第116話 モブ令嬢とクルークの試練(十)

「これが……吟遊詩人の唄で聞いたことはあるが、現実は想像を遙かに超えるな」


 山のように積まれた金銀財宝、足下に無造作に散らばる、古代王国の金貨や銀貨、数々の宝石。

 そして、多くの魔法使いが、涎を垂しそうなワンドの数々。

 いにしえの魔法使いが使用していたと思しき、本物の杖のような長い物から、近代主流となっている、タクト練習用杖を一回り大きくしたような物までが随所に散見されます。

 張り出した岩壁によって包まれたその場所は、さながら宝物庫のような雰囲気を放っていました。


「本当に宝の山ですね。私、おとぎ話の中にでも入り込んでしまったような心持ちです」


「ほんと、ここまでの物だとは思わなかった……こうなるともう現実感がなさ過ぎるね」


 アルメリアが古代王国のものと思われる金貨を一つ拾って、前後を珍しそうに眺めています。

 目の前の財宝は、この空間から発せられる光源の分からない光に照らされ、目が眩むばかりに輝いております。

 マリーズやアルメリアの言うとおり、確かにここまでの量になってしまいますと逆に現実感がございませんね。


「オルトラント王国が最も望むのは、あのワンドの数々だろう」


 レオパルド様の言葉は、オルトラント王国の支配階級である方の正直なものでしょう。現在では大陸一の大国と言ってもいい我が国ですが、現存する大国の中では最も歴史の浅い国で、抱えている魔法使いの数の少なさも大陸一とも言われております。

 幸いなことにオルトラント王国近在には、現在領土を接する大国がございませんし、今回侵攻してきた新政トーゴ王国以外の国々とは良好な関係を築いております。しかし国同士の関係などというものは、時として簡単に崩れ去ってしまうものです。

 ですから前回のクルークの試練において、アンドリウス陛下が引きつった笑みを浮かべる原因となったのも、アンドゥーラ先生が、一大戦力となり得るワンドを台無しにしたからでした。


「……ところで気の早い話ではあるが、財宝の権利は事前に打ち合わせたとおり、前回のクルークの試練と同じでいいのだね」


 レオパルド様の確認に、リュートさんとマリーズ、そしてアルメリアは頷きました。


「私たちの元々の名目は、クルークの試練によって発生する迷宮の調査ですが、本当にそのような権利を主張してもよろしいのでしょうか?」


「フローラ嬢――何を言っているんだ。いくらなんでも生真面目すぎるぞ。行きがかり上とはいえ試練を達成したとなれば、全権利を主張したとしても文句は言えないところなのだぞ。だが我々は一介の冒険者ではなく、仮にも王国の貴族であり、また、マリーズ様は聖女。リュートはバーンブラン辺境伯の縁戚だ。メアリー嬢も貴女の侍女であるわけだし、大きな欲を掻くべきではないが、払った苦労に対する権利はしっかりと主張するべきだ。アンドリウス陛下とてきっとそのように仰るだろう。だから、前回王国が試練達成の為の人員を集った時と同等の条件でと言ったのだ」


 私の控えめな発言に、レオパルド様がそのように主張いたします。

 前回の条件というのは、財宝を一度国庫へと納めて価値の算定を頂いた後、現金として千シガル一億円ほどを頂くか、下賜可能な物品の中から千シガル相当の物を下賜して頂くというものです。


「ですが……クルーク様より下賜されたと思わしきこの品物自体が、既にその価値を遙かに上回っていると思うのですが……」


「……いや、まあ、確かに、そうかも知れないが……」


 私が胸飾りに戻った魔器ストラディウスに手を添えます。

 通常のバリオンでさえ、バリオン家の名器であれば千シガルは下りません。ワンドにしてもそうです。

 その二つが合わさったこの魔器の価値を考えると、私……目眩がしそうでございます。

 

「確かに……これらの装備は、魔法使いのワンドのように、私たちの持つ魔力に染まって使用者専用になってしまったようだから。誰かに譲渡するようなことはできないね。でも……私としては現金収入はありがたいかな、弟たちの事を考えれば少しでも家計に余裕はほしいからね」


 アルメリアは腰に差したブランバルトに手を添えて、恥ずかしそうに言いました。


「そうですね。神殿でもそれほどの財が手に入れば、養うことのできる孤児たちの数も増えるというものです」


 マリーズとアルメリアの言葉を聞いて、私、恥じ入ってしまいました。

 自分の事情しか考えておりませんでした。我が家とて、廃爵と貧困の危機は乗り越えたものの、いまこのようにして、闇に呑まれないように足掻いているのですから。


「私も、皆さんの意向にならいます」


 そのように言って、私は今一度、現実感の無い財宝の山を見渡しました。


「…………あれは?」


 それまで、財宝の山に目を奪われて気が付きませんでしたが、財宝の山の奥――壁面が一カ所、人の手によって削り出されたような……祭壇のように見える場所がございました。

 それは、この迷宮の入り口に張り付いていた門と、どこか造りが似通っております。

 そしてその祭壇の上には、黒い……そう、黒い杯が一つ置かれていたのです。

 私は、その杯に魅せられたように近づきます。

 …………あれは……


「フローラ……?」


 ……あれは……

 アルメリアに呼びかけられたような気がいたします。

 ですがそれよりも私は、視線の先にあるあの黒い杯に、とても大切な……とても温かい、私が求めて止まない愛おしさを感じます。


「……皆んな! おかしい――フローラの様子が変だ!!」


「まさか……何か罠があったのか! まさか……あれは、黒竜の邪杯では!?」


 私は、祭壇の前まで辿り着き、黒杯に手を伸ばしました。


「止めるんだ、フローラ嬢!!」


「お待ちくださいレオパルド様。あれからは邪気を感じません……いえ、邪気どころかあれからは聖なる気配が……。そんな……まさか……、あれは黒竜王様の聖杯、ムガドでは……」


 そのような声が背後で響いているようですが、私は愛おしくて愛おしくて堪らないその黒杯を手に取り、自分の胸へとかき抱きます。

 ……ああっ、分かりました。

 これが答えであったのですね。

 私は……、黒杯を胸に抱いて歩み出します。


「何処へ行くのだフローラ嬢!!」


 私は、その声に答えることも煩わしく、目的の場所への歩みを早めます。

 不意に私の前方に緑赤に輝く穂先が突き出されました。


「それは一体何だ? 君はいったい何をしようとしている!」


 レオパルド様が私の前に立ちはだかり、手にした槍先を私へと差し出しています。


「お退きくださいレオパルド様。これをあるべきところに戻せば試練は達成されるのです」


「君は……いったい何を知っているのだ? 何故そのように確信を持って答えられる!」


「それは申し上げることができません。ですが、これが答えであることは確かです」


 そうです。この胸にあるこの暖かさ、それは私がよく知っているもの。

 私とレオパルド様は静かに緊張感のある視線を交わします。

 その私たちを、リュートさんとアルメリアはハラハラと、マリーズとメアリーは落ち着いた様子で見ています。


 ………………

 …………

 ……


 ふぅ――っと、レオパルド様の緊張が解けました。


「……ここまでの探索、フローラ嬢、貴女の判断は常に正しいものだった。それにその目、何かに操られているような感じはしない。マリーズ様も危険を感じておられない様子だしな。分かった、俺も貴女の見いだした答えとやらを信じよう。試して見るがいい」


 レオパルド様はそう仰ると、槍を収めて私の進路から外れます。


「ありがとうございます。レオパルド様」


 私は歩みを進めてそこに辿り着きました。

 そう、私の目の前にはあのバジリスクがおります。

 先ほどまで、 ゴォォォォォォ、ゴォォォォォっと、物凄いいびきを掻いて眠っていたバジリスクは目を覚ましており、目の前にやって来た私を、クリクリとした大きな目で眺めております。


「……フローラ、大丈夫かい……」


 私の背後で、アルメリアが心配そうに呟きます。

 胴体の長さが五ルタメートルほどあるバジリスクは、その頭だけでも私の身長より大きく。私など一口で食べられてしまいそうです。

 ですが、私にはそのような懸念は一切浮かんできませんでした。

 バジリスクは「グォッゥ?」と、首を傾げて鳴き声を上げます。

 その動作はどこか可愛くて、私はクスリと笑ってしまいました。

 静かに……胸に抱いた黒杯を掲げて、私はバジリスクの頭上で黒杯から手を離しました。

 黒杯は、そのまま空中に浮かびます。

 私はその場から一歩下がって、この行いの結果を待ちます。

 黒杯は……その周りの光を喰らいでもしたかのように黒く……黒い空間を生み出して行きます。

 それは、不思議な光景でした、光を喰らい闇が広がって行くのにその中心にある黒杯は、私たちにはっきりと知覚できるのです。

 闇は広がり、バジリスクを包み込んで行きます。

 黒以外の色彩は消え去り、バジリスクは黒い陰影へと変化して行きました。

 完全に黒く染まったバジリスク。その中心に黒杯が移動します。

 フッ、っと黒杯が消失いたしました。

 その瞬間、黒い陰影は巨大なバジリスクの姿からグングンと縮んで、人の形へと変わって行きます。

 黒い人の形は何かを包み込むような格好で寝転がっていました。

 いえ、それは、バジリスクのときと同じように、大事そうに大きな卵を抱え込んでいます。

 パキッ! っと音がして人の形をした塊の表面にヒビが入りました。黒い陰影がパラパラと剥がれ落ちて行きます。


「……ああっ、やっぱり……」


 私は、剥がれ落ちたあとに現れた人の肌、そしてどんどん黒い陰影が剥がれ落ちて、外見が判別できるほどになりました。


「まっ、まさか……」


 背後で声を上げたレオパルド様の声には、大きな動揺の響きがございました。

 その動揺はもっともだと思います。討伐しようと考えていた魔物が、知人へと変化したのです。

 もしも、そのことに気付かずに討伐してしまっていたら……。そう思い至れば、これがどれほど恐ろしい試しであったのか、レオパルド様は理解なされたのでしょう。

 ですが、いまの私にはそのような事に構っている余裕はございませんでした。

 ボロボロと涙が溢れます。


「ああっ、旦那様…………お帰りなさいまし」


 私は、完全にその姿を元に戻した旦那様を、抱え込んだ卵ごと抱きしめます。


「…………あっ、あのフローラ――これは、これはいったいどういう事だろうか?」


 旦那様を抱きしめて泣き濡れる私に、遠慮がちなアルメリアの声が掛かります。


「グラードル卿がどうしてこのような事に……」


 アルメリアのこの質問は最もでしょう、ですがこの質問に答えて良いのでしょうか? クルーク様との盟約は何処まで影響するのでしょうか?


『その質問には……私が答えましょう』


 不意に、涼やかな声がこの空間へと響きました。

 この声は!?

 私は、旦那様を抱きしめていた身体を起こして、声の主を探します。


 その方は、まるで当然であるようにそこにおられました。

 財宝が置かれた場所を包み込むような石壁の間、財宝を背後にして銀髪銀眼の女性が立っておられます。


 私が、離れがたい思いを振り切り、旦那様から離れようとしますと、『フローラ、もう良いのですよ。貴女はそこにいらっしゃい。貴女は試練を見事に乗り切ったのですから。この方たちには私が説明して差し上げます』そのように仰ってくださいました。

 私は、そのお言葉に甘えて、今一度旦那様を抱擁いたします。


「あっ、貴女はいったい何者だ!? フローラ嬢と既知のようだが」


「レオパルド様! ――その方は銀竜王クルーク様です!」


 突然現れた女性に動揺して、声を荒らげたレオパルド様に、マリーズが慌ててその正体を明かします。

 おそらくマリーズも、クルーク様とは初めて顔を合わせたはずですが、さすがに聖女です。その声とクルーク様の放つ威光で察したのでしょう。


「なッ! この方が……銀竜王クルーク様……。ハッ、失礼いたしました!!」


 ザッ、と数人が地に膝を突く音がいたしました。おそらく皆が竜王様へ礼をしているのでしょう。


「クルーク様、お久しゅうございます。聖女マリーズにございます。このような場所でクルーク様のご尊顔を拝し賜り祝着至極に存じます」


『久しいですねマリーズ。あの折には迷惑を掛けました。ですが貴女までこの試練に同行しようとは……人の繋がりとは面白いものです』


「ところでクルーク様、これはいったいどういう事なのでしょうか? 私にはサッパリです。何故、バジリスクがグラードル卿に変化したのでしょう? それに先ほどのクルーク様の仰りよう、私には、まるでこの試練はフローラの為になされたように聞こえました」


『相変わらず聡いですねマリーズ。貴女の言ったとおりですよ。この試練はそこのフローラとグラードル、その絆深き夫婦の為のものです』


「なッ、ただ一組の夫婦の為に銀竜王クルーク様が試練の迷宮を開いたというのですか!?」


 クルーク様の言葉に、レオパルド様から驚きの言葉が吐き出されます。


『ただの……ではありませんよレオパルド。フローラは生者の身でありながら、死にかけた夫グラードルを追い、我が領域を訪れるという奇跡を起こしたのです。しかしグラードルは、バジリスクの死毒によりその寿命を大幅に削られて長く生きても一年か二年という状態でした。私はフローラの起こした奇跡に免じて、この試練をくぐり抜けたのならば寿命を元に戻すと約束したのです』


「フローラ、それならば言ってくれればよかったのに……」


 アルメリアの声は、どこか悲しそうに聞こえました。アルメリアと私の仲で水くさいと思われたのでしょうか。


『私が口外を禁じたのです。試練を果たすまで口外することを禁ずると、もしも口外したのならば試練は失敗と見なすとね』


「そんな……いくら何でも酷いではないですか!! 誰にも話せず、この迷宮の試練を果たすなんて……」


 アルメリアは納得いかない様子で、恐れ多くもクルーク様に食って掛かります。


『ですが、彼女は見事に果たしましたよ……それに、本来ならば無くなった寿命を元に戻すのです。その試練がそれほど軽いものであると思うのですか?』


「ですが! フローラがあのバジリスクがグラードル卿であると気が付いたからよかったものの、もし私たちが討伐してしまったならばどうするつもりだったのですか!!」


『ああ、貴方たちはあのバジリスクがグラードルであったと考えているのですね。それは少し違いますよ。確かにグラードルの肉体ではありますが、グラードルの命はあの黒杯の中に有ったのです』


 それを聞いてマリーズが問います。


「では、あのバジリスクは?」


『あれは、バジリスクの死毒で死にかけていたグラードルを保護して、その身に受けた毒と人の身を反転することで毒の進行を止めていたのです。まったく、あのように動き回って……私が準備を整える前に本当に死んでしまうところだったのですよ』


 まさか……あの時の旦那様のご様子では、そこまで重態だとは思いませんでした。私たちが考えていた以上に危ない状態だったとは。

 それにしましても、あのバジリスクの身体は旦那様を蝕んでいた毒から創り出されたということでしょうか?


「では私たちは、フローラから恩恵を与ったわけですね」


 マリーズの言う恩恵とは、胸飾りを含む財宝ということでしょうか? でもそれは違うと思うのですが……。


『それは違いますよマリーズ。フローラは自身がこれまでに築いた人の縁によって、この試練を達成する力を得たのです。フローラもまた貴方たちから恩恵を得ているのです。人の縁とはそういうものでしょう?』


 私が言いたいことを、クルーク様が代わりに仰ってくださいました。


「……フローラ? あれ、俺はいったい……」


 旦那様を卵越しに抱きしめておりましたら、肩越しに旦那様の声が聞こえました。


「ああっ……旦那様……お目覚めになったのですね」


 私は顔を上げて、涙に濡れた顔に笑顔を作ります。


「なんだかとても長く眠っていたような……それに、君が何者かに襲われていたような夢を見た気がする」


 旦那様はまだどこか寝ぼけ眼で、私の状態にも気づいておられない様子です。


「私は無事ですよ。それに……ええ、ええ、そうですねとても良くお眠りでした……」


「あれ……これは? 俺は何を抱いて寝てたんだ?」


「ええっ!? 旦那様はこれが何かご存じないのですか? とても大事そうにしておられましたが……」


「そういえば……誰かに大切なものだから守るようにって言われたような?」


 その時、ピキッっと卵にヒビが入りました。

 コツ、コツ、っと、中から何かが卵を突いて外に出てこようとしております。

 パキャっと、ヒビが入っていた場所が大きくはじけて、それは顔を出しました。


 私と旦那様を交互に見て、「ピキーッ」と、そう鳴いたのは、左右で金と銀の色違いの瞳をもった幼竜でした。

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