子猫は犬を問い詰める
ぐるぐる考えているチコを、開けっ放しの扉からひょいと覗き込む者があった。ガルだ。ちらっと廊下の奥に目をやって、指でチコを招く。ついていっていいものか、チコは悩んだ。
「早く来い、今の内に部屋を移るぞ」
囁く声に裏や悪意は感じられなかったので、チコはとりあえずついていくことにした。
協会支部の普段は足を踏み入れない通路を、ガルの後を追って歩く。時折すん、と鼻を鳴らしたガルに誘導されて物陰に隠れ、誰にも会わずに進む。最後は小会議室と書かれた扉を開け、中に入った。
チコは目を丸くした。たくさんの机と椅子が部屋の脇に積み重ねられて、空いたスペースにベッドが置かれている。そのそばにチコの鞄もあった。扉を閉めたガルが息を吐く。
「こっちの方が一般人が入りこみにくいから、だと」
移動の理由を端的に告げられてチコは頷く。それよりも聞きたいことがあった。
「ガルさんは、キルトさんのこと、なんとも思わないんですか?」
「あ? そりゃなんとも思わねぇわけじゃねぇよ」
そう言うわりにはガルの態度はあっさりとしていて、チコには腑に落ちなかった。
「じゃあなんて思ってるんですか?」
「あーなんか覚えがあんぞこのやりとり……」
途端にげっそりとした顔をして、ガルは頭をかいた。
「いいか、まず言っておくがオレぁバカだ」
チコは反応に困った。否定待ちなのだろうか。けれどチコがどうこう言うまでもなく、ガルは真面目な顔で言葉を継いだ。
「自分一人で考えたってまともな答えが出た試しがねぇ。だから家族や友の話を聞くようにした。ちっとはマシになったがまだ間違える。だから嫌いな奴の話も聞くようにした。スッゲェしんどかったがかなりマシになった、それでもまだ間違える。だから賢い奴の話も聞くことにした。全く意味がわからんことも多かったがもっとマシになった、でもなんか違ぇなとも思った。だから最後にもういっぺん、自分で考えることにした。そんでようやく、正しくっても間違ってても納得できるようになった」
チコは内心首を傾げた。これをバカと言っていいものか。向こうの犬獣人達にはぜひ見習っていただきたい。腕を組んで、ガルは続ける。
「あっちの犬獣人はアイツを魔物だ殺すべきだと言う。職員は
あー、結局だ。オレにとっちゃアイツは魔物じゃねぇよ。罪人逃がした罪は償うべきだがな」
小難しいことは苦手だ、とぼやいたガルに、チコは重ねて問うた。
「じゃあ、あの双頭犬も許せますか」
ガルが眉を跳ね上げた。
「魔物かどうかと許すかどうかは別問題だろ? オレぁどっちのことも許しちゃいねぇぞ。人殺しは言うまでもねぇが、生き別れた弟のために今大事なヤツを捨てるかよってな」
「捨て、られた……んですね、私」
ぐるる、と喉奥で唸るガルの言葉に、チコの血の気が引いた。失言に気づいたガルの耳がへたれる。
「……まやかしの森でアイツに助けられたときも思ったがな、アイツはオメェを信頼しすぎだ。目の前の死にかけを助けるのはいいが、それで大事なヤツが死にかけちゃ世話ねぇっつの」
「信頼、されてたんでしょうか」
「他人にかかずらってる間も、オメェは元気してると思ってんだろ。オメェもアイツの前じゃずっと笑ってたしな」
「……そんなわけ、ないのに」
キルトが笑いかけるから、チコは笑いかえすのだ。
キルトが頑張り屋だねと頭を撫でるから、チコは頑張るのだ。
キルトが性懲りも無くチコを可愛がるから、チコは可愛くしているのだ。
それは、まやかしの森の幻みたいなもので。
俯いた視界の中で、鈍色の尻尾がゆるりと揺れた。
「言いたいことあんなら猫かぶってんなよ。かわいいワガママじゃなくて、嚙み殺す勢いでぶつからねぇと、アイツにゃろくに伝わらねぇぜ」
「……私は生まれつき猫なんですけど。それひょっとして実体験です?」
「……訊くな」
チコが顔を上げると、ガルの情けない表情が見えた。さっきの今なので、シェリーがガルをウェルダンにしようとする姿が目に浮かぶようだ。チコはくすっと笑った。
笑いながら、キルトを噛み殺すのは骨が折れそうだな、とチコは思った。
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