第62話 モブ令嬢と旦那様とお義父様

 クラウス第三王子たちが我が家に押しかけた日から三日、旦那様の軍務部からの退出を待って、私たちはルブレン家の別邸へと向かいます。

 二日前にセバスを通じて訪ねる旨の連絡をして了承をいただいております。

 学園前の広場で辻馬車を拾い、学園を挟んで我が家とは逆方向の貴族街へと進んでゆきます。

 我が家のある貴族街は古い家が多く、館の庭が広く取られているのが特徴的で、隣の館までそこそこの距離がございます。対しましてルブレン家の別邸のある貴族街は庭が狭いので、同じ面積の中に五つほどの館がある感じでしょうか。

 我が家は旦那様と私の婚姻が成立しなければ、二年後までには爵位を保つため、土地の大半を売り払う事も考えておりました。


「おお、グラードルよく来たな。おや、フローラも一緒か……ふふん、なかなか仲良くやっているようではないか。まさかお前にそのような甲斐性があるとは思っておらなんだわ。……それとも、見た目と違いフローラの手綱さばきが巧いのかな」


 従僕に先導されて応接室に入りますと、私たちを見たお義父ドートル様が、口元をニマリと歪めてそう仰いました。

 彼の視線には、私たちを値踏みするような光が宿って見えます。


 ルブレン家のお茶会に招かれたのは既にひと月ほど前のことですが、あの折には茶会の会場であったサロンしか目にする機会がございませんでした。

 ルブレン家の応接室は、揃いの様式のソファーやテーブル、チェストなど様々な家具がまるで陳列でもされているように置かれております。

 素敵な家具が多いのですが、区画分けでもされているように一揃い同じ様式の家具が固まっていて、部屋全体で見ますと、どこかちぐはぐとした印象に見えます。


 お義父様は、私たちを部屋の入り口に近いソファーへと招きます。その間、彼はひとしきり私たちを観察しているご様子でした。


「どうだフローラ嬢、ここに置かれている家具は、我がヴェルザー商会で扱っている逸品揃いだ。この応接間は客への展示室も兼ねておってな、貴族相手の商談はこちらですることが多いのだ」


 私はあまり見回さないようにしていたのですが、お義父様は私が室内の様子を気にしていたことに気付かれたようです。


「見事な装飾の家具が多くて、私、目を奪われてしまいました」


 私がそう申しますと、お義父様は自慢げに破顔いたしました。しかし私の隣では旦那様が、うわっ、とでも言うような表情を浮かべます。私、何か言ってはいけないことを口走ってしまったかもしれません。


「そうであろう、そうであろう。装飾技術に定評のあるイルティア王国製の家具をこれだけ集められるのは我が商会だけだからのう、この彫刻の繊細さが分かるかね、これはかの名工ベイリーによるものでな……」


 そうして始まってしまった、この応接間に置かれている家具の説明を、私たちはしばらくの間聞かされてしまうこととなりました。後から旦那様に聞いた話ですと、お義父様がルブレン侯爵家の爵位を得たのは二一年ほど前、それまでは純粋な商人であった方です。ですのでこのように商品の説明が始まってしまうと、なかなか止まらないのだそうです。


「……ところで、今日はどういうわけで二人して訪ねてきたのだ?」


 ひとしきりこの場に置かれた家具の説明を終えたお義父様は思い出したようにそう言いました。

 旦那様は、その機会を待っていたようにすかさず口を開きます。


「父上も光の月およそ六月に開催される王家主催の茶会に招かれていると思うのですが、その当日にヴェルザー商会から馬車をお借りしたいのです」


 旦那様がそう仰いますと、お義父様が驚きに目を見開きました。


「まっ、まさか……お主たちも招かれたというのか!?」


「はい、王宮で開かれる茶会は、聖女マリーズと白竜の愛し子、リュート君を主賓に招いて開かれるのです。お二人を館に預かっている関係で、我が家も招かれる事となりました」


「……なるほど、そういう訳であったか。王宮が主催する茶会は年に一度は開催されるが、いつもと時期が違っておったので訝しんでいたのだ。だがまあ、我が家としては重畳な事だ……丁度献上品にと思っておったトランザットのベルーグラスが手に入ったところだったのでな。それにしても……まさか、財務卿選定の投票権を得るための投資と思ってエヴィデンシア家との縁を結んだことが、これほどの幸運を我が家に運んでこようとは思っても見なかったわ」


 ドートル様はそう言ってガハハハと笑います。

 これは旦那様と私を家族と認識しているからの言葉と考えた方が良いのでしょうか? お義父様の目的がそうだとは分かっておりましたが、あまりにもあけすけに投票権を得るための婚姻だと言われてしまいますと、やはり気分の良いものではございません。旦那様も少し複雑なご様子で眉間に皺を寄せております。

 確かに、お義父様のその野心のおかげで、私たちは巡り会うことができたのですから、やはり感謝した方が良いのでしょうか?


「我が家が王家の茶会に先立って聖女と白竜の愛し子を招いたのだと社交界でも噂となるだろう。まあ、そう噂を流すのだがな。きっと財務卿選定に有利に働くであろう」


 お義父様は、テーブルに置いてあった呼び鈴を手に取りますとそれを鳴らします。

 少し間を置いて侍女が部屋へとやってまいりました。

 赤い瞳に灰色の髪色をした少し目つきの鋭い方で、年齢は三〇歳前後くらいでしょうか。背も女性としては少し高く感じられます。


「ご主人様お呼びでございましょうか?」


「うむ、茶と菓子を持ってきてくれぬかシェリル。ああそれから、あのベルーグラスも運び入れてくれ。この夫婦に目の保養をさせてやろう」


 彼女は、お義父様のお言葉に少し意外そうな表情を浮かべます。しかし、直ぐに表情を戻しますと「……承知いたしました」と、返事をして部屋を退出しました。


 おそらくは以前の旦那様とお義父様の関係を知っておられる方なのでしょう。

 私も少々驚きました、それはこれまでのお義父様は、旦那様を人として扱っておられる感じがしていなかったからです。

 

「しかし、まさかのう……」


 お義父様が、何かを悔いるように歯を食い縛り、目を細めるようにして旦那様を見つめます。


「我が家で最も役に立たぬと思っておったお主が……グラードル、お前は韜晦しておったのか? ……こんなことならば、お主を外に出すべきではなかった……」


「父上……いまの私は、彼女と――フローラと共にあることができるからこそ、このように成れたのだと思います。ルブレン家には兄上も、アルクもいるではありませんか」


 旦那様はそう言うと隣に座る私を見下ろし、視線を合わせて優しく微笑みます。そうして私が腿の上に置いていた手の上に、旦那様が大きな手を重ねました。

 そんな私たちの様子を、お義父様はどこかもの悲しそうなご様子で見ております。

 これまで強気一辺倒の態度しか見たことがございませんでしたので、私は本当に驚いてしまいました。それは隣に座っている旦那様も同じようです。


「……グラードル。お主にとってフローラとの結婚は、誠に――素晴らしいものであったのだな……。お主がそのように穏やかな表情をするなど……。思えば、お主の母、ロレーヌも愛情深い女であった。あのような婚姻であったのに、儂を愛そうとしてくれた。だがそんなロレーヌも、お主を産んだあと身体を壊し早くに亡くなってしまった。さらに立て続けに親父が亡くなってしまったことで、儂は貴族社会になじむ為の活動と、ヴェルザー商会をもり立てて行くことに必死になってしまい、お主たちを顧みることをしなかった。幼少期に母のぬくもりを知らぬお主が、歪んで育った事には気付いておった。だが儂も、いつの間にか、お主やボンデス、アルクをも家を大きくするための道具のように考えるようになっておったのかもしれん……儂もまた歪んでしまっておったのかのう」


 それは、お義父様が初めて私たちに見せた親らしい感情の吐露でした。


「儂の初めの妻メリルも、ボンデスが五歳のときに流行病にかかりあっけなく亡くなってしまった。取引先の娘で気の良い女だった。ボンデスのヤツは、自分に貴族の血が入っていないことを気にしておる。そしてまだ小さかったとはいえ、ヴェルザー商会のために身を粉にして働いていた母の記憶も残しておるだろう。彼奴がお主にキツく当たるのは、血への嫉妬と、ヴェルザー商会に尽くして亡くなった母のために、自分がヴェルザー商会を継ぐべきだと考えているからだろう。その思いが強くなりすぎて自分を見失っておる……」


 お義父様がそう仰ったとき、応接室のドアを打つ音が響きました。


「失礼いたします」


 そう言って先ほどのシェリルという侍女が、ドアを開けてお茶とお菓子をのせたティーワゴンを運び込みました。

 彼女は、私たちの前にお茶とお菓子を並べると、さらにティーワゴンの下に置かれていた華美な装飾のなされた箱をお義父様の前に差し出しました。

 お父様の前に置かれた箱は、お義父様の身体の幅ほどもある正方形の大きさで、手を広げたほど高さがございました。

 お義父様は、先ほどまでのしんみりとした表情を消し去って、ニンマリと笑みを浮かべます。


「暗い話ばかりしていては気が滅入ってしまうであろう。ほれ、目の保養をさせてやろう」


 お義父様が箱を開け放って、私たちにその中身を見せるように向きを変えました。


「これが……トランザットのベルーグラスですか」


 それは、まるで宝石のごとき色彩を放つ一対のグラスでした。

 虹のごとき色彩の変化も見事ですが、グラスの表面にあるこの金彩はどのようにして定着させているのでしょうか。


「見事なものであろう。以前、王妃様より手に入らないかと打診されたことがあってな。これを陛下に献上するつもりでおるのだ。茶会で陛下に使って頂ければ、また社交界において我がヴェルザー商会とルブレン家の名が上がろうというものだて」


 お義父様は、しばらくの間私たちにベルーグラスを鑑賞させると、丁寧に蓋を閉じて侍女へと渡します。彼女は静かに礼をして部屋を出て行きました。

 旦那様は、彼女が出て行くのを確認しますと口を開きました。


「ところで、兄上のことなのですが……」


 旦那様は、アンドゥーラ先生から伺った黒竜王様の邪杯の欠片の話をお義父様にいたします。


「そういう訳ですので、兄上の状態が良くないようでしたら一度王都から離した方が良いかも知れません」


「なんと……そのような事が。その邪杯の欠片とやらが、ボンデスの精神を蝕んでいるかもしれぬというのか。しかし、誰がそのような物を……。だが、あの魔導爵がそう言っているのならば、馬鹿なことをと笑い飛ばすわけにも行かぬか……ふむ、ボンデスのことは儂も気を付けて見ておこう」


 お義父様が、旦那様としっかりと目を合わせて話をするのを、私は初めて見たかもしれません。お義父様の中で、旦那様の評価が明らかに変わった気がいたします。


「それから、これはまだ確実とは言いづらいのですが……エルダン殿がレンブラント伯爵と通じているかもしれません」


「なッ!? 馬鹿な――彼奴は間違いなくれっきとした商人だぞ、取引を始めるときに身辺を調べ上げたのだから間違いない。それに、お主――彼奴とあれだけ親しくしておったではないか……」


 目を剥いて驚いたお義父様が、納得いかないご様子でそう仰いました。

 私も、旦那様救出のおりに聞いたあの声と話の内容から、あの場所に居たのはエルダン様であると考えております。しかしその姿を確認してはおりませんので、旦那様の仰るように確実だとは断言できません。


「私も完全に確信できているわけではありません。しかし、エルダン殿が本当にレンブラント伯爵の意向を受けて動いているのだとすれば、それと分かったときには何かが手遅れになっているかもしれません。ですから、そのつもりで気に掛けていてほしいのです」


 旦那様は真摯なご様子で、お義父様に向き合っております。そのご様子を見てお義父様も真面目なご様子で聞き入っております。


「エルダン殿がレンブラント伯爵と繋がっているかもしれないと、私が勘付いたことを彼が気付いていれば、おそらくヴェルザー商会に顔を出す事が減るかもしれません。どちらにしても注意していれば父上ならばわかると思います」


 私は、旦那様がこれまでお義父様の事を、父親としてどう思っておられるのか聞いたことはございませんが、商人としては一流であると評価しておいででした。その旦那様の言葉を受けて、お義父様はどこか嬉しそうに笑顔を浮かべました。それは明らかに、子の成長を喜ぶ親の顔でした。


「ふむ、いまのお主がそこまで言うのならば、儂も今一度ヤツの裏を探らせよう。……それにしても、子が自立して、対等に話ができるのがこれほど嬉しいものだとは思っても見なかったわ。グラードル、ボンデスとの約束もあるからエヴィデンシア家への援助の条件を変えることはできぬ。だが、いまのお主ならばきっと大丈夫であろう。ただ、それ以外のことで儂に力になれることがあれば言ってくるが良い。少しは父親としてなにかさせてほしい」


 婚姻の儀の折、私はルブレン家の方々に家族としての愛情があるように見えませんでした。しかし、いまお義父様と旦那様の間には明らかに親子の情が通じているように見えました。


「ところで父上、兄上はどうしていますか? できれば挨拶をして行きたいのですが」


 旦那様の申し出に、お義父様は少し考え込んでしまいました。


「……うむ、それはやめておいた方がいい。たまに食事を共にすることがあるが、お主への恨み言は相変わらずだ。流石に茶会のおりにカサンドラと言い含めておいたので、レンブラント伯爵に近付くことはないようだがな。しかし先ほどの話ではないが、ヤツは一度領地へ戻した方が良いかもしれんな。お主が王家の茶会に招かれたなど知れようものなら、症状が悪くなりかねん」


「フローラがカサンドラ義姉上と文を交わしておりますので、様子を見ておきたかったのですが、やはり俺は顔を合わせない方が良さそうですね」


 旦那様は残念そうなご様子です。

 ですが私は、本日の旦那様とお義父様のご様子を拝見して、お兄様とも絆を取り戻せるのではないかと僅かに希望を得た気がいたしました。

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