保護者の魔物講座
「改めて、アタシはシェリー。突然だったのに本当にありがとう」
「ガルだ。助かった」
「キルトです。お役に立てたようで何より」
ガルの手当のかたわら、三人は改めて自己紹介していた。ガルの傷は多かったがさほど深くはないようで、顔をしかめながら自分で薬を塗っている。
「紡錘熊に剣で一対一で、それだけの傷で済んだんですか」
感心したようなキルトの声に、ガルがちらと視線をよこした。
「知ってる魔物か。ありゃなんだ」
「アタシも、なんであっさり逃げていったのか聞きたいわ」
治癒魔法で大きな傷を塞ぎ、ガルの頭に包帯を巻きながらシェリーも尋ねる。キルトは魔物の気配に気を配りながら答えた。
「あれは紡錘熊といいます。一番の特徴は、高い防御力を誇る厚い毛皮です。剣は肉まで届かず、打撃は衝撃を殺され、挙句炎でも燃えません。守りの一切を毛皮に任せ、巨体にふさわしい馬鹿力で振るわれる鋭い爪と牙の攻撃は、並みの戦士では太刀打ちできません」
ガルの尻尾がふさりと揺れた。暗に誉められて嬉しかったのだろう。キルトは言葉を続けた。
「仕留めるなら、毒を使う、槍で貫く、毛皮で防ぎきれない打撃を加えるなどの手段がありますが、耐久力も高いので消耗戦になりやすく、出来るだけ戦いたくない相手です。しかし気性が荒いので、出会ってしまえば戦いを避けることも難しく……とにかく厄介です。
それでも弱点というものはありまして。先ほどご覧になった通り、水を浴びせると大抵逃げていきます」
「ただの水で?」
「水が弱点には見えなかったがな。炎系統とか泥の身体の魔物ならわかるが」
シェリーもガルも納得しかねるようで、瑠璃と飴色の二対が説明を求めるようにキルトに向いた。シェリーに至っては手を止めてしまっている。
「毛皮の特性上、水を吸収しやすく乾きにくいんです。濡れすぎると体温が奪われ続けて死ぬか、毛皮の中にカビが生えて死にます。だから紡錘熊は水を嫌うんです。濡らしすぎると逆上して死ぬまで攻撃を続けるので、加減は必要ですが」
「なんか情けねぇ死に方だな」
「アタシそれなりに魔物には詳しいつもりだったんだけど、全然知らなかったわ……悔しい!」
声こそ明るかったが包帯を握りしめて俯いたシェリーの頭を、立ち上がったガルが軽くはたいた。
「ま、なかなかいい鍛錬になったぜ」
「……修行バカ」
手当を終えて片付け始めた二人を微笑ましく眺めていたキルトは、ふと気づいた。
あの魔物の対処法を、チコに教えた覚えがない。
そもそも紡錘熊はこんなところにいる魔物ではないのだ。雨すら死に繋がりかねないために、乾燥した地域や、洞窟など確実な雨よけがある場所を住処とする。人間とは生息域が被りづらく、基本的には冒険者でもなかなか行かないような奥地でしか遭遇しない。
ゆえに、紡錘熊の知識は必要とされにくい。冒険者の話題にも上がらないし、協会の魔物図鑑にも載らない。シェリーが知らなくても仕方ないのだ。キルトも、紡錘熊がいるような地にチコを連れて行く気がなかったので教えていなかった。対処法を知らない状態でチコが紡錘熊と対峙して生還できるか……甘く見積もっても、五分五分。
顔面蒼白になったキルトの耳に、聞き慣れた声が届いた。
「キルトさーん!」
反射的に振り向けば、遠くから駆け寄ってくる人影が見える。
「あら、知り合い?」
「はぐれた連れです」
「あ……? いや、アイツぁ……」
「その幻ですね」
腕の届く距離まで近づいてきたチコに向かって、キルトは鞘のついた剣を横一文字に振り抜いた。チコの姿は布のように裂け、空気に解けるように消える。ひっ、とシェリーが悲鳴をあげた。
「ちょっと!? 確かめ方が乱暴じゃない!? 本物だったらどうするの!?」
「チコははぐれたのに悪びれもせず満面の笑みで駆け寄ってきたりしませんし、この程度の攻撃を避けられないような子でもありません。もし万が一本物だったときのために、剣も鞘からは抜きませんでしたし……少々気が立っていたのは認めますが」
少しばかりばつが悪そうな顔をして、キルトは剣を腰に戻した。ガルが声を殺すように笑っている。
「物腰穏やかなふりして案外手が出るタイプか? 綺麗な太刀筋だったぜ。魔法剣士は久々に見たが、メインは剣か?」
「っもう、ガルったら! 今そこはどうだっていいでしょう! 問題は、あの可愛い猫獣人ちゃんがこの性格悪い森でひとりぼっちってことよ!」
「そうですね……急ぎますので俺はこれで失礼します」
踵を返したキルトの肩をシェリーが掴んだ。
「待って、私たちも手伝うわ。助けてもらったお礼もしたいし。ガルもいいでしょ?」
「借りは早めに返してぇからな。犬獣人は鼻が利くぜ?」
二人に向き直ったキルトは、しばし逡巡したのちに頭を下げた。
「途中までは痕跡を追えたんですが、見失って困っていたんです。よろしくお願いします」
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