第144話 モブ令嬢と裏庭と……
先日、誘拐未遂事件に遭った日、旦那様と私、そうしてクラリス嬢は捜査局にて事情聴取を受けて昼を過ぎてすぐに館へと帰ることになりました。
あの後、私と旦那様は、事の経緯の推察とシュクルの相手をして一日を終えてしまいました。
その間に、クラリス嬢はお母様に伴われて、これから住むことになる貴宿館の部屋を確認して、そのまま入居することとなりました。
あのようなことがあった後ですので、大事を取って彼女の荷物は、我が家の使用人を通じて、友人のお宅より引き取ってきたそうです。
アルメリアとマリーズには、あの後簡単に事情を説明して法務部へと移動致しましたが、翌朝、何で昨夕貴宿館にこなかったのかと、後の経緯の説明を求められてしまいました。
その場にはクラリス嬢も居て、私たちの遣り取りを楽しそうに見ておりました。
彼女の心に傷が残らなかったようで何よりです。
また、翌日旦那様は財務部を訪ねてレンブラント伯爵との面会要請をしたのですが、今のところお会いできる目処が立っておりません。
そうして二日後、
私と一緒に、我が家の裏庭へと足を運んだレガリア様は、目の前の状況を目にして、「これは……少々困りましたね……」と、仰いました。
「あの……レガリア様? もしかしてレガリア様は我が家の裏庭には……」
そう質問した私に、レガリア様はなんとも恥じ入った様子で、頬に手を添えて目線を下げます。
「……はい、初めて足を運びました。申し訳ございません……屋敷の敷地の広さから、林とはいってもそう密度の高いものでは無いと考えておりました。私、時間があればロメオばかり弾いていたものですので、その……こちらでは、たまには身体を動かしなさいと、母に叱られることもありませんので……」
そういえば……ほかの皆様と違って、レガリア様は庭で散策などをしているのを目にしたことがございませんでした。
考えてみますと、彼女の部屋からは我家の裏庭は見えません。以前は見えていた横手の林も、今は本館が塞いでしまっておりますし……。
それにしましても、普段はとても学生とは思えないほどに落ち着いた貴婦人であるレガリア様の、年相応に可愛らしいところを知ってしまった気がいたします。
レガリア様は、今一度視線を上げて前方を見回します。
「それにしましてもフローラ……。私、これは既に森の範疇だと思うのですが……」
「やはりそう思われますか……。私も、もしかして我家の裏庭は、もう林を通り過ぎてしまっているのでは? と、考えておりました」
お祖父様が亡くなったあと、アンドルクの皆さんが屋敷を去って十年あまり、さすがに親子三人、屋敷の掃除はそれなりに行っておりましたが、庭の手入れまでは手が回らず……館周辺、目の届く範囲しか手入れをしておりませんでした。
旦那様と結婚後、アンドルクの皆さんが我家へと帰って、少しずつ手入れをしているようなのですが、いまだに少し奥に入りますと下生えが腰の辺りまで伸びていて、さらに記憶に無い木が私の身長の倍ほどに伸びていたりします。
マリーズがたまに、リラさんの目をかいくぐって潜伏していたり、最近ではシュクルまで真似をして下生えの中から飛び出してくることがあります。
「それにしても……何で皆さん忠告してくれなかったのですか?」
レガリア様が恨めしそうに、私たちの側で稽古をしている皆さんに視線を向けます。
私も倣うように視線を彼らの方へと向けました。私たちの視線の先では、旦那様とリュートさん、アルメリア、そうしてレオパルド様とクラウス様も剣の訓練をしていました。
学園の休日や軍務部の休養日に裏庭で剣や槍を振っている事はよくありますが、今日は皆で木剣を使って打ち合いをしているようです。
さらに少し離れた場所では、リラさんが無手で、何かの型のような動作を繰り返していました。彼女の横ではシュクルがリラさんの真似をしていて、それをマリーズとクラリス嬢が微笑ましそうに見ております。
レガリア様の苦情は、そこに居た貴宿館の住人の皆様に向けられたものでした。
そのレガリア様の言葉を受けて、皆様の訓練を見ていたマリーズが、私たちの方へとやって来ます。
「申し訳ございませんレガリア様。でも……私、この庭の状態を知っていて仰っているものだと考えておりましたので……きっと、茶会までには手を講じられるのだろうと考えておりました」
訓練の手を休めて、クラウス様とレオパルド様もこちらへとやってまいりました。
「うむ、我も同じように考えていた……、茶会の準備はレガリア……お前が率先して動いていたので、まさか、この場所に足を運んでいないとは思ってもいなかった」
「申し訳ないレガリア。私も貴女から声が掛ったら手を貸すつもりでいたのだが、女性中心で話を進めていたので遠慮していた」
皆さんそれぞれに言いますが、結論と致しましては、レガリア様への信頼が大きすぎて、まさか彼女がこの庭の状況を知らずに
私も、レガリア様ができると考えているのなら大丈夫なのでしょうか? などと、考えておりましたし……。
はーっ、とレガリア様が諦めにも似たため息を吐きました。
「ルリア様にもっとしっかり聞いておくのでした。エヴィデンシア家ではご婦人方の茶会をすることになったので、ここ最近は、別々に準備を進めていたものですから……」
実は、貴宿館にて茶会を開催する日時が来週、
これは、レガリア様やレオパルド様の元へ強い要請があることと、その次の週には、王都防衛戦とトライン辺境伯領攻防戦における功績者、さらにクルークの試練達成者への褒賞授与の式典を開くことが正式に布告されたからです。
レガリア様としては、その褒賞授与式の式典が開催される頃に茶会を予定しておられたらしいのですが、急遽日程を繰り上げることとなったので、会場となる場所を見ておこうと足を運んで、今のような状況になっております。
ちなみに、レガリア様が仰ったエヴィデンシア家で開催されることになった茶会というのは、ノーラ王妃陛下からのお声掛かりで決ったもので、ノーラ様を始めレガリア様やレオパルド様のお母様も参加なされるそうです。
その話を聞いたときお母様は、「あらあら、まあまあ、どうしましょう……」と、あまり困った様子ではありませんでしたが、お父様の顔が青くなっておりました。
ちなみに私は、この機会にルブレン家のお
そちらの茶会には、私がお世話になっているアンドゥーラ先生とサレア様も招待する運びとなっております。もちろん、我が家に滞在中のブラダナ様も参加なさいます。
「……しかし、本当にどうしたものでしょうか。さすがに今からこれらの木を伐採して頂くわけにもまいりませんし……。表の庭だけでは手狭ですし……」
レガリア様は、頬に手を添えて深く考え込んでしまいました。
「あらあら、どうしたのですか皆さん……」
「お母様……その格好はいったい……?」
声を掛けて来たお母様に振り向きましたら、お母様は珍しく動きやすい
そういえば……昨晩、夕食のおりにお母様が、シュクルは眉尖刀の筋が良いと仰っておりました。
何でもこの二日、何の拍子にそのような事になったのかは存じませんが、お母様がシュクルに眉尖刀の手ほどきをしたらしいのです。
私も幼い頃にお母様に手ほどきを受けたことがございますが、どうしても柄の部分で自分のお腹や足を打ってしまったりしまして、『残念ですが、フローラにはこちらの才能はございませんね』と、早々に諦められてしまいました。
お母様は、眉尖刀の扱いに優れていたそうで、マーリンエルトでも有数の使い手であったそうです。
もしかして……私に伝えられなかった眉尖刀の戦闘技術を、シュクルに継承させようと考えておられるのでしょうか?
「大きいママ、待ってたの!」
眉尖刀を手に現れたお母様を目にして、リラさんの横で彼女の真似をしていたシュクルが跳んでまいりました。
シュクルが、私とレガリア様がこちらへとやって来る前からこの場に居たのは、旦那様に付いてきていたのかと思いましたが、お母様と待ち合わせをしていたのでしょうか?
ですがシュクルの有り余った元気を発散させるには、これもまた良いことなのかもしれません。
そのような事を考えておりましたら、林……既に森かも知れませんが、そちらの下生えの中から何やら声が響きました。
「おい、なんだか話が変わっちまったぞ!」
「変わっちまったぞ!」
「変わっちまったぞ!」
「だから、格好付けようとしないで出て行けば良かったのに……」
「うるせーぞ、テメー!」
「うるせーぞ!」
「うるせーぞ!」
この声……そしてこのやり取り、それは私のよく知るものでした。
私は声のした方へと足を進めようとします。するとその私を追い越すようにして、シュクルが物凄い勢いで、下生えの中へと飛び込んでゆきました。その姿は、まるで野生動物のようです。
「うわぁ~~~~!
「うわぁ~~~~! 逃げろ~~!」
「うわぁ~~~~!」
「うわぁ~~!」
「おい待て! 置いてくな~~! うわぁ、捕まった! …………」
そのようなドタバタした声が響いたあと、下生えの中から出てきたシュクルは、まるで鼠を捕まえた猫が、その獲物を誇るように、フンスとした自慢顔で一人のノームさんを引き立ててまいりました。
「ママ、捕まえたの!」
シュクルが引き立ててきたのは……私の記憶に間違いが無ければクルークの試練のおりに、壁に縫い付けられていたあのノームさんです。
「よう! 姫さん、久しぶり!」
「久しぶり!」
「久しぶり!」
引き立てられてきたノームさんが、手を挙げて挨拶いたしますと、仲間のノームさんたちも木の陰から顔を出して挨拶してきました。
「久しぶり、姫様」
いつの間にか、私の横には幼いノームさんが立っています。
「……あの、フローラ。もしかして、この方たちは、あの話に出てきた?」
突然現れた彼らに戸惑いがちに……、それでも、レガリア様はその瞳に好奇心一杯の光を湛えて、問いかけてきました。
「はい。そのノームさんたちです」
「まあ、まあまあまあ。私――クルークの試練の話を聞いて、力になれなかったことにはもちろん忸怩たる思いをしておりましたが、皆さんの体験を聞いてうらやましくも思っておりました。……まさか、妖精ノームにまみえる機会ができるなど……」
レガリア様は、感動のあまり言葉に詰まってしまったようです。
そういえば、マリーズやアルメリアたちの話を聞いて、幼なじみのレオパルド様に『貴男は良かったですね、得難い体験をすることができて』と、少し拗ねておられました。
ちなみに、レガリア様以外に初めて彼らを目にしたクラウス様は、どこか引き気味にこちらを観察しており、クラリス嬢は突然現れた妖精に目を見開いて固まってしまっています。彼女は、おそらく彼らの話は聞いていないでしょうから、本当に驚いているのでしょう。
屋敷の裏庭に妖精が出没する屋敷というのは、そうそうあるものでも無いでしょうし……。
ちなみに、同じく初めて彼らを目にしたはずのお母様は、驚いた様子も無く、「まあ、まあ……」と仰っただけでした。
「ところでノームさんたち、いったいどうして我家に?」
「おう、俺たちゃ地の妖精だぜ。 この庭、俺たちが面倒見るぜ!」
「面倒見るぜ!」
「面倒見るぜ!」
「もしかして、ノームさんたちの力でどうにかできるのですか?」
「姫さん、俺たちゃ地の妖精だぜ!」
「だぜ!」
「だぜ!」
「ボクたちに任せてよ姫様、土のある場所ならどこでもボクたちの領域さ! 明日までには使えるようにしてあげる」
ノームさんたちはそのように請け負ってくださいます。
「まあ……ノームさんのお目に掛かれただけでなく、その力をお借りできるなんて、私、一生の自慢話になりそうですわ」
レガリア様が少女のように頬を染めて、とても嬉しそうにそう仰いました。
やはり女性にとっては、物語に出てくる存在を目にしたり、彼らの力で巻き起こされる神秘的な出来事には心踊るものがあるのでしょう。今日は思いも掛けずレガリア様のかわいらしい姿をよく目にすることとなりました。
その日の夜、我家の裏庭では、ノームさん達の調子外れの歌が明け方まで響いておりました。
翌朝、裏庭へとまいりますと、その様相は一変していて、あれだけ多くあった木々は適度に間引かれて、下生えも綺麗になっておりました。
私は、ノームさんたちの力をはじめて目にして、惚けた態度はしていてもやはり、偉大な存在なのだと感じることとなったのでした。
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