第122話 モブ令嬢と旦那様と幼子の甘いひととき

「『なッ、何じゃこりゃ!?』」


 旦那様の叫び声に驚いて、微睡みから目を開いた私が見たものは、いつの間にか旦那様と私の間に潜り込んで眠っていた、裸の幼い女の子でした。

 髪の色は、金髪と言い切るには黄色味が薄く派手さはないものの、落ち着いた煌めきがあってとても神秘的です。

 私も起き上がってしまった為に、彼女の上から大きく布団がめくれてしまいました。

 みずみずしい幼い肢体が惜しげもなく晒されてしまいます。

 それを目にして、固まっていた旦那様が、グルリと首を動かして視線を外しました。


 朝方の冷気を含んだ空気にさらされたからでしょう、身体を伏せるようにして眠っていたその女の子は、眠そう目をこすりながら、ベッドの上に座るようにしてこちらを見ました。


「うぅぅ……パパ? ママ?」


 目をこすっていた手を外して、私の方を見た彼女の瞳は、左目が金、そして右目が銀色をしておりました。


「……シュクル、なの?」


「うん、シュクルなの」


 そう言ってニコリと笑うと、シュクルは私に飛びついてきました。

 私は布団の上に倒れてしまいそうになりながらも、彼女を受け止めます。


「うふ~~~、ママ~ママ、ママ、ママ」


 シュクルが私のお腹のあたりに顔を埋めて、ぐりぐりと頭を擦り付けるようにして甘えてきます。


「え、まさかとは思ったけど――ホントに? シュクルなの!?」


「旦那様! お顔!」


「はい! ごめんなさい!」


 驚いて、こちらへと振り向いた旦那様を思わず一喝してしまいました。

 私はめくれた布団を引き寄せて、私の腰に抱きついたままのシュクルを包みます。


「旦那様、もう良いですよ」


 私が、そう旦那様に声を掛けたのと同時に、部屋のドアが強く打たれました。そうして「失礼いたします!」と、慌てた様子のチーシャが入ってまいります。


「ご主人様! 奥様! 大変です!! シュクル様がッ――いつの間にかシュクル様が居られなくなってしまって……いま、フルマとトニーたちが敷地内を探しておりますが……」


 慌てふためいているチーシャに向かって、右頬にかかる傷痕を掻きながら、旦那様は気まずそうに口を開きます。


「ああ……、その、大丈夫だチーシャ。シュクルはここに居るよ」


「シュクル、ここにいるよ!」


 シュクルも私の腰元から顔を上げ、さらに右の手を上げてニコニコと満面の笑みを浮かべてチーシャを見ました。


「……はあ? ……ええッ!? そっ、そのお子様は……えッ、がっ?!」


 ああっ、あまりのことにチーシャが混乱しております。

 それはそうでしょう、幼竜とはいっても人を二人も乗せて空を飛ぶことのできる大きさの竜が、このように幼い女の子の姿になっていれば普通はそういう反応になると思います。

 私も旦那様も、第一世代の竜種が人に化身できることは、リュートさんのお母様の話でも知っておりましたし、なんといいましても、昨日、人の姿のクルーク様と顔を合わせたばかりです。

 この子を見た瞬間に、なんとなくそんなこともあるだろうと受け入れておりました。

 ただ、シュクルの姿はどこかで見たことがあるような……。


「チーシャ、シュクルは第一世代の竜種ですから、人の姿に化身できるのです。私もこのように小さなうちから化身できるとは知りませんでしたけど……。ああ、シュクルを探しているフルマやトニーたちに大丈夫だと連絡してください。それから、子供が着る事のできる服を、お母様に声を掛ければもしかしたら私が幼かった頃の服があるかも知れません」


「はい、分かりました…………それにしましても、シュクル様は奥様に似ておられますね。まるで年の離れた妹のように見えます。ああすみません、そのようなことを言っている場合ではございませんでしたね。失礼いたします」


 まだ若干混乱気味のチーシャは、慌てて部屋を出て行きました。

 いまのチーシャの言葉で分かりました。このシュクルの姿……幼い頃の私に似ているような……。

 もちろん髪と瞳の色は違いますが……もしかして私の姿をまねて化身したのでしょうか?

 どうしましょう。平凡な私の姿をまねては、オルトラントの人々に馬鹿にされてしまいます。

 私は毛布で包むようにしたシュクルを、旦那様の方へと向けて腿の上へと座らせました。そして、彼女を背後から支えるようにしていだきます。

 シュクルの顔の斜め上に、自分の顔を並べるようにして、旦那様に確認いたします。


「旦那様……シュクルは私に似てしまっておりますか?」


 私は、恐る恐る旦那様を見上げました。

 そんな私たちを目にした旦那様は、ウッ、と胸を押さえて前屈みになりました。

 えッ!? 寿命は取り戻したはずですが――まさか、元々の心臓の欠陥は改善されないのでしょうか?


「『クーーーーーーッ! 何なのこの可愛い生き物たち!! ……俺、萌え死にしそう……』」


 ええッ――死にそうって!? そんな、ですが可愛いって……何で可愛くて旦那様が死んでしまいそうなのでしょうか!?


「旦那様!? 大丈夫ですか! 医師を呼んだ方が……」


「ああっ、ごめん! そういう死にそうじゃ無いから。そうだね、フローラはもうけっこう日本語分かるんだもんな。いや、二人ともとっても可愛いよ」


 いえ旦那様、私が聞いたのは可愛いかではなくて、シュクルが私に似てしまっているかなのですが……。


「パパ。シュクル、可愛い?」


 シュクルが私の前で、旦那様に向けて小首を傾げています。

 その仕草がとても可愛らしくて、私は内心の問いを忘れて微笑をうかべてしまいました。


「ク~~~~ッ、シュクルもママも、とっても可愛いよ! ……ほんとうに、本当に、二人とも俺の宝物だ!」


 旦那様は感極まったご様子で、シュクルごと私を抱きしめます。壊れ物でも扱うように優しく、包み込むように抱きしめてくださいます。

 私も、この旦那様の腕に抱かれて、先ほどの心配が吹き飛んでしまいました。

 旦那様にこれほど愛されるのならば、他の人の評価など気にする必要があるでしょうか。


「…………ゲームでは滅ぶはずだった俺が、こんなに幸せでいいんだろうか……」


 私たちを抱きしめ続ける旦那様の口から、ぽつりとそのような言葉がこぼされました。その言葉には僅かに負い目を感じているような響きがございます。


「旦那様……これは、旦那様が選び、懸命に生きてこられた結果なのですから、胸を張って堂々と受け入れてくださいまし」


 ゲームという分岐する物語の中では、どの道を辿っても滅んでしまうという運命を背負っていたはずの旦那様は、いま明らかにその物語とは違う道を歩いておられます。

 それは、いまの旦那様が懸命に足掻いて、運命を覆してきたからです。これは誰にも負い目を感じる必要はないのですから。


「……ああ、そうだね、フローラ。今回の戦いで住むところや命を失った人たちもいるだろう……、だけど、いまだけは、いまだけはこの幸せに浸ってもいいよな……」


 ああ、旦那様はそのような事を考えていたのですね……。がれきと化してしまっていた城壁外に広がっていた街並み、初めの攻撃は夜襲であったとノーラ様が仰っておりました。

 あの場所ではきっと亡くなった方々も多くいたでしょう。

 昨日は、陛下たちも疲弊の極みにおられましたので、私たちはノーラ様より簡単な話を聞いただけでした。

 きっとこれから様々な情報が私たちの耳に入ってくると思います。


 それに、トライン辺境伯領へと残してきた皆が帰ってくれば、あちらの被害の詳細も分かるでしょう。

 報償や栄誉の授与を行う式典はそれ以降の事となるでしょうから、私たちもしばらくは静かに暮らせるはずです。

 ですがそれ以降は……これまでとはまた違う意味で、騒動に巻き込まれそうな気がいたします。

 きっと旦那様もそのことを感じておられるでしょう。

 王都や皆を守る為には致し方ございませんでしたが、私たちは目立ちすぎてしまいましたから。


「パパ、ママ、ラブラブ!」


 旦那様と私の間で、シュクルが無邪気なようすで旦那様に抱きついています。

 私も、いまこの時だけは、胸に広がる幸せを噛みしめて旦那様の背に腕を回しました。

 そんな私たちが、お母様に呆れたような声を掛けられたのは少し後の事でございます。

 ですがこの時、王家の茶会のおりに旦那様が毒に倒れて後、私に課せられた試練が、本当に終わりを迎えたのだと確信できたのでした。

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