第63話 モブ令嬢と旦那様と襲撃者(前)

「馬車の件は確かに任せておけ。当日にはヴェルザー商会の扱う最高級の馬車を手配してやるからのう」


 お義父様がエントランスまで降りて、私たちを見送ってくださいます。

 前回ルブレン家を訪れたときには、招待客への応対をしておりましたのでこのような機会はありませんでした。しかし、結局今回もメルベールお義母様とお話をする機会を得ることはできませんでした。

 アルク様も、同じ高学舎に通っているのですが、常在学を学ぶ基本教室が離れております。

 たしか専攻学部も、財務学部を専攻しておられると伺いました。魔導学部の教室とは離れておりますので顔を合わせる機会がございません。

 私、ボンデス様以上に、このお二人と旦那様の間の溝のようなものが気になるのです。

 顔を合わせて話をすれば、本日のお義父様のように少しは内心を伺うことが叶うと思うのですが。


「お義父様、また近いうちにお目に掛かれるとは思いますが、本日は失礼いたします」


 私が僅かな心残りを押し殺して、そのように申しますと、お義父様は相好を崩します。


「ふむ、娘というのはこのように感じるものか……儂はついぞ娘を得ることはかなわなんだから新鮮な心持ちだわい」


「お義父様それは……カサンドラお義姉様がおられるではございませんか」


 その言葉にお義父様は、まるで初めてその事実に気が付いたように目を丸くしました。


「……ん、まあカサンドラは、娘というような可愛げが元より無かったのでな。確かに見目は良かったが、あのように女ながらに領地の切り盛りなどしおる。まあ、あの才能は才能で得がたいものではあるが……」


 どこか言い訳めいておりますが、そう言いながら頬をポリポリと掻くような仕草をいたしました。その動作が少し旦那様と似ていて、微笑ましく感じられました。



「父上があのように胸の内を晒してくれるとは思いもしなかった……」


 ルブレン家の館を出て馬車に乗り込んだ後、旦那様が感慨深そうにそう仰いました。

 彼の横顔を、日が沈む間際の赤みが染め上げています。

 薄く広がる雲も赤みを帯びて、空には不思議なまだら模様が浮かんでおりました。


「私も、お義父様の事を誤解していた気がいたします。……初めてお目に掛かったとき、旦那様の事を蔑ろにされておられると感じましたので、ずっとその印象に引きずられていたのかもしれません。思い返して見ますと、旦那様の我が儘を聞いて我が家に館を新築し、さらに二年もの間、資金援助をするのは、ヴェルザー商会の会長というお立場でも、並大抵のことではございません。とても財務卿選定のためだけにそのような事はなされないでしょう」


 旦那様の事は、婚姻の儀のときに顔を合わせて、世間で噂されていた方とは違うと思いましたが、お父様たちのことは、噂に聞いていた印象のままに受け止めてしまっておりました。


「確かにそうだね。それに今日の話を聞いても、我が家の資金援助を二年と区切ったのも、兄上の意見を受け入れての事だもんな」


「お義父様は、お義父様なりに旦那様やボンデス様の事を考えておられたのですね。その……少々、態度が不器用な気はいたしますが」


 私の最後の言葉に、旦那様は明るいご様子で笑いました。


「確かにそうだね。そう考えてみると父上は兄上を何年か財務部に出仕させてから、その後はヴェルザー商会を継がせて。そしてルブレン侯爵家はアルクにまかせるつもりなのだろうね」


「それは……いったいどういうことでしょうか?」


「それはね、元々ヴェルザー商会は祖父じい様が商っていて、父上は俺と同じようにルブレン侯爵家に婿入りしたんだ。今日の話にも出てきたけど、俺の母上が亡くなって、時を同じくして祖父様も亡くなってしまった。建前上、商会に責任者を置いているが、いまの商会は父上が運営しているようなものだ。だが、このような形が認められるのは父上までだと思う。父上も巧くやっているのだろうが、アンドリウス王が目溢してくれているのだろう。そうでなければ王家をしのぐ莫大な資金を動かしている侯爵家をそのままにしておくわけがない」


 旦那様の説明を聞いて、ルブレン家には通常の貴族家の相続とはまた違う問題があるのだと、初めて知りました。

 大陸西方諸国の貴族の相続は、相続継承権第一位の方が爵位を含む権利全てを相続します。概ね長男が相続して、それ以外の子供たちは成人後家を出るのが一般的です。


 男性であれば多くは騎士を目指します。財務部や法務部などの文官を目指す方もいらっしゃいます。王国に仕えることができれば最上の結果でしょうが、多くは領地持ちの貴族に仕えることになります。それが叶わなければ、上級市民として下野することとなります。

 女性の場合は、他貴族家への嫁入りが最上の結果だと言われます。アルメリアのように近衛騎士や、私が当初望んでいたように文官を目指す方もおられますが狭き門です。そして、裕福な上級市民の方に嫁ぐ方もまた多いと聞き及んでおります。


 私がそのような事を考えておりましたら、旦那様が突然席を立ち、御者台のある前方の車体の壁を叩きました。

 普段、私と二人で居るときには、おっとりとした雰囲気をなさっている旦那様が、全身に緊張感を漲らせております。


「おい君! いま左に曲がらなかったか! 我が家は反対方向だぞ!!」


 そういえば確かに先ほど身体が右に揺れました。

 私、旦那様と一緒にいることで安心しきってしまっておりましたが、彼はずっと気を張っておいでだったのですね。


「おい! 聞いているか!!」


 旦那様が車体の壁を叩きながら、小さな覗き窓から御者台の様子を探ります。


「まずい――御者が居ない!!」


「そんな、いったいどうして!?」


「分からない。それより速度が上がっている。フローラ、つかめる場所を探してしっかり捕まって」


 馬車の速度が上がり、石畳から受ける車輪の衝撃が懸架装置の衝撃吸収能力を越えてガタガタと強く揺れ始めました。

 おそらくですが、いま私たちの乗る馬車が走っているのは学園前から続く大通りのはずです。

 左に曲がったということは、ゆっくりと左に湾曲した通りがしばらく続きます。その先には、第二城壁を出るための西門がありますが、この時間は閉じられているはずです。通りにいる外の方々が異変に気付いてくださると良いのですが……ただ、この方向は元々人家の少ない辺りで、この時間ですとなおさらに通りを歩く人は少ないかもしれません。 


「おかしい、馬が正気を失っているように見える」


 旦那様が注意深く狭い覗き口から前方を確認してそう仰います。彼は車体の揺れに注意しながらドアの場所まで移動して、ドアを開けようと周囲を探ります。


「クッ、ダメか。外で固定されている」


 そう仰いますと旦那様は、車体の天井に手を添えて身体を支え、勢いをつけて踵でドアを蹴りつけました。

 バキャッ! という破壊音と共に、ドアがはじけ飛びます。

 ドアがなくなった空間から、風が巻くように車内へと吹き付けてきました。

 旦那様は、ドア枠をしっかり掴んで身を乗り出して周囲を確認いたします。


「くそッ!! ここまでスピードが出てると飛び降りるのは無謀か……、御者台へ移動できれば……うわぁ!」


 そう言って旦那様が、車体を伝って御者台へと移動しようと身を乗り出しましたら、馬車の車輪が石にでも乗り上げたのか大きく揺れました。身体が一瞬浮き上がり外に放り出されそうになります。旦那様は慌ててドア枠を掴み直しました。


「旦那様! おやめください危険です!!」


「クッ……しかし!」


「大丈夫か!! どういう状況だ!!」


 背後から誰かがそう大きな声を掛けて来ました。声の方向に目をやりますと、どなたかが馬に乗り馬車を追ってきております。日が沈んでしまったので男性であることぐらいしか確認はできません。


「御者が居ない! それに――馬の様子がおかしい!! 女性も居るから、この速度では飛び降りる事もできない! できたら馬を切り離してくれないか!!」


「その声は!? まさかグラードル卿か! レオンです! 分かりました、できる限りやってみましょう」


 言うが早いか、レオンさんは騎乗している馬の速度を上げて馬車を追い越して行きます。


「グラードル卿! 馬を切り離した馬車がどう動くか分からん。馬車の後ろに身体を固定していてください!」


「分かった! 頼む」


 旦那様はそう言いますと、馬車の席に置かれていたクッションを私の背後に入れて、私を抱きかかえるようにして椅子の背を掴みます。


「行きます!!」


 声のしたあと、ガクッと馬車の速度が落ちましたが、次いでガシャ、ギャギャギャギャーーーーーという、金属が石畳に擦れるよな響いて、身体を揺さぶる強い衝撃がやってまいります。さらに、ギャキンッ! と、金属が折れる音とバキバキッ! と、木が爆ぜる音が響きました。

 旦那様が私が馬車から放り出されないようにと、懸命に椅子の背と座席の下を掴んで身体を固定しています。

 ガクンッと馬車が斜めに傾いて止まりました。


「大丈夫ですかグラードル卿!!」


 傾いて上を向いているドアから、レオンさんが顔を覗かせて叫んでいます。


「大丈夫だレオン兵長。助かった!」


 旦那様はそう叫んで、私を抱きかかえるように立ち上がって、ドアへと歩み寄りますと、ドアのあった空間へと私を抱え上げます。


「レオン兵長、フローラを頼む」


「分かりました。さあ、奥方こちらへ」


 私は、レオンさんの手を取って車体の外へと出ます。旦那様は自力で馬車から出てきました。

 斜めになって止まった馬車は、馬を繋いでいた引棒が石畳にこすれ、凹凸に引っかかったのでしょう、引棒が折れ、その衝撃で車軸を破壊して片方の車輪が外れたようです。


「しかし、助かったレオン兵長。君はどうして?」


「いや実は、賭けで小金を稼いだもんで、小隊の連中とたまには高級な酒場で一杯やろうって話になりましてね。店の前まで来たら、通り過ぎていった馬車から御者が飛び降りたんで何事かと思って見ていたら、様子がおかしいじゃないですか。だから近くに居た辻馬車から馬を借りて追いかけてきたんですよ。まさか、グラードル卿たちが乗ってるとは思わなかった。ところで……まさか先日の件と関係あるんですか? おかしな連中がいるみたいですが」


 レオンさんが殺気を放って周囲に目配せします。旦那様も私をレオンさんとの間において、護身用の小剣を抜き放ちました。


「……まさか、第二城壁内で仕掛けてくるとは。レオン兵長、帯剣は?」


「俺は、貴族じゃありませんからね。護身用の短剣は持ってますが」


 第二城壁内では、貴族は外出時、護身用に小剣までの帯剣は許されますが、平民は短剣までしか帯剣が許されません。しかも許可がいります。

 旦那様たちがそのような会話をしておりますと、路地から覆面をした黒ずくめの一団が出てきました。

 五、六人でしょうか? 暗くてよく分かりませんが体格は男性のようです。

 彼らは、剣を手にしております。


「少しのあいだ凌ぎきれば、助けが来るはずだ」


 旦那様が、レオンさんに呟きました。


「……分かりました。そのつもりで時間を稼ぎましょう」


「フローラいいかい、必ず俺とレオン兵長の間に位置するんだよ」


 旦那様は私を落ち着けようとしているのでしょう、優しくそう仰いました。

 こんなことならば、アンドゥーラ先生のおすすめ通り、タクトを借りたままにしておけばよかったです。旦那様を救出して、帰ってきたあと直ぐに先生に返却してしまったのが悔やまれます。


「何者だ! あの馬車の本当の御者はどうした! まさか殺してはいまいな……」


 あの馬車は私たちが学園前で拾った辻馬車です。時間借りをいたしましたので、私たちが帰るまでの間ルブレン家の庭で待機していたのです。ですのでこの一団の仲間ということはまずあり得ないでしょう。としますと、待機していた間に入れ替わっていたと考えられます。

 旦那様は、アンドルクか捜査局の護衛がやって来るまでの時間を稼ぐつもりで、そう声を掛けたのでしょう。

 しかし、黒ずくめ一団は会話に乗ることなく襲いかかってまいりました。


「お前たちの目的は何だ!」


 旦那様はそう言い。襲いかかってきた一人の剣をいなして、重心の崩れた相手の腕を切りつけます。


「グッ」


 旦那様に切りつけられた男は、そう悲鳴をかみ殺しましたが、手にした剣を取り落としました。男は躊躇することなく、素早く背後へと下がります。

 続いて横合いから剣が突き出されました。しかし旦那様はその攻撃を見透かしており、一歩背後へと下がりますと、突き出された腕を膝と肘で挟むように打ち付けます。

 ボキッ! という音がして、その男も剣を取り落としました。

 その男も、声を上げずに素早く背後へと消えて行きます


「グラードル卿! こいつら暗殺者だ、刃に気を付けてください。毒が塗ってあるかもしれない!」


 レオンさんはそう言いながらも、既に二人の襲撃者を撃退しておりました。


「クッ、なんと役に立たん連中だ! でかい口ばかり叩きおってこうなれば俺が直接!」


 そう言って、背後で様子を見ていた男が旦那様に近付いてきます。しかし、このお声……まさか、そんな……。

 男は、旦那様の前まで来ると何の駆け引きもなく、剣を振り上げて下ろします。

 騎士団で鍛錬している旦那様にそのような攻撃が通じるはずもなく、半身を捻るだけでその剣は空を切ります。

 旦那様は、その剣を持つ手を無造作に掴むと簡単に捻り上げてしまいました。


「…………まさか、このような事……信じたくはなかった」


 そう言って、捻り上げた男の覆面を剥ぎ取ります。


「兄上……何故このような馬鹿なまねを……」


 私もできることならば信じたくありませんでした。しかし私たちを襲った一団はボンデス様の手の者だったのです。

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