第119話 モブ令嬢と魔導爵の挟撃戦
クルークの試練、その財宝を狙い部隊を動かした新政トーゴ王国軍を退け、撤退に追い込んだ私は、労うようにポンポンとシュクルの首筋を叩きます。
「シュクル、あなたはまだ大丈夫?」
私の問い掛けにシュクルは、「ピィ~~ッ、キュイッ」っと答えて、元気な様子を示そうとするかのように力強く羽ばたきました。
「……旦那様、シュクルは大丈夫なようですので、打ち合わせ通りに……」
旦那様は頷きますと、シュクルの手綱を操って、そのまま撤退する彼らの頭上を追い越して、その先へとシュクルを飛ばします。
その私たちを狙って、バラバラと矢と魔法による攻撃が放たれますが、矢は私たちに届く前に途中で力を失って落下してゆき、火球や雷、光の矢といった魔法は、私が周りに張っている防護魔法の前に霧散いたします。
いくら撤退するといっても頭上を追い越されれば、回り込んで攻撃されることを考えて、もっと苛烈な攻撃を仕掛けて来ると考えたのですが……攻撃はまばらで、統制されたものである感じがいたしません。
それにしましても、あの部隊の中にはもう飛竜が居ないのでしょうか?
六騎の飛竜というのは通常であれば納得がいく数です。ですがバレンシオ伯爵による竜種売買の先が、新政トーゴ王国であったのならば、竜種の動員数がいささか少ない気がいたします。
「騎竜と飛竜の数が、通常の編成とだいぶ違うな……」
旦那様も違和感を感じたご様子で、そのように呟きました。
騎竜は、レオパルド様と私が攻撃したもの以外にも、撤退する部隊の中に十頭近く確認できます。
ですがそちらは、数としては通常編成されるより多いように思われます。
と言いますのも、七大竜王様の血を引く竜種は飛竜の方が数が多いからです。
翼を持たない竜王様は、銀竜王クルーク様と青竜王バルファムート様だけですし、バルファムート様は単為生殖で子を成しておられますので水竜ばかりです。
つまりは銀竜王様を祖とする竜種の中にだけ、翼を持たない竜が生まれるのです。
クルーク様とシュガール様の子であるシュクルが飛竜であるように、必ず翼の無い竜になるわけではないので、軍で編成できる竜は通常ならば飛竜の方が多くなるのです。
「それに、魔道士からの攻撃が少ないのもいささか気になります。現在の新政トーゴ王国は小国でございますが、王国が抱える魔道士の数は我が国と同じほどであったと聞き及んでおります」
「……何かいやな予感がするな……」
旦那様が、僅かに顔を顰めて呟きました。
私も同感です。
「それにしても……さすがに空を飛ぶと早い。……あれがトライン辺境伯領の主都タルブだろう」
空を飛んでいることもございますが、高空からの視点だからでしょうか、主都タルブを囲む城壁がだいぶ近くに感じます。
そのタルブと私たちの間を阻むようにしてトーゴ軍の部隊が展開しております。
その形は、タルブと鉱山地帯を阻むようにですが、それ以外にも海岸線が望める西側をも塞いでいるように見えます。
しかし、物語で読んだり話には聞いておりましたが、本当にあれほど大量に水が溜まっている場所があるとは……海岸線の向こうは遙か先、地平線ならぬ水平線が見えております。
しかも海というのは、あれほど大量の水の中に塩が含まれていて、塩辛いのだといいます。
料理に使われる塩が、海水を煮詰めて濃縮、結晶化させて作られているとも聞いておりますが、あれほどに大量の塩水があるのならば、そのような作業を仕事とする職人がいるのも納得できますね。
「フローラ……合図を頼む」
生まれて初めて目にした海に、僅かに戦いの中にいることから逃避してしまいました。
私は気持ちを引き締めなおします。
「はい、旦那様」
私は、魔器ストラディウスの弓を手にして、上空へと光球を打ち出し――そして弾けさせます。
光はひときわ大きく輝いて……そしてゆっくりと消えて行きました。
その間に私は、また飛行の魔法を自分に掛けて、シュクルの上から飛び出します。
「それでは旦那様。いま一度行ってまいります」
シュクルの前に飛び出した私は、その場でクルリと回ってそう言いました。
「アンドゥーラ卿が言っていたように、相当の覚悟を持ってここまで深く入り込んできた部隊だ、その奴らの気持ちを折って撤退させる。それには圧倒的な力の差を思い知らさなければならない。フローラ――守りは任せて、思いっきりやってきなさい」
旦那様の言葉に合わせるように、シュクルもピィ~~っと鳴いて私を送り出してくれました。
私は魔器ストラディウスの本体を顕現させて構えます。
そうして、背中で翼のような形を描く
私の背後にピタリと離れずにシュクルに乗った旦那様が続きます。
私たちが進む前方、トーゴ軍の向こうタルブの城壁を守る大門が開きました。そこから騎兵の部隊が飛び出します。
それは私が放った合図を受けて、タルブの中で籠城していた黒竜騎士団が動き始めたからでした。
あの中には、この作戦を提案したアンドゥーラ先生がおられるはずです。
トーゴ軍の部隊が魔法の効果範囲に入ったところで、私は演奏を始めました。
前の戦いのときと同じように、聴音と拡声の魔法を使って私は彼らに警告を放ちます。
『新政トーゴ王国の皆様、クルークの試練は既に達成され、試練の迷宮を狙った部隊は我々の攻撃により敗走しております。……あなた方も我が国への侵攻を諦め、速やかに母国へとお帰りください。でなければ我が軍はこれよりあなた方を掃討することとなります』
それが聞こえたわけではないでしょうが、黒竜騎士団の中からも大魔法を使う為に圧縮された魔力の煌めきが見えました。
あれは、間違いなくアンドゥーラ先生でしょう。
魔法は使う方の
あの魔法の顕現のしかたは私に見覚えのあるものでした。
前方のトーゴ軍の中から響く、数々の言葉が耳に届きます。
『この声、それに戦場にバリオンの演奏とは……!?』
『――魔道士部隊、防護魔法を展開せよ!! 魔法が来るぞ!』
『アダン閣下。この声と演奏は先ほど上空で光を打ち上げていた、躁竜騎士に守られているあの魔法使いでしょう』
『小娘のようだが……。偽計である可能性は?』
『彼奴めは、確かにロドリゴの部隊が向かった鉱山の方向から飛んで参ったようです。見ていたものがおりました』
『ということは、我が軍が送り込んだ竜どもを退けてやって来たことになる……、あの千杖の魔女以外にも竜種を退けられる力を持つものがおったか……それとも、試練の迷宮でその力を得たのか?』
前方と後方を魔法使いに挟まれ、混乱に陥っているトーゴ軍の中で、無数に響く声の中から、私はこの部隊の指揮官と思しき方の声を捕らえました。
「旦那様、アンドゥーラ先生が仰っておられたように、指揮官はあのあたりに陣取っているようです」
私は、私たちの方に近い場所。群れる騎兵、そして騎竜が見える一角を指し示します。
それはアンドゥーラ先生が事前に予想していたとおり、タルブからは離れた位置でした。先生の魔法が到達する範囲からは外れております。
「フローラ、奴らは飛竜を上げる様子がない。……この攻撃は俺に任せてもらえないか。今度の攻撃は敵の中枢を破壊しなければならない。以前デュランド元軍務卿に敵を殺せるかと問われたが、俺は正規の軍人だから……命を奪う覚悟はできている」
旦那様はそのように仰います。
「……旦那様……」
視線を合わせた私に、旦那様は優しく、そして決意を含んだ瞳で微笑みました。
……先ほどの私の戦いを目にして、旦那様は思うところがあったのでしょう。
彼は、甲の胸にある矢をつがえた弓形の飾りに手をかざします。すると旦那様の手の中に黒灰色の弓が現れました。
あれは……なんとなくは感じておりましたが、クルーク様はあの甲と揃いの盾と剣だけでなく、私たちと同じような武器までをも旦那様に与えて居られたようです。
旦那様は矢の無い弓の弦を引き絞ります。
すると、引き絞られた弓にバチバチと弾けるような音を発して、光る矢のようなモノが生まれました。
弓を引き絞れば引き絞るほどに、生まれ出た矢の光は増します。
その時、タルブより出撃した黒竜騎士団の上空に無数の巨大な火球が表れて、トーゴ軍へと放たれました。アンドゥーラ先生が最も得意とする火炎系の大魔法です。
トーゴ軍の部隊も防護魔法を展開してその攻撃を防ぎますが、魔法の威力が違います。
完全には守り切れずに所々で守りが敗れ、着弾した火球はその場で爆散いたします。
人や馬が弾き飛ばされ、その周辺では歩兵たちが恐慌に陥って押し合って逃げ出そうといたします。
歩兵の多くは、徴兵された者ですからこのような事態になると抑えは効かなくなってしまいます。
『まさかこれほど早くオルトラントが動くとは……千杖の魔女は軍務部とは疎遠だなどと、バレンシオめ役に立たぬ情報を送りおって』
その声は、アダンと呼ばれていた方のものです。その声は、どこか諦めのようなモノが混じっておりました。
ですが……
『それにクルークの試練がこの短期間で達成されるなど……だが、千杖の魔女が釣れたとなれば……陛下……時は稼げませんでしたが、力は削げたはず……新政トーゴ王国に栄えあれ!!』
との声が私の耳を打ちます。
同時に、一杯まで引き絞られた旦那様の手にある弓から、光る矢が打ち出されました。
それは、空気を切り裂いて真っ直ぐに、あの声がする場所へと飛び、そして目標の直前に無数に別れて着弾いたします。
その後に、まるで稲光の後に発する雷鳴のような音が耳を打ちました。
旦那様の手にあるのは、金竜王シュガール様の神器を模して造られた偽神器と呼ばれるものだと思われます。遙か昔にその製法は失われ、現在では製造することの叶わない武器です。これはマリーズやアルメリア達に贈られたものも同じでしょう。
旦那様の手にある、偽神器シュギンから放たれた雷の矢が着弾しました一帯は、トーゴ軍の兵や馬、騎竜達がピクリとも動かず、重なり合うようにして倒れ伏しております。彼らは皆息絶えているように見えました。
しばしの沈黙が一帯に広がり、そして恐慌の叫びが弾けます。
指揮系統を失った軍は脆いものです。生き残った多くの兵士達は我先にと逃げ惑い、馬で仲間の兵を踏みつけてまで逃げようとする者もおります。
中には、声を張って反撃を叫ぶ者もおりましたが、この場に配された新政トーゴの兵達は、既に軍という体裁を保つことができずに敗走を始めました。
◇
「フローラ、君が
敗走した新政トーゴ軍の追撃は黒竜騎士団に任せ、アンドゥーラ先生は私たちと合流いたしました。
そして、その第一声がこれです。
私たちが試練を達成したことを喜んでおられるのですが、先生らしく素直ではございません。
そして、私はアンドゥーラ先生と共に来られた方を目にして、一つ納得をいたしました。
「やはりブラダナ様も来られていたのですね」
どうりで白竜王ブランダルさまが状況を知っておられたわけです。
地上に戻ってからも、マリーズとブランダル様を通してアンドゥーラ先生と、この作戦の打ち合わせをすることができましたが、いくら神のごとき力を持つ竜王様でも、簡単に遠くの事情を知ることは叶わないのですから。
「リュートを送り出した手前ね、まったく――アンドリウス陛下に足元を見られちまったよ……」
ブラダナ様はいつものように少しぶっきらぼうな様子で答えました。
もしや陛下に請われて――とは考えておりましたが、その通りだったようです。
「ところでアンドゥーラ先生。私、気になる事がございます。あの部隊の指揮官らしき方が、先生をおびき出せたような事を仰っておりました。何か心当たりがございませんか?」
「私をおびき出しただって? 私がここに来たのは偶然の事だし、奴らにとっては却って不幸だったと思うのだがね。正直トライン辺境伯のところの騎士たちと連携が取れていれば、このような事にもならなかったのだがね。まあ、結果としては、そのおかげで決着自体は早く着いたのだがね……」
先生のお顔に僅かに苛立ちのようなものが浮かびました。
「先生、タルブで何かあったのですか?」
「なに、黒竜騎士団のデュルクや私は、西から高山地帯への進路を塞がれる可能性を示唆したのだがね。トライン辺境伯領の騎士たちを纏める、マスケル騎士長に一笑に付されてしまってね。王国よりの派遣騎士であるカラント騎士爵が取り成してくれたのだが、けんもほろろだったのだよ」
「そういえば、空から見て思ったのですが、トライン辺境伯領の主都はどうしてこんな場所に造られたのでしょうか? 海岸寄りに造った方が利便性が高いように思えたのですが」
このトライン辺境伯領にアンドゥーラ先生がおられることが、トーゴ軍にとって好ましい状況であるということの、疑問から始まった話のはずなのですが……いつの間にか、話が逸れております。
「グラードル卿、この土地が元々何処の持ち物か考えてみたまえ。トーゴにはあのセルヌ川の向こうワーレン侯爵領にアントワーヌという港湾都市がある。タルブは元々、鉱山から掘削した鉱石を加工する為に造られたのだよ」
「なるほど、そういう事情でしたか。ならば我が国もトライン辺境伯領の主都を海岸近くに移した方が良いかもしれませんね。海路の方が加工した地金や製品を素早く王都に運べるのではないですか?」
私は旦那様のその言葉で、これまでに見聞きした断片的な情報が、頭の中で一つの意味を成して浮かび上がりました。
「それです! 旦那様!! いけません――アンドゥーラ先生! 新政トーゴ王国の真の狙いは王都オーラスです!! 確かにこちらも狙いの一つではあったのでしょう、しかしそれは、巧くいけば儲けものというものであったのかも知れません。かの国の真の狙いは我が国の国体を揺るがすことです!」
「フローラ、それはいったいどういうことだい?」
アンドゥーラ先生が、私の焦る気持ちを落ち着けでもするように静かに問いました。
「初めは、この軍に配された飛龍の数があまりに少ないのが気になりました。そして、トーゴ軍はトライン辺境伯領の西側から回り込んで、海岸線にある村から主都タルブに連絡が入らない状況を作り出しています。おそらく海路で飛龍の部隊をオルトラントの沿岸に送り、そこからオーラスを急襲するつもりです!!」
「王都を急襲され、大きな被害が出れば我が国の国力は大きく削がれる……つまり新政トーゴの真の狙いは、我が国が外に力を費やす事ができなくすることか」
旦那様が、私の頭の中で形をなした、トーゴ王国の意図を口にいたしました。
「もしかすると、南方の国の中にもこの攻撃に乗じて国境を侵す国があるやも知れません。トーゴ商人が南方の国で大量の武器を仕入れていたと、カサンドラお義姉様より聞き及んでおります。かの国とのつながりがある国が動く可能性は高いと思います」
「……グラードル卿。君の乗るその飛竜は王都まで飛べると思うかね?」
私の言葉を受けて、考え込むように腕を組んだアンドゥーラ先生が、旦那様に視線を向けて仰います。
「おそらく……、ここまでの飛行では疲れた様子が見えませんので、大丈夫だとは思います」
「誰か! 癒やしの巫女サレアを連れてきてくれないか、背後の部隊にいるはずだ!」
先生はそう叫ぶと、今度は私に向き直ります。
「いいかいフローラ、サレアにこの飛竜を癒やしてもらう。あと、魔法薬をありったけ渡すから、君とグラードル卿はこの飛竜で急ぎ王都に戻るんだ。いまの君たちならばおそらく私が戻るよりも力になるはずだからね」
アンドゥーラ先生は普段あまり見せない真剣な表情でそのように仰りました。
そうして、私たちは新政トーゴ王国の飛竜によって急襲されているかも知れない王都を目指すこととなりました。
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