月夜の恋話

 明かり取りの縦穴から、青白い月光が差し込んでいた。膝の上でやっと寝付いた幼毛玉を撫でながら、チコはふうっと息をつく。別れが近いのを察したのか、幼毛玉は眠気に負けるまでチコにちょっかいをかけ続けていたのだ。そのためチコは、みんなの眠る大広間からは少し離れた通路に出て相手をしてやっていた。可愛いものではあったが、昼の戦闘の後で明日も出発が控えているという状況では、少し大変なものがある。


「こんばんは。あら、お疲れね。う〜ん、ちょっとだけお話いいかしら?」


 道の先の暗闇から声をかけてきたのはシェリーだった。微かな月の光にまぶしそうに目を細め、外はきっといい月夜ね、と呟いてチコの隣に腰を下ろす。


「こんばんは。少しなら大丈夫ですけど、お話って……?」


 首を傾げるチコの声にわずかな警戒を聞き取って、シェリーは微笑んだ。


「そんなに身構えないで、って言っても難しいだろうけど。大したことじゃないのよ。せっかく可愛い女の子と会えたから、恋話コイバナでもしたいなって」

「こっこいばな!?」


 思わず声をあげたチコは慌てて口を押さえた。膝の幼毛玉が起きた様子はなく、胸をなでおろす。シェリーがくすくすと笑った。


「したことない? 恋話」

「ない、です。話せるような恋もないですし」


 瑠璃色の目が見開いた。


「てっきりキルトくんとか好きなのかと」

「えっ、と、好きと言えば好きですけど、恋? と言われると違うと思うので……」

「知識も十分、戦いも慣れてる、見目もいいし、冒険者の恋愛対象としては極上だと思ったんだけど。タイプじゃない?」

「タイプというか……」


 小声で唸りながら、チコは渋々話し出す。ぽすぽすと尻尾の先が地面を打った。


「その、単容ユニのシェリーさんには馴染みがないかもしれませんが、」

「ちょっっと待ってもらっていいかしら」


 手のひらをチコに向けたシェリーが、この師弟そっくりだわ、とひとりごちた。


「ユニって何か訊いてもいい?」

「あっすみません、真人って呼ぶ人のほうが多いんでしたっけ。キルトさんはいつも真人を単容ユニ、獣人を双容デュオって呼ぶので、私もそれで慣れちゃって。真人と獣人だと差別的だってことで考案された呼び名だそうです」


 そう説明を受けたシェリーにも思い当たることがあった。


 獣人は人型と獣型、一人で二つの姿を持つ。姿を変えることを変容という。

 人型は真人の姿に獣らしい特徴が混じったもの。よくある特徴としては耳や尾、鱗などが挙げられる。獣型は目に見える真人の要素はなく、言語を操る獣と言っていい。恐ろしい話だが、獣型の獣人が魔物と間違えて殺されることもあるらしい。


「協会の公式書類ではそう書くって聞いたことがあるかも。確か、それを聞いたガルが『双容デュオっつっても、変容できる奴ぁ多くないぜ』って言ってたような」

「うーん、水泳や木登りと一緒ですよ。適切に訓練すればみんなできるんです。でもできてもそれほど得しないので、死ぬまで生まれたままの姿の人が多いんですよ」

「獣型って不便じゃない?」

単容ユニの街に出るには人型がほぼ必須ですが、郷では獣型と人型、どちらも快適に過ごせるように工夫されているので、不便はないですね」


 へえ、と相槌を打つシェリーの表情は、暗がりで輝かんばかりに活き活きとして見えた。知識欲の強いシェリーには、閉鎖的な獣人郷の話は興味深くて仕方ないらしい。チコは知らず目を細めた。


「変容って、幻惑魔法上級術の変化とよく似てるけど、違うものなのかしら」

「呼び方は違いますが、中身はほとんど一緒です。有を異なる有に作り変える。ただ、その変化の終点が決まっているだけですよ」

「ふうん。そういえば、狐と狸と猫獣人は幻惑魔法が得意らしいけど、変容も得意なの?」

「えっ、と、私の生まれた郷では幻惑魔法の上手さや変容できることが一種のステータスでした。そういう環境もあって他の種族よりは変容できる人が多かったと思います」

「ああ、種族というより環境のせいって可能性もあるのね」


 ふむふむ、と頷いていたシェリーが、あっと声をあげた。


「ごめんなさい、話を遮ったうえに根掘り葉掘り。知りたがりの悪い癖なの、許してちょうだいね。キルトくんを恋愛的な意味で好きにならない理由、単容ユニには馴染みがないものなの?」

「そうです。あのですね、獣人は同種としか契ってはいけないんです」

「え!」


 今度口を押さえたのはシェリーだった。ごめんなさい、ともごもご呟いて、恐る恐る尋ねる。


「理由を訊いてもいいかしら?」

「はい。異種の獣人と契ると、魔物が生まれるんです」

「魔物!?」

「見た目は獣人によく似ているそうですが、必ずどこかが異形なんだそうです。指の数がおかしかったり、目が三つあったり、尻尾が増えたり。獣人だと思って育てていると、ある日突然暴れだして郷ごと滅ぼすんだとか。禁忌を犯して生まれた魔物、禁忌の魔物、なんて呼んだりします」

「それは怖いわね……」


 シェリーは眉をひそめた。チコは険しい顔で頷き、話を続ける。


「禁忌を犯したものは死刑なので、もともと同種以外を恋愛対象に見ることがないんですよ」

「死刑? 誰がそんなことするの?」

「郷の自警団です。郷に単容ユニの法は届かないので、それを参考にしつつ独自に法を作るんです。その執行人が自警団です。普段はちょっとした諍いの仲裁とか、困りごとの解決とかで活躍してます。もちろん、死刑になるような人なんてそうそう出ませんよ」

「そう、そうなのね」


 俯いたシェリーの目が心なしか陰ったように見えて、チコは気づいた。


「シェリーさんってもしかして……」

「あら、ふふ、ばれちゃった? あんなぶっきらぼうの戦闘バカだけど、アイツも結構いい男なのよ。キルトくんには負けるかもしれないけど。でも今の話じゃ望み薄かしらね」


 シェリーは片目を瞑っておどけてみせた。一つの恋が終わりかけていると知ってしまったチコは焦った。尻尾がせわしなくくねる。


「ひょっとすると! 同種としか契ってはいけない、じゃなくて、異種とは契ってはいけない、だったかもしれません。異種に単容ユニが含まれるかはちょっとわかりませんけど。子供の頃に聞いたことだからあやふやなんです!」

「あらそう? じゃあまだ諦めなくてもいいかしら。でもその話でいくとチコちゃんだって、キルトくんのこと好きになってもいいことになるわね?」

「ひえ……」


 愉快げにきらめく瑠璃色に、なんだか騙された心地になる。視線から逃れたくてチコはぎゅっと目を瞑った。ひそめた声でシェリーが笑う。


「冗談冗談。それにしても、里帰りした時にそういう話はしないの? 単容ユニの異性といる、なんて言ったら、アタシみたいな恋話好きがほっとかないんじゃない?」

「里帰りできる場所はないので……」

「……え?」


 チコは急激な眠気に襲われていた。目を瞑ったのは失敗だった。まぶたが重くてしかたがなくて、思考も重たく鈍っていく。力が抜けて、へたりと尻尾が垂れた。


「十歳のときに郷が魔物に襲われて、壊滅しました……。たまたま生き残って、単容ユニの町に出て、冒険者になりました。世間知らずの双容デュオなんて、あっという間に騙されて、売られそうになって……。キルトさんに助けられて、それからずっと、ついてきました。置いていかれたく、ないなぁ……」

「……恋じゃなくても、大好きなのね」

「うん……」


 ゆらりと揺らいだチコの身体を受け止めて、シェリーは静かに横たえた。夢幻兎を膝から顔の近くに移して、近くに置いておいた毛布をかける。


「つい話し込んじゃったわ。おやすみなさい、よい夢を」






 夜目がきかないシェリーにも、月明かりに照らされた姿ははっきりと見えた。


「女性の会話に聞き耳立てるなんて、趣味が悪いんじゃない」

「すみません。シェリーさんなら大丈夫とは思いましたが、狙われたのは一度や二度ではないもので」


 巣穴を出て少し歩いた場所、先ほどシェリーとチコが話をしていた場所の上あたりで、キルトは木にもたれて座っていた。シェリーが迷子防止に同行してもらった夢幻兎が梟に化け、キルトの頭をつつき始める。それを片手で制するキルトを見て、ぽつりとシェリーは尋ねた。


「夢幻兎に嫌われる心当たり、あるんでしょう」


 その言葉を聞いたキルトは、にこりとわざとらしく微笑んだ。


「……やはりご存知でしたか。ご心配なく、誰も傷つけるつもりはありませんから。やめるつもりも、ありませんが」


 月光を反射するつめたい黄金色を見つめ返して、シェリーは嘆息した。


「誰も、だなんて大口叩くのは、その痛々しい顔どうにかしてからにしなさいな」

「——は」

「それが一切合財悪いだなんて潔癖なことは言わないわ。夢幻兎だって脆弱な身体を守るために駆使するのだもの、アナタにも事情はあるんでしょう。でも」


 面食らったキルトをよそに、梟を呼び戻したシェリーは踵を返す。


「内容がどうあれ、その事実だけできっとあの子は泣くでしょう。それを、ちゃんと覚悟しておくことね」


 フクロウの先導で進むシェリーを、かすかな声が追いかけてきた。


「……チコのこと、気にかけてくださって、ありがとうございます」


 歩みを止めず首だけ振り向いて、シェリーは囁く。


「アナタのことだって心配なのよ、おばかさん」


 まん丸に見開かれた黄金色にくすりと笑って、シェリーは前へと向き直った。






 シェリーが思い返すのは、魔物図鑑の一ページ。


 夢幻兎。

 まやかしの森の固有種。気質は温厚。正直者を好む。


 嘘つきを嫌う。


 ことに、誰かを傷つける嘘を。

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