第二章

保護者から子猫への贈り物

 閉め切った窓から、外の喧騒が聞こえてくる。それくらい部屋の中は静かだった。


 机の上に並べた色とりどりの石を、手袋をはめた指が摘まみあげる。細い糸に一つ、二つと通し、時々糸を交差させて複雑に編み上げる。途中でメインの水晶と金具を組み込んで、最後に結んだ糸端を見えないように始末した。


 完成した作品を花染めの巾着にしまって窓を開ける。風魔法で机の上を一掃すると、掃き出された水晶の削りくずが日差しを弾いてきらめいた。


 手袋を外して一息ついていると、ノックの音がした。どうぞ、と言えば扉が開いてチコがひょこりと顔を出す。


「こんにちはキルトさん、今日はお部屋にこもりっきりですけど、どうしたんですか?」

「いらっしゃいチコ、ちょっと作業に熱中しててね」


 宿屋の一室で、キルトはチコを迎えた。チコの手には二人分の軽食が握られていた。一緒に食べようと買ってきたのだと言う。二人でのんびりと食事をしながら、たわいない話をする。


「街の様子はどうだった?」

「仕事にあぶれた冒険者で賑わってました。ちょっとした騒ぎが増えるかもです」


 キルトの報告により、紡錘熊の討伐が済むまでまやかしの森は立ち入り禁止となった。まやかしの森を主な仕事場にしていた地元の冒険者たちには困った事態だろう。街中の依頼はそう多くなく、危険度が低い分報酬も高くないのだ。流れの冒険者たちはさっさと次の街に移動している。


こがね級の冒険者一行がちょうど近くにいるそうで、それを呼び寄せているところらしいです」

こがね級が複数いるならそう心配いらないね」

「キルトさんなら討伐できそうですけど」

「致命傷を与えてから絶命まで、森林破壊を防ぎながら三日三晩の耐久戦はごめんかな」


 キルトは爽やかに笑う。対してチコは顔を曇らせた。


「でも、あっちの紡錘熊も討伐されちゃうんでしょうか……」

「いかなる経緯があろうと、いかに穏やかだろうと、紡錘熊は人間にとって脅威だからね。でもまあ、夢幻兎が匿えば見つからないんじゃないかな。俺は『紡錘熊がいた』としか報告しなかったし。一頭本物が討伐されれば、行動のおかしな二頭目以降は『まやかしの森に恐ろしい幻が増えた』で済まされるかもしれないね」

「うわぁ……」


 喜ぶべきか怯えるべきかわからない。チコは中途半端な笑みを浮かべた。


 食事を終えたキルトは、机の上から花染めの巾着を持ち上げた。どうぞ、と渡されて受け取ったチコが巾着を開くと、ころりと可愛らしいブローチが出てきた。丸く磨かれた水晶の周りに、赤を基調としたたくさんの色石があしらわれている。


「すごい! 綺麗です! えっ、まさか作業って」

「多趣味な師匠につきあわされてね、少しは心得があるんだ。売り物ほどのセンスはないけど」

「そんなことないです、とっても気に入りました! でも、急にどうしたんですか?」


 大喜びしていたチコが首をかしげる。その様子をにこにこ眺めていたキルトは理由を語った。


「お守りというか、おまじないというか。『現水晶を身につけていると自分自身を忘れない』っていう伝承があるから、変化を使うチコも一つ持っているといいんじゃないかと思って」

「そんな伝承があるんですか。ありがとうございます!」

「それとこっちも渡しておくね」

「……えっ」


 ついでのように手渡されたのは、液体の入った小瓶。前回見たのはずいぶん前のように感じるが、実際はほんの数日前である。


「これ! てんっ……危ない薬じゃないですか!」

「言い方が物騒。危ないのは薬じゃなくてこれを欲しがる人間ね」


 キルトの師匠から届けられた『天使の涙』。それをぽんと渡されたチコは慌てふためいた。


「ダメだと思います、お師匠様だってキルトさんに使ってほしくて送ってきたんじゃないですか?」

「あの人は『あなたのものはあなたの好きにしなさい』って言うよ。はぐれたときに危機に陥られると間に合わないかもしれないから、チコが自分で持って、自分で使って欲しい。身動きも取れないほど死にかける前にね」

「うっ……今回のこと引きずってます……?」

「久しぶりに肝を冷やしたよ。あと一歩遅れてたら致命傷だった。治癒魔法も間に合うか怪しいくらいの、ね」


 真剣な黄金の目に見つめられて、チコは小瓶を握りしめた。チコにもためらいはあるが、キルトもきっと譲らないだろう。そう悟って、鞄の奥底に大事にしまう。


「……いざとなったら、私がキルトさんに使ってあげます」

「っふふ、そのときはよろしく。大事にしすぎて、使いどころを逃さないようにね」


 キルトはくすくすと笑う。それを恨めしく見上げていたチコの耳が、唐突にくるりと回って窓の方を向いた。


 聞こえる喧騒の様子が、先ほどと少し変わっていた。音量の下がったざわめきの中に、驚きと困惑の気配がする。


「外の様子が変ですね」

「騒動って感じじゃないけど、何かあったかな」


 立ち上がり、二人で窓の外を覗き込む。そして、揃って息を呑んだ。


 そこに見えたのは、見たこともない数の犬獣人の姿。その誰もが傷だらけで、厳しい顔つきのまま、肩を貸し合って大通りをぞろぞろと進んでいった。






 その日、街中の冒険者に指令が下った。

 獣人郷を複数壊滅させた魔物とその使役者が、街の付近に潜伏している。明朝から犬獣人たちと捜索を行い、発見し次第魔物は討伐、使役者は捕縛すること。あかがね級以上の冒険者には特別な理由がない限り参加を要求する。


 使役者の特徴。痩せ型で壮年の男の単容ユニ。茶色の短髪に翠眼。

 魔物の特徴。人の倍以上の大きさで、双つの頭を持つ犬のような姿。黒い毛並みに黄金の目。

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