禁忌の魔物はわらってた

 わけのわからない事態は、それだけでは終わらなかった。


 残りの犬獣人達も次々に姿を変えていく。そろって人の身の何倍もある犬の姿だ。シェリーは記憶をひっくり返す。犬獣人の獣型は人の身より小さいことが多いと、ガルは言っていたはずだ。では、この異常事態はなんなのか。


 犬獣人達は互いに取っ組み合いを始めた。引っ掻き、噛みつき、体当たり。狂ったような吠え声が絶え間なく響く。そのうちの一匹が弾き飛ばされて双頭犬の足元に落ちた。双頭犬が前足を振り上げ、振り下ろす。地響きを立てて砕かれた土くれが飛び散り、遅れて突風が吹き付けた。もろに食らった犬の巨体は跳ねて落ち、ぐたりと力なく横たわる。


 その光景に気を取られていたから、シェリーはすぐには気づかなかった。生ぬるい風を感じて振り返った先に見えたのは、大口開いて飛びかかってくる、鈍色の巨犬。シェリーは指一本動かせず、狂った飴色を凝視して、ただ理解を拒絶した。


 がちん、からぶった牙が硬い音を立てる。横から引き倒されたことで辛くも死を逃れたシェリーは視線を向けようとして、腹にかかった圧に呻いた。回された腕に引かれて空中に飛び上がる。さっきまでシェリーがいた場所を、人の胴ほどもある三毛猫の前足が、爪をむき出しにして引き裂いた。

 二匹から離れた位置でシェリーを地面に下ろした誰かは、シェリーが視認する前には二匹のもとに戻っていた。顎門の下に滑り込んで巨犬に蹴りを叩き込み、爪を躱して巨猫の頭蓋を揺らす。ぐらりとよろめいた二匹に向けて、魔法を放った。


「【眠れ】」


 瞼を下ろし、意識を失った巨体が二つ倒れ込む。その姿はしゅるりと縮んで、見慣れたガルとチコの姿が残された。


 土ぼこりに咳き込みながら、シェリーは二人を沈めた者の姿をやっと捉えた。真人にはない、頭の上の三角耳。それを指先で撫ぜた手が、一度目元を覆って下ろされた。現れた黄金の目は、自らの腰から伸びる二本の長い尾に向けられていて。


「キルトくん……よね?」


 けれどどう見ても、それはキルトにしか見えなかった。


 黒猫の耳と二本の尾をはやしたキルトは、どこか遠くを見て答えなかった。す、と片腕を持ち上げる。

 ばぢり、と爆ぜる音がして、二箇所で雷光が閃いた。一箇所では暴れていた犬獣人達が端から崩れ落ちて人の形を取り戻し、もう一箇所では一つの人影が地に伏す。


「あれが使役者ですね。『笛』を持っているはずなので、早急に取り上げてください」


 発せられた声は、先ほどチコとガルに催眠魔法を放った時と同じ、キルトのもので間違い無い。シェリーがキルトから目を離せずにいると、黄金色がシェリーの方を向いて、にこりと笑んだ。


「なんだか照れてしまいます、変化でない姿は久しぶりなもので。……この姿の意味を、シェリーさんはご存知でしたね」


 微笑んだその顔は、場違いなほどに穏やかで。シェリーは身を震わせた。


 ゆらりゆらめく二本の尾。普通の猫獣人ではあり得ないそれ。月夜の記憶が呼び起こされる。


「禁忌の魔物、なんて呼ばれるものです。俺も——あの双頭犬も」


 シェリーは頭が真っ白になった。言われた言葉は至極単純なのに、どうしたって理解ができない。反応を返さないシェリーを置き去りに、柔らかな声で、歌うように、キルトは続ける。


「父は黒犬、母は黒猫。黄金の目は家族のお揃いで。それに、弟がいたんです。死に別れたと思っていました、昨日までは」


 咆哮が聞こえる。冒険者たちのかけ声、悲鳴、ぶつかる音、裂ける音。戦いが始まっている。


「でも、生きているのなら。もう亡くすのは嫌なんです。すみませんシェリーさん、使役者の捕縛に、それから」


 そちらへ向けた表情が、ほんの一瞬歪んで見えた。


「チコのこと、どうかお願いします」


 地面を踏み切って、キルトはシェリーの視界から消えた。

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