第142話 モブ令嬢と旦那様と捜査局長(参)

「まったくまったく、君たち夫婦はなんと厄介事に愛されているのだろうね。いやいや違うかな、あまりにも二人が仲睦まじいものだから、厄介事に嫉妬でもされているのではないかね」


 捜査局局長室。そこに置かれた応対用ソファーに腰掛けたライオット様は、金色の瞳に戯れた光を浮かべ、あきれ顔で仰います。

 ふるふると左右に振られた赤髪が風に吹かれた炎のゆらめきのように見えました。


 クラリス嬢と私が攫われそうになったあのとき、折良くシュクルと旦那様が現れたのは、今ひとつの魔力が感じられなかった場所に、マリーズたちと合流できたアルメリアが向かう途中、旦那様と鉢合わせになったからだそうです。


 当たりを付けた場所に旦那様たちが到着して、旦那様がシュクルを探して声を掛けたところ、シュクルはすぐに魔法を解いて旦那様に飛びついてきたと仰っていました。

 旦那様はシュクルに対して、隠れて誰にも知らせずに黙って付いてきたことを叱ったものの、移動中にアルメリアから私の話を聞いていたので、すぐに行動なされたそうです。

 シュクルはアルメリアから聞いて、私がやったのと同じように魔力が感じられない場所を探して私を見つけました。

 旦那様は、シュクルに竜の姿に戻ってくれるようにお願いして、彼女の背に乗って私の後を追ったのだそうです。

 上空へと飛び立った旦那様たちは、すぐに私を見つけて、状況もおおよそ把握なされたのだとか。

 後は、シュクルは旦那様に言われるとおりに、自分たちに身隠しの魔法と飛行の魔法を使い、さらに、男の身体の動きを止める魔法を掛けて、その直後に私たちの前へと降り立ったのです。


「それにしても、精霊教の教徒か……いま、尋問しているが奴らは口を割るかねぇ……」


 ライオット様は少々考え込みました。それから彼は少し意味深げな微笑みを浮かべて言葉を続けます。


「ところで君たちは、新政トーゴ王国には何故、新政と付いているのか知っているかい?」


 彼の突然の質問は、いったい何を示しているのでしょうか?

 ですがこれまでの付き合いで、彼のこの質問には意味があるのだろうと、私は口を開きます。


「……確か、国教を七竜教から精霊教へと変じたことが由来であると聞き及んでおりますが……」


 その返答にライオット様は満足そうに頷きました。


「ふむふむ、よく常在学で学んでいるようだね。これは……軍務部から王家に上がってきた情報なのだけどね。……新政トーゴ王国に潜ませている密偵からの報告ではね。いまかの国では『我らの聖女が、オルトラントに奪われ、操られている』、などと言う風聞がまことしやかに広められているらしい。『偉大な力を持つ我らの聖女は、卑劣にも洗脳され、本来敵であるオルトラントに向けるべき力で、我が軍を撤退に至らしめた。かの聖女の力は、我らの国の力であったのにだ!』などと、かの国では精霊教の司祭が説法して回っているのだとさ……」


 そのように仰ってから、ライオット様はそれは剽げたご様子で、片方の唇の口角を上げました。


「いやいやまったく……。つまりかの国は、トライン辺境伯領より軍を撤退させた理由を、我が国の力でなく、本来ならば自分たちの国が持っていた力で撤退させられたのだと、そう民に触れ回わることで、民の不満を卑怯な我が国に向けようとしているのだろうね……なんとも、さもしいとい言おうかなんと言おうか……おやおや、どうしたのかね二人とも?」


 あまりの論理展開に二の句が継げず、私と旦那様は共に、少々間の抜けた表情になってしまっていたかも知れません。

 それでも旦那様は、あきれ顔のまま口を開きます。


「……いえ、フローラはオルトラント王国建国より続く、エヴィデンシア家の人間です。それは明白ですのに……そのような、戯れごとが通じるのですか?」


 私は、旦那様の隣で頷いて同意を示します。


「まあ、あの国独特の論理展開である事は確かだね。フローラ嬢、君の母上の実家はマーリンエルトの貴族だろ。トーゴ王国はマーリンエルトは自分たちの物だと考えている。つまりマーリンエルト貴族の血を引くフローラ嬢は、優秀な自分たちの血をオルトラントが奪って生まれた存在。つまりは自分たちの国に生まれるはずだった存在だったというわけさ」


「…………あの、そのような無茶な考え方が、本当に……?」


「ふむふむ、そう思うのも無理はない。……ところがね、恐ろしい事にあの国では通じるのだよ。なんとも思考の歪んだ民族性というべきか。元々は帝国に媚を売ってドルク帝国の皇女を娶り、縁戚となったことで帝国の威を借りて周辺を従えていた国だ。かの国の虚栄心と驕りが五〇〇年前の黒竜戦争を引き起こした原因であったものを、まったく歴史に学ぼうとしない。本当に……なんと厄介な国が隣国である事か。他の周辺国がまともである事が我が国の救いであるとしか言いようがないね」


 ライオット様は身体の前で両の手を広げて笑って見せます。その笑みはとても皮肉めいたものでした。


「まさかですが、あの男たち……ライオット卿はトーゴ王国の工作員だと、そう考えておられるのですか?」


 これまでの話の流れから、旦那様はライオット様が言おうとしていた事が分かったのでしょう。

 なんともライオット様らしい、素直でない婉曲な物言いでしょうか。……私たちならばその結論になるだろうと分かっての発言なのでしょうが。


「やあやあ、さすがはグラードル卿だ。話が早くて助かるよ」


 ライオット様は、戯れた表情で大仰にそう旦那様を褒めそやしますが、当の旦那様は、納得がいかない様子です。

 

「ですがフローラを捕らえたとしても、そのような行為に及んでは、反感を買うと考えないのでしょうか? 魔法使いを脅して言うことを聞かせることが無理である事くらい分かりそうなものでしょうし」


「それがねえ……、フローラ嬢はアンドゥーラ卿から聞いてはいないかね? トーゴ軍が使っていた竜用の装具のことだが、あれはね竜種を強引に言うことを聞かせる事が出来る魔法……いや、アンドゥーラ卿は呪いだと言っていたが、そのような力が込められた魔具マギクラフトであったそうだよ」


「……それでは、あの戦闘後に操竜騎士の支配を離れた竜が居たというのは……」


「そうそう、そのとおり。魔具が壊れたことで、支配から逃れたという事らしいよ。そして、ここからが重要なのだがね、その魔具には黒竜の邪杯……その小さな破片かけらが利用されていたそうだ。しかもアンドゥーラ卿が言うには、使われていた呪いは人にも有効だろうという事だ……」


 ライオット様はこの結論にばかりは、戯れた表情を収めました。

 そしてその端正な顔に深刻で真剣な表情を浮かべます。

 ……まさか、人の意思を奪い、思い通りに動かそうなど……かの国は、そのように恐ろしい所業を……。

 私の隣で旦那様が、指の関節がパキリと鳴るほどに力強く、その手を握り締めました。

 彼の瞳には、仮想の敵をその眼光だけで殺すことが出来るのではないかというほどの殺意が宿っております。

 きっとそのお顔は、他人が見たらそれは恐ろしいものでしょう。ですが私を想って怒っている旦那様は、私にとってはとても頼もしく――心の底から愛おしい気持ちが湧き上がってきます。


「トーゴ王国は……フローラを捕らえ、彼女の意思を奪って言うことを聞かせるつもりだと……」


 その言葉は強い怒りに震えて、まるで底ごもる地鳴りのように響きました。


「おお、おお、恐ろしい。俺はそのトーゴの人間ではないからね。そう睨まないでくれないか。しかし、これほどの怒りを君から向けられることになるトーゴの奴ら――自業自得ではあるが、同情したい気分になる」


「戯れたことを言わないで頂きたいライオット卿。もしもそのような事態になったら……俺は、俺の全てを以て必ずトーゴ王国を滅ぼして見せます……」


「いやいや、まったく。君の奥方に対する愛情は、この世界よりも重いのではないかと感じるよ。だがしかし……それほどに愛することができる相手が居るという事は、誠に幸せなのかも知れないね……」


 ライオット様は、一瞬だけどこか物悲しげな表情を浮かべました。ですがすぐにいつもの少し戯れた表情に戻ります。


「しかしまあ安心したまえ。この話は竜王様方の耳に入る手筈になっている。きっとかの国には竜王様方よりキツい罰が下ることだろう。竜王様方の要請を無視して、力ずくで竜種たちに言うことを聞かせていたのだからね。最悪あの地は竜王様方の怒りで焼き払われてしまうかも知れないよ」


 確かに、そのような事が行われていたのならば、竜王様方に報告する必要があるでしょう。

 かの国がどのように竜王様方に弁明するかは存じませんが、かの国の無辜の民が巻き込まれないことを祈るばかりです。


 そのような話があった後、尋問を終えた捜査官が局長室を訪れて報告を致しました。ですが、私たちを誘拐しようとした男たちは、狂信者めいた言葉を吐き出すばかりで一向に尋問が進展しなかったと仰っておりました。

 それと、クラリス嬢が別室で経緯を聞かれていたそうですが、彼女は今日、昼前のうちに貴宿館に訪れ、他の住人が居ないうちに自分の部屋を確認して、荷物を持ち込むつもりであったということです。

 クラウス様やレガリア様などの、尊い身分の方々と顔を合わせるのに失礼があってはいけないので、しっかり準備だけは整えておこうとしていたのだと。

 学園から出て、荷物を預かってもらっている友人の屋敷へと向かう途中。

 路上に止めてあった馬車から出てきたあの男たちに、馬車の中に引きずり込まれそうになったところに、私が鉢合わせたということらしいです。


 捜査局から辞した私たちは、捜査局で用意してくれた馬車にて館へと戻ることとなりました。

 いま馬車に乗っているのは、旦那様と私、そうしてクラリス嬢です。

 あの後、シュクルはメアリーに託して彼女がトニーと共に乗ってきた馬車にて先に帰宅させました。さすがのシュクルも、自分の暴走から、あの状況に発展してしまったことに沈んでしまって、おとなしく言うことを聞きました。

 ですが、シュクルの暴走があったからこそ、私たちの周りで様々な思惑が渦巻いていることが分かったのです。

 私は、館に帰ったら、シュクルを励まさなければと、密かに考えておりました。


「……それでは、クラリス嬢が奴らを精霊教の教徒だと分かったのは、あの中の一人を以前目にしたことがあったからなのか」


 私が考え込んでおりましたら、旦那様は、捜査局で聞いたクラリス嬢の話から、何やら質問しておられました。


「……はい。私、あの空襲で焼け出された後、神殿が敷地内に設けてくださった待避所でしばらくの間ご厄介になりました。その時に炊き出しの手伝いをしていたのですが、第三城壁内の市民街にある精霊教の教会でも手伝いをしました。あの時、教会にいた司祭様が、とても珍しい、緑の瞳の中に二重の赤い輪のような虹彩をしていたので、強く印象に残っていたのです。あの男たちの中にあの瞳を持った方がいました。あのような瞳を持った人が王都に何人も居るとは思えませんでしたから……」


 なるほど、それであれほどハッキリと精霊教徒だと断言できたのですね。

 私は、あの時に浮かんだ疑問が晴れ、すっきりと…………? そういえば、私、それ以外にも、何か彼女に聞かなければいけないことがあったような…………そうでした!


「あの、クラリスさん、伺いたいのですが貴女があの道に行く前にどなたか男性が追い越していきませんでしたか? この方なのですが……」


 私はそう言いながら、魔法で記憶にあるエルダン様の顔を空中に作り出しました。


「まあ! 魔法ではこんな事もできるのですか!?」


 クラリス嬢は空中に浮かんだ、エルダン様の顔を目を見開いて驚いています。


「はい。心象イメージと力を借りる存在を間違わなければ、大体のことは……まあ、魔力量の問題で発現しない魔法もございますが、クラリス様は破格の魔力をお持ちですので、修練してワンドが得られればかなりのことが成せると思いますよ。……ところで、見覚えは?」


「ああ、申し訳ありませんフローラ様。……この人、はい確かに私を追い越していきました。その時には顔は見ませんでした。ですが、あの方たちに襲われた時、まだ遠目に見えたので、私、助けてもらおうと声を掛けようとしました。ですが口を押さえられてしまって、……ただあの人、襲われていた私に気が付いたはずです。僅かな間でしたが、私の方を見ましたから、あんな状況で助けを求めようとしたのでハッキリ覚えています。この人で間違いなありません。…………そういえば……、私、この人、別の場所でも見た覚えがあります」


「それは……いったい何処でしょうか?」


「はい、先ほども言いましたが、神殿の待避所で手伝いをしていたときに、この人が、何かこのくらいの、箱のようなものを抱えて神殿から出て行くのを目にしました。身なりが神殿の関係者にも、焼け出された住人にも見えませんでしたから違和感があって、頭の隅に残っていました」


 クラリスさんは、手で箱の大きさを示すように動かして見せます。

 そんな、クラリスさんが手で示した大きさ……それはどう見ても神殿から消えたという聖櫃の大きさでした。


「旦那様……」


 私は、隣に座る旦那様に視線を向けます。彼は、とても深刻そうに考え込んでしまいます。


「……まさか、彼が……では、何で俺はそう言わなかったんだ…………」


 そう言った旦那様の呟きは、まったくもって納得がいかないというように、私の耳には響いたのでした。

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