子猫は毛玉と戯れる
左腕に一匹を抱え、
右肩に一匹ぶらさがられ、
尻尾に数匹飛びかかられ、
足元に数え切れないほど群がられ。
ぴょこぴょこ跳ねる毛玉に先導されて横穴を進んでいったチコは今、大量の毛玉に囲まれていた。といっても、襲われているわけではない。足に額を擦りつけてくるもの、木の実を器用に頭に乗せて差し出してくるもの、幻の花を見せてくるものなど、どういうわけか大歓迎されている。
横穴の入り口は狭かったが、中に入ってしまえば立って歩けるほど広かった。特に今いる場所はちょっとした広間のようになっていて、柱代わりになっているのか木の根がちらほら突き出している。所々にあいた穴から陽が差し込んでいたり、発光する植物や石が配置されていて、思ったほど暗くもない。夜目が利く猫獣人にしてみれば全く行動に支障を感じないほど整った空間だ。
案内役の毛玉を左手に抱き、取り戻したリボンを右手に持って、チコは戸惑っていた。歓迎されているのは、まあいい。極々稀にいるのだ、よくわからない基準で他種族を歓待したがる種族が。運良くそれに当たったとすれば、納得はいかないが理解はできる。
問題は毛玉のおでこである。先ほどまでリボンで隠れていたそこには、小さな透き通った角が生えていた。長さはまちまちだが、他の毛玉も同様に。そして、辺りには無色透明の石が無造作に散らばっている。カンっという硬質な音が響いたのでそちらを見れば、一匹の毛玉が長く伸びた角を手近な石に叩きつけていた。二、三度で角はぱきりと折れ、磨いて形を整える作業に移っている。
チコは恐る恐る、抱えた毛玉の角をつついた。
「現水晶って……これ……?」
「ぷう!」
魔物に言葉がわかるわけがないのに、そうだよ、と言われた気がした。
想定外のことばかりで疲れ果てていたチコの気分は少し上向いた。今度こそ本物の現水晶と、木の実と、そこそこ安全が確保された空間がある。森から出られない中では最高の状況なのではないか? 怪我の功名、上等である。
毛玉の正体とか、いつ帰れるのかとか、ひとまず考えるのを放棄したチコはここでお世話になることに決めた。とりあえずはにっこり微笑んでおく。どうにもならないことに直面したときのキルトを見て学んだ笑顔であった。
「ぴう!」
右肩にぶら下がっていた毛玉が一鳴きし、チコの肩を蹴って飛び出した。その輪郭が空中で渦を巻くように歪む。まばたきするほどの間に渦は逆回りに戻り、輪郭はまともな形を取り戻す。しかしそれは毛玉の形ではなく、ぎこちなく羽ばたく一羽の鳥の形に変わっていた。
幻惑魔法の上級術、
「ぶー……」
「ぶぶー」
周囲の毛玉が呆れたような声を上げた。それもそのはず、その鳥には丸い耳と透明な角がついていたのだ。これでは偽物であることがバレバレだ。お手本、というように他の毛玉が数匹鳥に姿を変えて飛ぶ。変化の速度も精度も段違いで、チコの幻惑魔法適性がもたらす輪郭の揺らぎ以外、本物の鳥と見誤るほどだった。一匹に至っては輪郭の揺らぎも見られない。チコの能力よりもその毛玉の能力が優っているのだとわかって、少し背筋が寒くなった。
「ぴい……」
最初の毛玉が地面に降り立って元の毛玉の姿に戻る。しょぼくれたその姿は他より一回り小さく、鳴き声も少し高いので、幼い毛玉なのかもしれない。幻惑魔法はまだまだ練習中なのだろう。
「変化後に無くなるところの処理が苦手なのかな」
変化は幻惑魔法の中でも難しい。見かけだけ誤魔化すのではなく、中身まで作り変えるのだ。前者の場合、鳥の幻をまとっても毛玉は飛べないし、触れば毛や角の感触でバレてしまう。しかし後者ならば元が毛玉でも飛べるし、毛は羽毛に変わって、角も無くすことができるのだ。
チコは幻惑魔法に熟練こそしていないが、全く使えないわけではない。そして理由はわからないが、幻よりも変化のほうが得意だったりする。
抱えていた毛玉を下ろし、リボンを簡単に結んで、チコは変化した。隣にいるのと寸分違わぬ毛玉の姿。毛玉たちは驚いた様子でぷうぷう騒いだ。その中を抜けて幼毛玉の前まで跳ねていったチコは、そこで鳥に変化する。
「ぴい!?」
じっと鳥姿のチコを見た幼毛玉は、自分も鳥に変化した。相変わらず残っている耳と角をチコが優しくつついてやると、幼毛玉(鳥)はびっくりした顔をした。頭を振ってみたり、羽をばたつかせたり、その場で跳ねたり大騒ぎして、やっとのことで耳と角が見えなくなる。
「ぴう!」
「ぷう!」
「ぷう〜!」
胸を張った幼毛玉(鳥)に、今度こそ周りの毛玉も賞賛の鳴き声を贈った。幼毛玉(鳥)はますます胸をそらし、そのうちバランスを崩してよろめいた。その拍子に角がぴょこんと戻ってくる。まだまだ訓練が必要そうだ。
「ぷうぷう!」
「ぷぷう」
元の姿に戻ったチコの前に木の実が置かれた。しゃがんだ背中に飛び乗られ、伸ばした手に擦りつかれる。思わずチコは笑みをこぼした。
思ったよりも、ここで楽しく過ごせるかもしれない。
胸底で燻る不安には、そっと知らないふりをした。
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