子猫と毛玉は仲がいい

 ふと、浮かび上がるように目が覚めた。身じろぎすると身体に乗っていた毛玉がころんと転がり落ちる。毛玉は寝ぼけた鳴き声を発すると、その場で丸まってまた眠り始めた。

 チコは毛玉の山から静かに抜け出し、ぐっと伸びをした。毛玉に蒸されながら眠っていたので少々暑い。ひんやりした空気を取り込むように深呼吸して、辺りを見回した。毛玉の大半は、さっきまでチコが寝ていたところで密集して寝ている。他にも数匹集まって眠っている団子がいくつかある。残りはすでに目覚めて、毛づくろいしたり木の実を採ってきたりしているようだ。


 地下は基本的に薄暗いので分かりにくいが、チコの体内時計は朝を告げていた。外とつながる小穴を覗き込んでも明るかったので、夜は確かに明けたらしい。


 さて、今日はどうするべきか。


 キルトの教え、迷子の鉄則。それは移動しないこと。これがこの森では案外難しいのだ。食料を集めに移動しただけで、元の場所に戻れなくなる。

 その点、この巣穴は拠点に最適だ。巣穴内部には幻がないので、入り組んだ道さえ覚えられれば固定した場所で暮らすことができる。巣穴を出るときは毛玉を連れて行けば、出入り口を見失っても毛玉が連れ帰ってくれる。毛玉達がいつまでチコを居候させてくれるかはわからないが、頼れる間は頼っておきたい。

 なお出入り口云々は、昨日水と食料の調達に出たときに判明した。どう見ても狩られる側な毛玉の前で狩は憚られたので、毛玉にもらった木の実では足りない分、生で食べられる植物を集めるだけだったが。

 しかしさすがのキルトもチコが魔物の巣穴に居候しているなんて思わないだろうし、休息時以外は外に出て、少しでも見つけてもらいやすくしたほうがいいだろう。


 つまりチコにできることは、巣穴を拠点に生命維持しつつ、毛玉と外に出る。だけ。


 あまりにもキルト側の負担が大きすぎる結論にやるせない気分になったが、今考えついた分にはそれが最良だ。ため息ひとつついて受け入れた。


 髪を梳いてリボンを結び、とっておいた木の実で腹ごしらえをする。毛づくろいをしている毛玉に一緒についてきてほしいと訴えると、快く了承してくれた。毛玉に言語は通じないが、身振り手振りはそれなりに通じるのだ。変化に必須の観察力がコミュニケーションにも生かされているのかもしれない。

 毛玉を抱え、記憶を頼りに地下道を進む。幻さえ無ければ、来た道を戻るくらいチコには朝飯前だ。巣穴の道は区別がつきにくい上に入り組んでいて難易度は高めだが、鍛えられた記憶力によって一度も迷うことなく目的地に着くことができた。誰に鍛えられたかは言うまでもない。

 巣穴から外に出ると、なんとなく見覚えがあるようなないような景色が広がった。チコは少し不安になったが、辿ってきた道には自信があるので自分を信じることにする。


 チコが来たのは、昨日最初に巣穴に入った場所だ。木から落ちた場所の近くとも、リボンを無くしかけて半泣きになった場所ともいう。ちょっと幻のせいで景色が違うが、そのはずである。

 チコは特に痕跡を残したつもりはないが、キルトの追跡能力はちょっと常軌を逸しているので、順当に痕跡を追ってここまでたどり着く可能性が一番高いと考えた。もしかしたらもう来たかもしれない。木登りの痕跡は特に目立つだろうが、チコの想像上のキルトさんが落ちたことまで言い当て始めたので脳内からご退場願った。本物もやりかねないが流石に引く。


 抱えてきた毛玉は、チコの腕から飛び降りると狼の姿に化け、日当たりの良い場所に寝そべった。毛玉が毛玉の姿をしているのは基本的に巣の中だけらしい。弱くてのろそうな月白色の毛玉は、それは格好な獲物だろうとチコは思った。こんな狩りやすそうな魔物チコだって狙う。ここまでお世話になってはもうそんなことはできないけれど。


 チコの目的は外に出た時点で達成された。今のうちに木の実を集めるか、それとも鍛錬でもするか——とチコが考えたところで、巣穴からぴょんと出てくるものがあった。


「ぴーう!」


 例の幼毛玉である。すっかりチコに懐いたようで、遊んでほしくて追いかけてきたらしい。ちょこまかと駆け寄る途中でこけてでんぐり返ししたが、何事もなかったようにそのまま近づいてきた。相当こけ慣れている。本当にこんなので生きていけるのか、チコは毛玉たちが心配で仕方ない。


「……変化の練習でもする?」

「ぴい!」


 転んだ拍子についた草や土を払ってやりながら問いかけると、元気な返事が返ってきた。毛玉がぐるんと渦をまいて鳥に化ける。耳も角も綺麗になくなっていて、幼毛玉と一緒にチコも笑った。






 そうして色々な魔物に化けたり、頑固に消えない角に一人と一匹で首をひねったりしていると、時間は思ったより早く過ぎていった。


「キルトさん……」


 その間に、足音や呼び声が聞こえた気がして見回ってみた回数は、もう二桁に上ろうとしていた。そして求めた人影は見つからず、全て空耳という結論に至る。回数を重ねるたびに落ち込むチコを、ついてきた幼毛玉が巣穴の前まで連れ戻してくれた。


「置いてかれないよね……? キルトさんそんなことしないけど……うう」

「ぴーい……」


 森に置き去りなんて非道なこと、キルトはしないとわかっている。それでも不安になるくらい、チコは弱気になっていた。幼毛玉が慰めるように花の幻を降らせてくれる。


「ありがとう……ぐにゃってるけど嬉しい」


 一匹の変化の歪みくらいなら耐えられるが、大量の歪んだ花はちょっときつい。幻酔いを抑えようと薄目になりつつ幼毛玉を撫でて癒されていると、にわかに巣穴の方が騒がしくなった。狼の姿で日向ぼっこしていた毛玉も一緒に一人と二匹で巣穴に視線を向ける。すると、新たな毛玉が一匹全速力で転げ出てきた。


「ぶうう! ぶー!」

「ぷ?!」

「ぴー!」


 鳴き交わした三匹の毛玉は一目散に巣穴に飛び込んでいく。チコには何が起きているのかさっぱりだったが、緊急事態らしいことは察せられた。少し遅れて毛玉の後に続く。

 入り組んだ地下道を右へ左へ。途中で他の道からやってきた毛玉も合流し、大群となって同じ方向へ向かう。

 やがて、毛玉達は移動をやめた。彼らが見つめる先、巣穴の外から、肌が震えるような気配が伝わってくる。


 チコが覗き込んだその先では、亜麻色の長い毛に覆われた巨体に長い爪を振り回す、恐ろしげな魔物が暴れていた。

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