第115話 モブ令嬢とクルークの試練(九)
「……これで、あとはあのバジリスクだけだな」
コカトリスが完全に息絶えたのを確認したレオパルド様は、私たちがコカトリスを討伐していた間に体勢を立て直したバジリスクへと目を向けます。
私たちも皆、それにつられるようにバジリスクを見ました。
ですが当のバジリスクは、こちらを眺めてコカトリスが動かなくなったのを確認すると、一声『ガゥワァッ』と鳴いてドシドシと歩き始めました。
そして卵の置かれた場所へと戻りますと、卵の位置を確認するようにしながら、お腹を下ろして卵を温め始めます。
一応警戒しているのでしょうか、頭はこちらに向いております。ですが『グワァフ』とアクビでもするように口を開いたあと顎を地面に付けて目を瞑ってしまいました。
ゴォォォォォォ、ゴォォォォォっと……これは、いびきでしょうか? どうも眠ってしまったようです。
「なんと言うか…………暢気だな、あのバジリスク」
レオパルド様は、敵愾心がまったく感じられないバジリスクに、毒気を抜かれたご様子になってしまいました。
手にした槍をグルグルと器用に回したあと脇下に柄を抱え込むようにして収めます。
「だが、いまならば、これらの武器を使えば簡単に倒せてしまいそうだが……」
待機するように穂先を前方に垂らして構え、困惑したご様子で私たちへと視線を彷徨わせました。
リュートさんとアルメリアも、戸惑い気味の笑みを浮かべて、どうしたものだろうという顔をしております。
「レオパルド様……あのバジリスクはただの一度も私たちに敵意を向けておりません、それにいまのコカトリスとの戦いにおいても、あの大事そうに抱えている卵を放ってまで私たちを助けてくださいました」
「だが、あれは、敵を排除する好機だと考えたのかも知れぬし……」
「そうですね……あのバジリスクが母親であるのなら、卵を狙う敵の排除を優先した事も考えられます……まあ、その後のあの様子には疑問がございますけれど」
「……あのバジリスク――雄ですよ」
リュートさんが言い辛そうな様子で、そのお顔を少し赤くいたします。
「さっき裏返ったときに、その……見えてましたから」
「………………」
少し考えてリュートさんの言葉の意味が分かり、メアリーを除いた私たち女性陣は視線を交わして、彼と同じように顔を赤くしてしまいました。
「うぅん、ゴホン! 良いかな皆んな。……問題はコカトリスを倒したが、この試練の迷宮がそのままだということだ。試練が達成されたなら、迷宮は消え去って、俺たちは財宝と共にあの門の場所へと戻されるはずなのだろ? フローラ嬢」
「……はい」
「ということは、俺たちはまだ試練を達成していないということになる。迷宮に来るまでに聞いた話では、守護者の討伐が試練達成の条件であったと記憶しているんだが……」
「それは……確かにそうでございますが……」
レオパルド様の仰ることはもっともでございます。ですが、今回のクルークの試練は異例の事だと思うのです。
これまでに、六年などという短い期間でクルークの試練が再度口を開けた例はございません。
これは間違いなく私を……私の旦那様への愛を試す為に行われている試練です。
ならば、最後の試練が守護者の討伐などという、ある意味、力業に成るわけが無いのではないでしょうか?
私は今一度、いびきを掻いて眠っているバジリスクに視線を向けます。
本来であれば、旦那様に死毒を与えた象徴である魔物です。
この守護者の間で、初めてあのバジリスクを目にしたとき、私は己の内に、殺意というどす黒い感情が眠っていることに初めて気が付きました。
ですがいま、コカトリスの鋭い嘴や足の爪によって引き裂かれた大小の生々しい傷から、赤黒い血が滲み出した状態で眠っているバジリスクの姿に、私は何故か……私を守ろうとして毒を受け、その後目を覚ます前の旦那様の姿が重なって見えて、とても痛々しく感じられてしまいます。
ですがそれは……あのバジリスクに、旦那様と同じ右目の上から頬のあたりへと真っ直ぐに伸びる、古い大きな傷跡があるからかも知れません。
その時、私の頭の中にひとつの言葉が浮かびました。
『銀竜王クルーク様は、思いのほか意地悪だ……』
ライオット様とアンドゥーラ先生のお二人から、念を押すように掛けられた言葉です。
……旦那様のお顔の傷と同じような場所にあるその傷……
突如として姿をくらましてしまった旦那様…………
グルグルと、これまでの様々な状況が頭の中を巡ります。
まさかそのような…………。
不意に、
ですが……死を司る銀竜王クルーク様であれば、死に魅入られた人の身を操ることも可能なのでしょうか?
だとしたら……あのバジリスクは…………旦那様……!?
ということは……旦那様のこのお姿を元に戻すことこそが、最後の試練なのでしょうか?
私は、旦那様の寿命を元に戻す為にあの方……銀竜王クルーク様より試練を与えられました。
しかし、そのことは誰にも口にすることはできません。
それを口にせず、皆さんを導かなければ成りません……どのようにして……。
「……レオパルド様。今回のクルークの試練は、これまでの例に当てはまらないかも知れません。守護者の間に二匹の守護者がいた例が無いのです。それに、アンドゥーラ先生とライオット様が仰っておられた言葉を思い出してください」
私は、懸命に頭を巡らせて言葉を紡ぎます。
「……ああ、あの――銀竜王クルーク様は意地が悪いとか言っていた奴か。……だがこれまでそのような意地が悪いと思われるような事はなかったと思うんだが……」
私の言葉は、レオパルド様には今ひとつ実感がないようです。
考えてみますと、守護者の間に入るときのあの謎解きも、意地悪というものではございませんでした。
皆さんには、夢の記憶は無いご様子ですし……、私は、どう説明したものかと皆さんの顔を見回します。
その時、リュートさんと目が合いましたら、彼は私から目を逸らして顔を赤くいたしました。それを見て、私はひとつ確信いたします。
「皆さん、私たちはノームさんの集落でこれらの品物をクルーク様より贈られました。ですが、それは決して何の意味も無く贈られたのではございません。私たちは眠りの中で夢を見せられ審判されていたのです」
「夢だって? ……俺にはまったく思い当たるところが無いが」
私の言葉を不可思議そうに聞いてレオパルド様は、他の方々へと視線をさまよわせます。
その視線を受けるアルメリアやマリーズ、メアリーも軽く首を傾げて、記憶を探るような仕草をしています。
ですが、リュートさんだけが顔を赤くして俯いてしまいました。
「……リュートさん、貴男は覚えていますよね」
私が断定の口調で申しますと、リュートさんはビクリッ、と震えたあと、諦めたように口を開きます。
「はい……」
「私たちが見せられた夢は、目を覚ましている時とまったく変わらないように現実感を帯びた夢だったのでしょう。私がその夢から覚めたとき、アルメリアもマリーズも、まるで起きてでもいるかのように話しておりました。詳細は申し上げませんが、その夢は本人の願望を顕在化したもののようでしたが、現実にはあり得ない――まさに夢であったようです。その夢を受け入れず、現実ではない事に気付いた者のみにクルーク様はこれらの品物を贈られたと思うのです」
私がそう申し上げましたら、アルメリアとマリーズは顔を見合わせて、少し恥ずかしそうな様子になります。寝言を
「そのような事が……そういえばリュート、君は俺より早く起きていたが――その、フローラ嬢の話のように、俺は何か寝言を言っていたのか?」
「はい、言っていました。内容、話しましょうか?」
「……いや、それはいい」
レオパルド様が恥ずかしそうにリュートさんを止めます。
「だが、そうなるとどうして君たち二人はその夢の記憶を覚えているんだ? それには何か理由でもあるのだろうか?」
「……おそらくですが、私とリュートさんが見せられた夢は、皆さんが見せられた夢と少々違っていたと思うのです。そうではございませんか、リュートさん?」
「……はい……そう思います。ボクにはあれが――自分の願望だったとはとても思えませんし……」
顔を真っ赤に染めてそう仰る彼を見て、私は『やはり』と心の中で呟きました。
「リュートさんと私は、記憶と感情を操作されて同じような夢を見せられていたと思うのです……」
あの夢を思い出して、私も恥ずかしさで頬を染めてしまいます。
「二人の様子を見るに、その内容は聞かない方が良さそうですね。私、なんとなく察しが付いてしまいましたけど」
マリーズが、リュートさんと私の間にある、なんとも居たたまれない感情のゆらめきに気付いた様子で、この場を和ませるように茶目っ気たっぷりの仕草をしてそう仰いました。
レオパルド様とアルメリアはよく分かっていない様子ですが、ひとまず納得はしてくださったようです。
メアリーは感情を面には見せず、ただただ静かに佇んでおります。ですが聡い彼女のことですので、マリーズと同じように察しているとは思います。
「私、ノームさんから聞いた話で確信したのですが、フローラはやはり『ノルムの愛し子』とでも呼ぶべき存在だと思うのです。リュートさんは『白竜の愛し子』ですし、もしかするとお二人は、私たちより精霊や妖精に近い存在なのかも知れませんね。そのあたりがこの迷宮内に囚われてしまった原因かも知れません」
いつの間にか、私の横に並んでニコニコと笑っている幼いノームさんを目にしながら、マリーズがそのように言いました。
「なるほど……、ということはリュートとフローラ嬢が夢を覚えていることも、試練と関係しているということか?」
「私はそのように思います。ですので皆様、バジリスクはとりあえずあのままにしておいて、あちらの財宝を探ってみませんか? 何か手がかりになる物が見付かるかも知れません」
「そうですね。レオパルド様、バジリスクはあのように逃げることも、私たちを襲うこともしないようですし、ひとまずあの財宝を探ってみましょう」
マリーズと私の言葉を受けて、レオパルド様にもひとまず納得して頂いたようす。
そして、私たちはバジリスクが眠る場所よりさらに奥。財宝が眠っている空間を調べることとなりました。
財宝のある場所へと向かう途中で、リュートさんが私の近くに寄り小さく口を開きます。
「フローラさん。あの夢の中でボクが貴女に対して抱いていた愛情……あれは、グラードル卿が貴女に向けているものなのですね……」
リュートさんは恥ずかしげに鼻の頭を掻いて、顔を赤く染めています。
私はリュートさんに軽く頷き返しました。
「初めて……人を愛するって事が分かった気がします。ボク、あんな気持ちを育てることができる相手と、いつか巡り会いたいと思います」
彼は、あの夢のあと以来初めて、私と正面から視線を合わせました。そして、快活にニカリと笑います。
彼らしいその笑顔もまた、あのヲルドという兇賊と顔を合わせて以来のものでした。
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