられたものの、あれは間違いなく彼であったと断言できます。

 ……レンブラント伯爵は、虚言を弄しておられたのでしょうか?

 そして、あのエルダン様が……王都が空襲されていた間に、神殿に封印されていた黒竜の邪杯を持ち去っていたかも知れない。

 彼は本当に、旦那様がずっと恐れ、探していた簒奪教団の人間なのでしょうか?


「それにしても……もしエルダンが簒奪教団の人間だとして、なんで我が国の神殿に、回収された邪杯が封印されている事を知っていたんだ。このことはゲームでも語られていなかった。……神殿長も言っていたが時期が限定されず、順不同で竜王様方の影響の強い神殿を移動しているというのに……。まあ、邪杯の盗難を知って陛下へ報告に行ったということは、陛下は我が国に邪杯があったことは知っていたんだよな。その情報はおそらく陛下だけが知っていたか、それ以外にその情報が行くとすれば法務部のディクシア法務卿……あと、国としての警戒もあるし、捜査局長のライオット卿辺りか。……親子だし、彼には情報が降りてそうだよな。財務部に伝わるような情報じゃないし、ましてや経理局長が知る内容じゃ無い。……だとすればどこから? ああ……知らない情報を憶測でいくら考えても無駄か……」


 旦那様が、掻きむしるようにして頭を抱えました。

 私の横では、抱き寄せているシュクルが、ウトリ、ウトリと、眠そうにしております。

 旦那様の口から漏れ聞こえる話は、幼子の興味を引くものではございませんのでしかたがございません。

 私はベッドに深く腰掛けてシュクルの頭を腿の上に乗せて上げました。

 シュクルは、安心したように目を瞑ります。


「もう一度、前の事件から考えてみるか…………そういえば、あの欠片……よく考えてみると……何故、あのタイミングだった? おかしくないか? 簒奪教団の目的は竜王様方から世界を管理する力を奪い取ることのはずだ。ゲームの俺もそうだけど、ローデリヒの時だって――押さえることができたから良かったものの、暴走したら世界が滅びる可能性すらあったのに……、ゲームの戦いの最中も、簒奪教団が仕組んだにしては、それらしきキャラは登場しなかったし行動もなかった。それこそ、何であんな騒動を起こしたんだって感じだ……」


 旦那様はそう仰ると、ハッとしたように身体を起こします。


「……あれは……何かを試すため……? ……なら、ゲームは? まさか! 俺の知っているゲームの終わり……物語は終わってもまだ……まだ現実は終わっていなかった……!?」


 旦那様は立ち上がり、私に向き直ります。

 その顔は少し青ざめておりました。

 旦那様のそのご様子に、私は一瞬シュクルの事を忘れて立ち上がりそうになってしまい、慌てて体勢を戻して、シュクルの様子を確認します。

 幸いにもシュクルは目を覚ますことなく、むふーっ、と何か満足げに笑みを浮かべておりました。


「フローラ……もしかしたら俺は、恐ろしく大きな勘違いをしていたのかも知れない」


 シュクルの幸せそうな表情とは対照的に、旦那様は知りたくなかった現実に向き合ったような、そんな表情です。


「……旦那様? 勘違いとはいったい……」


「現実は、一人の人間の物語ではないし、切りの良いところで終わる訳じゃない……という事だよ。俺が考えるに、あのローデリヒの事件は大事にはならなかった。だが、あの事件はきっと、ゲームの中で俺が滅んだ事件の代わりなんだ。ゲームでは、邪竜と化した俺が、王国の騎士団や竜王様方。そうしてリュート君によって滅ぼされ、リュート君の物語は大団円を迎えた。……だが、あれが何かの試しであって、あの後……それがいつ起こるのか分からないが、あの事件を起こした者の、本命の事件が計画されていたのではないだろうか」


「まさか……それではこの先には、あのローデリヒ様の事件を仕組んだ者の、本当の目的……本命の事件が仕組まれていると?」


「あの事件が、次に起こす事件のための試しであるのなら、必ず……。これまでもこの先に何かあるだろうとは想像していたけど、それは、意思の見えない漠然としたモノだった。けどいま……俺にはハッキリとした意思が感じられた。フローラが見たのがエルダンで、奴が邪杯を盗難したのだとしたら……」


 旦那様は、一度言葉を切りますと、無理をするように少し剽げた表情を作ります。


「まったく……ある種のゲームにはたまに真実の終わりトゥルーエンドといって、全てのゲームストーリーを見て、初めて解放される、事件の裏に流れていた真相が解明されるものが有るんだけど……まるでそんな道筋に入り込んでしまったような気分だよ。……こうなるといま一度、レンブラント伯爵と対峙しないわけには行かなくなったな」


「旦那様……、レンブラント伯爵様にお目にかかるのでしたら私もお供させて頂けませんか? 私も確認したいことがあるのです」


 バレンシオ伯爵との因縁が無くなり、我が家にはレンブラント伯爵との関係もなくなるものと思っておりましたが、メイベル嬢やオーランド様、そして……エルダン様と、旦那様と私は、どうしてもレンブラント伯爵との関係を切り離すことはできないようです。


 その後、思いも掛けず早い帰宅となった旦那様と私は、気付いてしまった暗い影を振り払うように、シュクルが目を覚ました後、満足するまで遊んで上げました。

 旦那様は三日連続で動けなくなる前に、「騎士団の訓練の方がなんぼか楽だ」と、仰っておりました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る