第59話 モブ令嬢とやって来た厄介
アンドゥーラ先生やブラダナ様との話を終えた旦那様と私は学園を出て、大通りを屋敷へと向かいます。
旦那様に寄り添って道を歩いておりますと、背後から造りの良い馬車が追い越して行きました。
その馬車は私たちを追い越しますと、速度を落として少し先に止まります。
旦那様はそれを確認すると不自然に見えないように、私を馬車から距離を取るように誘導して道の脇へと避けました。
私たちが気を張って、その馬車の近くに進んでゆきますと、馬車の窓が下げられます。
「おお、やはりエヴィデンシア夫妻であったか……」
そう言って窓越しに顔を覗かせたのは、ファーラム学園長様でした。
白ぽい薄緑の髪を長く伸ばし背中まで流しておられます。お髭も長く胸の辺りまで伸びていて、さらに眉毛も目尻の辺りが隠れてしまうほどに伸ばされております。
眉毛に隠れてしまいそうな目の奥には優しげな蒼い瞳が覗いておりました。
その風貌は、ブラダナ様よりもよほど魔導師のように見えます。
「これはファーラム様…………」
旦那様と私は、上位の方への礼をいたします。
「このように車中から声を掛けたこと失礼した。少々急いでいるものでな」
「お急ぎなのにわざわざお声がけを、何か我らにお話が?」
旦那様が少々訝しげにそう問いかけます。
その問いに、ファーラム様はどこか言いづらそうな雰囲気を滲ませます。
「すまぬ……お主たちには少々面倒事をまかせることになってしまった。だがのう、今回の事は、後を考えればきっとエヴィデンシア家のためになるはずじゃ」
「あっ、あのそれはいったい?」
「ファーラム様、急ぎませんと……」
ファーラム様のさらに向こうから声が聞こえます。学園でファーラム様の秘書をなされておられる方でしょう。
「おそらく、館にもどれば分かるであろう……ただ、驚かぬように心しておくように。すまぬな儂はもう行かねばならぬ。王から呼び出しを受けておってな」
そう言うまもなく、馬車は走り出してしまいました。
ファーラム様のあのお急ぎの様子も気になりますが、我が家にいったいなにが?
「フローラ……。俺、物凄く悪い予感がするんだが」
「申し訳ございません旦那様……私もその予感を否定できません」
去って行く馬車を見送りながら、私と旦那様は我知らず手を握り合ってしまいました。
そのような事があり、私たちがある種の覚悟を決めて館へと帰りますと、玄関の前に豪奢な馬車が三台、さらに二台の荷馬車が止まっておりました。その中の一台の馬車は飛び抜けて豪奢に装飾されております。
しかし何でしょうか――馬車は多いもののこの展開は以前にも体験したような気がいたします。
その馬車に付けられた紋章を目にして、旦那様が膝から崩れ落ちてしまいました。
少し前に教えて頂いた文字で表しますと、orzこんな感じでしょうか。
「旦那様!?」
「なッ、なんでこうなる……」
三台の馬車に付けられている紋章は……一つはオルトラント王家の紋章、一つはデュランド公爵家の紋章、そしてさらに今ひとつはルクラウス侯爵家の紋章です……この取り合わせは?
「ご主人様。いまお迎えに上がろうと…………どうなされたのですか?」
地面に伏せてしまった旦那様を介抱するように寄り添っておりましたら前方から声が掛けられました。
顔を上げますと、メアリーが不思議そうな雰囲気を発して私たちを見ております。
「あの馬車は……?」
「そのことでお迎えに上がろうとしていたのです。第三王子クラウス様が貴宿館への入居を望んで押しかけてきております。大旦那様と大奥様が対応なされておられますが、当主であるご主人様でないと話にならないと仰いまして……。なかなか気の短いお方のようで、ご同伴なされておられるレオパルド様とレガリア様が取りなしてくださっております」
「『どうして? なんでこんな事態になってんの!? ファーラム様――これに驚くなはムリじゃね! 確かに聖女マリーズの
旦那様が完全に取り乱しております。メアリーが目の前にいることも頭に入っていないご様子で、言葉が日本語になっております。
しかし……まさかとは思いましたが、どうしてそのようなことに?
それに、旦那様が拉致されるという事件が起こってしまったために、マリーズにクラウス様が接触なされたということを旦那様に話し忘れておりました。やはりその辺りが関係しているのでしょうか?
その後、何とか落ち着きを取り戻された旦那様と、本館へと入ります。
マリーズが初めて我が家を訪れたときと同じく、本館の応接室にて応対しているのだそうです。
「おおグラードル。帰ったか」
私たちはメアリーに伴われ応接室に入りますと、お父様が声を上げました。お母様も安堵したご様子で小さく息を吐きます。
部屋の長テーブルには五人が掛けておりました。私たちの左手にはお父様とお母様、右手にはクラウス様、その横にレオパルド様、その向こうにレガリア様が、さらにクラウス様の背後には側付き騎士が二名。さらに、従者が一名と侍女が二名レオパルド様とレガリア様の後ろに控えております。
対して、お父様の後ろにはセバスが、私たちの背後にはメアリーが控える形になっております。
「所用があり帰りが遅くなりました。知らぬ事とはいえ、お待たせしてしまい申しわけございません」
旦那様がそう言い、私たちはクラウス様に上位の方にする礼をいたしました。
それを受けてクラウス様がじろりとこちらに視線を向けます。
「そなたがエヴィデンシア伯爵家の当主、グラードル卿か。――ずいぶんと遅かったではないか。レオパルドが貴公が騎士団を退出したのを確認してからやって来たというのに、だいぶ待たされたぞ」
「クラウス様――事前に連絡もせずにやって来ておいてなにを仰っているのですか。私は、話が付いているものだと思っておりました。グラードル卿、フローラごめんなさいね」
レガリア様が、子を叱る母親のように見えてしまいます。
彼女の言葉に、クラウス様は少し拗ねたような表情を浮かべました。
「少し驚かせてやろうと思っておったのだ。まさかこれほど待たされることになるとは思わなかった」
「クラウス様には、我が家の貴宿館への入居をご希望だと伺いましたが……」
「うむ、そうだ。白竜の愛し子と聖女が一つ屋根の下に住んでいるというのは、誠に不徳義であろう。というわけで我も貴宿館で生活して、白竜の愛し子から聖女を守らねばならぬ」
はあ……つまりはリュートさんとマリーズが仲良くならないように見張りに来たということでしょうか?
「こちらが、アンドリウス陛下からの書状です。今回の件の書状と、
クラウス様の背後に控えていた近衛騎士が進み出て旦那様に書状を差し出しました。
「王家主催の茶会へ……」
お父様が小さく呟きました。僅かに瞳が滲んで見えます。
三〇年前のあの件より、我家は王家主催の行事に招かれることはありませんでした。それが今回、このように招かれることとなったのですから、お父様の心中を察すると私も胸にこみ上げてくるものがございます。
お母様も、お父様をいたわる優しい表情で見つめておりました。
手渡された書状は封蝋で封緘されており、宛名はエヴィデンシア伯爵となっておりました。なるほど、旦那様がいなければ中身が確認できません。それで、話が進んでいなかったのですね。
メアリーが旦那様の斜め後ろから、静かにペーパーナイフを差し出しました。
「確認させて頂きます」
旦那様が封を切り、書状を確認いたします。
「……………………」
アンドリウス陛下からの書状を読み、続けてファーラム様の書状に目を通しますと、書状を静かに私に手渡してくださいました。
「……つまり、クラウス様はこの度、ファーラム学園に通う事になされたというわけですね。しかし、何故貴宿館へ入居なされようなどと……先ほどの言い訳では少々納得がいきませんが」
旦那様は、書状を読むうちに落ち着きを取り戻されたご様子で、年長者の余裕のようなものが窺えます。
「貴様、我の話が納得いかぬと言うか!」
「はい。アンドリウス陛下からの書状には、貴宿館の住人になる以上、王子としてではなく学生として遇するようにとの下知にございます。流石にご身分がございますので、その扱いは貴宿館の中のみとするべきだと考えますが、私はクラウス殿下の本心を伺っておきたいのです」
私は、アンドリウス様の書状に素早く目を通して、その書状をメアリーを介してクラウス様へと渡します。
……旦那様はどうやらこの先の生活を考えて、アンドリウス様の書状を盾に、クラウス様に対して優位な立場を築いておきたいと考えておいでのようです。
「…………父上、クッ、分かった。お前たちは我が第三王子であることは理解しているだろう。父上はいまだ健在だが、いつかは王位を譲ることとなる。兄上たちはいるが、第一王子であるトールズは今年三三歳。第二王子ライオスは病弱なこともあり継承権も最下位だ。我は今年一五歳。継承権はトールズの下であるものの、父上はいまだ五三歳だ。王位の継承はまだまだ先になろう。そうなれば我が王位を受け継ぐ可能性はいまよりもずっと高くなろう、それに聖女を妻として迎えることが叶えば、次期王の座は確実になるだろう」
無表情を装っておいでですが、旦那様は満足いく答えをいただいたと思われます。なぜならば、ゲームという物語の中で知れている情報だからです。これでクラウス様にうっかりそのような事を口走ってしまい、怪しまれる心配がなくなりました。
私がそのように考えておりましたら、旦那様はさらにクラウス様に質問をなされます。
「聖女マリーズとお近付きになるだけならば学園でも十分であると思うのですが、何故、貴宿館へ入居なされようなどとお考えになったのですか? 不自由も多いと思われますが」
アンドリウス様の書状の後に目を通しましたファーラム様の書状によりますと、クラウス様はマリーズが貴宿館で生活していることをご存じで、さらに彼女のお付きも貴宿館に入居していることもご存じだったそうです。ファーラム様も特例であることを説明したらしいのですが、ならば自分も特例になるだろうと押し切られてしまったという事が書かれてありました。
「いや、それは……ライオス兄上に相談したら、『人というものはね、同じ時間を長く共有した方がより仲を深められるものなのだよ』と言われたのだ。だから聖女が生活しているというこの館に住まえば、よりふれあえる機会が増えよう」
どこか恥ずかしそうに言う姿は、いまだ異性に素直になれない少年のように見えます。
旦那様は、ひとまず納得した表情をうかべて、今度はレオパルド様とレガリア様に視線を向けます。
「なるほど――ところでレオパルド様とレガリア様は本当によろしいのですか? お二人ともこのオーラスに館があるというのに。できるだけ快適に生活ができるように手は尽くしておりますが、流石にご実家ほどには行かないと思われますが」
「グラードル卿、ファーラム様も、流石に学生のための施設に、従者や近衛騎士をこれ以上住まわせる事は気になされたのです。私とクラウスは母が姉妹でして
「私も、彼らのお目付役として母からお願いされました。それに、こちらに住まわせて頂ければフローラやマリーズともさらにお近付きになれますし……私にとっても少ない学生生活の楽しみですわ」
レガリア様は、そう言って私に笑顔を向けてくださいます。
「レガリア様、お目付役って――私も含まれているのですか!?」
レオパルド様が軽く驚きを浮かべて、情けなさそうにそう仰いました。
その様子がおかしくて、私も笑みを浮かべてしまいます。
「ところで、近衛の待機所を屋敷内に造るというのは、いったい?」
旦那様が、クラウス様の後ろに控える近衛騎士の方に尋ねます。
「陛下も流石にこれ以上エヴィデンシア家に迷惑を掛けるわけにはいかないと、屋敷の警戒に近衛を二名常駐させることにしたのだ。そのための待機場所を設けさせて頂きたい。なに、簡易の建物だ、そう邪魔になるような物にはならない。貴公も騎士団の一員だ、おおよその見当は付くであろう」
先ほど、書状を差し出した近衛騎士がそう仰いました。
もしかして、あの荷車に積まれていたのは待機所を造るための資材だったのでしょうか?
「分かりました。アンドリウス様からの下知、さらにファーラム様からもお願いされてしまいましたし、お引き受けいたしましょう」
旦那様は、近衛騎士の言葉を吟味するように考えてからそう返答いたしました。
ファーラム様の書状は旦那様と私しか目を通しませんでしたが、そこには、クラウス様たちを受け入れれば、この後、貴宿館は白竜の愛し子と、聖女、さらに王子も生活した事のある施設として、完全に旦那様の悪評を消し去ることができるだろうとのお考えが記されておりました。
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