宵の駄弁

 急ぐ理由はいくらでもあった。チコの痕跡が消える前に、チコが紡錘熊と出会ってしまう前に。

 けれどそんな焦りを嘲笑うように、時は変わらず流れ去る。日が傾き始めたら寝床と食料を確保するのは、冒険者の常識だ。危険な夜と未知の明日へ備えるために。どれほど急いでいても、死にたくなくば、おろそかにすべからず。


 三人はそれをよく知っていた。チコの捜索は明日に回し、今日はもう休息の準備を始めるべきだと、三人の意見は一致した。






 水場のほど近くに腰を据え、食事をとって後片付けまで済ませた頃には、あたりは薄闇に覆われていた。火力を落とした焚き火が静かに揺れている。


「じゃあ、最初の見張り番はお願いするわね。お先におやすみなさい」


 そう言って、シェリーは寝袋に潜った。幾らも経たないうちに規則正しい寝息が聞こえてくる。ガルは手入れを終えた剣をしまい、焚き火を世話するキルトの隣にどかりと座った。薪の位置を枝でつついて調整して、キルトはガルに声をかけた。


「ガルさんもお疲れでしょう、身体を休めてください。会って半日の人間を信用できないのもわかりますが、誓っておかしなことはしません」

「盗みや殺しは心配してねぇよ。そのつもりなら、魔物にやられるのを見殺しにしたほうが事故で片付いて楽だろ。そっちじゃなくてな……。

 ……あー、簡単に訊く。オメェ、あの猫獣人とはどういう関係だ?」


 黄金色が瞬いた。焚き火をいじる手を止めて、キルトが慎重に答える。


「どう、というと……保護者と被保護者、とか、師匠と弟子、とか、そういうことでしょうか?」

「あー、それもだが、なんつーか……オメェにとって、あれは、人間か?」


 頭の後ろをガリガリと掻きながら、ガルは苦い口調で尋ねた。飴色の目は火明かりに一層深く染まり、キルトを真っ直ぐ見据えている。キルトは得心がいった様子で頷いた。


「俺は、チコを愛玩動物ペット扱いしているつもりはありませんよ。もちろん装飾品アクセサリーでもありません。チコは可愛い弟子で、優秀な相棒で、守るべき女の子です。こればかりは、俺の発言だけでは信用ならないかもしれませんが」

「……いいや。オレへの対応を見ても、獣人をモノ扱いする下衆には見えなかったからな」


 真人の街で暮らす獣人は多くない。ほとんどの獣人は生まれた郷で一生を過ごす。この郷は非常に閉鎖的で、真人はおろか異種族の獣人でさえ容易には受け入れない、同種族だけの共同体だ。この郷を出て真人の社会にやってくる獣人は、何か理由があってそうせざるを得なかった者がほとんどだ。ごく稀に冒険心のまま飛び出してきた獣人もいるが。

 そして、真人の社会において数が少ない獣人は立場がやや不安定だ。法規制されているにもかかわらず、珍しい愛玩動物や装飾品として扱う真人が後をたたないのが現状だった。ガルが心配していたのはそういうことだ。


 ガルは重ねて問うた。


「だからわからん。替えのきくモノ扱いじゃねぇのなら。どうして大切な仲間を捜すより、見ず知らずの相手を助けた? 今にもアイツに危険が迫っているかもしれないのに、どうしてそうも平然としている?」


 平然、と口の中でつぶやいたキルトは、焚き火を見つめて小枝を数本投げ足した。黄金に映る炎が揺らぐ。


「もともと生存については心配していなかったんです。この程度の森なら、多少不調でも独りで生き延びられる。それくらいには鍛えたので」

「ああ、師弟っつってたな」

「はい。だから、他人の手助けをする余裕もありました。ちょうど痕跡を見失ったところで、次の捜索方法に迷っていたというのも理由の一つです。

 でも、紡錘熊がいるなら話は変わってきます。対処法を知らないチコが敵う相手ではありません。幻だらけの森では逃げ道すら危うい。

 ……平気な顔に見えるのなら本望ですが、これでも、焦りを抑えるのに必死なんですよ」


 うっすら笑ったキルトの横顔は、その表情とはかけ離れた凄みを感じさせた。その顔をまじまじと見て、ガルは勢いよく頭を下げた。


「疑って悪かった。本当に大事にされてるみてぇで安心した」

「いえ! ガルさんのいう下衆が少なくないのも知っていますから。勘違いした相手に『売ってくれ』と頼まれるのも一度や二度ではありませんでしたし。チコのこと、心配してくれてありがとうございます」


 頭を上げてください、とガルに向けられたキルトの笑みは、今度こそ他意のない柔らかなものだった。


 ぱちり、焚き火がはぜた。見るともなしにそれを眺めて、キルトがぽつりと言った。


「俺も、ひとつ訊いていいですか」

「なんだ」

「何を考えて、シェリーさんを逃がしたんですか」

「あ? そりゃ水が効くこと知ってりゃ魔法使いがいたほうが良かっただろうが、あんときゃ知らなかったんだよ」


 ゆるりとキルトが首を振る。


「ええと。こう言うと失礼かもしれませんが……今日見た限り、シェリーさんは、独りでこの森で生き残れるようには見えませんでした。方向感覚は優れていますが、幻に弱い。戦闘に不慣れ。遠距離・中距離はともかく、近距離に耐えうる魔法使いではないでしょう。シェリーさんの技能は、あなたがいることを前提としたもののようでした。そんな彼女を逃がしたところで……殺される相手が変わるだけだ、とは思いませんでしたか?」

「……容赦ねぇ評価だな。事実だが。あれだ、加勢を探しに行ってもらったんだ」

「偶然近くに冒険者がいて、偶然あの魔物に太刀打ちできる実力者であることに賭けたと? シェリーさんに援護されて魔物に勝つほうがよほどまともな賭けです」

「……足手まといだったから逃がして、あれを倒してから追いかけるつもりだった」

「あなたほどの実力者に、勝ち目の有無がわからないわけがないでしょう」


 ち、と舌打ちをして、ガルはキルトを横目に睨んだ。黄金の目は相変わらずぼうっと焚き火を映している。


「戦ってる時にいちいちんなこと考えてねぇよ。小難しいこと考えんのはシェリーの役目なんでな、オレは苦手だ。

 まあバカがわかる範囲で言うならだ。生きてて欲しかった。死なねぇで欲しかった。オレにゃ目の前の死から逃がすので精一杯だ、それより先の死なんて考えてらんねぇよ」


 キルトの目がガルに向き、鋭い視線を受け止めて苦笑した。


「やっぱり、そういうものですかね。答えにくいことに答えてくださってありがとうございます」

「ふん……オレぁ寝る。交代時間になったら起こせ」


 ガルは焚き火の明かりから遠ざかり、寝袋を広げて潜り込んだ。それを見送ったキルトは、また焚き火をいじり始める。






「『一緒に死にたかった』なんて、やっぱり、わがままなんだろうな」


 ひそやかな独り言は夜闇に解けて、誰の耳にも届かず消えた。

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