第2話 『一途の確認』

 俺の通う堀智ほりとも高校は俯瞰図にしてH型である。


 一棟、すなわちH型の左が、教室や職員室、保健室などのよく使われる教室が固まっている。ちなみに俺のクラス、二年C組は三階にある。大丈夫かな、労働基準法違反してない? 結構疲れるよ?


 二棟、別名として特別棟と呼ばれるそこは、部活動などに使われる教室が並んでいる。

 その先に体育館や武道場がある訳だが……まあ気にする必要は無い。


 と、一通り学校の説明を終えた俺は、コマツナが選択した教室の前に着いた。

 嫌な予感はするが、入らないワケにも行かないのでノックを三回。


「入っていいよ」

「あ、ああ……」


 中に入ると、窓を少し開けて吹く風に黒の長髪をなびかせる美少女、コマツナが待っていた。朝陽が相まって顔を照らすと、幼なじみで見飽きていたと思っていた顔ですら美しく映った。

 入ってきた俺を瑠璃色の瞳が一瞥すると、優しく声をかけた。


「どうしたの? 座っていいよ」

「あ、ああ……」


 促されるままに、俺は椅子に腰を掛ける。

 机や椅子は後ろに積まれているが、椅子が一つ置いてあるということは、コマツナが俺のために用意してくれたんだろう。……クソ、歯がゆいな。


「柊、あの娘と仲がいいんだね」

「あ、ああ」


 あの娘とは田島碧海の事を指すだろう。

 そもそも登場人物が田島とコマツナと水越先輩しかいないから、すぐにわかる結論だけど。交友関係なんてクソ喰らえ!

 つーか俺、今「あ」しか言ってなくない? 緊張してる? 緊張してますね、これ。


「いきなり呼び出してなんなんだよ。あと五分で集合だろ。それに――」

「学校では話さない、って気にしてるの? 誰も見ていなければセーフじゃない?」


 言って、コマツナはカーテンを閉めた。

 密閉された空間に俺とコマツナ、男女一人ずつ。間違い起きるかな、起きないね。でも期待しちゃうね!?


「何も起きないよ」

「あ、はい」


 俺の考えが見透かされたのか、コマツナに一言で黙らされた。


 積まれた机に腰を掛けたコマツナは小さく息を吐くと。


「あれだけ追っかけていた水越先輩から手を引くの?」

「なんでそうなってんのかわかんねぇけど、俺は水越先輩一筋だ」

「じゃあどうして、あの娘に抱きつかれて払わなかったの? ――少しでも気が揺らいだ、なんて言わないよね?」


 刺すような視線に、俺はギクリと肩を震わせた。

 そう思っていたことよりも、で話されたことに。


「適わねぇな……」

「柊が私に勝ったこと、あった?」


 不敵に笑ったコマツナは、すとんと地面に降り立つ。

 ――そのとき。

 ふわりと風が吹いた。……初めて見た、その色が黒のレース。アリだね!


「……見た?」

「ああ、もちろ――ん!?」


 キメ顔サムズアップで応えると、俺の頬には紅色の紅葉が生まれた。あれれ〜おっかしいぞ〜? 眼鏡の小さな探偵なら叩かれないのにね。俺に足りないのは眼鏡かな? 違うよね。根本だね。


 痛む頬を擦る俺の前に立ったコマツナはこほんと咳払いを一つ。

 気持ちを引き締める意味だろうけど、恥じらいの頬の紅潮は……やばいですね!


「……そもそもお前、なんで絡んでくんの? 心配かそれ以外かわかんねぇけど、お前には関係ねぇだろ」


 本音がつい吐露してしまった。

 多分……いや、確実に言ってはいけなかったであろう言葉に、コマツナはキッと睨みを利かせる。


「そう思うならいいんじゃない?」


 ――心配ではない。

 それは吐き捨てるような言葉で、意味を含んでいる様子は無かった。

 だからこそ、俺の心を抉っていった。


 恥からなのか、俺は髪をぐしゃっと掻き乱すと、


「……確かに、曖昧はよくねぇよな」


 好かれたことの無い高校生にとって、誰であろうと女の子が抱きついてくるのは喜ばしく思ってしまう。

 でも、その気持ちに甘えてなあなあにしてしまえば、俺にとっても田島にとっても良い結果は生まれない。


 思考と話し合い、両方を切る形でチャイムが鳴り響いた。


「じゃあ私先行くから、少し遅れて来て」

「ああ」


 一緒にいるところを見られたくない、そう意味合いだと思う。だからって遅刻強要しちゃう? 食パン咥えなきゃ許されないよ。


 行ったのを見てから、俺も教室を後にしようと歩き出す。

 あと数歩、教室を出れると思ったその時、外からの陽射しが人影で遮られた。


「……田島」

「先輩、さっきの女の人、誰ですか?」


 明るさの抜けた、ただ目の前の疑問だけを問うその言葉に、俺は答えに迷いが生じた。

 俺の好きな人ではない。けれどコマツナを好きってことにしておいた方が、この場は丸く収まってこの先も絡まれないんじゃないか?


 ――だけど、そんな思考は『曖昧』に反してしまう気がした。


 俺は視線を逸らさず真っ直ぐ田島を見つめ、嘘も曖昧も無く正直に話した。


「あれは俺の幼なじみだ。好きな人なんかじゃない」

「じゃあなんで……誰も通らないような教室に二人っきりだったんですか?」

「田島が知らないだけで、特別棟は使われなくてもここは割と使われる教室なんだよ。今は始業式も始まるし誰もいねぇけどな」


 さらっと俺は嘘をついた。

 手のひらくるっくる、これぞ日本人!


 何も知らない田島は「そうなんですか」と、安堵に胸を下ろす。待って、罪悪感押し寄せてくるんだけど!


 凌げた、と言っていいのかわからない状況下に、俺は田島に視線を送って。


「早くしねぇと先生に怒られんぞ」

「あはは、そうですね! 早く行きましょう、作本先輩♡」

「あ、おい」


 手を引かれて、その手越しに伝わる温もり。小さく、少しでも強く握ったら折れてしまいそうな華奢な手に、俺の鼓動は速くなる。


 そんな俺の手を引く田島の顔が真っ赤に火照っていることなど、俺は知らずに歩んでいく。


 *


「遅かったな、迷ったのか?」

「あ、はい……はぁ、す、すみません」


 確か国語教師だった小橋千鶴こばしちずるは、田島の入館に小さく声をかける。

 ちらりと何人かが田島の方を向いて意識しているが、校長が話しているため前を向く。


 田島が一年だと判断したのは、リボンの色だ。一年は緑、二年は青、三年は赤で分けられている。同様に男はネクタイ。


 小橋先生の言葉に謝罪を混じえ、頭を下げる田島に「わかった、次から気をつけろ」と声をかけると、そそくさと自分のクラスの列へと座り込む。


 次は俺だが、体育館の外に立っているが誰もこちらを見ない。田島なら既に数人見ていたはずなのに。嬉しいような悲しいような、いつも通りのような。


 なんにせよ今は知られない方が得策、俺はこそりと体育館に入って姿勢を低くし、先生に気づかれない程度にミスディレクションを発動!


「何をしている、作本。言うべきことがあるだろ?」

「ずびばぜん」


 顔面を片手で掴んだ小橋先生は、俺をひょいと立たせる。

 そこで数人がこちらを向いて、プークスクスと笑っている。水の女神、大量発生!


 美人で有名なのに乱暴だな、と胸に刻みながら二十五になっても結婚出来ない理由を悟った俺は、にへらと笑った。

 当然俺の顔は反感を買い、


「後で職員室に来い」


 そう言われると、俺は解放されて自分のクラスに向かう。

 もうその時には誰もこっちを見ておらず、興味の無さが露呈していた。

 ……まったく、なんだかなぁ、だよ。

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