第58話 モブ令嬢と魔導爵の個室にて(後)

「そういえば、ブラダナ様はどうしてオーラスに? 以前フローラから、リュート君の様子を確認にいらしたとは耳にしておりましたが?」


 ブラダナ様に、ご結婚について揶揄されたアンドゥーラ先生が、ムッとして黙り込んでしまったのを見た旦那様が、気を利かせたのか話題を変えました。


「ほう、そのような些細な話を聞いていたのかい」


 ブラダナ様は意外そうな顔をいたしました。

 しかし貴宿館の住人、しかも白竜の愛し子であるリュートさんの育ての親、ブラダナ様のことを伝えないということはなかなかないと思うのですが……ご本人は、既に貴族ではないと仰っておいでですが、どう考えましても王国にとっての重要人物であることに変わりはないと思うのです。


「まあ今回やって来たのは、アンドリウスの奴がリュートを茶会に招くなどと言いだしたもんだから、ちょいと話をしにね……。まあ、結局のところ押し切られちまったんだがね。だから弟子に愚痴でも聞かせてやろうと思ってここに居るってわけさ。このようなときには爵位を返すんじゃなかったと思いもするが、爵位があったらあったで窮屈な思いをするしね……痛し痒しってところだよ」


 ブラダナ様は本当にリュートさんのことを大事になされておいでなのですね。

 しかし、ブラダナ様のお耳に王家の主催する茶会のお話が届いているということは、バーンブラン辺境伯への連絡はかなり早い時期に行っていたのではないでしょうか? やはり王家の主催ともなりますと様々な方面への根回しをされておいでのようです。しかし、ある意味、当事者とも思われる我が家への連絡がいまだに来ていないのは何故でしょうか?


「他の方々からそれらしい話は聞いておりますが、我が家にはいまだに王家が茶会を催するという話を伺っていないのですが……」


 旦那様も私と同じ疑問を口にいたしました。


「……アンドリウスの奴めは、はなから断られるわけがないと思っているのだろう。あんたたちには完全に話が決まってからでいいと思っているのだろうさ。まあ、間違いなく二、三日の内には連絡が行くだろうよ」


 アンドリウス王のことをよく知っておられるらしいブラダナ様のお言葉ですので、やはりいまの我が家は、王家にとっては些末な存在ということなのでしょう。


「ところで話は変わるのですが、アンドゥーラ卿は、精神に影響を与える魔法に心当たりはありませんか?」


 話が一段落して、アンドゥーラ先生も普段の調子に戻ったと考えたのでしょう、旦那様が先生にそう問いました。

 この聞き方は、以前ボンデス様のご様子を心配して、ライオット様にも薬物について訪ねたときと同じです。


「精神に影響を与える魔法だって? ないことも無いが、いったい何故そのような事を?」


 先生からの問いに、旦那様はボンデス様の状態を説明いたしました。

 元々ボンデス様に好かれてはいなかったものの、ここ最近、ボンデス様が旦那様に向ける敵意の強さや、思考が短絡しているご様子が、納得できる状態を越えていると……。


「それは……君から見て、急に酷くなったと感じられるということだね? ……だったらそれは魔法というよりは呪いの類いかもしれないね」


 先生は生徒の問いに答えてでもいるような調子です。

 そういえば私、旦那様と結婚した後、今後も学園に通えると報告にあがった際に、先生に呪いの類いを使われたのではと散々調べられました。


「呪い……」


「呪いも魔法といえば魔法だが――あれは厄介な代物でね、下手をすると術者自身も影響を受けてしまうような危険なものだから、調べる方も、先ほどのように簡単に研究などと言える代物ではないのだよ。大体は黒竜王様か闇精霊王の力が影響しているが、急激に変化しているというのならば、黒竜王の関係かも知れないね。」


 先生はそう言いますと、腕を組んで考え込みます。

 私のことを心配してくださったときには、直ぐに色々と調べてくださいましたが、あれは、いま仰った危険を押して調べてくださっていたということでしょうか?

 あの折は、先生が旦那様の事を信じてくださらないことに、少し不満を覚えてしまいました。しかし、先生が私を想ってくださっていた、そのお心に気付くことができなかったことに恥じ入ってしまいます。


 ふと、先生の視線がこれまでただ成り行きを見守っておられたブラダナ様に向かいます。

 視線を交わしたブラダナ様が、少しの間を置いて軽く目を伏せました。


「この二人なら大丈夫だろうて、話しておやりな」


「……君たちは、もちろん五〇〇年前の黒竜戦争の事は知っているね」


 先生にそう言われて、旦那様と私は小さく頷きます。


「あのとき黒竜王様は鎮められたと言われているが、実際のところは金竜王様の力によって滅ぼされたのだ」


「それは…………」


 旦那様は一言そう言い、私は息を呑みました。

 その様子を見て、アンドゥーラ先生は小さく片眉を上げます。


「おや――もしかして、想像の内だったのかね? もっと驚くと思ったのだがね」


「……十分に驚いておりますよ。それこそ言葉が続かないほどには」


 旦那様がそう言いましたが、それは嘘でした。旦那様も私もそのことは知っていたのです。

 旦那様のゲームという物語の中で語られていたそうで、私も旦那様の秘密を教えて頂いたあの夜に聞いておりました。


「まあ、滅ぼされたといっても黒竜王様は、他の竜王様が健在である限り時間は掛かっても復活なさるそうなのだがね。ただ、問題はその滅ぼされたおりに、黒竜王様が邪竜として暴走した原因である、多くの汚れた欲望を溜め込んでしまった聖杯、いや、この場合は邪杯と言った方がいいのかな……邪杯は金竜王様の一撃を受けて砕けてしまった。そして飛び散った汚れた欲望は、多くの人々や生物、植物などに吸収されてしまったそうだ」


 黒竜王様の聖杯は、その中に人々の汚れた欲望を溜め込んで浄化する力を持っているそうです。

 黒竜王様が邪竜と化してしまったのは、その浄化の力を超える邪な欲望を吸収してしまったからだというのが、竜王様たちと七竜教の神殿の見解です。

 そして、黒竜王様の聖杯が、浄化できないほどの欲望がこの世界に満ちてしまったのは人間が増えすぎたからだと、黒竜王様が邪竜と化したのは人間を間引くためだったのではないかと考える方もおられるそうです。


「先ほどの師の話ではないが、以前のグラードル卿が抱えていたあの邪な欲望は、もしかしたらルブレンの血族が延々と引き継いできた邪竜の残滓の影響を受けていたのかも知れないね。そう考えれば君の兄上も同じような影響を受けているのかも知れない」


「……ですがそれは、ここのところの急激な変化の説明にはならないのでは」


「……これは仮説だが、あの折砕け散った邪杯の欠片は神殿によって回収、封印された。しかしまだ、何割かは発見されていないのだよ。……その欠片を所持している人間が近くにいるかも知れないね。……邪杯は欲望を刺激するともいわれているからね」

 

「……そのようなものが……」


 そう言って旦那様は考え込んでしまいました。

 しかし旦那様から話を聞いている私には、彼が驚きによって考え込んでるのではないと分かります。

 おそらく彼の知る、分岐するという物語の知識で、いま私たちがどのような流れの中にいるのかを必死に考えているのでしょう。

 しばしの間不思議な時間が流れました。先生もブラダナ様も、まるで旦那様の思考を妨げてはならないと思われてでもいるかのように、口を挟むこともありませんでした。

 しかしその時間も直ぐに途切れます。思考を終えた旦那様が口を開いたからです。


「ありがとうございます――アンドゥーラ卿。とても参考になりました。兄上の周りに気を配ってみようと思います。……ところでアンドゥーラ卿、最後にいま一つ伺いたいのですが、貴女はライオット・コントリオ・バーズという方をご存じですか? 学園に在籍していたと思うのですが。私はちょうど入れ違いで、学園でお目に掛かったことが無いのです」


 旦那様がそう言いますと、アンドゥーラ先生は少し目を丸くして口を開きました。


「何だ、君たちはあの剽げ者と知り合いなのかい? なるほど、あの男と顔見知りになったのならどんな人間か知りたくなるのもむりは無い。ああ私はよく知っているよ。あの男には君に劣らぬほどに迷惑を掛けられたからね。君たちは私がクルークの試練を乗り越えたことを知っているね。あの時、その仲間の中にね――彼がいたのさ」


 それを聞いて、旦那様も私も驚きを隠せません。クルークの試練を乗り越えた方々の名前は広く吟遊詩人たちに唄われて、知らぬものなどいないはずです。しかしその唄の中にライオット様の名前はついぞ聞いたことがございません。


「確か、そのときのお仲間は、現在白竜騎士団の団長であらせられるセドリック卿と、冒険者のシモン殿、あと弓使いのアシアラと呼ばれる女性。そして神殿の巫女長でもある癒やしの巫女サレア様であったと記憶しておりますが?」


 私は、トルテ先生がこの国で新たに仕入れた唄だと嬉々として歌い上げていた話を思い出して、先生とご一緒にクルークの試練を乗り越えた方々の名前を挙げました。


「ああ、あの男は、男爵家の若輩者がこのような偉業に名を残してはやっかみや嫉妬で面倒なことになりそうだと、王に名を伏せてくれと懇願していたよ。まあ、それは正解だったと言うほかないな。セドリック卿とサレア様はご自身の力で周りを納得させたが、シモン殿とアシアラはあの後、オルトラントを去ってしまったしね。さらに言うならば……私もこのように学園へと押し込められている」


「それは自業自得だよ」

「『それは自業自得だろ』」

「それは自業自得だと思います」


 この場にいる先生以外の、言葉が揃いました。

 旦那様は、思わず日本語になっておりましたが、言葉が揃っておりましたので私以外は気付かなかったようです。


「うむ、ゴホン! そういうわけで、彼は世間に名は残さなかった。しかし当時彼は既にバーズ男爵家の当主であったわけだが、クルークの試練を乗り越えた功績で子爵へと陞爵したのだよ。――ところで、彼はいまどうしているのかね?」


 先生は、本気でそう問われました。

 となりの行政館に出仕なされている方を見かけないとは……先生、どれだけ館に帰っておられないのですか!?

 そんな思いのまま、私の口から言葉が漏れ出します。


「知らないのですか!? ライオット卿はいま、法務部捜査局で局長をなさっておられますよ」


 その言葉に、先生は今日一番の驚愕の表情を浮かべました。


「なに! ――彼奴が捜査局の局長だと!? ……これは、この国も終わりではないだろうか」


 先生は真剣に考え込んでしまいました。

 ライオット様は、いったい先生にどのような迷惑を掛けたのでしょうか?

 そうは思ったものの、ライオット様のあの悪びれないご様子と、それを呆れた様子で眺めている先生の姿が頭に浮かんでしまい、聞くことができませんでした。

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