第120話 モブ令嬢と王都防衛戦
風が、力強く羽ばたくシュクルの背後で逆巻いて、轟々と耳を打ちます。
上空の冷たい大気は、火の精霊イグニスの力を借りた魔法で防いでおりますが、飛竜を操る飛空士や躁竜騎士の方々は、どのようにしてこの寒さから身を守っているのでしょうか?
私たちがトライン辺境伯領を発って二時間ほど、旦那様のお話では、シュクルの飛ぶ速度を考えると、おそらくあと三時間は掛からないのではないかとのことです。
陸路で八日かかった距離がまさかそれだけの時間で……空を飛ぶと、それほどに早く移動できるのですね。
飛竜士が領をつなぐ伝令として使われる理由がよく分かりました。
ちなみに、手紙や小さな荷物などの運搬をする飛竜士の多くは、俗に言う第四世代以降の竜種、竜王様の保護要請から外れた野獣のごとき竜を調教して利用しています。
なかなかに気性が荒い彼らを、その背に人を乗せるまでに馴らすのはそれは大変なのだと、トルテ先生が話してくれたことがございました。
第三世代の竜種と絆を結んでいる飛竜士もおられますが、彼らは特級飛竜士と呼ばれており、多くは年齢によって躁竜騎士を引退された方だそうです。
国や領主に仕えているのは、ほぼこの特級飛竜士なのです。
眼下には、同じように見える小さな山や林、森が続き、時折畑や小さな村が目に入ります。
やって来た街道も目に入りますが、空から見ると街道は思っていた以上にくねっていて、それもまた時間がかかった原因であるのかも知れません。
「旦那様……、間に合うでしょうか?」
初めての体験に、王都までの距離感が掴めない私は、焦る心を抑えきれません。
「仮定の話になるが、騎士団をトライン辺境伯領へと引き込んで王都の守りを薄くすることが狙いであるのなら、少なくとも銀竜騎士団が王都を離れるのを待って攻撃を始めると思うんだ。王都には間違いなくトーゴ王国の密偵が入り込んでいるだろうからね。慎重な指揮官ならば、金竜騎士団が動くのを待つかも知れない。彼らがどれだけの飛竜を抱えているのかは知らないが、二一騎の飛竜を相手にするのは容易なことではないからね」
オルトラント王国が誇る金竜騎士団はその二一騎全てが飛竜で構成されております。
騎竜と絆を結んだ躁竜騎士の方もおられますが、彼らは銀竜騎士団に配置されているそうです。
「であれば良いのですが……」
旦那様の言葉には、多分にそうであってほしいという願望が籠もっております。
「私たちが王都を発ってより十三日、王都には都市防衛の魔方陣が組まれておりますものの、今のオルトラントにはそれを起動し続けるだけの数、魔道士がおりません。どれだけ耐えられるか……お父様やお母様、館の皆が心配です」
「指揮官が優柔不断であることを祈るしかないね」
旦那様の言葉はどこか不謹慎な調子ですが、そのお顔は苦渋に満ち満ちています。
『ママ……パパ……イソグ?』
「「え!?」」
不意に、拙い言葉が私たちの頭に響きました。
『オウト……イソグ?』
「「この声……まさか? シュクル?」」
『ウン……シュクル』
「これは……魔法ですよね。それに言葉は……いつの間に?」
『タマゴノナカ、パパ……オシエテクレタ……。マホウ、ママミテオボエタ』
「まさか……旦那様がバジリスクであったときにシュクルのタマゴを抱いていたのは……」
タマゴを孵す為ではなく、旦那様の知識をシュクルに伝える為だったのでしょうか?
考えてみますと、タマゴから孵ったあと、留めていた時間を戻して成長はいたしましたが、生まれたばかりのこの子と、意思疎通ができていた事を不思議に思うべきでした。
それに、私がこれまでに魔法を使っていたのを見ていて、魔法の使い方を覚えたということでしょうか? ……第一世代の竜はやはり規格外なのかも知れません。
「なるほど――それで、パパ、ママなのか」
旦那様は、納得したように呟きました。
パパ、ママとは、旦那様の世界で、父と母を呼ぶ言葉の一つであるとか。
銀竜王様と金竜王様の子であるシュクルに、親として認識されているのはどこか恐れ多い気がしてしまいますが、同時に嬉しい気持ちも湧き上がってきてしまいます。
『パパ……ママ……イソグ?』
「シュクル――まさか、今より早く飛べるのか?」
『マホウツカウ、ハヤクトベル』
「……お願いできるかい、シュクル」
『マカセテ……パパ』
シュクルがそのように言いますと、私たちの前に空気の輪のようなものが生まれました。
その輪は一つ、二つと連なってゆき、輪自体はグルグルと押し出すように渦巻いて見えます。それはさながら空気できた筒のようです。
さらに私たちも、薄い空気の膜のようなものに包まれました。
空気の弾と化した私たちは筒の中へと入ります。すると、それまで見えていた景色が、まるで線のように伸び一気に加速いたしました。
ですが次の瞬間には、線のように伸びた風景の中を私たちは非常にユックリと飛んでいるように見えます。
それを見て、旦那様があんぐりと口を開けてしまいました。
「嘘……まさか、ワープ!?」
呟いた旦那様が、驚愕して固まってしまいます。
ワープ? とはいったい何でしょうか?
それにこの魔法。シュクルはどのようにして構築したのでしょう?
旦那様から得た知識の中に、このような魔法を生み出すモノがあったのでしょうか?
それは、長かったのか――それとも短かったのかは分かりません。
旦那様はおそらく、シュクルが起こしたこの現象に、私は、初めて目にする不可思議な空間と、シュクルの魔法の力に呆然としておりました。
『パパ……ママ……キヲツケテ、オウトチカク、デル』
私たちは、シュクルのその言葉に、自失していた意識を取り戻しました。
するとそれを待っていたかのように、線のような景色が急激に短くなり……そして、通常の景色へと戻りました。
「……旦那様! あれを!」
不可思議な空間から出た私たちの眼前には、王都の三重城壁が見えました。
「あれは!?」
城壁を包むように、上空に光の魔方陣が浮かんで見えます。
第三、第二、第一城壁と、内に入る城壁の上ほど魔方陣が厚くなっています。
「あれが、都市防護魔法です!」
「間に合った……のか?」
「城壁内はいまだ大丈夫なようですが見てください旦那様。第三城壁の外を……」
下級市民が多く住み着いた城壁外の町が……壊滅しております。
いったい、何日前より王都は攻撃されていたのでしょうか。
「フローラ! あれを!!」
旦那様が指さした方向では、飛竜たちが飛び交い、火弾の光が筋を引いて、何本も城壁の上に浮かぶ魔方陣へと放たれました。
第三城壁の上からは時折、矢や魔法が放たれます。
ですが空を飛ぶ飛竜にはひらりと避けられてしまい、殆ど力を発揮しておりません。
王都の上空では金竜騎士団の飛竜と、新政トーゴ王国の抱える飛竜とが空中戦を繰り返しております。
しかしトーゴ軍の飛竜の数は、金竜騎士団の飛竜の数の少なくとも倍近い数に見えます。
「フローラ――金竜騎士団に俺の言葉を届けてくれ。このまま参戦したら彼らが混乱する」
「分かりました旦那様」
私は胸の魔器ストラディウスを顕現させ、肩と顎で固定すると、静かに弓を引きました。
アンドゥーラ先生の見解では、魔器ストラディウスの
バリオンは、魔法を増幅する為の
そのストラディウスから増幅された音が周辺へと響き渡り、私の魔法が空間を満たします。
『金竜騎士団の皆さん、私は黒竜騎士団騎士グラードル・ルブレン・エヴィデンシアです! クルークの試練は達成され、私たちはこの飛竜、シュクルを授かり、妻フローラは魔器ストラディウスを賜りました。トライン辺境伯領に侵攻した新政トーゴ王国軍は撃破いたしました。我らはこれより皆様を援護いたします!!』
旦那様はそのように仰りながら、胸の偽神器シュギンを顕現させて、トーゴ軍の飛竜が接近する前に、弦を引き絞って、雷の矢による先制攻撃をいたしました。
旦那様の放った一撃は、乱戦をする飛竜たちの中に飛び、空中で三筋の光に別れて、トーゴ軍の飛竜の三頭を穿ちます。
雷の矢に打ち抜かれた躁竜騎士と飛竜はそのまま落下いたしました。
『おおっ、これは! まことにクルークの試練を達成したのか!』
『だが、たった一騎の援軍にどれだけの働きができるというのか、奴らは四十騎はいるのだぞ』
そのように、希望を見いだす方もいれば、援軍の少なさに希望を抱けない方もおります。
ですがトーゴ軍の躁竜騎士たちも、旦那様の偽神器シュギンの力を脅威に感じたのでしょう、旦那様に次の矢を放たせないように飛竜を操って急襲してきます。
「フローラ! シュギンを放つには時間がかかる。奴らが来たらもう使えない! 俺は守りに徹するから、すまないが攻撃を頼む!」
旦那様は、偽神器シュギンを胸に戻して背負っていた盾を手にいたします。
「分かりました旦那様。守りはお任せいたします」
私は飛行の魔法を使いシュクルの背から飛び出しました。
急襲してきた飛竜はそのまま火弾を放ってきます。しかしその火弾は旦那様が展開した盾の魔力によって霧散いたしました。
「なッ、馬鹿な! ……この力――本当に貴様らは試練を達成したというのか!」
一人の躁竜騎士はその様を目にして、魔力で展開した盾に当たらないように飛竜の速度を落とします。
「戦いの場でバリオンの演奏などと――小娘が、馬鹿にしおって!!」
飛竜の上で剣を抜いた今一人の躁竜騎士が私に迫ります。
その躁竜騎士は旦那様が展開した魔力の盾を通り抜けました。盾の力は魔法に類する力にしか効果が無いのでしょうか?
躁竜騎士は剣を振りかぶって、そして下ろします。ですがその剣は私に届くことはなく、旦那様の剣で受け止められました。
トーゴ軍の飛竜と旦那様の乗るシュクルが空中で交錯いたします。このように見ますと、シュクルがまだまだ幼いことがはっきりと見て取れます。
体格もトーゴ軍の飛竜の三分の二ほどの大きさです。
ですがシュクルの羽ばたきの力強さは、目の前の飛竜に劣るものではございません。
トーゴの躁竜騎士と旦那様の力も拮抗して空中で留まってしまいます。
それを狙うように、トーゴ飛竜が四方から攻撃を掛けようと迫ってきました。
私は周りに守りの障壁を展開します。
飛竜たちは私たちの周りに出現した目に見えない障壁にぶつからないように速度を落として、空中に留まりました。
すると、突然私たちの周りにバチバチと弾ける光球が二つ生まれました。
「これは!? シュクル?」
『ママトパパヲイジメルナ!』
バババババッ! と、球体から弾けた光が空中に留まった飛竜たちを打ちます。
その光球は雷のようで、光に打たれた竜たちはそのまま地上へと落下して行きました。
「これは――球雷!?」
旦那様がシュクルが創り出した光球をそのように表しました。どうやらこれも、旦那様の知識より生み出した魔法のようです。
シュクルの創り出した球雷という魔法で、一気に六騎の飛竜を撃退いたしました。
旦那様が初撃で三騎を墜としておりますので、これで九騎です。
ですがいまだ三十騎近く、トーゴ軍の飛竜が王都の上空で金竜騎士団と空中戦をしております。
その時、私は気付きました。
城壁の上に展開されていた魔方陣の光が瞬いて、急速に光が弱まって行くことに……。
「旦那様! 都市防衛の魔方陣が……! ……旦那様、私、大魔法を放ちます。しばしの間魔法の構築に集中いたしますので……どうぞお守りくださいね。シュクルもお願いね」
「任せろ、フローラ」
『マカセテ、ママ』
私は、シュクルがいま創り出した球雷という魔法を、これまでの魔法と組み合わせて構築し直します。
金竜王シュガール様の神器聖弓シュギンの力を借りた魔法、これまでは放たれた矢の
ですが、旦那様の偽神器シュギンは、引き絞るほどに力を増します。その引き絞る心象を球体として固める心象に置き換えます。……彼らの上空に同じ数の球雷が生まれました。
私は、その魔法を放つ前に、トーゴ軍の躁竜騎士たちに言葉を掛けます。
『新政トーゴ王国の方々……お引きなさい。あなた方の作戦は失敗いたしました。トライン辺境伯領への侵攻も、クルークの試練の財宝の奪取も、そして、王都の急襲もです。いま引くならば攻撃はいたしません。どうか、命を大切になさってください』
『ええい、うるさい、うるさい、うるさいわ、この奏楽家気取りの魔女めが! 見ろ、オーラスを守る防衛魔方陣の力はもう尽きる。王都を壊滅させれば、オルトラントの領地は切り取り放題だ! 我が国よりも少ない飛竜騎団で防げるとでもいうのか、行くぞ者ども、魔方陣の力が尽きたら王城を狙うのだ!!』
やはり……私のような小娘の言葉には、耳を傾けていただけません。これがアンドゥーラ先生でしたらいま少し違っていたかも知れませんのに……。
私は、今まさに途切れんとしている魔方陣を目にして、決断を下しました。
途端、飛び回る彼らをずっと追尾していた頭上の球雷がバシリッ! と弾けて彼らを穿ちます。
この場で空中戦を繰り広げていた、トーゴ軍の躁竜騎士と竜たちは全て、地上へと墜ちて行きました。
彼らと空中戦を繰り広げていた金竜騎士団の方々は、あまりの出来事に呆然とした様子で空中で留まっております。
『なんと……あれだけの飛竜を、ただ一度の魔法で……、あの魔道士が使っているのは魔器ストラディウスと言っていたな』
『俺は、そんなモノは吟遊詩人の夢物語だと思っていた……』
『それに、あの金色の光の羽。まるで、この世界や竜王様たちを生み出したという、神のごとき神々しさではないか』
『女神……救国の女神だ……』
『おおおお……女神だ…………しかも従えているあの飛竜は魔法を使っていなかったか?』
『おい待てよ、魔法を使うって……ということは、まさか第一世代の竜種』
『おおぅ…………第一世代の竜を従えた女神…………我が国は、女神の加護を得たぞ!!』
あっ、あの、なんだか話がとんでもない事になっていませんか?
あの、よく見てください。茶色い髪に瞳ですよ……。そんな女神いないと思いませんか?
それに、旦那様、旦那様の活躍は……旦那様の初撃のご活躍がなかったことになっておりませんか!?
城壁外の町には被害が出てしまったものの、何とか王都は守り抜くことが叶いました。
ですが、何故か話はおかしなことになっているような気がするのですが……皆様、旦那様のご活躍をどうかお忘れなく。
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