第90話 モブ令嬢の戦闘訓練
翌日、昼後の授業が終わっているというのに修練場には人が群れておりました。
それはアンドゥーラ先生が修練場に現れるなどという珍しい事態が起こっていたからです。
「いいかいフローラ。これまで君は魔導師となる授業、魔法を教える側の勉学をしてきたわけだ。ただ、これから学ぶのは実践で使う側、魔道士たちの戦闘術だ。……刻々と状況が変わる現場で、魔法を使う
先生は
「まあ、魔法使いというものは、本来自分が前に立って戦うなどという愚かなまねをしてはいけないのだが、今日は直接戦闘をやってみようか、その方が本来の役割をするときに見えてくるものがあるからね」
先生は、グルリと周りを遠巻きに囲んでいる人混みの中から、前の方に立っていたアルメリアに視線を向けます。
「……確か君はフローラの友人だったね。――アルメリアと言ったか? 手を貸してくれないかね」
「ハイッ! 私で役に立てるなら」
アルメリアが上官にするように胸に拳を当てて応えました。
「では、木剣を……」
アンドゥーラ先生がそう言って周囲を見回しますと、人混みの後ろから声が掛かります。
「いや、チョット待ってくれないか――何でこんな事態になってるんだ!?」
人混みを掻き分けるようにして私たちの前に現れたのは旦那様です。
いつもと違い平服を纏っておられます。館の外で旦那様の平服姿を目にするのはなんとも新鮮な心持ちのするものですね。
「おや、グラードル卿……身体の具合はどうかね? まあ、その様子だと大丈夫なようだね。ああ、フローラから話は聞いたよ。どのようなつもりで私を同行させようと考えたのかは知らないが、面白そうだから了承したよ」
「今はそんなことよりも、なんでこんな事態になっているんですか!? 個室を訪ねたら誰もいないし……学舎を出たら人だかりが見えたのでやって来たらこの事態だ」
「……別に、授業の一環だがね。魔導学部とて軍務部の魔道士育成に関わっているのだから、戦闘訓練をすることもあるのだよ。グラードル卿、君とて知っているだろう?」
「それは知っているがそうではなく――」
しれっと正論を答えるアンドゥーラ先生に、旦那様は言葉を詰まらせて私に視線を移しました。
「フローラ、何故突然こんな事を始めたんだ…………」
彼は切なそうに私に問います。私は、咄嗟にその問いに答えることができず、口を引き結んでしまいました。
旦那様は、私の返事を待っておりましたが、口を開けずにいる私から、納得がいかないといった様子で視線を外して、いまいちど先生へと向き直りました。
「そもそも軍務部志望でない者に戦闘訓練をしたことなどないでしょうアンドゥーラ卿、貴女は」
「……フローラはね……、あの時茶会の席で、自分が足手まといになってしまったことを悔いているんだよ。あの時、いま少し自分が巧く立ち回れていたら、君があのような目に遭わなかっただろうとね。過ぎてしまったことをいつまでも悔いていても仕方がないし、このように前向きに、次はないようにと心がけている彼女を温かく見守ってやりなさい」
先生は、私が旦那様に答えられない事を察してくださったのでしょう、そのように答えてくださいました。
とても心が痛みます。ですがどのように説明したら良いのか浮かびませんでした。先生の機転に感謝しなければなりません。
旦那様は、軽く考え込んでから呟きます。
「……あのような事が何度もあっては堪らないが……」
「もしも、それが無駄な行動だとしても、心が救われるということはあるのだよグラードル卿」
アンドゥーラ先生は銀光が滲む薄紫の瞳に、旦那様と二つしか歳が違わないとは思えないほどに深い知性を湛えて、優しい口調でそう仰いました。
旦那様はまだ納得しきれていないご様子で私に視線をもどしますが、それ以上口を開こうとはいたしませんでした。
それを確認して、先生が私とアルメリアに視線を戻します。
私も、外しがたい旦那様の視線を、心を殺して断ち切りました。
「さて、それでは再開しようかね。木剣の準備はできているね。アルメリア、君はいつもの訓練と同じように打ち掛かってくれたまえ。フローラは分かっているね……」
心を静めるようにして私は頷きます。
私が同時に扱える魔法は三つです。その全てを使って戦わなければなりません。
腰に吊した
防壁の魔法は、その名の通り身体の周りに目に見えない壁のようなものを作り出す魔法です。昂進の魔法は、神経を昂ぶらせて身体の動きを高めるものです。
そして最後に
魔法の根幹のひとつは想像力ですので、この剣はアルメリアの持つ木剣と同じように切ることのできない打撃武器として顕現させました。
「準備は良いね。それでは、始めなさい!」
先生の言葉を合図に、アルメリアと私は動きます。
私はアルメリアと距離を取るように、アルメリアは距離を詰めるように動きました。
昂進の魔法の力によって普段よりは早く動けておりますが、どうしても術者の身体能力を元にしていますので、普段から身体を鍛えているアルメリアの速度に勝るはずもなく、あっという間に距離を詰められてしまいました。
アルメリアが木剣を振るいます。しかしそれは、私の前方で見えない壁に当たり押しとどめられました。
「アルメリア君、本気で打ち込みなさい! その防壁の魔法は簡単に突破できるものではない。手加減していてはフローラのためにならないよ!」
アンドゥーラ先生にそのように声を掛けられて、アルメリアはグッと力を込めて、押しとどめられた木剣を押し込みます。その瞬間、私の身体は防壁の魔法ごと背後へと弾かれてしまいました。
「きゃあぁぁぁぁ!」
背後へと弾かれた私は体勢を保てずに地面へとへたり込んでしまいます。
「それまで!」
追撃をかけようと私に迫るアルメリアを先生の言葉が押しとどめてくださいました。
「フローラ……分かったかい? 魔法使いにとって直接戦闘がどれほど無謀か」
先生は私に近づいてきて、立ち上がるために手を貸してくださいます。
「……はい、身をもって……」
私は身体を守って、身体の動きを早めればいま少しは戦えると考えていました。けれど、防壁ごと身体をはじかれてしまいました。女性同士でさえ普段から鍛えている方とはこれほどに身体能力に差があるのですね。ましてやより力の強い男性とでは話にもならないでしょう。
「フローラ。そもそも、何故肉弾戦をしようなどと考えたのかね?」
「直接戦闘では……?」
その言葉に、先生は腰に手を当てて、なんとも呆れたご様子になりました。
「いくら何でも……君は、素直すぎるな。直接というのは一対一ということだよ。そうだな、私だったらまずアルメリア君の足を蔦の魔法で拘束する。そして、距離を保って砲撃できる魔法で滅多打ちかな」
先生がそのように言いましたら、アルメリアが頬を赤く染めて、目を潤ませました……? 感心しているのでしょうか? 私だったら滅多打ちにされる状況を想像して青くなってしまいそうですけれど。
ふと視線を感じてそちらに視線を向けましたら、旦那様が本当に顔を青くしておろおろと私を見ておりました。
真実を説明することが叶わないとはいえ、旦那様に心配を掛けてしまうのはとても心苦しく……身が削られる思いがいたします。
「いいかいフローラ。たとえ直接的な戦闘であっても、自分が魔法使いであるということを忘れてはいけないよ。そして、私たち魔法使いの戦いは戦略的に常に先を読んで行かないとね。あと君は、同時使用できる魔法を増やす訓練もした方がいい。そうすれば打てる手が段違いになるからね。まあ三つ同時に使えるだけでもたいしたものだが、君ならまだ増やせるだろ? 要は考え方の問題だからね」
「私、三つを保つのがやっとなのですが……、四つ目になると魔力が持ちません……」
「えっ? ……もしかして、今まで魔力の問題で三つだったのかい? 魔力を無視した場合どのくらいの数使えそうかね?」
先生が、驚いたご様子で私に問いました。
「……後二つは大丈夫だと思います」
左手で右肘を支えるようにして右手を口の前で握り込み、アンドゥーラ先生は少し考え込みます。
「……私と、同じか……まさか、私に遠慮はしていないよね」
「いえ……そのようなことは……」
安定して使うのならばそれが限界だと思います。
「まあ、今日のところはそのままでいいか……、それでは後、何回か戦ってみようか。アルメリア君、お願いするよ。フローラは先ほど私が言ったことを頭に入れて戦うようにね――それでは……」
先生が、合図を送ろうとしましたら、修練場の脇にある軍務部の兵舎から怒声が響きました。
「ふざけるな! 何故ウチが期待している人員をテメエのところにくれてやらなきゃならねえんだ!」
「だから、それに見合う人員をこちらからも差し出すといっている! 何故分からない!」
初めに響いてきた声は聞いたことがございませんが、後の声には聞き覚えがございました。
「……どうしても、ヤツを寄越せと言いやがるのか? なら、これで決めようぜ。テメエとは一度手合わせしてみたかったんだ。来い!」
「何を言い出すのだデュルク殿。騎士団長同士が簡単に手合わせなど出来るわけがないではないか」
そのような声と共に、兵舎のドアが開いて言葉を交わしていた人たちが姿を現しました。
一人の方は、見覚えのない方ですが黒を基調とした騎士服は旦那様と同じ黒竜騎士団のものです。そして、今一人は、礼服に近い白基調の騎士服を纏った白竜騎士団団長、セドリック様でした。
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