第91話 モブ令嬢と魔導爵と騎士団長

「おい、おい……何だ、この人だかりは? テメーら修練の時間はもう終わってんじゃねーのか? ああっ? 何だぁ……おい、珍しい奴が居るじゃねえか」


 兵舎を出てこられたお二人、先ほどの会話からいたしますと、この方は旦那様の所属する黒竜騎士団の団長、デュルク・ダリュース・ダンティス様ではないでしょうか。

 デュランド公爵家の縁戚にあたる方であったと記憶しております。

 年齢はセドリック様と同じくらいでしょうか?

 黒の中に赤が筋のように混じった髪を肩口くらいまで伸ばしておられて、瞳も、黒の中に赤い筋が放射状に入っているように見えます。

 背が高く、とても野性的な雰囲気を纏っておられますが、顔立ちは彫像のようにとても端麗です。

 左の頬に大きな十字傷を負っておられて、野性的な雰囲気と相まってとても危険なお方のように感じられます。

 ですが厄介者集団と言われる黒竜騎士団を纏めるお方です。そう考えますと納得できる感じもいたします。


「なんということだ。せっかく授業後にやって来たというのに、よりにもよってアイツとかち合うとは……」


 デュルク様を確認した先生は、顔を歪めて呟きました。

 先生を目にしたデュルク様は、背後におられるセドリック様の存在など忘れたように、人混みの向こうからこちらにやって来ます。

 進路に居た人たちが、まるで肉食獣から逃れる草食動物のように道を空けました。


「おいアンドゥーラ。そろそろ返事を聞かせてくれねーか。俺の所に来るのか? 来ねーのか?」


 デュルク様は、まるでその場にはお二人しかいないような調子で、周りのことなど眼中にないご様子です。

 先生は顔を歪めたまま、一つ息を吐いて口を開きました。


「……まったく。その件ならば既に断ったはずだがね。君には記憶力というのが無いのかね?」


「あ? 別に愛人になれって言ってんじゃねーんだからよ。オメエなら俺の第一夫人にしてやっても良いんだぜ」


「だ・か・ら。――君には耳が付いていないのか! そのような事をばかりしているから、君は家から絶縁されたのだろ! 君の騎士団が厄介者集団などと言われる原因は、本当は君のせいではないのかね!」


 なんということでしょうか!? アンドゥーラ先生が及び腰になりながらジリジリと背後に下がって行かれます。

 それに黒竜騎士団が厄介者集団と呼ばれているのは、この方に一因があるのですか!?

 ですが、先生の言葉など意にも介さずデュルク様は続けます。


「オメエと俺の間に子が出来りゃあよ、それは美しい子が生まれるぜ。それだけでも価値がありそうじゃねえか?」


「君は……自分のその顔が嫌で、己で傷を付けたと記憶しているが……いつから宗旨替えをしたのかね」


「ハッ! 細かいことを覚えてやがるな……これだから女は……。なら単純に行こう。俺はオメエが気に入っている。だから俺の嫁になれ!」


 しかし、先ほどからこの方は……これでアンドゥーラ先生を口説いておられるつもりなのでしょうか? 口調もぞんざいなので、喧嘩をしているようにしか見えません。


「何を言うか! 初めて会ってから、貧相な小娘と散々馬鹿にされた輩にそのように言われて、なびくものなどいるものか!」


「実際に貧相だったろうが! まさか数年でそのように化けると、誰が想像できたかよ!」


「それは自分の慧眼の無さを呪うのだな。――まあ、そのような事がなくとも、私が君に靡くなどということは、天地が逆さになろうともありはしないがね」


「相変わらず口の減らねー女だな。おい!」


 そう言ってジリジリ下がる先生の腕を取ろうといたします。ですが、背後から人影が追いつきその腕を掴みました。


「いい加減にしないかデュルク殿! 横柄すぎるぞ。騎士団長たるものが率先して律を乱してどうするのだ!」


 セドリック様がデュルク様を止めてくださいました。

 アンドゥーラ先生が、ふぅと一息ついて体勢を立て直します。


「いや、助かったよセドリック。さすが天然女殺しだ」


 先生――それは褒め言葉になっておりませんよ。

 セドリック様もどう反応していいか分からないご様子でおられます。

 その隙を突いてデュルク様はセドリック様の腕を振りほどきました。ザッっと大きく一歩背後に下がって腰の剣に手を掛けました。


「……セドリック。そう言やあ、テメーとコイツで話を着けようって事になってたんだっけなぁ」


 デュルク様は、今にも斬りかかりそうな殺気を放出させて、セドリック様を睨めつけています。

 ですが、セドリック様は両の手を広げて戦う意思がないことを示します。


「デュルク殿、悪いが騎士団長として手合わせは承知しかねる」


 両者の間で、剣無き剣戟が躱されているような緊張感がバシバシとたぎって――霧散しました。


「たく、――相変わらず堅苦しい野郎だな。テメエのその甲がある限り、防御に徹せられたらこっちはくたびれもうけだ、割が合わねえ。…………おいおい、そこに当事者が居るじゃねえかよ……」


 デュルク様の赤筋の入る黒い瞳が、不意にアンドゥーラ先生の背後にいた旦那様を捉えました。


「おいセドリック。交代させる人員って奴は、テメエが連れているそいつか?」


 そう言って、兵舎とセドリック様たちのおられる場所の、中程辺りに立っている白竜騎士団の騎士服を纏った方に視線を向けます。

 その方は、透明感のある水色の髪は氷のようで、瞳の色も灰色の強い青です。外見で判断するべきではございませんが、とても冷え冷えとした印象を受けました。

 それにしましても人員交代とは? ……まさかあの方と旦那様とで騎士団を交代させるということでしょうか?


「そうだが……それがどうしたというのだ?」


 セドリック様はそう仰います。しかし私には、その方は先ほど旦那様を睨み付けておられたようにも感じました。彼はその交代話を納得しておられないのではないでしょうか。


「ならよ、当事者同士に決着を付けてもらおうじゃねえか……、手合わせをしてこっちが勝ったら……その話、受けてもいいぜ」


 デュルク様の言葉に、セドリック様がそのお顔に疑問を浮かべます。


「どういうことだ? 普通こちらが勝ったらだろう」


「ハッ、テメエが推薦する奴にアイツが勝てるかよ。……まあ、今は、だがな――」


 そう仰るデュルク様は、相手が旦那様に向けた敵意と、その実力に気付いておられるようです。

 私には剣の実力は理解できませんが、対戦することになるかも知れない彼が、旦那様によい感情を持っていない事は感じられました。


「おい、グラードル。この白竜騎士団の団長様がよ、テメーをしばらく白竜騎士団で預かると言い出しやがった。コイツの所に行けば月末からのトライン辺境伯領へ駐留はしなくてすむぜ。まあ俺は、次の任務からキサマを百騎長にと考えていたが……どうするよ?」


 旦那様を百騎長に!?

 それは破格の出世です。十騎長を飛び越えて百騎長など、前例がないわけではございませんが、なかなかあることではございません。

 今の旦那様はひら騎士で、配下に兵長を含めて最大歩兵十一名を従えておりますが、百騎長となればその平騎士百名を配下として従えることとなります。歩兵まで含めれば最大一二〇〇名もの人員を配下として指揮する立場になるのです。

 旦那様の身が万全であったのならばどれほど喜ばしいことでしょうか。

 それに、白竜騎士団は王都防衛の要として国境に駐留することのない騎士団です。もしかして、セドリック様は旦那様の容態を考えて、白竜騎士団へと仰ってくださったのでしょうか?

 私は、この大陸西方諸国で女性が口を出すべき事柄ではないと知りつつも、いてもたってもいられず口を開いてしまいます。


「お待ちくださいデュルク様! 旦那様は先日傷を負ったばかりで今は休養中です。手合わせなど……」


 そこまで言ったところで、キッと鋭い視線を向けられて、私は息を呑んでしまいました。


「おい、この小娘は何だ? 男の話に割って入って来やがるとは、アッ!?」


「私の妻です。デュルク様、妻が怯えています。威嚇しないでください」


 旦那様が、デュルク様の強い視線から私を守るようにして間に入ってくださいました。


「テメーの妻だってんならしっかり躾けておけ。――で、どうするよグラードル?」


 デュルク様は値踏みするように旦那様を見ております。

 旦那様は、一度大きく呼吸いたしました。


「その話――お受けいたします」


「旦那様!」


「よし! なら準備だ準備!」


 私の抗議の呼びかけには答えず、旦那様は手合わせの準備を始めてしまいます。


「フローラ、こっちに来なさい。……馬鹿らしい事ではあるが、あの男を納得させるにはどのみち、力を示さねば決着が付かないのだ」


 アンドゥーラ先生がそう仰って私を招き寄せます。

 私が仕方なく、先生の側によりますと、旦那様が対戦相手である白竜騎士団の方と言葉を交わします。


「久しいなライリー。学園時代は悪いことをした。君は希望通り白竜騎士団に入れたのだな、行きがかりでこのような事態になってしまったようだが、よろしく頼む」


「……キサマが心を入れ替えたと、話には聞いていた。俺の事は良い――だが俺は、キサマが妹にした事を決して許さん。団長には悪いが全力でキサマを叩きのめさせてもらう」


 青みの強い灰色の瞳から、殺意にも似た視線を旦那様に向けて、その方は言い放ちました。

 その言葉に、旦那様は蒼白になります。


「『おい俺! コイツの妹? またか、また記憶に無い二年の間に何かやってやがったかコイツ』」


 旦那様が、日本語でそのように仰りました。

 彼は空白の二年に、何か取り返しのつかない事をしてしまっていたのでしょうか?

 私は、旦那様の身体と過去、その二つの心配に気が遠くなりそうな心持ちになってしまいました。

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