第118話 モブ令嬢と旦那様と幼竜と

 東から光を差す太陽は、まだまだ低い位置にあります。

 クルークの試練を果たし、私たちが地上へと戻ったのは、試練の迷宮に入ってより四日目の朝のことでした。

 それは、これまで記録に残っている中で、クルークの試練達成の最短記録でございます。しかも攻略者の年齢もです。それはこれまで最年少の攻略者であったアンドゥーラ先生の十六歳という年齢を、四人が下回ったのです。私とマリーズ、リュートさんが十五歳、そしてアルメリアに至ってはいまだ十四歳です。

 さらに言うならば、レオパルド様とメアリーは十七歳ですし、攻略者とは少し違うものの旦那様ですら二十歳です。

 想定外の事態によってなされた攻略ではございましたが、クルバ様があのような仰りようをなさったのも致し方ないかも知れません。


 眼下に遠ざかって行く、この場を守るように張られた陣から、その視線を前方へと向けて……広大な大地、遙かな地平線を目にします。

 高度が上がるにつれて、稜線は緩やかに弧を描いて見えます。

 それは、以前日本語を教わっていたときに旦那様からうかがっていたように、この地上もまた、空に浮かぶ月のように丸い形をしているのだと、私に知覚させました。

 その光景に、私は感動に心を震わせてしまいますが、麓から進軍してくるトーゴ軍が目に入り、浮かれた心を引き締めます。

 旦那様と私は、騎乗用の装具がつけられた幼竜の背に乗り、トーゴ軍の状況を確認します。

 幼竜は大きく翼をはばたかせて、背に乗せた私たちごと、その身体を空中へと留めていました。

 幼さを感じさせないしっかりと力強いはばたきで、すぐに疲れてしまうこともなさそうです。

 地上の敵はまだまだ遠く、私たちのように空を飛ぶ竜の姿もいまのところ確認できません。

 私は身体を捻って、背後で手綱を手にする旦那様に振り向きます。


「旦那様……この子の名前どういたしましょうか?」


 打ち合わせたとおりに戦闘が始まるまでは、まだ時間がありそうでしたので、私は旦那様に問いました。


「まさか俺たちが名前を付けることになるとは思わなかったな……クルーク様もご自分の子なんだから自分で付ければ良かったのに……」


 あの後、マリーズを介してクルーク様より私たちに、この子の名は育ての親となる私たちに名付けてほしいとの言付けがございました。さらに宝物の中に、竜に騎乗する為の装具があることも伝言されたのです。

 クルーク様より手渡された袋に手を入れましたら、中に入っている物が頭の中に浮かび、すぐに装具を取り出すことができました。

 幼いこの子が装具を付けるのを嫌がるかと思いましたが、この子は素直に装具をつけられて、私たちを乗せてくれたのです。


「フローラには何か案はあるのかい?」


「銀竜王クルーク様と金竜王シュガール様のお子ですので、やはり二柱にちなんだ名前にした方が良いと思うのですが……」


「そうすると、クルシュかシュクルか……シュガーにシュクルだと砂糖繋がりだな……」


 私の提案に、旦那様が簡単に二つの組み合わせで名前を挙げます。しかし砂糖とは……?


「どう言う事ですか?」


「いや、俺の世界で砂糖の事を英語でシュガー、フランス語でシュクルって言うんだ」 


「確か、旦那様が前世で生活しておられたのと別の国の言葉でしたね。お砂糖ですか……甘そうで女の子には良い名前かも知れませんね」


 私の言葉に旦那様が目を見開きます。


「え? この子女の子だったの!?」


「え? 旦那様はお気づきでなかったのですか?」


 私も、旦那様に劣らず目を見開いていたかも知れません。旦那様は気付いておられるものだと思っておりました。

 身体の大きさにしては声が高いですし、以前目にした事がある金竜騎士団の雌竜と同じように丸みが強いお顔をしています。


「ねえアナタのお名前だけど、シュクルで良いかしら?」


「ピィ~~ッ、キュイッ、キュイッ!」


 私がこの子の首筋をさすりながら聞きましたら、嬉しそうに鳴きました。


「旦那様――気に入ってくれたようです」


「まあ、気に入ってくれたなら良かったけどね……本当に良かったのかな……」


 旦那様のお顔が少々引きつっておられますが、この子はご機嫌な様子でピキュピキュ鳴いておりますので大丈夫でしょう。


「フローラ――下の部隊が打ち合わせた場所に到達したようだ……始めよう」


 久しぶりの旦那様との少し気の抜けたような、心安まる会話の時間は、無慈悲にも終わってしまいました。

 気を引き締めなければ、また旦那様とこのように心安まる時を過ごす為に……。


「旦那様、少しの間離れます。シュクル……旦那様をよろしくね」


 私は、シュクルの装具の上から立ち上がって、胸にある魔器ストラディウスからバリオンを弾く弓だけを顕在化させます。

 この弓だけの状態ですと普通のワンドと同じように使うことができ、私は自分に飛行の魔法を掛けました。

 私の背中から、金色に輝く光がまるで羽根のように広がります。

 トン、と軽くシュクルの上から飛び出して私はその場に留まりました。

 そして、魔器ストラディウスの本体を顕在化させると、あごと肩で固定して……弓を引きます。

 奏でるのは、魔奏者ストラディウスが作曲した魔奏十三楽章という楽曲。

 そのような楽曲があるということは、過去の物語に記されておりましたが、この曲は譜面も残っておらず現在には伝わっておりませんでした。

 魔器ストラディウスが初めて顕在化したときに、この曲の譜面も私の頭の中に送り込まれてきたのです。

 コカトリスとの戦闘のおりには、突然のことに弾きこなす余裕がなく、これまでに弾き慣れた曲を奏でて魔法を使いましたが、七大竜王様と六大精霊王に奏上する為に創り出されたこの曲こそが、最も魔器ストラディウスの力を発揮するようです。


 私は、頭の中に焼き付けられた譜面を読み取り、そして力を借りる方々を思い浮かべながら、魔奏十三楽曲を奏でます。

 すがすがしい朝のすんだ空気の中に、曲が朗々と響き渡ります。

 すると、眼下に広がる黒竜騎士団の方々の周りに、私の心象イメージ通り、ポワリ、と薄青い光が灯りました。

 本来であれば、一人一人掛けねばならない身体強化と守りの魔法が、音の届く範囲にいる兵士たち全てに掛かったのです。

 そして私が次の魔法を掛けた頃合いになって、麓から進軍してくる新政トーゴ王国軍の中から、六騎の竜が舞い上がってきました。彼らの駆る竜は皆成竜です。

 おそらくトーゴ軍は、ただ一騎で、しかもまだ身体も小さいシュクルの事を侮っていたのでしょう。

 ですが私が魔法使いであることに気付いて、慌てて飛竜の部隊を遣わせたのではないでしょうか。

 アンドゥーラ先生ではないですが、そのことに気付くのに遅れた時点で、この戦いの趨勢はほぼ決まってしまっております。

 私は、聴音と拡声の魔法を使い、そして静かに口を開きます。


『新政トーゴ王国軍の皆様……軍をお引きください。あなた方の求めているモノは既に我らの手にあります。そして、残念ではございますが、あなた方の戦力ではそれを奪い取ることは叶いません』


『なッ! ……魔法……あの空中の魔法使いか、いきなり曲を弾き出したから狂人かと思ったが……あの距離から言葉を届けているというのか!? まさか――魔女アンドゥーラか!? いや、かの魔女はタルブに居るとの情報があったはず……それにしても、たったあれだけの兵しかおらぬくせに大口を叩きおって!』


 様々に聞こえてくる声の中に、そのようなモノがございました。……私、狂人扱いされてしまいました。

 ですがやはり、タルブにはトーゴ王国の密偵が入り込んでいるのですね。彼らがタルブよりもこちらへ重きを置いている理由が分かりました。

 それに、この声の主はその情報を知り得る立場の人間、敵軍の中でも地位の高い方だと思われます。

 私は、四方から入ってくる余計な音を削いでゆき、その方のいる辺りの声をより聞き取りやすくなるようにいたします。


『弓兵! 魔道兵! あの魔法使いを狙い墜とせ!』


『ロドリゴ様あの距離では弓も魔法も範囲外です! せめてあと五〇〇ルタメートルは近付かなければ。しかも、あの高さ、空中では弓は殆ど威力を発揮いたしません!』


『くそ! 忌々しい魔法使いめ! 飛竜騎兵が何とかするであろうが、魔法使いは厄介だ』


 指揮官らしき男性がそのように言っている間にも、飛び上がってきた躁竜騎士の駆る竜たちが近付いてきます。


「大言壮語を吐く魔女め、堕ちろ!」


 先頭を飛ぶ竜が、口から火弾を吐き出しました。

 その火弾は赤黒く――私に、火山より吹き出されるという溶岩というモノを連想させました。

 その火弾が、上空の冷たい空気に触れて、蒸気をたぎらせながら六つ、私に向かって迫ります。

 ですがその火弾は、私の前方へ突如現れた巨大な盾の幻影に当たって、虚しく消え去りました。


「なッ! 馬鹿な!?」


 それは、旦那様がシュクルの上で前方へと差し出している盾の力です。

 旦那様は、銀竜王クルーク様より賜ったこの武装を初めて使いました。力の加減が効いていないのでしょう、想像以上の力を展開してしまい、ご自身でも驚いておられる様子です。


「旦那様! それらの装備の力を使うには、魔力を消費いたします! 魔力を使い慣れておられない方は、自身の持つ魔力総量を測り間違えて魔力喪失マナバーンを起こしやすいので気を付けてください!」


 私は演奏を続けながら旦那様に声を掛けました。

 魔力自体は、多かれ少なかれ誰でも持っておりますが、自身の持つ魔力の総量は自分で魔力を使って身体で覚えるほかございません。


「分かった。気を付けるよフローラ」


 旦那様に言葉が届いたのを確認して、私は今一度新政トーゴ王国の部隊に声を届けます。


『新政トーゴ王国軍の方々……重ねて申し上げます! どうかお国にお戻りください。できればあなた方も――偉大なる方々の子供たちも傷つけたくはございません!』


「まだ言うか! この尊大な魔女めが!」 


 トーゴ軍の躁竜騎士が操る竜たちは、前方からの単純な攻撃を止めて、四方や上下に散って、無作為に見える攻撃を仕掛けてきました。

 ですがそれらの攻撃は、旦那様の盾の力によって弾かれ、そして霧散させられます。

 死角からの火弾による攻撃も、私の周りに展開されている風の守りによって、その軌道をそらされました。

 そらされた軌道の先にいた躁竜騎士が慌てて、竜を羽ばたかせて火弾より逃れます。


『……あの力に……、バリオンの演奏……!? あの魔女は、既に我らの求めるモノは、彼奴らの手にあると……! ロドリゴ様いけません、撤退するべきです! あの魔女の手にあるのは――おそらく伝説に伝わる魔器ストラディウスです! 伝説のとおりならば絶大な広域魔法を操ることのできる、偽神器を超えたとも言われる魔具です! しかもあの魔女を守る躁竜騎士、あの者が持つ盾も魔武具マギ・アームの類いです!』


 地上から、そのような声が聞こえました。おそらく彼は魔導師なのでしょう。


『何を言うか!! ここまで来て、我らはまだ一戦もしておらぬのだぞ! 矛を交えずに撤退するなど、陛下に顔向けできぬではないか!! ええい! 騎竜を前面におし立てて強行突破するのだ!』


「残念だがフローラ、こちらの実力を示さずに撤退させることは不可能だよ。彼らを傷つけたくない気持ちは俺にも分かる。だが、それをしなければ、我が国の兵が傷つき命を失うことになる」


 私と聴音の魔法を共有している旦那様が、盾で火球の攻撃を防ぎながら私を思いやるように視線を向けます。

 シュクルも私を励ますようにピキーッと鳴きました。

 私たちの周りを飛ぶ竜たちに今一度目を向けて、私は覚悟を決めます。

 一度主従の関係を結ばれた竜種の解放は難しいのです。

 心が痛みます、でき得る限り命を奪うことなく解決をみたいのですが……、いまの私は、大きく増した力によって、細かな制御が難しくなっております。

 特に攻撃魔法は、タクト練習用杖を利用していた時のように繊細に操るには、長い研鑽が必要であると感じます。

 それに……旦那様の仰るとおりです。私の躊躇がお味方を傷つける事となってしまいます。


「……ごめんなさい」


 私は、周囲を巡るように飛び回る竜たちに、金竜王シュガールの神器、聖弓シュギンの力を放ちます。

 途端、上空から無数の光が弾けて、前方の躁竜騎士と竜を貫きました。


「ぐぁぁぁぁーーーーーー!」


 彼らは私が放った雷撃を受けて、地上へと落下してゆきます。地上近くまで制御を失っていた彼らは、地面に激突する前に何とか体勢を立て直しました。しかし落下の勢いを殺しきれずに、砂塵を巻き上げて地面を滑り、そして止まりました。

 竜たちは、バタ、バタ、と羽をうごめかして立ち上がろうといたしますが、衝撃によって受けた手傷のためにそのままうずくまってしまいました。

 彼らの背にいた躁竜騎士たちも、落下の衝撃で放り出されて地面に倒れております。


『なッ、馬鹿な! 何だ、何なのだあの力は!? いくら魔法使いといっても、竜種をあれほど簡単に退けられるわけが……』


『ロドリゴ様、言ったではありませんか、あれは別物です! かの魔器は黒竜戦争で邪竜と化した黒竜王様をさえ傷つけたといわれる魔具なのです! ……それに奴らがクルークの試練を達成したのなら、まだ何が出てくるか分かりません! いまからでも遅くありません、戦力を削られる前に撤退するべきです』


 私の攻撃と、落下した竜たちを目にして、指揮官らしき男性がうめくように言いました。さらに逸話に詳しい、魔導師らしき男性が撤退を勧めます。

 その時、新たに地上に喧噪が響きました。

 クルーク様より賜った槍を手に、レオパルド様が敵軍の前方へと突撃したのです。

 大きく振り回した槍の一線で、山道を進むトーゴ軍の兵士たちが吹き飛びます。

 五ルタメートルを超えたコカトリスとでさえ渡り合えるいまのレオパルド様に、人の兵など脅威になりません。

 トーゴ軍は騎竜を先頭へと押し出そうとしていたようですが、試練の迷宮が開いていた、鉱山中腹へと向かう山道は、二頭の騎竜が横に並べば危なくて人が近寄れる広さではございません。

 前方の兵士が弾き飛ばされて開けた空間へと、すかさず一頭の騎竜が進み出ました。

 レオパルド様はトーゴ軍の騎竜と対峙します。

 躁竜騎士が、レオパルド様に騎竜を襲いかからせようと操りました。

 彼は槍の長さを利用して、襲いかかろうとする竜の頭を巧みに牽制して、突進させないように留めます。


 私は、上空へと上がってくる竜が居ないことを確認して、今度は地上の竜種へと、白竜王様の神器、聖剣ブランディアの力を借りた魔法を発動いたします。

 すると空中に無数の剣の幻影が現れました。幻影の剣は、僅かに標的を定めるように逡巡ように蠢いたあと、地上の竜へと向かい突き立ちます。

 鉄よりも固い竜種の鱗を突き破り、幻影の剣は消え去ります。

 その剣の突き立ったきずあとからは、血が噴き出しました。騎竜たちは躁竜騎士による制御を外れて、味方が周りにいる中を暴れ回ります。


『なッ……そ、そんな……ひっ、引け、引くんだ!! 何でこんな……オルトラントには千杖の魔女以外にも、あのような化け物が……あんな化け物の相手ができるか! くそッ! 引け、大隊の陣まで後退するのだ!!』


 多くの竜を傷つけられて、ロドリゴと呼ばれた指揮官は、ようやく撤退することを決断したのでした。

 それにしましても、……私、狂人から化け物に昇格してしまいました。


「旦那様……私、化け物などと呼ばれてしまいました」


 余りの言われように、私は半ベソ浮かべて旦那様を見ます。

 旦那様は、優しいながらもどこか半笑いのようなお顔でした。


「おいで……フローラ」


 旦那様に招かれて、私は彼とシュクルの元へと戻ります。

 私が旦那様の近くまで寄りますと、彼は私を両の手で抱え上げるようにして迎えてくださいました。


「フローラ……君はこんなに可愛いのに、……君の中にはいったい、どれだけの力が眠っているんだろう……」


 旦那様は、そのように仰って私を優しく抱擁してくださいました。

 キュイ~~~~~~ッ、と、シュクルが高く大空へと鳴き声を上げます。

 そして眼下では、黒竜騎士団、百騎長クルバ様率いる兵たちが、この勝利に歓呼の叫びを上げておりました。

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