当て馬だった旦那様 編

第123話 モブ令嬢と旦那様と学園長

 赤竜の月およそ7月七日。

 王都の防衛戦に勝利した日より三日。

 我が家を訪れたのは、ファーラム様でございました。

 朝、交代にやって来た近衛騎士の方より、昼後に王宮より事後の報告の為に人を遣わせるとの連絡をいただいていたのですが、まさかファーラム学園長がやって来るとは思いませんでした。


「学園も今は休学にしておるのでな、アンドリウス様に暇にしておるのなら王宮の雑務を手伝えと、このように老体に鞭を打ってやって来たわけだ。しかしいまだにあの様子では、お主たち、館から外に出られぬであろう」


 応接室に通されて、私たちの前に腰掛けたファーラム様は、開口一番そのように仰いました。

 ファーラム様が仰っておられるのは、いまだに私たちを一目見ようと我が家にやってくる人々のことです。

 屋敷は周囲を壁に囲まれていますし、今は門を閉じていて、客人が来訪したおりには、近衛騎士の方々が対応してくださっております。


 今、貴宿館にはクラウス様もレガリア様もおりません。クラウス様は王宮に、レガリア様もご実家に戻っておられます。

 本来であれば、近衛騎士の方々もクラウス様が戻られるまで王宮へと戻られるはずだったのですが、我が家の状況を知ったアンドリウス陛下より、門を守るようにと仰せつかったそうです。


 三日前の王都防衛戦。

 王都の多くの人々が、上空で繰り広げられた私たちの戦いを目にしていたそうです。

 しかもその後、学園の修練所に降りて、金竜騎士団の方々と情報の遣り取りをしていた時に、既に物見高い人たちが遠巻きに私たちを見ておりました。

 あの時、金竜騎士団の躁竜騎士の何人かの方が戦い後の興奮にまかせて、大仰に私に賞賛の声を掛けてくださったのです。おそらくは、それを見聞きしていた方たちから、口伝てで私たちの情報が広まったのだと思うのです。

 あの日、既に屋敷を取り囲むように人が集まり、私たちが帰宅したおりには讃えるような歓声が上がりました。


 都市防衛魔方陣を展開していた方々の苦労は筆舌に尽くしがたいものであったのでしょうが、結果としては、城壁内には大きな被害はありませんでした。

 ですが四日もの間、トーゴ軍の飛竜が空を飛び交い、上空で行われている戦いに身を震わせていたであろう人々は、その重圧から解放されました。そんな彼らの鬱積していた思いのはけ口が、王都解放の立役者となった私たちに集中してしまっているのかもしれません。


「ファーラム様、この度の王都の被害はどのようなものだったのでしょうか? 私たちはあの戦いの後、ファーラム様の仰るとおり、館より一歩も外に出ることができない状況です」


 旦那様の問いに、ファーラム様は髪と同じ白っぽい薄緑色の片眉を上げました。


「ふむ、城壁内は初日の奇襲のおり防護魔方陣の起動中に、第一城壁内に数カ所、飛竜の吐き出した火弾が着弾したのだが、大きな被害にはならなんだ。やけどを負ったものが数名出ただけだったのだが……城壁の外、特に建物は酷いありさまであった。だが、早急に避難勧告を出したのでな、死者は三百人ほどじゃ、トーゴ軍の魔道士共の襲撃がなければ、死者はもっと少なくて済んだのだが、住民の避難がすむまえに攻撃が始まったのでな……」


 ファーラム様がお辛そうに言葉を濁しました。

 おそらくは、避難が完了するまえに第三城壁の市門を閉じたのでしょう。

 旦那様はいたたまれなさそうに顔を歪めて聞き入っておりましたが、ファーラム様の言葉が途切れたところに言葉をつなぎます。


「しかしそこまで連携して攻撃をして来たのならば、王都に工作員が入り込んではいなかったのですか?」


 ファーラム様は、旦那様の気の回りように感心なされたご様子を示されました。


「そこは捜査局が抜かりなくてな、ライオス様……いや、この場合はライオット殿と言った方が良いか、目星を付けていた奴儕やつばらを早々に検挙しておった」


「さすがはライオット卿ですね。あの方はいつも飄々としておりますが、あの装いの下に隠された深慮遠謀がどれほどのものなのか……時折、恐ろしく感じるときがございます。特に我が家は、何度かあの方の導きリードで見事に踊らされてしまいましたので」


 ファーラム様の言を受けて旦那様はそのように仰いました。

 どうも旦那様はライオット様に対して苦手意識があるように感じられます。


「ですが旦那様、たしかに難しい踊りではございましたが、その踊りをこなした後に、我が家の未来が開けたのです。そのように恐ろしいなどと仰っては、ライオット様がお可哀想だと思うのですが」


 たしかにライオット様には、あの剽げたご様子で難題を振りかけられますが、考えてみますと、いつも解決の為の糸口は示してくださっておりましたし。


「二人のいう踊りとは、あの茶会で起きたという仕儀も含まれているのかな? 話には聞いたが、あれもライオット殿が裏で仕組んでおったということか。――相変わらずあの方は優秀じゃわい。まあ、あの方の立場ではその優秀さは……危うい、危ういのう。アンドリウス陛下はあの外見に騙されるが、思いのほか情の深いお方だ。であるからまだ良いが、歴代の王族であれば秘密裏にしいされても不思議ではない」


「……どう言う事ですかファーラム様?」


「……ああ、いや、すまぬ、言い過ぎたわ、忘れてくれ」


 ファーラム様は失言だと言葉を止めましたが、その皺深い顔にある聡明な光を湛える蒼い瞳は、これ以上のことを知りたいのならば、自分たちで調べなさいと仰っているようです。

 今の言葉の真意はいったい何処にあるのでしょうか? 私たちにライオット様の味方になるように促されたような気がいたします。


「……そうですね。いまは王都の状況を詳しく知りたいです」


 ファーラム様のご様子を目にして、旦那様もその真意を測りかねているようなご様子を浮かべてはいるものの、促されるままに話題を変えました。


「ところで、もう分かっているとは思うが、水道施設が破壊された。彼奴らも王都への攻撃が効かぬ事への腹いせもあったのだろうが、見事に全壊じゃわい。城壁外の施設は軒並みやられてしもうた。近隣の農園の被害も大きい。水道施設の修復にどれだけの労力と費用が掛かるか……それだけでも財務部が頭を抱えておったわい」


 水道が破壊されたということは私たちも館に戻ってすぐに知りました。

 我が家では過去に掘られた井戸がまだ残っておりましたので、セバスたちが早急に利用できるように補修したそうです。

 第二城壁内の古い貴族の屋敷には、まだ利用可能な井戸が多く有るそうですが、第三城壁内では井戸も少なく、水道施設が充実していた分、このような事態になって水の確保が問題になっているようです。

 今は、王都の防衛戦に数時間の差で間に合わなかった銀竜騎士団方々が中心になって、近くにある水源より水の運搬をなさっておられるそうです。


「……トライン辺境伯領におられるアンドゥーラ先生たちが帰ってきてからの話になりますが、クルークの試練の財宝を、前回のクルークの試練と同じ条件にて王国へ収めようという話になっております。私には財宝の価値がどのようなものになるかは存じませんが……」


「おお、そうであった。お主たちはクルークの試練を達成したのであったな。先日お主たちと顔を合わせたときは、陛下も疲労の極みであったそうだが、この三日でだいぶ体調も戻ってきてな。戦いの雑務も大分片づいてきたこともあって、好奇心が首をもたげておった。特に、ワンドについては前回のこともあったであろう、心配しておったわ」


 ファーラム様は意味ありげに笑いました。

 前回、アンドゥーラ先生は試練の宝物として置かれていたワンドを全てご自分の魔力で染め上げてしまいました。アンドリウス陛下にはその時のことが強く記憶に残トラウマになっているのでしょう。

 さすがにあのような事態が二度も続いたとしたら……陛下もアンドゥーラ先生が調査に向かったと耳にして気が気では無かったのかもしれません。


『――さま、シュクル様お待ちください。ああっ、そちらは今お客人が!』


 そのような声が部屋の外から聞こえたかと思いましたら、応接室のドアがガチャリと開けられてシュクルが飛び込んでまいりました。

 

「……パパ! ママ!」


 部屋に入ってきたシュクルは、ファーラム様を視界に捉えて一瞬だけビクリといたしましたが、すぐに私たちに向かって駆けよって来て、私の腰のあたりに抱きつきました。


「申し訳ございませんご主人様、奥様。さあシュクル様、お客様がおいでです。こちらへいらしてください」


 フルマがオロオロとしてしまっておりますが、シュクルは「いやぁ~~~~」と首を振って、私に強く抱きつきます。


「あらあら、シュクル。はしたないですよ」


「シュクル。こちらはファーラム様だ、ちゃんと挨拶しなさい」


「そちらのお嬢さんは? エヴィデンシア家の子はフローラ嬢、お主だけであったと記憶しておるが……」


 突然部屋の中に駆け込んできたシュクルに、ファーラム様も戸惑いを隠せないご様子です。


「ほらシュクル、挨拶のしかたは教えたでしょ。できるわね?」


 私が促しますと、シュクルはおずおずと上目遣いでファーラム様に向き直ります。


「……初めまして……ファーラム様。……シュクルです」


 そう言って礼をいたしました。ですがすぐに恥ずかしそうに私に抱きついてしまいます。

 その様子を目にしてファーラム様は相好を崩しました。


「おうおう、利口じゃのう……して、このお嬢さんは?」


「……この子が金竜王シュガール様と銀竜王クルーク様のお子様です」


「なんと! ……いや、うむ、確かに……人に化身できるとは聞いていたが……」


 いつも鷹揚に構えておられるファーラム様が、両目を見開いて蒼い瞳でシュクルをまじまじと凝視いたします。


「たしか、顎の下の逆鱗だけは隠せぬと言う話だが……」


「はい、ですので女性が傷跡やシミをごまかす為に使う色粉でごまかしているのですが……」


「ムジュムジュするの……」


 逆鱗は、その名の通り触れられれば激昂して手が付けられなくなると言われている場所ですが、竜種の弱点でもあり、最も感覚が鋭い場所のようなのです。

 シュクルも、色粉を付けられるのを嫌がっておりましたが何とか説得いたしました。


「……しかし、これは……本日儂が訪ねてきた一番の理由は、陛下との謁見の日取りを伝える事であったのだが、その折には、シュクル嬢も伴ってもらわねばならぬかも知れぬな。それにしても……お主達の竜が第一世代の竜種であることは秘匿するようにと、陛下が金竜騎士団の者どもに厳命しておったが……秘匿するのは難しいであろうのう」


 あの修練場での出来事がなければ、まだごまかす事もできた思うのですが、あの場で金竜騎士団の方々の言葉を聞いていた人たちもおりました。

 旦那様と私が、シュクルの逆鱗を何とか隠せないかと考えたのもそれが理由でしたし。

 ですが竜種売買をしていた方々が捕らえられていることが安心材料ではございます。


「ふむ、それでは儂は失礼する。今一度王宮に戻って陛下と話をせねばならんな」


 ファーラム様はそのように仰って、私たちに陛下との謁見の日にちを伝えてお帰りになりました。

 そして、それから四日後の夜、アンドゥーラ先生達が戻ってまいりました。

 先生達も私たちが王都へと向かったあとすぐに準備を整えて帰路についたそうです。

 黒竜騎士団の方々はそのまま国境の砦に入り、交代となる赤竜騎士団の方々はトーゴ王国軍の動きも警戒せねばならず、あと数日様子を見て王都へと帰還するのだとか。

 この日にはアンドゥーラ先生が帰ってくると考えておられたのでしょう、その二日後、赤竜の月およそ七月一三日に私たちは陛下と謁見するために王宮へと訪れたのでした。

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