第92話 モブ令嬢と旦那様と過去と怨讐(前)

「ところで、アンドゥーラ先生はデュルク様と因縁がおありのご様子ですが?」


 私は、旦那様が立ち会いをなされるために、平服を着替えに兵舎へと向かわれた合間に、先生にそのように問いました。

 その言葉に、先生は僅かに渋面を作ります。


「……まあ、あの男とは口の端にも乗せたくないほどには因縁があるよ。私があの男と出会ったのは、クルークの試練の折りでね。あの男はね、十分な力を持ちながら、クルークの試練達成者になり損ねた男なのだよ。……あの時私は一六歳だったのだが、フローラ、今の君よりも育っていなくてね。それはちんちくりんだの棒のようだのと、散々馬鹿にされたものだったよ。だけどクルークの試練達成後、まるで褒美のように、一年あまりで私はこのように育ってしまってね。そうしたらあの掌返しだ」


 先生の説明は簡単なものでしたが、私が学園に入り、アンドゥーラ先生との縁ができてよりこれまで、かの方の話をされたことは一度もありませんでしたので、よほどの悪縁ということでしょうか?


「デュルク卿は……アンドゥーラ卿たちとご一緒にクルークの試練を受けたのですか!?」


 隣にいたアルメリアが、好奇心を満面に浮かべて問いかけました。

 私も、クルークの試練のことを聞きたかったので、彼女の好奇心に便乗してしまいます。

 先生は、少し考えるような仕草をいたしました。


「いや違う……まあ最後はそうなったが、そもそも私たちは、連れ立ってクルークの試練に臨んだわけではないのでね。そういえば、フローラにもその時の話をしたことがなかったね。私はあの試練には巻き込まれただけなのだよ」


 私もアルメリアも驚いてしまいました。

 アルメリアは、吟遊詩人たちの逸話にない話なので驚いているのだと思います。

 私は、先日先生を初めとしてライオット様まで、クルークの試練達成者であらせられる四名のお方が我が家を訪れた、あの時の遣り取りを思い出して驚いたのです。あの時のご様子を考えますと、とても近しい間柄であると感じられました。ですから私は、皆様ご一緒に試練に臨まれたものとばかり考えていたのです。


「君たちは前回オルトラントに現れたクルークの試練の場所を知っているかい?」


「はい、王都の隣領であるモーティス公爵領に現れたと聞き及んでおりますが」


 先生の問いに私が答えました。

 アルメリアも知っているのでしょう、頷いております。


「そのとおり、ここ王都オーラスより馬で半日ほどの場所だ。過去の例から考えても、試練の達成が容易な場所に現れた。あの時初めから一緒に試練に臨んだのは、冒険者であったシモンとアシアラだけだ。セドリックは王国が組織した試練達成のための選抜隊一員として、サレアは神殿が選抜して送り出した神官戦士に追随した癒やしの術が使える巫女兵モンクとして、そしてあの男、デュルクは、騎士団から有志を募って独断で試練に臨んだのだ」


 アンドゥーラ先生は一度静かに息をつくと、少々げんなりとしたご様子で口を開きます。


「私はね、彼らが攻略した迷宮の上層部で、魔物との実戦を経験しろと、師、ブラダナに無理矢理にあの迷宮に放り込まれたのだよ。なんといってもクルークの試練の場迷宮は魔物と戦うことのできる数少ない場所だからね。しかし……今考えても、師のあの無茶ぶりには頭にくるな」


 話しているうちに頭にきたのでしょう。先生の薄紫の瞳に怒りの色が見えるような気がいたします。


「まあ……結局のところ、私は転移の罠に引っかかって、下層に飛ばされてしまってね。そこで、戦線崩壊を起こしかけていた神殿の勢力に加勢することとなったのだよ」


「それは、大変な事ではございませんか!?」


 私は自分であったのならば……と考えてしまいました。

 先生は当時一六歳であったそうです。一年後の私は、いきなり魔物の生息する迷宮に放り込まれて、さらに突然、その下層に飛ばされてしまったら、それだけで恐慌してしまいそうです。

 アルメリアは、その状況を想像しているのでしょう、興奮した面持ちで先生の話を聞き入っています。さすがに騎士を目指しているだけのことはありますね。勇敢だと関心します。

 先生はフフン、と少し得意げな顔をいたしました。


「まあ、天才の私が加勢したことで、彼らは崩壊は免れたのだがね。ただ、彼らは軍団としての体をなくしてしまってね。そこに、やはり戦力を減らしたセドリックやデュルクたちが合流したのだ」


「その後、皆で話し合って健在な戦力を統合して先に進むこととなった」


「……その、先生。ライオット様のお名前がございませんがあの方は?」


 まさか意識的に避けておられるわけではないでしょうが気になってしまいました。それに第二王子であるあの方が、どのようにしてクルークの試練に臨む事となったのでしょう?

 先生はライオット様の名前を聞くと、むっすりとしたお顔になってしまいました。


「……奴は、いつの間にか紛れ込んでいたのだよ。おそらくはデュルクが募った有志の中に紛れたのだろうがね。その後私たちは、さらに下層を目指したわけだが、戦力はジリジリと削られて行ってね。食糧などの問題もあり引き返そうかという話になったときに、少人数でそこまでやって来ていたシモンとアシアラの仲間たちパーティーに出会ったのだ。……そこで彼らに迷宮を大人数で攻略するなど愚か者のすることだと叱責されてしまってね。そこから、力を残した少数精鋭で一気に攻略しようと、彼らのパーティーに君の知っている私を含めた四人とデュルクが加わったのだ」


 やっとクルークの試練達成者全員が揃ったわけですね。


「そして、守護者のいる場所まで到着したわけだが……ああ、そうそうその途中で、あの馬鹿ライオットがやり過ごせるはずのバジリスクにちょっかいをかけてセドリックが毒を受けたのだよ。君はあのセドリックの話を聞いて何かおかしいと思わなかったかね? あの話を聞いただけではそれなりの時間をかけて彼が毒から回復したように聞こえたと思うのだが、サレアの力もあったとはいえ、セドリックは一日であの毒から完回完全回復したのだ……」


 先生が、悪戯めいた表情を浮かべます。


「どうだい、私が奴のことを人間の範疇を超えていると言った意味が分かるだろう?」


 私は目を白黒させていたかも知れません。

 アルメリアは、ライオット様やセドリック様が毒を受けた話など、聞いたことのない話に少し戸惑ったような顔をしております。

 しかし確かに、セドリック様は、クルークの試練の場で毒を受けたと仰っておりました。あの時は旦那様のご容態に関する事柄だと、容態の変化にしか気が回っておりませんでした。

 考えてみれば、クルークの試練の場で長々と療養する時間などあるはずがございませんでした。


「ああ、話を戻そうかね。私たちはついに守護者と戦うこととなったのだが、そこで一つの問題が起きたのだ。……なんとね、シモンとアシアラ以外の彼らの仲間と、デュルクはその場に入ることができなかったのだよ」


「それでは、達成者になり損ねたとは……」


「そうだ、彼らは守護者の間の目前までたどり着いておきながら、クルークによって試練を受ける資格無しと選別されてしまったのだ」


「そのような事が……」


 あの方は試練を課すと仰いました。よもや資格無しと断じられる事はないと思いますが、私は僅かに心配になってしまいました。

 アルメリアは、初めて聞いた話に、「後で、控え帳に書き留めておかないと」と、呟いておりました。


「あとはおそらく、吟遊詩人たちの話に唄われている通りだよ。途中の紆余曲折は創作が入り乱れているからね。……ああ、彼らの準備も整ったようだね」


 先生の言葉に、私たちが兵舎の方を見ましたら、旦那様とライリー様が修練用の要所を守る甲を身につけて修練場へとやってまいりました。

 旦那様の顔色はいまだに悪いままです。それは、明らかに毒の影響ではございません。

 それに先ほどの旦那様の言葉を聞いた限り、ライリー様は学園で同期であったのでしょうか?

 旦那様の記憶は二年前、おそらく学園を卒業なされる年の白竜の月一月から切り替わっておられるはず。

 あの旦那様の驚きよう……あの方の妹に以前の旦那様が何かをなされたのは、きっとその二年の間……。その怨讐が今、旦那様に向けられている。

 今の旦那様しか知らない私には、それはとても理不尽な事のように思えます。

 ですが、きっと旦那様はその罪を、ご自身の罪として受け入れるでしょう――彼はそういう人です。


「だがあれだね。心を入れ替えたといっても、それ以前にあの男がなした罪は消えるわけではない。私は当時直接仕返しをしているからね。既にわだかまりもないが、いまだにあの男のことを許していない人間はいるだろう。フローラ――辛いだろうが、それはどうしたって避けて通れない事柄だよ」


 先生は慈愛を込めた視線を向けてくださいます。


「……はい先生。分かっております。私も旦那様の犯した罪には、妻として共に誠意を持って相対して行こうと心しております」


 修練場の真ん中でライリー様と向き合っておられる旦那様を目にして、私自身もこれまで以上に過去の彼と向き合って行かねばならないと、心を新たにいたしました。

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