第117話 モブ令嬢とクルークの願いと戦争と
「ピキュィッ!」
懸命に卵の殻を破って、外へと這い出してきた幼竜は、旦那様と私を交互に眺め見てそのように鳴きました。
銀色の鱗をしていて、背中には翼があります。
キュイっと小首を傾げて私たちをつぶらな瞳で見上げる姿はとても可愛らしいです。
「……これは、竜だよな……何で俺はこのタマゴを抱いて……!? おワオゥッ! 俺、裸ッ――!?」
旦那様が慌てて、大きく形の残っている卵の殻を手に取って腰のあたりを隠します。
目覚めた途端に、竜の
たまたま、皆さんのおられる場所から私と卵を挟んだ向こう側におられますので、その……全裸を見られてはおりません。ですが……旦那様もこの幼竜のごとく、生まれたままの姿であることは見て取れるでしょう。
『ああっ、生まれましたね』
マリーズやレオパルド様の疑問に答えておられたクルーク様が、幼竜が孵化したことに気付いたご様子です。
私がそちらに振り向きましたら、皆さんの視線が私たちへと向いておりました。
皆が真面目な表情をしている中、メアリーだけが旦那様の様子を目にして、薄い表情の中に戯れた笑みを滲ませております。
私はそれを見て、何故か日常が戻ってきたことを感じてしまいました。
『フローラ、グラードル――二人とも少しその子から離れなさい。緩やかに留めていた時を戻します』
「貴女は? ……いや、しかし……」
旦那様が戸惑い顔で言葉に詰まります。
「旦那様、あの方は銀竜王クルーク様です」
「なッ!? いや、だがこの格好では……」
『……ああ、そういう事ですか』
クルーク様はお察しくださったようで、その右手を旦那様へと差し出しました。
その手からは、銀色の光が放たれて旦那様の身体を包み込みます。
「うわっ!」
グルグルと銀光が旦那様の周りを回って――そして、弾けました。
そしてそこに現れたのは、旦那様の身体を包み込む
背中には盾が背負われて、腰には剣も吊されております。
そして、その甲の左胸には矢をつがえた弓の飾りが付いておりました。
細かな装飾がしてありますが、実用的に見える造りを見ますに、とても高価なもののようです。
その全てが旦那様の髪色と同じような黒灰色で、こう言っては何ですが、物語に登場する悪人のように見えてしまいます。
『それらの品は、貴男を思わぬ事態に巻き込んでしまった事へのお詫びと、これからお願いする事への報酬です』
クルーク様の言葉には、確かに詫びの響きが含まれております。しかしお願いへの報酬を先に渡すということは、旦那様が断らないと確信なされておられるのでしょうか?
しかし、思わぬ事態というのが何を指しているのかよく分かりません。
「……それは、いったい……?」
『それを説明する前に、まずはその子の時を戻します。その子から離れて』
その言葉に私たちが幼竜から離れますと、クルーク様は旦那様に向けていた手を、生まれ出たばかりの幼竜へと向けます。
すると、幼竜の上に砂時計のような幻影が現れました。
その砂時計には上部に大量の砂のようなものが入っていて、その砂がチョロチョロと僅かに下に落ちています。
しかし次第にその砂の落ちる量が増えてゆき、それに合わせるように幼竜がどんどんと成長して行きます。
成長するに従い、銀色だった鱗の外側がどんどんと金色に変色して行きました。
幼竜が人を乗せることができるくらいにまで成長すると、竜の頭上にある砂時計から落ちる砂の速度が緩やかになって行き、そして砂時計は消え去ります。
クルーク様は、その視線を旦那様と私に戻して口を開きました。
『これが、この子の本当の年齢です。そうですね……人で言うならば五歳ほどでしょうか。……この子を貴方たち二人に託します。どうか、面倒を見て上げてほしい』
「この子は……?」
『その子は、私とシュガールの精を受けて生まれた子です』
「まっ、まさか第一世代の竜種を人の手に……マリウス様以来の快挙だ……」
アルメリアが、驚愕に目を見開いてこちらを見ています。
赤竜皇女ファティマ様の伴侶とも言われている躁竜騎士マリウス様は、赤竜王グラニド様の第一世代の眷属竜を従えていたそうです。
キュゥ~~ッ、っと、大きくはなりましたが、いまだに高い声で鳴く幼竜は、その首を旦那様と私に擦り付けるようにして甘えてきます。
…………可愛いです。
私の隣で、目尻を垂らしておられる旦那様も、明らかにこの子の可愛らしさに、心を掴まれておられるご様子です。
このように甘えられたら、断ることなどできないではございませんか、クルーク様は卑怯ではないでしょうか。
「ですが、どうしてこの子を私たちに?」
面倒を見るということは承知できますが、その理由を知りたいと思うのは当たり前のことだと思います。
『貴方たちは、シュガールとノルムの因縁を知っていますか?』
その問いに、私たちは頷きます。
『私の元でこの子を育てると、いつノルムの眷属に悪戯されるか分かりません……ね、そこのノーム』
その言葉にクルーク様の視線を追いますと、私の後ろで幼いノームさんが、幼竜に足で砂を掛けていました。
彼は、私と視線が合い、慌てて素知らぬ顔をいたします。
『貴方たち……特にフローラ。貴女の元にいれば、ノルムの眷属もおかしな真似はできないでしょう……』
クルーク様の強い視線を受けて、幼いノームさんが私の足に抱きついて震え出しました。
この幼いノームさんは、他のノームさんたちと違って理性的だと思っておりましたが、この子ですらあのような事をするのです。
それだけでも、シュガール様とノルムの因縁の深さが分かろうというものです。
私がノームさんを気にしておりましたら、旦那様が一歩進み出て口を開きました。
「幼竜について承るのはやぶさかではございませんが……俺には、この状況がよく分かりません……」
そうでございました。おそらく旦那様にとってはあの夜、クルーク様に――この場合は保護となるのでしょうか? 保護されて目覚めたらこの状況なのでは……。
旦那様はグルリと周りを見回して、この場にいる皆や、少し離れた場所にあるコカトリスの死骸、さらにはクルーク様の背後に見える宝物から照り返った煌びやかな光を目にいたします。
「……まさかとは思いますが、クルーク様が居られ……さらにこの状況……。……ここはクルークの試練で出来た、迷宮の守護者の間ですか?」
『理解が早くて助かります。今回の試練はフローラが貴男の寿命を取り戻す為に行われたものです。そのあたりの詳しい話は後ほど本人に聞きなさい』
「では、先ほど仰った思わぬ事態とはいったい?」
旦那様が、自身に武器と甲一式を与えられた理由。その今ひとつの原因となったらしき、思わぬ事態に対して問いました。
『実は……本来この場の守護者はあのコカトリスだったのです。そして、試練の達成条件はフローラがあの黒杯にグラードルの寿命が満ちている事に気付いてその手に取ることでした……』
……ということは、旦那様がバジリスクに変えられてこの場に配置されていたのは?
『……これについては貴男にも原因があるのですが……グラードル。フローラの事を考えていたとはいえ、貴男は無茶をしすぎですよ。あの時保護しなければ早晩命が尽きておりました。貴男の身を保護した私は、その身をバジリスクへと変え、卵を守るように言い聞かせてこの間に配することとしました』
「少しお待ちくださいクルーク様。それでは私は、初めよりも重い試練が課されたのですか!?」
『私としては、その時の状況に見合った試練としたつもりですが……このように試練は果たされたわけですから』
クルーク様はそのように仰って微笑みます。
『話を戻しましょう……思わぬ事態とは、まさかコカトリスがあれほどバジリスクに対して敵対するとは考えておりませんでした。互いに致命傷を負わせることのない組み合わせでしたのでそのままにしておきましたが、無駄に傷を負わせてしまうこととなってしまいました』
その話を聞いて皆息を呑みました。
この世界を管理なされる竜王様は、神話に残る神という存在に最も近い方々です。
このように話も出来ますし、人の姿になることもできる方々ですが、その感覚が、やはり我々とは少々違っているのだと、私たちは理解することとなりました。
『……では、そろそろこの試練の場を閉じましょうか……』
クルーク様がそのように仰いましたら、それを止めるようにマリーズが口を開きます。
「少々お待ちくださいクルーク様。ただいま白竜王ブランダル様より託宣がございました」
マリーズは虹色の瞳を何もない虚空へと漂わせおります。
「皆さん! 新政トーゴ王国の軍が、大挙してこの場所を目指しているそうです!」
「なッ、まさか既に主都タルブが落ちたとでもいうのか!?」
レオパルド様が驚きの言葉を上げました。
その驚きに答えるようにマリーズが続けます。
「トーゴ軍は、主都タルブと、この鉱山地帯を阻むように陣を張り、軍の主力はこちらへと向かっていると……、それから、この試練の迷宮を守っているのは黒竜騎士団の百騎長が率いる部隊だそうです」
百騎長が率いる部隊ということは、最大で一二〇〇名ほどになるはずですが、歩兵が規定の人数揃うことは希ですのでそれよりは少ない人員のはずです。
私と旦那様は、新政トーゴ王国が宣戦布告したのは、バレンシオ伯爵が失脚したことにより、トーゴ軍が多くの竜種を抱えていることを我が国に気付かれる前にトライン辺境伯領を併呑する為だと思っておりました。
ですが、主都タルブを放っておいて先にこちらを狙ってきたということは、今回の侵攻はクルークの試練で手に入る財宝を狙ったものだったのでしょうか?
『なるほど、確かにそのようですね。トーゴ軍ですか? その軍には……多くの竜が使役されていますね……殆どの竜たちは力で屈服されて主従を結んでいる……悲しいことです』
探るように目を伏せていたクルーク様が、目を見開いて私を見ました。
『フローラ、今の貴女には彼らの力を削ぐことも出来るでしょう……グラードル。今度は貴男が愛する妻を守るのですよ』
クルーク様はそのように仰って、幼竜に目を向けます。
『あなたも……良いですか、二人に力を貸して上げるのですよ』
クルーク様の言葉に応えるように、幼竜が「ピキーーッ!」と声を上げました。
そうして旦那様と私に首を擦り付けてきます。
『ああ、そうでした。フローラ、こちらへ来なさい』
幼竜に目を向けておりましたら、クルーク様に呼ばれました。
私はクルーク様の前へと進み出ます。
『これを……地上に戻ったあと、財宝はこの中に収まります。無くさないように気を付けなさい』
そのように言って袋を手渡されました。それは懐に入るくらいの大きさで、銀色に輝く糸で織られた布製の袋です。
『それでは、縁があればまた出会うことがあるかも知れません。どちらにしても、死して後には必ず相まみえることとなりますから、皆その時まで壮健で』
クルーク様は、その手を上へと向けて銀色の光を放射状に放ちます。
銀光はこの空間の高い天井まで達してキラキラと光りながら私たちの身に降り注ぎました。
光はこの空間を満たして……次の瞬間、私たちは見たことのある風景の中におりました。しかしその状況は、私たちが試練に挑んだときとは違っておりました。
「マリーズ様……皆様、試練を達成なされたのですね……」
そう私たちに声を掛けてきたのは、守護者の間の前で別れたリラさんでした。
そこには、別れたアンドルクの男性たちと、それ以外にも王国の兵士らしき方々もおりました。それも大量にです。
よく見回しますとクルークの試練が口を開けたこの周りを守るように陣地が造られているように見えます。
「まさか……お前たちがクルークの試練を達成したというのか? 子供ばかりじゃないか。それにこの竜はいったい!?」
そのように声を掛けて来たのは、この場を見張っていたらしい騎士です。出で立ちを見ますに旦那様と同じ黒竜騎士団の方です。
鼻の下に髭を生やしていて年齢は三〇代後半くらいでしょうか。
背は旦那様と同じくらいですが、少しふくふくとしておられて、黒い髪に黒に近い緑の瞳をしています。
「クルバ百騎長! 黒竜騎士団、騎士グラードル・ルブレン・エヴィデンシアです。故あって合流が遅れました。新政トーゴ王国軍がこちらへと向かっていると聞きましたが」
「グラードル……貴様、病に伏せって王都に留まったと聞いていたが……」
クルバ百騎長と呼ばれた男性は、黒灰色の甲に身を包む旦那様を胡散臭そうに見回します。
「貴様、何故騎士団の甲を着けておらぬ。特異な甲の装着は、王や騎士団長に認められたもののみに許される事であるぞ!」
トライン辺境伯領へと向かう途上、黒竜騎士団の出陣に参加しなかった旦那様の事を良く想わない方がいるかも知れないとアンドゥーラ先生が仰っておりましたが、この方はそのような気持ちを持っているのかも知れません。
「お待ちくださいクルバ様……。私、七竜教にて聖女の名を賜っておりますマリーズ・シェグラット・リンデルと申します。グラードル卿は銀竜王クルーク様よりこの試練の場に呼ばれ、さらにこの武具と甲を承ったのです。聞き及んだところでは、新政トーゴ王国の軍がこちらへと迫っているとか、グラードル卿が賜った武具は、きっとこれからの戦いで力を発揮するでしょう」
マリーズが旦那様とクルバ様の間に入ってくださいました。
「おお、貴女は! それにしても……まさか、この男が……そのような……」
マリーズの言葉を聞いても、まだ納得出来なそうなクルバ様に対して、今度はレオパルド様が詰め寄るようにして口を開きます
「マリーズ様の仰ることに間違いございません、クルバ百騎長! 私は、騎士就学生レオパルド・モーティス・デュランドです。その場には私もおりました!」
「あッ、貴男は!? ……確かに、アンドゥーラ卿より、聖女様とレオパルド殿が白竜の愛し子殿とクルークの試練の達成を目指しているとは聞いていた。その……グラードルが同行しているとは聞いていなかったので……」
さすがにオルトラント王国第一の武門の家柄です。騎士団の方にはマリーズの言葉よりも圧倒的に力がございます。家柄に変に反発なされる方もたまにおられますが、そのような方でなくて良かったです。
「それで、現状はどうなっているのでしょうか?」
レオパルド様が続けて問いました。
「敵は既に麓を抑えており、我が部隊は撤退することは叶わぬ状況だ。幸いなのは山道が狭く大軍での侵攻が難しく、いまのところは何とか防いで居るが……奴らは多くの竜種を従えていて、予断は許さない状況になっている。……このようなことになるのならば、アンドゥーラ卿にこの場に居ていただくのだった」
「それではアンドゥーラ先生は、タルブに居られるのですか?」
私がそのように問い掛けましたら、何だこの小娘は? というような視線を向けられました。
「君は?」
「アンドゥーラ先生の弟子。フローラ・オーディエント・エヴィデンシアと申します。こちらのグラードルの妻です」
「なッ、そう言えばその髪と瞳の色……」
見慣れた蔑みの感情がクルバ様の顔に僅かに浮かびました。
最近では、余りこのような感情を向けられることはございませんが、この方はおそらく、旦那様や私の存在をもともと気になされていなかったお方なのでしょう、意識しておられれば、最近の我が家の話を聞き及んでいたはずです。
彼は浮かび上がってしまった蔑みの感情を取り繕うように、大仰に真面目な表情をつくりだしました。
「……アンドゥーラ卿の弟子ということは、君は魔法が使えるのか?」
「はい。このたびのクルークの試練によってワンドを賜りましたので、いささかではございますが皆様のお力になれると存じます」
私は、彼の感情の動きに気付かなかった風を装って答えます。するとクルバ様は、目を見開いて明るい表情になりました。
「それは助かる。厄介な空を飛べる竜種を抑えてもらいたいのだが……出来るか?」
私は胸飾りに手を添えて、力強く答えます。
「承りました」
私はそう答えてしまってから、隣に居られる旦那様のお顔を窺いました。
旦那様は私を矢面に立たせることを、懸念しておられると思ったからです。
ですが旦那様は、優しくも、ある種の決意に満ちた瞳で私を見ておりました。
その視線は、まるで私を温かく包み込んでくださっているようです。
私は、彼に微笑みかけました。
「旦那様……私をお守りくださいね」
「ああ、決して君を傷つけさせない」
旦那様が私の手を取ってそのように仰います。
「キュィッ、ピキーーーーッ」
幼竜が、自分も忘れないでとでもいうように声を上げました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます