夜明け前のこたえあわせ
マグカップを置いて、レティは腕を組んだ。指をくいと動かしてキルトに説明を迫る。キルトは姿勢を正して神妙に話し出した。
「最後が最後だから夢かと思っていたんだけれど……妙に嫌な予感がして湖の方を見に行って、チコに会って、色々あって死にかけたのは……?」
「現実だな。そのあと彼女が『天使の涙』を使ってあなたの傷を癒し、私が通りかかって二人まとめて持ち帰った。彼女はこの屋敷の一室で就寝中だ」
キルトは腕で顔を覆うように机に突っ伏した。断続的にくぐもった唸り声が響く。二本の尻尾がぱしぱしと椅子の足を打った。レティは大きなため息をつく。
「四六時中変化なぞしていたから、真実を見定められなくなったかい」
「それは関係ないでしょう……むしろ真実を忘れられなかったから本物になれなかったんだし……。それより追っ手が最低四人いたはずなんだけど、彼らは?」
「あなたは本当に筋金入りだな。全員命に関わる怪我もなく、最寄りの町に放り込んでおいたから安心しなさい」
しばらく続いていた唸りがぴたりと止まった。尻尾がふわりと毛を逆立て、神経質に揺れ動く。耳を伏せた顔を上げ、キルトは突き刺すような視線をレティに向けた。
「レティ。レティは全部知っていたの?」
「——というと?」
片眉を上げたレティが聞き返す。キルトはレティの胸の内まで見透かそうとするように視線を強めた。
「『天使の涙』は俺が死にかけるのを知って送ってきたんでしょう」
「……ああ。私の贈り物は概ねそういうものだったろう」
泰然としてレティは頷いた。キルトは歯をくいしばる。
「これまではそれでも納得できた。贈り物は、千里眼で何かを視たあなたからの警告で、遠くにいる俺への激励だと」
「ああ」
震える息を吸い込んで、キルトは血を吐くように声を絞り出した。
「視えすぎるあなたが、他者の運命に直接介入するのを嫌っているのは知っているよ。でもこんな……こんなに近くで俺が死にかけても、あなたは手出しをしないんだね」
「……」
レティは目を伏せて口をつぐんだ。半分陰になった顔は感情が読みにくい。目まで隠れてはなおさらだ。やがてレティは囁くように言った。
「私は私の思うままにしたまでだ。あなたも知ってのとおり、私は自分勝手だから」
キルトは机を叩きつけた。ランプの火が揺らぐ。噛み付くようにキルトは叫んだ。
「ああ知ってるさ、知ってるとも! あなたは自分勝手に最善の過程を切り捨てて、他者や自分を傷つけてでも……最善の結末を、目指しているんだって」
次第に勢いを失って、キルトは俯く。尻尾も力なく垂れ下がった。
「わかってるけど、さあ……」
痛いほどの沈黙がおりた。
ためらいがちに伸ばされた手が、こわばった肩を引き寄せる。レティはおそるおそるキルトを抱きしめると、その耳元に言葉を落とした。
「私が言うことでは、ないだろうけれど。……生きて帰って来てくれて、よかった」
目を瞠ったキルトは、一つため息をついて身体の力を抜いた。目の前の肩に額を押し付け、つぶやくように語りかける。
「……そう。そっか。ねえ、お望みの結末にはなった?」
「……最も望ましい展開の一つ、かな」
「ならいいよ。レティが求めた最善なら、俺も不幸にはならないでしょう」
「私は私の望みを押し付けているにすぎないんだよ。……あなたが最も欲したものは、私にはあげることができなかったから」
レティの声には苦渋がにじんでいた。キルトは苦笑してレティの背に腕を回す。
「命を拾われて、知識と技術を授けられて。これ以上何をくれようっていうの」
「……あなたはずっと、赦されたがっていただろう。けれどあなたが背負う罪は、私にとって罪ではないから。否定はできても赦しは与えられなかった」
それを聞いたキルトは、レティが言わんとすることに思い至った。夢の終わりに聞いた声が耳の奥に響く。回した腕の力を少しばかり強めた。
「……そればっかりは俺の問題だよ」
「ああ、あなたは生涯問い続けるだろう。けれど時には他者の答えに耳を貸すといい。私の答えは役に立たずとも、彼女の答えはあなたにとって終生の
「……レティの作為が入ってない?」
「何を言う。確かに多少お膳立てはしたが、畢竟あなたの行いと彼女の心の帰結だ」
私とて彼女の答えそのものは知らん、とレティは言う。途端にキルトは心もとなくなった。
「結構ひどいことした気がする……あれってレティが俺にしたことと同じじゃ……?!」
「『あれはない。人の所業とは思えない』ようなことかい?」
「ぐ……」
尻尾がレティの膝をぱしんと叩いた。キルトが回していた腕を解いて身体を離すと、レティの意地悪げな笑みがよく見える。苦い顔のキルトをからかうようにレティは言った。
「すでに答えの中核は示された。あとはあなたが覚悟を決めることだな」
「他人事みたいに……はあ、合わせる顔がない……」
いつしか窓からは薄明かりが差し始めていた。
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