子猫は毛玉のお客さん

 地を蹴って飛び上がった小さな影が、キルトに向かい落ちていく。


「びーい!」

「おっと」


 飛び蹴りのような何かを喰らわせようとした幼毛玉は、あっさりキルトの片手に捕まった。


「びっ! びいぃ!」

「痛い痛い」


 幼毛玉は捕まったままゴスゴスと頭突きをした。角が食い込んで地味に痛い。何かが起きていることに気づいたチコはキルトから離れ、しゃくりあげながら涙を拭った。キルトは解放された腕を使い、暴れられないように幼毛玉を抱え直す。


「びーー!」

「ここまで嫌われるとは」

「懐っこい毛玉だと思ってたんですけど……なんででしょう?」


 頭突きができなくなっても全身を使ってびちびち暴れまわる毛玉をチコが撫でた。目は赤く、時折鼻を鳴らしてはいるが、涙は一通り落ち着いたようだ。毛玉は撫でられて一旦大人しくなったが、チコが手を離すとハッとしたようにまたじたばたする。

 チコは周りを見回して首を傾げた。大きい味方の姿がない。キルトに行方を尋ねれば、紡錘熊は治癒魔法のあとどこかへ歩き去ったとのことだった。


 巣穴の入り口で塊になっていた毛玉たちが、揃って巣穴の奥に顔を向けた。足音と声が近づいてくる。


「キルトくーん、あっ猫獣人ちゃんもいる! 本物?」

「すげぇ血の匂いだが何があった? 無事か?」


 巣穴の奥からシェリーとガルが駆けてきた。毛玉たちを気にしつつもキルトのそばまでやってくる。チコはとっさにキルトの背に隠れた。キルトが二人に向き直る。


「お二人とも、突然置いて行ってしまってすみません。さっきまで紡錘熊が暴れていましたが、俺もチコも大きな怪我はありません」

「本物なのね、よかったわ。ええと、はじめまして。アタシはシェリー。キルトくんとは昨日助けられた仲よ」

「ガル。同じくだ」


 キルトの背からそろりと歩み出て、チコは一礼した。


「はじめまして、チコといいます。キルトさんとは……長いこと弟子やってる仲です……?」

「ぴ!」


 キルトの手から跳ね上がった幼毛玉が、チコの右肩にぶら下がった。シェリーが目を瞬かせる。


「さっきも思ったけど、これ夢幻兎よね? 珍しい」

「珍しいですか? いっぱいいますよ?」

「まやかしの森にしか生息していないし、幻惑魔法で巣穴も自分たちの身も常に隠しているから、なかなか見つからないそうよ。もしかしてアナタ、巣穴に何か落としたりした?」

「えっどうして知ってるんですか」


 驚くチコを見て、シェリーは感心したように頷いた。


「へえ、『夢幻兎のお客さん』って実話だったのね。あのね、この辺りに伝わる昔話があるの。夢幻兎の巣穴に木の指輪を落としてしまった正直者が、巣穴から出てきた宝石付きの指輪や王冠に目もくれずにあれも違う、これも違うと投げ返していたら、夢幻兎に巣穴の中に招待されてね。おもてなしの後に、落とした指輪とたくさんの現水晶を貰って帰ってきて、ひと財産築いたんだって。

 今でも時々、森の穴に落としたものがいいものになって返って来て、喜び勇んで持って返ったら幻のように消えた、って報告があるそうよ」

「いいもの……? あっでもそうです、キルトさん! 袋一杯の現水晶は集めましたよ!」


 鞄から取り出した小袋をキルトに掲げて見せると、キルトは目を見開いた後で額を押さえた。


「集めてくれたのはありがとうね。ただし、はぐれたことと無茶したことについては帰ってからお説教です」

「うっ」


 チコの耳と尻尾がへにゃりと垂れ下がった。ガルが頭の後ろで手を組む。


「ま、無事に合流できて良かったじゃねぇか。あとは帰るだけなんだろ?」

「うーん、今日中に街には着けないわね。もう一日野宿かしら」

「場所を探さないといけませんね」


 今夜の相談を始めた三人に混ざろうとしたチコは、くんっと後ろから服を引かれて振り向いた。


 そこにはチコがいた。額に見覚えのある角がある。


「……んん?」

「ぴ!」


 チコが鳴いた。どう考えても幼毛玉の声である。


「私にも化けられるようになったの? すごい! でも角はしまおうね」


 つん、と角をつつくと、幼毛玉は額をさすった。手を降ろした後に角は見られず、満面の笑みを浮かべる。

 本物のチコが静まり返った背後を振り返ると、頭を抱えるキルトと、目を輝かせるシェリーと、片眉を上げたガルが二人のチコを見ていた。


「人間に化ける夢幻兎……前例は皆無ではないけど……けど……」

「すごいわ! これが本物の変化ね!」

「見分けがつかねえな。っかし匂いまでは変えられねぇか」


 幼毛玉がチコの肩を叩いた。視線を戻したチコに、巣穴を手で示して見せる。


「ぴ」

「……泊まっていっていいの?」


 大きく頷いた幼毛玉に、キルトはますます頭を抱え、シェリーはますます目を輝かせ、ガルはしらっとした目で二人を見ていた。


「意思疎通ができている……」

「言語が通じてるの? 違う? でも意図は通じるのね!」

「嘆くのも好奇心もほどほどにしろよ。……本当に安全なら、俺は場所を借りてもいいと思うぜ。広さは十分だったしな」


 ひとまず全員の同意を得て、今日は夢幻兎の巣穴に寝床を借りることになった。


 そして落ち着きを取り戻しかけた空気の中に、最後の爆弾が落とされる。


「ぴっ、ひー、キうトしゃん!」

「えっ!? ……あっ違う! それは鳴き声じゃないの!」


 何度も鳴く幼毛玉と、必死に止めるチコ。キルトは顔を覆ってくずおれた。

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