第052号室 水底団地 煮え沸く分裂触

 決壊したダムの底”水底団地ルルイエ”で倒立する豪華客船の甲板から抜け落ちた手摺りが、水の溢れた船上プールを引っ掻きながら落下し、後部甲板を打ち付けバラバラに飛び散る。


 頭上からの襲撃者に対してダヴィの反応は早かった。足場を失う前に自ら跳躍し、相手の背中へ組み付くと、刀の鞘を噛んで引き抜き、白刃を相手の首へと突き立てる。


 対する襲撃者はペストマスクを被った頭を腹へと折り曲げ、涅槃菩薩ねはんぼさつ像の括り付けられた腕で刀を受け止めると、そのまま背中から放射状に連ね差された卒塔婆そとばを一本抜き払い、鍔迫り合いへ持ち込んだ。


 一方、両者の一瞬の攻防に呆気に取られながらも、ため息一つ吐いて余裕を取り戻した小夜が、襲撃者の小脇に抱えられたまま鼻で嗤う。


「………フフン、ダヴィ?ドクター?二人共やめてよね、味方同士なのよ?」

「ドクターだあ!?デカ過ぎんだろ!3メートルはあるぞ!こんな人間有り得ねえ!!」


 ダヴィが脚で蟹挟み、空いた手に口から鞘を持ち替え卒塔婆をいなし、刀で脇下を斬り上げる。


 ダヴィは相手が両脚と小夜を抱え込んだ状態の片腕で体重を支えている限り、残り片腕だけで対処する他無いだろうと侮っていたが、ドクターは小夜を空中リリース、銅鏡で刀を受け止め、甲板を蹴り付け、ダヴィ共々フリーフォール、体を捻りロングコートを翼のように広げ頭上を取る。


 ドクターが為す術無しと笑う小夜を丁寧に抱え、その腕でダヴィの足首を乱暴に掴むと、金剛杵こんごしょを反り立つプールの底へと叩き付け、床材を捲り上げながら減速し、絶叫するダヴィの帽子が吹き飛び、露わになったちょっと広めの額が、落着する寸前になるように調整して止まった。


 油汗を滲ませ飛び退って構え直すダヴィに対して、ドクターはうやうやしく小夜を降ろし、ダヴィの落とした中折れ帽子を拾うと、大袈裟な礼儀正しさを見せて差し出し、戦意が無い事を表した。


「ほう………いきなり、斬りつけて悪かったな」


 ドクターを訝しむ瞳で射しながらも、ダヴィが刀を仕舞い謝意を表して帽子を受け取る。


 人では有り得ない体格と腕力、肌の露出が一切無く着込まれたコート、袖や裾口を隙間なく縛ったグローブやブーツ、首元にはチョーカーが巻かれ、猛禽を想わせるペストマスクの奥は全く表情が読み取れない。そして何より、全身隈無く配され、括り付けられた神仏の像と呪具の類いは、ドクターの身も心も既に正常では無くなっている事を示しており、素性を知らない者が見れば人では無い異形と断定されても仕方が無かった。


「そん中、どうなってんだ?あと、なんで降って来た??」


 ダヴィの質問にドクターが首を振って答える。


「立った船を天辺まで登った後、上から私達が見えたから、飛び降りて来たんでしょう?」


 小夜の言葉を思案するように、ドクターが斜め上を見つめ、そのまま斜めに首を振る。


「お前、コイツの考えている事が分かるのか!?なんだ?テレパシーか??」

「いいえ、全部私の勘よ」


「なんだそりゃ、お前?」

『大体、そんな所だ「うわぁあ、喋った………」君は、何時も騒動の渦中にいるな?お陰ですぐに見つけられる』


 唐突に発せられたドクターのペストマスクで、くぐもった不気味で不明瞭な声にダヴィが肩を震わせ、それを見た小夜の口角が片方上がる。


「来てくれてありがとね、ここから脱出するまで、一緒にいてくれる?」

『ああ、私は何時でも君の味方だと言っただろう?だが急いだ方がいい、船の周りの水は火災の所為せいか沸騰していた。もう少し下に救命艇が一つ残っていたから、それを使おう』


 先導するドクターの後に小夜とダヴィが続き、更にその後を熱気と煙に燻され、粘膜質の肌がひび割れ捲り揚がった分裂触クラスターの生き残りが、炭化し掛けた触手を大小様々な船中の穴という穴、隙間という隙間から突き出し、這い出し、のたうって追いすがり、四方八方を遮ると、煮え沸くその身の苦痛を少しでも分かち合う為の伴侶を求め、獲物を絞め殺す為だけの交尾玉をばら撒いた。


「一応これ、ロープを切る為の形なのよね~」


 ツイストダガーを取り出した小夜が適当に振り回し、蒸し上がって水分を失い胴回りの細まった分裂触をバッサリと切って捨てる。


「そんな建前、誰が信じる?どう見ても殺す為の形じゃないか!」


 こっちは美術品だからいいのだ。と実際に戦場で振るわれ、馬ごと鎧武者を斬ったといわく付きの日本刀をダヴィがはためかせ、分裂触の残骸が宙を舞う。


奉請弥陀世尊ぶじょうみだそせん入道場にゅうどうじょう!「きゃ………!」奉請釈迦如来ぶじょうしゃかにょら入道場いにゅうどうじょう!!「ひぇ………!」

奉請十方如来ぶじょうじっぽうにょ入道場らいにゅうどうじょう!!!「きゃ………!」奉請弥………!!!!「ひぇ………!」』


 ドクター鬼気迫る迫真の念仏、卒塔婆の中心に背負っていた蓮華座れんげざで、行く手を塞ぐ分裂触を叩き潰し、なじってり潰し、トランス状態へ移行、小夜とダヴィは邪魔は出来ないと得物を仕舞いただ縮こまって後へと続き、難無くドクターの見付けたという救命艇まで辿り着くと、明らかに救命艇それでは無い乗り物を見て暫し固まる。


『さあぁあああ!!早くぅ、これに乗り込むんだぁあああああ!!!!』

「ちょっと待って、これは何???」


 透明な円柱状のチューブの中に座席が並んだ救命艇では無い何かに、ドクターが上ずった絶叫に近い声で搭乗を促し、小夜が待ったを掛け、意味が分からないと痙攣を始めたドクターに代わりダヴィが答える。


「潜水艇だ!停泊中に珊瑚見るやつ!!」

『潜水てぇえええ??きゅうぅめ~ていじゃないぃいいい????クソォがぁああああっっっ………………!!!!!』


 発狂したドクターが蓮華座を円盤投げ、狙い澄ましたかのように壁面と障害物を反射し、顔を出した分裂触を破壊、小夜の頭を掠め、飛んだダヴィの足元を跳ねて手元に戻る。


「ま、待って!おちおち落ち着いて!!のれ、乗れる!………いえ乗るわ!!そうでしょ???」

「あったりまえだっ!イケっだろ、コレっ!??」


 二人がそう言うと同時に潜水艇へ搭乗すると、押し込むようにドクターによってハッチが閉められる。


「えっ?なに??」「いや、お前は乗らんのか??」

『私には、入り口が狭すぎるんだ………』


「「ああ、そう………………」」


 遂に限界を超え熱によって拉げた船体が張り裂け、中に溜まっていた分裂触とその沸き立つ粘液が、膿の滝となって潜水艇とドクターに降り掛かる。


「ちょっとぉおおお!?大丈夫なのお???」

『心配要らない、私がなんとかする』


 ドクターが潜水艇を船外へ押し出そうとするも、分裂触の粘液を被った身体では必要な摩擦抵抗が得られずその場で踏鞴たたらを踏む。


「そうじゃない!!あなたの事よ………」

『………………………』


 鎖と代わらない鉄線で綴られた巨大な数珠を潜水艇と客船に掛け、ドクターが中心で数珠を袈裟懸けにまわし、力いっぱいに引き込む。


「ねぇ………聞いてるの?」

『まあ………何とか、してみるさ………』


 粘液塗れの潜水艇は一度動き出せば勢い止まらず、泥水沸かした団地ダムの残り湯へと、飛沫を上げて落ち込んで行った。

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